第五話 戦い、森にて1
「誰にも見つかりませんように」
私はおごそかに祈った。
なぜそんなことを祈る必要があるかというと、入学式を終えたばかりだというのに早速校則を破って、いまは学園の森への入り口にいるからだ。生い茂った低木の後ろにしゃがんで隠れて、まさに不審者なスタイル。
もちろん目的は、ヒロインの動向調査!
入学式が終わったあとの午後には、三つの選択肢がある。
その回答によって、三つの場所にたどり着くことになる。裏の森か、薬草の庭か、一般寮か。
たどり着いたのが一般寮の場合はなにもおきず、裏の森だったら王子と、薬草の庭だったら教師とフラグが立つ。両方とも入れば校則違反の場所なんだけど、世間知らずのヒロインはうっかり迷って入っちゃうのだ。
私が見張っているのは、王子とのイベントのほう。
薬草の庭に入ってしまう場合は、校則違反として教師からペナルティを受け、噂になる。ただこっちのイベントだと、うまく王子と口裏を合わせて隠蔽しちゃうのだ。だから、イベントが起きたかどうかは把握できない。というわけで、こっちを張っている。ふふ、我ながら頭がいい。
余談だけど、この放課後イベント、私は王子とのほうが好きだった。
なにせ、派手だからね。
学園の偵察に来ていた高魔族の吸血鬼と鉢合わせ、森のなかに逃げるヒロイン。目覚めた膨大な聖の力でどうにか吸血鬼を打ちはらうんだけど、置き土産に吸血鬼はドラゴンを召喚していくのだ。
そこで王子が助けにきて、ふたりでドラゴンに打ち勝つっていう、戦闘描写もりもりの楽しいイベントだ。
ちなみにだけど、王子はとある理由から身分を偽って入学していて、一般寮にいるんだよね。
きらきらな王子様というよりは、どこか影のある精悍なイケメンって感じだから、私もプレイしていて最後まで気づかなかった。
待つこと体感三十分。
「……それにしても、来ないな」
ヒロインは他ふたつの選択肢に進んだのだろうか?
「いつ頃来たのかまでは、ゲームでも明文されてないしなあ。わかんないなあ」
暇すぎて、独り言。あとどのくらい待てばいいのだろう。
「――女、そこで何をしている?」
蠱惑的な低い声が、上からかけられる。
「ちょっと偵察……」
いや、馬鹿か。答えてどうする!
たぶん見回りの教師に見つかってしまったのだ。しかもかなり怖そうな声。言い訳を考えなければ……。
振り返った私の目に映ったのは、しかし、教師ではなかった。
暴力的なまでに人を惹きつける美貌に、昏く紅く輝く双眸。
薄く開いたくちびるから覗く犬歯は、その種の象徴ともいえる。
――吸血鬼。
私はすぐに自分の愚かさを理解した。
ヒロインはここに来るかもしれないし、来ないかもしれない。
だが、ヒロインが選択肢を決めた瞬間に、吸血鬼がここに出現するのではない。どんな行動をヒロインが取ろうとも、ここに吸血鬼が来るのはつねに確定した未来なのだ。だから、ここで待機していれば、ヒロインより先に吸血鬼と鉢合わせてしまうのは自明のこと。
……うん。短くまとめると、さっそく詰んだ!
「いい天気ですね、吸血鬼様」
とりあえず媚びる。だって機嫌を損ねたら、コンマ一秒でブチっといかれる。でも逆に、ここまでの高魔族だと、私なんて蟻のような存在。目障りでなければわざわざ踏み潰していくこともないかもしれない。
だって目撃者がいようがいまいが、これだけ強い魔力があれば、ここにいたことは絶対に露見する。だったら私なんて放っておこうぜ。どうでもいいじゃん!
「我にとっては、これは悪天候だ」
ああ確かに。陽の光が燦々と降り注いでいますもんね。
「それはそれは、ご気分が優れないのならお帰りになった方がよろしいかと」
じりじりと後ずさると、距離を詰められた。チッ。
「貴様、ここの生徒か?」
「ハイ、ソウデス」
「みなその装束を纏っているようだが」
「制服ですからね」
「ふむ、制服か……」
案外ふつーに会話するのね。
たぶん吸血鬼はとても油断している。それでも、私からすれば鉄壁の構えに等しいすごい気迫を放っている。前を塞がれているので、校舎に戻って助けを呼ぶのは不可能だ。
「ふむ。大召喚の兆しを受けてここまで来たのだが……女、何か知っているか」
「えっ。知りません!」
吸血鬼の紅い瞳が、かすかに細められる。
言ってすぐに、私も自分のミスに気づく。
本当になにも知らなければ、こんなすぐ否定はしないはずだもん。完全にしくった。
「……ふん。夢魔のいうことも当たるものだな。三割三分三厘の確率でここに異界人が来るとは言っていたが。女、貴様が異界人か」
「ああ確かにすごい正確な確率……でもちょっと人違いかなあなんて主張させてもらっても、いいですかねええええ!」
言葉の途中で、後ろに向かって走り出す。
異界人じゃないけれども、記憶視なんてかけられたら、かなりの情報が魔王軍に渡る。
身体強化をした体で全力疾走すれば、かなりの距離が開いた。
代わりに万が一のために買っておいた無詠唱の札、あっという間に使ってしまったのだけれどね。……ああ、三ヶ月分の給金がっ。
吸血鬼が追いかけてくる気配は、まだない。これはいけるのでは!?
