第六話 戦い、森にて2
「賞賛を与えよう。まさか人間に傷をつけられるとはな」
「そう気に病むな。転移に集中している瞬間を狙わせてもらったから、少々卑怯ではあったしな」
高魔族の中でも、吸血鬼という種は五本指に入る強さを持つ。
それと対峙して軽口を叩くこの王子の余裕には、素直に感服せずにはいられない。
「久しぶりに退屈でない戦いができそうだ」と血のように紅い瞳を妖しく光らせる吸血鬼。
傷つけられて本気になったらしい吸血鬼の殺気に、私はわりと本気でガクブルです。情けねえ。
だけどこのままお荷物になっているわけにもいかない。二者が会話している間に、恐怖に震えるくちびるで、どうにか超回復を噛まずに唱え終えた。
……はあ、やっと自力で立てる。
「もう、でぇじょうぶです。助太刀感謝しまひ」
ダメだ気を抜いたら変な噛み方した!
呪文の時じゃなくてよかったけど、これは恥。
ぶっと吹き出したあとに、「無事でよかったよ」と爽やかな笑顔で王子は言う。
「はい、なのでもう立てます」
俗にいうお姫様抱っこの体勢のまま、ぶらぶらと足を動かしてみせる。
私の動けるアピールを受けて、王子は自分の後ろにそっと私を下ろしてくれた。そのうえ、さりげなく庇うように前へ立ってくれる。
優しくしてもらえて嬉しいけれど、護衛の人間として自分が情けないっ。
いろいろといたたまれない気持ちで立ち上がる私を、王子は「すごいな」と言いつつ感心したように眺めた。
「へ?」
「この状況で冷静に自己回復するなんて。そのリボン、貴族寮のだろ?」
ああ、なるほどね。私の付けている金糸の刺繍入りの紺のリボンは、貴族寮の物だ。一介のご令嬢ならば、確かに超回復を使えれば評価に値する。
「私はあのカスピアン辺境伯のご令嬢ダイアナ様の護衛ですので。それなりの戦闘を想定して鍛錬しております」
ドヤドヤァ!
魔王軍との最前線の指揮官を務めるカスピアン辺境伯に認められ、娘の護衛を任されるって、実際すごい名誉だ。魔力も剣の腕も優れていなければ、そんな大任は任されない。そんなの、同年代の中じゃ私にしか務まらない。自慢!
しかし、王子の反応はなぜか芳しくなかった。
「へえ。それで、どうしてそのダイアナ様の護衛が、こんなところで一人で攫われそうになっているんだ?」
「……………………」
なにも言い返せない私を見て、堪えきれないというようにくすくすと王子は笑い出す。
このひと完全に私をバカにしている!
「あのですねえ、それには立派な訳が――ってまずい、避けて!」
私の声が届くよりも早く、ヴィンセント王子の剣は神業ともいえる速さで動いていた。キィンと甲高い金属音が鳴り、吸血鬼の重い斬撃を受け止める。
いつの間にか吸血鬼の手から凶悪に生えそろっていた長い爪は、紙一重のところで王子の首の皮を貫けなかった。
「こちらも不意打ち。これで平等だ」
「ははっ、魔族ってやつは、存外狭量なんだな」
顔色ひとつ変えずに、両者とも凄まじい力を刃に込めている。そのまま力比べの攻防が続くかのように思えた。
しかし王子は素早く後ろへ飛び退くと、私を守るように抱きとめる。
「うぎゃっ!」
同時に、視界が真っ白に染め上げられた。続けて激しい熱風が肌を焼く。
目の前には、人間五人は優に包み込める、凄まじい熱量の炎の球が生成されていた。
「火球って、こんな技だったっけ……」
私の知る火球は、両手の間に生み出す野球ボール大の火の玉である。こんな威力のものではない。凄すぎる。しかも王子は、こんな魔術でさえ無詠唱で扱えるのだ。
「火の系統は、俺の得意分野だからな」と、事も無げに言う王子。
その彫刻のように整った横顔を見たら、背筋がぞくりとした。
このひと、私をからかって笑っていた時にはすでに準備を済ませ、あえて隙を作ったのだ――この一撃必殺のカウンターで屠るために。
「……だが、しとめきれなかったようだな」
「えっ!?」
灼熱の火炎から、影が浮かび上がる。
