第一話 前世の記憶
――私が記憶を取り戻したのは、ある昼下がりのことだった。
「もうっ、ジュリアンからまだ返事が届いてないの?」
「みたいですねぇ。まあ入学の日も間近ですし、お忙しいのでしょう」
「そんなはずないわ。あのジュリアンのことだから、早々に準備を終えているはずだもの」
生まれた日からお仕えしてきた麗しきご令嬢ダイアナ様は、拗ねたようにぷいっと顔をそむけた。
婚約者のジュリアン様のことで、いつものようにやきもきされているのだ。
公爵家の嫡子であるジュリアン様は、その才覚や美貌から、とても女性に人気がある。そのせいで、誰かに取られてしまわないかと、お嬢様は気が気ではない。
小さいころからの恋に胸を焦がす可愛らしい様子を微笑ましく思いながら、ダイアナ様をなだめるために口を開こうとした、そんな時だった。
「――だって、わたくしは婚約者なのよ?」
聞き慣れたその言葉が合図だったかのように、激しい頭痛に襲われる。
「うっ、ぐぁっ……! ああぅっ」
頭が裂けてしまったのではと錯覚するほどの痛み。気がついたら、絨毯に膝をついていた。
「ナタリア、どうしたの!?」
お嬢様のまえで醜態を晒したくはなかったが、不可抗力だ。私はうずくまって、嗚咽をもらすしかなかった。
「だれか、お医者様を……お願い、お医者様を呼んできて!」
……ああ、泣き叫ぶようなダイアナ様の声が、どんどん遠くなっていく。
夢を見た。
丸い形をした星「地球」にある、小さくて豊かな国で、私は学校へ通っていた。
まったく異なる価値観、まったく異なる法律や制度。それを呼吸するように当たり前と受け入れながら、私は生きていた。
だけど、やっとの思いで難関大学に入学したというのに、新歓コンパで、上級生にお酒を飲まされすぎて急性アルコール中毒。極度にアルコールに弱い体質だったらしく、そのまま死亡。親には本当に申し訳が立たない。
――こうして私は、ナタリア・アスターシャに生まれ変わったのであった。
「あー、まずいなぁ」
十七年分の記憶を取り戻して、ようやく高熱と頭痛から解放された私から、最初に出た言葉がこれ。
だって本当にまずい。
ここは間違いようもなく、あのふわふわファンタジー乙女ゲーム「終焉のファンタジア」の世界だ。
中学の時にこっそりと(乙女ゲームをやるなんて恥ずかしい!)プレイしていて、たぶん半分くらいのエンドは攻略したと思う。親とか友達の顔はぼやけているのに、なぜかそこだけ重点的に思い出した。
なぜかといいつつも、不可抗力であるのはわかっている。
私は、ユーザーから蛇のごとく嫌われる悪役令嬢ダイアナ・イゾルテ・カスピアンの侍女ですから!
そりゃあそこばっかり思い出すさ。思い出さなかったら、お嬢様もろとも確実に死んでいた。
数週間後、私はダイアナ様の付き人としてアイゼルン魔法学園に入学する。
魔法学園は魔力のある者ならば、誰でも入学することができる。
貴族に魔力持ちが多い以上、上流階級が多く集う学園だ。それでも、学園側は魔力さえあれば平民も喜んで受け入れる。
普通の感覚ならありえないんだけど、この学園はこの世界を守る役目も担っているのだ。
首席で卒業した人間は、魔を打ち払う聖剣使いの候補として選ばれる。名誉ある職業なうえ、これに選ばれた者は絶対に貴族の爵位を貰えるのだ。貴族でなくても、実力さえあればいい。
学園にとって公正に選定を行うことは、人類全体に対する責任である。
同じように私たちにとっても、貴族だろうが平民だろうが、魔力がある以上ここに入学するのは一種の義務なのだ。
しかし前世の記憶によると、ここに入学してから二年程度で、私とダイアナ様には死亡フラグが立ちふさがる。原因は主に、平民として入学してくるヒロインとの対立だ。聖剣の使い手に選ばれるため努力するヒロインを、とことんまで邪魔した挙句ぽっくり逝く。情けな!
というか思い出すの遅すぎない? いままで数え切れないほど、あのセリフをダイアナ様は言ってくれていたのに!