高速詠唱で基礎魔術の光を唱え、空へ向かって打ち上げる。へるぷみー!
「光! 光! 光!」
この程度の魔術ならば、後ろに技名を追加することによって連続で使える。これで四発。
しかし、救援信号はすべて、あっさりと搔き消えた。まるで最初から何もなかったかのように、忽然と。
これは反魔術を唱えられたに違いない。人間業じゃない、チートすぎる速度だ。
魔術師ならば反魔法などというものは、よほどの時でなければ使わない。
反魔法を使うには魔術の構造を理解している必要があるうえに、なにより唱えるのに時間がかかる。それならば、例えば火の呪文には水の呪文をかけて打ち消す方が早い。反対の属性や効力の呪文でも、打ち消し合いが起きるからだ。
そんな面倒極まりない反魔法を一瞬で完了させたほどの使い手ともなれば、まず魔術で私に勝ち目はないだろう。
「――無駄なことを」
耳元で囁く低い声。
いつのまにか、がっちりと腰に腕が回され、持ち上げられていた。
ぎゃあっ。こいつ、進行方向に転移してきやがった!
「ちょっ、瞬間移動とかっ! ずるいっ!」
殴ろうとがむしゃらに動くが、あっさりと抑え込まれる。
いくら強化していても、体を持ち上げられてしまえば踏ん張ることもできない。自重が軽いと、こういう時とても不利になる。
「……なかなか強いな」
感心したような吸血鬼だけれど、それは逆に余裕の表れだ。なぜなら私は息も絶え絶え。
ぐぐぐっと胸板を押し返すが、あちらの力も相当に強い。
しかもこちらは身体強化を使っての抵抗で負けているのだ。あと数十秒で来るであろう効果切れの際には筋肉が疲弊し、逆に体が使いものにならなくなる。超回復で癒せるけれど、たぶん吸血鬼は反魔法してくるだろう。
「ははは……」
なんかもう、逆に笑えてきた。最悪の場合、『奥の手』を使えばいいけれど、それでもこいつから逃げられるかはわからない。
前世の記憶を予知夢に置き換えて書いた遺書を読めば、この先の展開をダイアナ様とディランは知ることができる。でもたぶん、ふたりは私が死んだらとても悲しむ。それは嫌だ。
なにより、ダイアナ様をこの手で守ると誓ったのに。こんな死に方はあり得ない。
だけど段々と力が入らなくなっていく。
「ちくしょう、死にたくない……」
「案ずるな。傷つけはしない」
完全に力が抜けた私。
吸血鬼は抵抗がなくなったことを認めて、素早くくちびるを動かした。
無詠唱に近いスピードで呪文を唱え終えると、地面には転移系統の魔法陣が煌々と浮かび上がる。
みるみるうちに転移陣に魔力が満たされ、光が周囲に満ちていく。
決断しなければならない。
奥の手に賭けるか、それとも……。
「――何!?」
驚いた声をあげたのは、吸血鬼だった。
いやいや待てっ、私はまだなにもしていないぞ!?
何が起きたのかと、周囲を見渡す。だが異常はない。数秒前となにひとつ……いや、そうか。
周囲の風景は依然として森の中。つまり転移が発動しなかったのだと、私も一拍遅れて理解した。
「ぐッ……!」
その瞬間、目視できないスピードで、視界が動く。
気がつけば、肩口から鮮血を流す吸血鬼が数メートル遠くにいた。憎悪に満ちた瞳で私――いや、私よりもわずかに上の方を睥睨している。さきほどの呻きは斬られたときに発せられたのだろう。
「誘拐犯にしては、ずいぶんな美男子じゃないか」
芝居掛かった調子でおどける魅惑的な声に、酷く聞き覚えがあった。
――ああ、そうか。
吸血鬼だけじゃない。あとひとり、絶対にこの場にいるであろう人間がいるじゃないか。
「貴様……」
「どうする? もう一太刀受けたいか」
私を軽々と片手にかかえ、日の光を受けて輝く剣を掲げてみせる、この世に二人といない色男。輝く黄金の髪、薄褐色の肌、燃え盛る情熱的な太陽の瞳……。
『終焉のファンタジア』の看板キャラにして一番人気――ヴィンセント第一王子だ。