第二話 悪役令嬢の兄
気合をいれたところで、いざ入学っ……! とは残念ながらいかなかった。
「あんなに青ざめて震えて、三日も起きなかったんだから! 具合が悪いならそうといいなさい!」
目を覚ましたダイアナ様は、元気そうにしている私を見てほっとした。しかし、それは一瞬のこと。すぐにその美しい顔を怒りに染め上げ、癇癪を起こし始めたのだ。
「ごめんなさい、お嬢様。なにぶん、突然のことだったものでして。でももうだいじょうぶですよ」
「お医者様は原因不明だから、絶対安静って言ってたわ! それに魔力までめちゃくちゃに乱れていたのよ。よく養生なさい」
入学の日までベッドから下ろさないといわんばかりの態度だ。
ついつい、私はぽろりとこぼしてしまった。
「そんなっ。それでは剣の稽古ができないではありませんか!」
学園に入学するまでに、生存戦略の一環として戦闘能力を上げたかったのだ。それに、魔力の乱れは記憶を取り戻したから起きただけだと思う。
正直、寝ている場合ではない。世界の命運がかかっているのだ。
だがしかーし、当たり前だけど、そんな事情はダイアナ様には伝わらない。
ぴしりと端麗な顔を凍らせ、ダイアナ様は低い声で告げる。
「そういうことなら、いいわ。今回ばかりは助けてあげないわよ」
――ま、まさか、やつがくるのか!?
助けてくれないなんて、殺生な! そこまで怒っているというのか。
いや、いまから謝っても遅くないはずだ。そう信じたい。きっとダイアナ様は助けてくださる。
「お、お嬢様……ひとりで安静にします」
私は精一杯反省している表情を作るが、ダイアナ様は冷たい笑みをうっすらと浮かべるばかりだった。
「三日前にあなたが倒れたって伝えたから、いま来てもおかしくないわ。お迎えに準備をしなきゃ」
「ダイアナさまぁ〜」
眉尻をこれでもかと下げても、効果はなし。
「――お兄様、きっとあなたの看病を喜んで引き受けるわよ」
ああ、終わった……。
――ディラン・セオドレ・カスピアン卿。
蒼がかった銀の髪がよく似合う、精緻に造られた美貌の持ち主だ。
すらりとしながらも鍛えられた体からは、弱冠十六歳とは信じられないほどの剣技が発揮される。そのうえ天性の頭の回転の早さと稀有な魔力も持ち合わせており、魔術も十歳の時点で一人前だった。
有力な辺境伯家の後継という立場も手伝って、社交界ではもっとも華々しい存在だ。
……というのが、私の知るディラン。
ダイアナ様のお兄様なのに、敬称じゃないのは事情がある。なめているわけではないぞ。
さきほど思い出した乙女ゲームの内容によると、攻略キャラのひとりだったらしい。
まああれだけの美形が攻略キャラじゃなかったら、逆にびっくりだからね。物心ついたときから、なんでディランってこんな完璧なんだろって思っていたけど、そういうことね。
ちなみに前世では、プレイボーイというキャラ設定がいやで私は全く攻略しなかった。そのせいでどんなキャラか全然わからん(無知)。
というわけで、以下公式サイトの紹介文の引用をば。
両親を失くしたせいで遠縁であるカスピアン家に引き取られたが、その幼少期は孤独に満ちていた。屋敷で唯一の味方だった初恋の少女さえ酷い失い方をしてしまい、女性へトラウマを抱いてしまった繊細な青年。
表向きは誰にでもとても優しく接するものの、けっして深くは踏み込ませない。来るものは拒まず、去る者は追わずをポリシーとしている。
しかし、遊び人でありながらもその本質は一途。心の奥底では、誰か一人を愛し、すべてを賭して尽くすことを求めている。その愛からは、けっして逃れることはできないだろう。
――ここで言わせてもらうけど、こんなやつ知らないね!
幼少期のディラン?
確かに最初は確執があったものの、それが解決してからはふつうに家族の一員として迎え入れられ、めっちゃ妹と遊んでましたよ。ついでにダイアナ様の乳姉妹である私とも。
唯一の味方だった初恋の女の子、どこ行ったし!?
聞いたことも、見たこともないですよ。同年代の女の子が亡くなった事件なんて、一回もなかった。
ネットでの評判を見るとヤンデレ属性持ちだったらしいけど、ないない!
私の知るディランは、ふっつーのお兄さんだ。
そりゃ優しいからモテモテだけど、女遊びなんてまるでしてない。まじめで温かくて優しい好青年です。
欠点といえば、ダイアナ様や私には砂糖を吐きそうになるほど優しく、過保護なことくらい。
……その欠点が、大きすぎるんですけどね。ため息。
そんなディランはいま、嬉々として私の看病をしている。
ベッド脇に椅子を用意して、そこからてこでも動かないつもりだ。たぶんこれがあと一週間以上続く。私の人権は、と切に叫びたい。
あの後、私は寝かされていた客室を急いで出て、自分の個室に帰った。使用人のなかでも位があって、上級の場合は嬉しいことに個室が与えられている。
私の住む女性使用人部屋のある棟は、男性禁制。
さきほど戻ると同時に、わざわざメイド長に頼んで廊下に置いてもらった「男厳禁」の看板に一縷の望みをかけたが、無駄だった。
旦那様と奥様がいらっしゃらない以上、ここはディランの独裁で物事が決まる。
だからといって、御坊ちゃまが薄汚い使用人部屋に来てしまったというに、咎める人がいないのはどうかと思うよ、ほんと!
「ひさしぶりだな、こうしてタリアの世話を焼けるなんて」
嬉しそうにしながら、ディランはりんごの皮を剥く。
綺麗な指先が器用に動き、あっという間にうさぎの形のりんごが六つできた。
「ほら、あーん」
――うわ、このノリ、きっつ……。
「タリア?」
「…………」
無言の抵抗。いろいろ言いたいことはあっても、主人に反抗はできんのだよ。
ていうか、くちびるにりんごが当たっているから、口を開いた瞬間放り込まれる。