あの美貌の吸血鬼だ。絹のようになめらかな白い肌には火傷の跡すらない。
「完全無効……!?」
楽観的なことで定評のある私も、さすがに今回は絶望に濡れた声をあげてしまう。
完全無効は全ての魔術を無効にするという、高魔族の中でも種を束ねる者しか持たない最強の力だ。
「いかにも。我は吸血鬼の王。人間ごときの魔術など効かぬ」
人外の美貌は、隠そうともしない侮蔑の笑みを浮かべた。
マジか。こんなんどうやってヒロインは撃退したんだ――あ、チート聖力でお帰りいただいたんだった。
だって聖の力は、相手が不浄の者であればあるほど堪える。だから吸血鬼も召喚したドラゴンに戦闘を任せた。
……じゃあ、私は? 得意魔術は、身体強化ですが。
「さすがに分が悪いな……。ええと、カスピアン辺境伯のご令嬢の可愛らしい護衛さん。ここは俺に譲って、助けを呼びに校舎まで行ってもらえるか」
こんなの、ただの私を逃がすための口上だ。どう考えても助けを呼ぶ前に、決着はついてしまう。
いくら王族がこの国の最大戦力だとしても、それでも高魔族と一対一で渡り合えるくらい。聖剣なしでは、私たちは無力だ。まして高魔族の王など相手ではひとたまりもない。
それに校舎まで逃げても、この王子よりも強い人間なんてそうはいないだろう。助けを求めようがないのだ。
第一、この国の王子と私だったら、どう考えても天秤は王子に傾く。王子の比重が重すぎて、私が大気圏突破まで飛ばされるくらいには。
だけど、私に足止めはできるか? 答えは否。
奥の手まで使って全力を出しても、たぶん一秒でちぎってポイされる。
……だったら、やることは一つ。
「私も戦います。サポートをお願いします」
「正気か?」
王子は、美しい目を瞠った。
「前衛としてなら、私もそれなりに自信があるので。あなた様は大変優れた魔力をお持ちとお見受けしましたので、後衛はお任せします」
「……だけど」
「カスピアン辺境伯のご慧眼を信じてください」
しばしの間、視線が交差する。
私が譲らないと諦めたのか、「分かった」と王子はため息をつく。
「それから、もうひとつ。これは吸血鬼さんにもお願いしたいことです」
高魔族はプライドが高い。こちらが下手に出れば、おそらく話くらいは聞いてくれるはずだ。
「――私が死んだら、その時点でこの戦闘は終えてください」
この戦いの元凶は、私。
変な場所にいたせいで、ヒロインと勘違いして拉致されそうになったことだ。
完全に王子は巻き込まれただけの被害者。私が命を落とした時点で、この戦いはまったくもって無意味なものとなる。
「ふっ、いいだろう。死なずに連れ去るつもりだしな」
吸血鬼は頷いた。これで約束を反故にすることはないだろう。
「……死ぬつもりか?」
底冷えのする声を、王子が出した。
ぞっとするほどに冷たい瞳で、私は見られていた。魔力が宿っているかのように力強い彼の視線に、気圧されそうになる。生死をかけた戦いでも陽気に微笑んでいた好青年とは、まるで別人だった。
そういえばこの王子、覚えている限りだと、自己犠牲の精神っていうやつを憎んでいると、ゲーム内では描かれていた。
「――いいえ、まったく」
言い訳じゃない。だって本当に、死ぬつもりなんて毛頭ない。
ダイアナ様の死亡フラグを折らなければいけないのに、さきに死ぬなんて情けないことはしたくない。
それになんどでもいうが、私は自分の強さに自信がある。
カスピアン辺境伯によって護衛という立場に選ばれたことは、前世まで合わせても一番の誇り。その名をこんなところで汚すわけにはいかない。
「そうか」と、王子は満足そうに微笑んだ。
こんな状況じゃなかったら、たぶん即座に気絶してしまったと思う。それだけ魅力的な笑みだった。
「少しでも自己犠牲の精神なんて見せたら、問答無用で気絶させてものすごいお荷物にするからな」
うわあああ、本当に嫌だ! そんなんめちゃくちゃ邪魔じゃん。