……自分の記憶力(?)に絶望するのはともかく、ここでちょこっと講釈を始めさせてもらおう。
――魔を打ち払うとはどういうことか、ということについてだ。
この世界には、魔法がある。
前世の世界と比べればせいぜい近世レベルと思わしき文化発展レベルにもかかわらず、圧倒的に豊かな生活ができるのは魔法のおかげだ。
だけど太古の時代、魔力を手に入れるために人類は代償を払わされた。
――それは、魔族の存在。
魔族が存在し、呼吸することによって、この世界には魔力が満ちる。
他のどのような生命体にも、魔力を生み出す器官は存在しない。
平たく言えば、葉緑素を持つ植物みたいな感じなんだよね。いなきゃ酸素がなくなってしまう。
ただ木とか草とかと違うのは、人類を滅ぼそうとするっていうところ。
この世界では、人類はつねに魔族に脅かされ、生きる地を争わなければいけない運命にある。
魔術に依存する以上、完全に魔族を滅することはしたくない。でも、知性のある高魔族は厄介極まりない。とくにその長である魔王なんかは、ぜひぜひ消え去ってほしい。
そのためには、精霊が愛する人間のみに授ける力、魔を打ち払う聖剣が大切になってくる。
以上、魔術師の間での通説を引用しての、ふわっと世界観説明。
ちなみに教会側はだいぶ違う解釈をしている。
信憑性でいえば、ちゃんとリサーチして結論を出した魔術師の方が高いんだけどね。まあ、田舎のほうの人間なんかはとくに教会と関わりが強いから、聖書の方を信じているみたい。
さて、ヒロインは、現代日本に暮らす女子高生。
三年後――ちょうど卒業のときに迫る危機を退けるための”巫女姫”に選ばれ、学園のうえに落とされる。入学式の二週間前、時間にしたらちょうど今のはずだ。
"巫女姫"っていうのは、聖書に出てくるめちゃくちゃリスペクトされている聖女のことだ。クオーテーションで囲っているのは、私的にはちょっときな臭い伝承だって思っていたから。
記憶を取り戻して、”巫女姫”に対する見解はさらに猜疑に満ちたものになった。
――だって、次なる選ばれし巫女姫ってあのヒロインでしょ?
はっきり言って、あのヒロインは乙女ゲームをプレイした時は苦手だった。私だけじゃない、プレイヤーのほとんどから不評だったのだ。
「はあ、まじで来ないでくれ……」
あのヒロインが巫女姫じゃ、ダイアナ様と私は確実にお陀仏だ。
というか、人類が終わる可能性すらある。いや待てよ。まだワンチャン、彼女が召喚されない可能性が……。
――ゴロロロ、ビカーン!
そんな私を嘲笑うように、窓の外では大きな雷が落ちた。
無数の流れ星が空を彩り、まさに奇跡のような光景が繰り広げられる。
「なんだ、いまの音は」
「空が光っているぞ!」
屋敷の人間が、廊下のほうで騒然としているのが聞こえる。
うん、完全にゲームのプロローグにあった大召喚の光景です、ありがとうございます。
来ないでくれって言った瞬間にヒロインが来ちゃいました。完全にフラグを立ててた。
――うわああん! なんでもっと早くこの記憶を取り戻さなかったんだよお!
もういまから軌道修正しようとしたって、難しいじゃないか。せめて後数年早ければ!
いや、例え生まれつき記憶があったとしても、私に世界が救えるかは甚だ疑問だけども……。
なにせ『終焉のファンタジア』というタイトルから分かる通り、この世界には終焉が迫っている。
ストーリーはこうだ。異世界の終焉の危機を打開するため召喚されたヒロインは、最初に助けてくれるマスコットキャラである精霊の子ども――リラくんが宿るうさぎのぬいぐるみに導かれ、異界人であることは隠して学園に入学。卒業式の日までに、四本すべての聖剣の使い手に選ばれることを目指す。
そして”巫女姫”の伝説通り、四本の聖剣をひとつにして、真の聖剣を創り上げるのだ!
――あれ、じゃあヒロインに任せておけば世界は守られるんじゃね?
そう思った君は、大不正解!
