第十三話 決闘クラブ3
向こうの先鋒はアレックスなので、初戦は私と彼がぶつかることになる。
「アレックスはいままで、自分より弱いやつか俺としか戦ったことがないからな。ナタリアとの戦いはいい薬になる。存分にプライドをへし折ってやってくれ」
いざ尋常に勝負というところで、すれ違い様こっそりヴィンセント王子が耳打ちしてきた。
性格悪ッ!
顔をしかめそうになったけどどうにか取り繕い、机の上へと飛び乗った。
……視線を感じる。
後ろを振り返れば、ディランが怪訝そうな顔でこちらを見ていた。一応会釈すると、いつもの優しい笑みが返された。
なにはともあれ、簡易的な説明を受けてから、決闘は始まった。
騎士の礼をとり、互いに背を向けて歩く私とアレックス。
言っちゃ悪いが、お互いになんとも不格好なものである。
なにしろ二人とも貴族の出でないからデュエルの作法なぞさっぱりだし、決闘の舞台は食堂の大机を二つ縦に並べたうえだ。
まったく、明日からここで食事をとりたがるのか。
それに、観客である生徒たちが待ち望んでいるのは王子とディランの戦い。てなわけで、周りの盛り上がりもいまひとつときた。
……まあ、べつにいいけどさ。命を守るために必須の、超がつくほど高価な魔術結界は張られている。
それさえあれば互いを怪我させない保証つきで、気兼ねなく戦える。腕試ししたい私とアレックスには願ってもない機会だ。
剣と剣がぶつかり合う、硬質な鋼の音が響く。
始めの合図である。
地面をけり、私は前へ飛び出る。
まだ強化魔術を使うつもりはない。腕試しだ。
が、振り向いた瞬間、アレックスの刃が首元に迫っていた。
抜きかけていた剣でそれをなんとか受け止めると、じりじりと後ろに後退しつつ刃をいなす。
「ッ、早いな、アレックスくん」
「へへ、ありがとな」
照れくさそうに笑うアレックスは、とてもじゃないが今の殺しに特化した攻撃をしてきた人間には見えない。
この私をも軽く凌駕する、脅威の反応速度。さすがである。
……だが今の攻撃、私なら脚か腕を狙ったな。
かすかな違和感を覚えつつ、絶え間ない攻勢をすべて避けていった。
不思議な感覚だ。
例えばこれがゲームの世界でパラメーターなんぞが見えたのなら、間違いなく筋力や俊敏さでアレックスは大きく私を上回る。
にも拘らず、私は心地よい流れに身を任せるように、ほとんどなにも考えなくてもアレックスの剣撃を避けることができる。
――それはなぜか。
「すげぇな、全部よけちゃうなんて」
驚いた表情のアレックスも、どうやら同じような違和感を感じているらしい。
「……自分でもちょっとびっくりしている」
「うお、余裕だなあ。もっと頑張らないと!」
軽い調子で言いつつも繰り出された、アレックスの重い斬撃を受け止める。
だが衝撃に耐えきれず、私はたたらを踏む。対するアレックスはまったく体幹が崩れていない。
その明らかな隙をアレックスは見逃さない。
疲労を知らない強靭な腕が狙うのは、心臓――そう頭で理解するより先に、私の体は紙一重のところでそれを避けていた。
ああ、そうか、わかったぞ。
アレックスにとってに強さとはいままで、どれだけ多くの魔獣――知性の乏しい獣を狩れるかで決まっていた。子どものときから積んできたおびたたしい数の戦歴は、彼を魔獣狩りのプロフェッショナルたらしめた。
それゆえ、アレックスは私に勝てない。
護衛として育てられた私は、つねに対人戦を想定した訓練を受けてきた。
迅速に、そして的確に急所を狙うアレックスの攻撃は、いかに優れていようと読めるのだ。
確かにアレックスは強いが、その動きが通じるのは格下の相手だけ。
子供の頃から、ひとつ疑問だったことがある。
聖剣の使い手は公正に選ばれている。
しかし成り手のほとんどは、貴族や騎士だ。
得意分野の魔術さえ遅れて習う貴族が、命がけの戦場で日々腕を磨いているはずの平民に勝る理由。すなわちそれは、魔獣相手の戦いに特化した平民は、必然的に対人戦が弱くなるからと見た。
対高魔族の戦いは、対人戦に非常によく似ている。そして聖剣使いが相手取るのは高魔族。経験を積めば積むほど、彼ら平民は対高魔族相手の戦いに向かなくなっていったのだ。
皮肉なことだ。
子どものときから命がけで人々を守り、前線で多くの魔獣を狩ってきたせいで、上へと繋がる道を絶たれるのだ。
もちろんそのことに気づいた者もいるから、平民の聖剣使いもいるのだろうけど……アレックスは己の弱点に気づいていない。あまりにも強いから、この単調な動きでも大抵の相手には押し切って勝てたのだと思われる。
――ならば、ヴィンセント王子のいう通り、それを教えてあげなければいけない。
「ナタリア、そっちから仕掛けてこないのか?」
最初の攻防が終わり、互いに距離を取ったところで、アレックスは不思議そうに問うた。
