第九話 ヴィンセント王子2
「二つ目を選んだ場合、私とともに、迷宮の調査をしてもらう」
「ちょ……!? まじですか」
「大マジだ」
この世界での迷宮とは、ゲームでいうところのダンジョンのようなもの。
ただし棲んでいるのは魔物ではなく、精霊たちが喚び出した守護者である。なので、探索者の命を無闇に取るようなトラップは基本的にはないけれど、その守護者たちがべらぼうに強いせいで攻略は遅々として進まない。
この世界で把握できている迷宮は、現在三千を超える。そのうち攻略に成功したのがたったの二十三と聞けば、その難易度は推して知るべし。
だが、犠牲をいとわず攻略する価値は十二分にあるのだ。なにせ、その攻略された二十三の迷宮からはことごとく、精霊魔術を施された最強の武器や防具が出てきたのである。その一つの迷宮から出てきた財宝だけで、王家の財すべてに匹敵するという、これでもかというほどの大盤振る舞いだった。
……ちなみに発見者と王国とダンジョンのあった地の領主の間で、醜い所有権争いが繰り広げられたことも特筆しておこう。
ともあれ、もしかしたら、聖剣にも勝る武器が眠っている可能性だってある。
だから現時点で、魔族を打ちはらう一番の希望は迷宮調査だ。まあこれはあくまで私たち魔術師の一般論であって、教会の支持者の連中は、聖書に従って救済を待てというだろうけども。
この魔法学園にも迷宮探査を目的とする専攻があり、俗に『冒険者クラス』なんて呼ばれていたりする。
そこに入れば、調査団候補として認められ、迷宮に潜る権利を与えられるのだ。
――以上、迷宮と冒険者に対する私の大変少ない知識からできる、いろいろと端折っている説明である。
「吸血鬼の王との戦いを見て、卿――ナタリア嬢は、私にとって大変有益な人材であると確信した。協力をしてもらえるのなら、こちらもそれなりの報酬を約束しよう」
「でもですね、閣下」
しまった、卿とか呼ばれるから、つい閣下とか言っちゃった!
ごまかしの咳払いをひとつ。
「でもですね、殿下。万が一のことを考えると、殿下が直接迷宮に行くなんて危なすぎると思います。御身に万が一のことがあれば……」
「卿の懸念は理解できる。が、私が臣下たちから同じことを提言されなかったとでも?」
「いえ……」
「では、このアイゼルン国第一王子がそれだけの危険を侵す利があるということだろう」
「そ、そうですね」
私の素直な返事に、「よろしい」と王子は目を細めて笑った。
くう、色気があってかっこいいな……! 森のなかで会った時とはまるで別人である。
「でも秘密裏に他のひとに仕えるなんて、ダイアナ様から見たら裏切りみたいに見えるんじゃ」
いまだ渋る私を、鋭い眼光で王子は見た。
「ほう……? それはつまり、この国の王子に協力することは、カスピアン辺境伯にとっては反逆になりかねないと?」
「ま、まさかまさか! 違いますよぅ、ちょっと考えすぎただけです。私の独断です!」
「案ずるな。ただの冗談だ」
楽しそうにするヴィンセント王子を、私は恨めしい思いで睨む。
――あなたの冗談は怖すぎるんだよ!
「辺境伯に離反の意思なんてありませんからね!?」
カスピアン辺境伯の絶大なる権力から、なんども人々の間で口にされてきた噂だ。私のせいで疑念が高まってしまったら、末代までの恥と罪である。
「わかっている。ならば卿も、この件を口外する必要はあるまい」
「ええ、それはもちろん!」
ダメだこりゃ。完全に合意するしかない流れだった。
思えば、あの光の柱と鎖みたいな技を使った時点で、もうバラしちゃうつもりだったな。
「では、指示は追って伝える。卿の働きに期待しているぞ」
「ははーっ!」
時代劇風に頭をさげる私。これで今日のところは解散らしい。
王子は席を立つと、壁の一角にある大きな扉に手をかけた。私のために開けて待ってくれているのだ。
一秒一秒を切り取ってもそのすべてが王族と崇めるにふさわしい、優雅という言葉を体現したかのような所作だった。
慌てて走ると、お礼をいいつつ私は部屋を出る。
――瞬間、緑の香りを含んだ暖かな空気が広がった。
「ここは……植物園?」
天井はドーム型のガラス張り。辺り一面、南国の珍しい種の草花が生えている。
どういうからくりだったのか、あの豪奢な書斎は、立ち入り禁止の植物園に繋がっていたらしい。その外を囲うのは、これまた立ち入り禁止の薬草の庭だ。
すべてはあの書斎の存在を隠すためだったのかと納得がいく。
「すごいよなあ。学園の創始者――まあつまり俺の先祖は、わざわざこんな隠し部屋を作るために巨額の富をつぎこんだんだ」
「ちょっ、キャラが違いすぎません!?」
後ろから気安く声をかけてくるのは、あのヴィンセント王子である。
さきほどの風格はどこへやら、近所のお兄さんのような親しげな態度で話しかけてくる。
「この学園で俺が『王子』なのは、あの部屋だけだからな。こっちが素だ」
そういって、王子はちょっと照れ臭そうに髪をかいた。五秒前、あんなに格好良く扉を開けてくれた人間とは思えない。
――こ、こいつ、指の先まで演じきっている……!
どっちも素と感じさせる辺り、演技達者とかもうそういうのを超えている。おそろしや。
「王子様はなんでもできるものなんですねぇ」
「おいおい、俺のことを学校で王子と呼ぶのはよしてくれよ。ここではルークと呼ばれている。敬語も使うな。ナタリアのほうが位が高いから不自然だ」
「いやいや無理でしょうそんなの!?」
「もっと気安くしてもらえないと困るんだが」
アホかいな、この世界であなたより偉い人間を数えるのには、指一本で事足りるんだぞ!?
「そうするとこっちも敬語でいくか。ええと、ナタリア様?」
「やだもうバカー!」
「そうそう、そういう感じ」
「はっ、いまのは口が滑っただけなのでノーカンにしてくださいっ」
ははは、と快活に笑う王子様。相変わらずひとのことを馬鹿にしている。だけど――
「そういえば、言いそびれていたけどさ……」
ふいに真面目くさった顔になると、私の頭に手を伸ばしてきた。ふわりといい香りがする。
「――あの戦いっぷりは、本当に格好良かったよ。あんなの相手じゃ怖かったろうに。……本当に、無事でよかった」
ぽんぽんと労うように頭を撫でられる。
うう、自業自得だったとはいえ今までの人生で一番怖かったのは本当だ。その後のヴィンセント王子との会話も怖かったけど。
ちょっと涙腺が緩みそうになる。
くっそー、前世を含めても恋愛経験がない私は、他意はないと知っていてもちょっとドキドキしちゃうじゃないかっ。
「あの……」
よくよく考えたら、私も重要なことを言いそびれていた。
「私も助けていただき、ありがとうございます」
俯いてもごもごと言葉にする。
「ああ」
今思い出したみたいに、王子は頷いた。そして、
「どういたしまして。俺もありがとうな」
それはそれは晴れやかな笑顔で、そう言った。
惚けるほど美しい太陽の瞳が、いまは優しい夕日の色に見える。
……ほんと、どっちが素なんだ。