はっきりいっておこう。このヒロイン、まるで役に立たないのだ。
攻略キャラにはそれぞれトゥルーエンド一種、ノーマルエンド一種、バッドエンド一種、それから無数のゲームオーバーあるのだけれど、そのなかで世界が救われるのはトゥルーエンドのみ。
ノーマルエンドではこちらの人類は窮地に立たされ、ヒーローは迫り来る危機からヒロインを救うために元の世界へ帰す。キャラによってセリフは違うけど、たとえば王子だと『関係のない世界の戦いに、お前まで巻き込むわけにはいかないからな』だったっけ? まあ負け戦だからね、その気持ちはわかる。
ヒーローの予想通り、人類は滅び、魔族が跋扈する世界となる。
最後に戦いのなか死ぬヒーローの声が聞こえてつらいんだよなあ、ここ。
そんでもって、異世界での記憶をなくしたヒロインは、どこか不可解な気持ちを抱えながらも平和に暮らす。いろんな男の人に告白されたりするけど、どうしてか頷けない。心の中に運命の人(笑)の影があるから。
そんななか、現代でヒーローによく似た青年に会い、声をかけられる……というスチルで終了。
バッドエンドもだいたい同じだ。
ヒロインは恐怖のあまり一人で逃げ出し、記憶をなくして現代日本で元の暮らしを取り戻す。ただしヒーローはいない、以上。かなり罪悪感にさいなまれるエンド。
これらのエンディングを見たプレイヤーの感想はひとつだった。
――聖剣を返していけ!
なんとこのヒロイン、ノーマルでもバッドでも、聖剣を一本も返さずに現代へ帰ってしまうのだ。
酷い! 酷すぎる!
人類の希望である聖剣を持ち逃げされたら、そりゃあ世界が滅ぶわ。
魔術のない現代日本で聖剣を身に宿していたって、宝の持ち腐れもいいところ。いくら伝説の剣だって、現代日本じゃなんの役にも……。
――あ、待てよ、そんなこともない。よくよく考えたら、一応ノーマルでは聖剣の力は使われている。
ヒーローとまた会いたいという願いを叶えるため、ヒロインは自分のなかにあった四本の聖剣の力を引き換えに、無意識のうちに奇跡を起こしていたのだ。ハッピーエンド!
異世界は滅んで、バッドエンド!
その聖剣は君たちがいちゃいちゃするためじゃなくて、世界を守るためにあるんだけどね!
君たちの幸せは、私たち人類の数億の命と引き換えにもたらされたんだけどね!
中盤、聖剣を手にいれた後のゲームオーバーでも、しっかりとナレーションで世界が滅ぶことは説明されている。所有者といっしょに聖剣も消えちゃうから、仕方がない。
条件が難しいトゥルーエンドさえも、大団円とは言いがたい。
選ばれなかった攻略キャラたちは容赦なく死ぬし、国もやはり滅びかけるし。
なにより、ヒロインと間違われて、ダイアナ様も必ず魔族に襲われて死ぬ。その前に付き人である侍女も死んでいる。ここら辺は全ルート共通。なんと魔族ルートと逆ハーエンド(乙女ゲームには珍しい)でも、もれなく二人とも逝く。
あ、侍女は名無しのモブだけどね。
ゲームの中でダイアナがただ「死んでしまうなんて、役立たずね」と冷徹なセリフをいうためだけにある。ちなみにその後すぐダイアナ様も死にます。
プレイヤーは、因果応報と喜んだものだよ。
だけど、ダイアナ様がそんなことをいう性格じゃないことは私が一番知っている。絶対なにかの間違いだ。
「……タリア……熱なんかに、負けちゃ、ダメ……」
名前を呼ばれて、ベッドの脇にずっとダイアナ様がいたことに気がつく。
すうすうと寝息を立てるその姿を見て、胸が温かくなる。きっとずっと傍にいてくれて、寝不足だったのだろう。
寝かせておいてあげたいけど、たぶんすぐ起こされてしまう。
廊下をせわしなく走る足音が近くなってきている。さきほどの大召喚の光で、みんな混乱を起こしている。誰かが飛び込んでくるのは、時間の問題だ。
「――そうですよね、ダイアナ様。あなたの侍女は、絶対負けたりしません」
そう言って、ダイアナ様の手を握る。
いいじゃないか。たとえ世界の崩壊だろうと、主人を守るが私の役目。魔族も魔王も滅びの運命も、すべて相手取ってやる。
――私はその日、固く決意したのだった。