「そうだね、次は仕掛けるよ。でもなんも魔術使わないでいいの?」
「だってナタリアも使ってないだろ?」
公平な勝負を求めているらしい。
でも得意の強化系魔術さえ使わなかったのは、完全なる判断ミス。アレックスは最初から全力を出すべきだった。彼にとっての勝機があったとすれば、初めの十数秒だったのだから。
単調な彼の動きは、もうすでに完全に看破してしまった。
あとは懐に飛び込むだけで私は勝てる。
「――じゃあ、遠慮はなしってことで」
足に力を込め、剣を正中線に構え、明らかに突進する姿勢を取る私。
「うん、いつでもいいぜっ」
その言葉を皮切りに、剣を振りかぶり、一気にアレックスの前へと躍り出る。
思いきり振り下ろした先には、当然アレックスはいない――が、もちろんそれは織り込み済み。
剣を手放すと、両手で思い切り床を押し、空へと飛び上がった。
指先すれすれを、アレックスの剣の軌道が通る。
ちょうど隙だらけだった、私の首があったところである。
おそらくアレックスとて、違和感を感じてはいたのだろう。
だが、考えるより先に慣れすぎた動きを体が追ってしまった。たいしたものだけれど、それは同時に戦いのなかで思考が停止している証拠でもある。
体の惰性だけで動いていては、変則的な動きにはついていけない。
――さあ、もうあとはトドメを刺すだけ。
「っ……!」
驚きに息を呑むアレックス。
私も驚いた。
なぜかというと、くるりと宙で一回転した私は、偶然にもアレックスの剣先に乗っていたからだ。
いかにも牛若丸とかがやってそうな身軽な動きだが、狙ったわけではない。純然たる偶然である。
『うおおおっ』と観衆が興奮してあげた声を遠くに聴きながら、私は思い切りアレックスを蹴りつけた。
かわいらしいハンサムフェイスを蹴るのは申し訳ないことこの上ないっ!
だけど勝負は勝負。
倒れたアレックスが体勢を立て直す前に、私は利き足で剣を跳ね上げさせて掴む。そして、ぴたりと切っ先をアレックスの首に押し付けた。
――勝負あり、である。
だがこの結界は、どちらかが死に等しいダメージを受けなければ終わることはない。
「アレックスくん……」
私が声をかけると、アレックスが息を飲んだのか、喉元に当てた剣がぴくりと動いた。
確かに彼は素晴らしい剣豪だ。
一分の隙もなく、急所のみを鮮やかに攻撃する精度。
重い斬撃をいとも容易く繰り出す筋力。
致命傷となる攻撃を立て続けにしながらも全く衰えない集中力。
すべてにおいて、私をはるかに凌ぐ。
だが――。
「――あなたと戦うのは、つまらない」
ありのままの感想を口にして、私は剣を横に薙いだ。
虹色の薄膜が歪み、弾けて消えた。結界が解けたのだ。
瞬間、雪崩のような歓声と拍手が耳に入ってくる。
どうやらいままで、結界の効果で周囲の雑音はかなり制限されていたらしい。
「すげえええぇええっ!」
「なんだよいまの動き!?」
その場にいる誰もが注目し、拍手喝采を送っている。
ご丁寧にスタンディングオベーションまでしてくれている生徒もいた。
「ナタリア……」
熱狂の渦を前にして呆気に取られていた私は、かけられた声にそちらを向く。
その声の主であるアレックスの、うつむいた顔からは表情が読めない。けれど大きなショックを与えてしまったのだろう。
ああ、なんであんなこと言っちゃったんだろう。つまらないというのは、いくらなんでも言いすぎた。
「あの……」
「すげえ!」
え……?
「すごいっ、すごいっ、すごいよ! こんなに楽しかった勝負は初めてだ!」
「えっと……」
「また勝負しようなッ! 次はもっと強くなるからさ!」
目を輝かせたアレックスは、私の手を握ってぶんぶんと振った。
「う、うん……」
勢いに気圧されてこくこくと頷くと、満足そうな笑みを浮かべるアレックス。小麦色の肌は少し赤い。
「ナタリア、すごいかっこいいやつなんだな! ルークの言ってた通りだ!」
「えっ……そうかなあ?」
「うん! 試合終わった後も、しばらく見惚れちゃったくらい、かっこよかったし、トドメを刺す時はすっげえ綺麗だった……って、敗者はそろそろ去らないとな。じゃあ、ルークとの試合頑張れよっ」
輝かんばかりに笑って私の肩を叩いた後、アレックスはひらりと机の上から飛び降りた。
どこまでも爽やかなやつ……。
と、いつのまにか笑ってしまっている自分に気がつく。
すっかりアレックスに気を許してしまったらしい。さすがはあのヴィンセント王子の親友というわけだ。不思議な魅力がある。
私は、大きく肩を回して、次の勝負に想いを馳せた。ヴィンセント王子は桁違いに強い相手だが、策ならある。うまく行くかはわからないけれど。
そして……。
次の決闘、私はあっさりとヴィンセント王子に完全敗北した。