第八話 ヴィンセント王子1
ルーク・アレン。
魔王軍との前線で大きな功績を挙げ、魔法学園に入学した平民の子。比類なき剣術と魔術の腕で、歴戦の戦士をも震え上がらせる。その反面、学園では誰にでも分け隔てなく接し、笑顔を絶やさない人気者。特に気に入った子はついついからかいたくなる性格で、本人も悪癖だと自覚はしている。
その過去は謎に満ちており、もっとも付き合いの長いアレックスでさえ彼の出身地を知らないほど。時々見せる鋭い洞察力や、豊富な知識量はいったいどこから来るのだろう……。
以上、後にヴィンセント王子と判明するキャラの紹介文である。
「終焉のファンタジア」のメインヒーローにして一番人気、そして私の二番目の推しだった。
彼のルートは三種のエンディングもバッドもしたし、スチルももちろんフルコンプ。
ストーリー的にも一番楽しんだのはこのルートだった。なにせ王子ルートのヒロインは他と比べてかなり好戦的な性格ながらも、頼り甲斐のあるしっかり者。他ルートと比べて圧倒的にストレスを感じない良ヒロインだったのだ。
このヒロインは許せる、なんて偉そうに連呼しながらプレイしていたっけ。楽しかったなあ、あの頃は。
ネットの人たちとも「終焉のファンタジア」について熱く語った。
覚えている限りだと、王子派の人たちはギャップにやられたとよく言っていた。学園での気さくな姿と、王子として振る舞うときの威厳がある姿のギャップに。
確か私は、「王子モードは格好いいけど、リアルだったらちょっと感情が読めなくて怖いかも」とかコメントしていた。
ああ、だけどまさか、自分自身がそのヴィンセント王子と対峙することになるなんて夢にも思わなかった……。
「……あの、ここは?」
目が覚めたら、絢爛豪華な部屋にいた。
カスピアン辺境伯の城も限りなく壮麗ではあるのだけれど、こちらのほうはなんていうか、長い歴史の香りを秘めている。ぐるりと辺りを見渡せば、どこも書棚。円形の部屋の壁は、ほとんど書棚で埋め尽くされている。部屋自体の大きさは、推定半径十メートルとかなり大きい。
その中央で、これまた豪奢な彫り物を施されたベッドのうえにいる私。
「起きたか」
椅子に腰掛けて、分厚い本を読みふけっていた美貌の青年――ヴィンセント王子が顔をあげる。
「はあ、おかげさまで……」
「喉が乾いただろう」
そう言って、熱い紅茶を高級そうなカップに注いで持ってきてくれる王子。その所作はどこまでも優美で、立ち姿だけでも気品を感じさせる。
「いえ、私も座ります」
「そうか」
椅子を引いてくれたので、そこに腰掛けた。
マホガニーの丸テーブルを挟んで、向かい側に王子は座った。
「…………え、と」
「身体は痛むか?」
「あ、いえ、それは大丈夫っす、です。治療をしてくれたんですね。ありがとうございます」
「気にするな」
カップを口に近づける。香り高さから、これは銘茶だとすぐにわかる。
「……あのぅ、ですね。いまって、何時くらいでしょうか」
「半宵を一時すぎたくらいだ」
あ、深夜二時ですね。終わったわ、寮閉まってんじゃん。
「終わった……」
「心配しなくてもいい。教師陣から雑用を頼まれて遅くなると伝えておいた」
「ああ、それはどうも……?」
「――ところで」
鋭い眼光で私は見られた。超絶イケメンがそれをやると、犯罪級に怖い。
「最後に吸血鬼が言い残したことだが……」
「なにも聞いてません!」
王子の美しい瞳が、かすかに細められる。
――ああ、同じ轍を踏んでしまった!
「そうか。ならいい」
あ、意外と騙されてくれた!?
絶対に口外しないと誓うからお家に帰してくれっ。
「どちらにせよ、話すつもりだったからな」
「えっ?」
「――私はアイゼルン国の王太子、アストレア公ヴィンセントだ」
ぶっと私は汚らしく口からお茶を噴射した。幸いにして王子様にかかることはなかった。
薄々勘付いてはいたのだ。この人がまったく隠す気がないことに。
だって最初からこんな明らかに大貴族以外立ち入り禁止みたいな部屋に寝かされているし。出しているカップもお茶もすべて最高級だし。あとキャラが森で共闘したときと変わっている。こんな平民がいてたまるか!
それにそもそも、教師陣に口止めなんていう権限、一般寮の生徒にあるわけない。
だけど、だからといって、まさか自ら宣言するとは思わなんだ。
「ええ〜、またまたぁ。そんな冗談、不敬ですよぉ」
全力でしらばっくれる私。
だってこんな国家機密を知ったら、記憶操作は免れない!
「信じられないのなら、これを」
ゴトンと重い音がして、机になにかが乗せられた。
あ……! これは王族の家紋の記されたクリスタル!
両翼を広げる黄金の鷹と、禍々しいまでの莫大な魔力を秘めた魔導石がはめ込まれたクリスタル。間違うことなき、嫡子だけが持つことを許される王家の紋章だ。
早い話が、水戸黄門に印籠みたいな感じ。
ここまでされたら、信じざるを得ない。この魔導石と黄金の紋章を前にしては、よくできたレプリカだなぁなんてごまかしは効かないのだ。
「わーお、とっても高そう!」
やけっぱちになった私は、ふざけた声を出す。
「さて、君には二つの選択肢がある」
「は、はい……」
ボケをスルーされると悲しいもんだなあ。
「一つ目、ここで記憶操作をかけられる」
「断固拒否です!」
「悪い条件ではないと思うが。魔術を行使するのは、君の治療にあたったのと同じ一流の者たちだ」
そういう問題じゃないのだ。
記憶操作なんて使われたら、操作したい記憶のほかに、その直近の二週間程度の記憶が曖昧になる。
――万が一でも、あの前世の記憶ごと消されてしまったら。
想像するだけでも大惨事であることは、お分かりいただけるだろう。
「そうか。私としても、ぜひ君には二つ目の提案を選んでほしいと思っている」
意味深な笑みを王子は浮かべる。こわっ!
目の前の王子はとてつもない美貌の持ち主だ。
だけどそれはディランの浮世離れした美貌とは違って、もっと現実的なもの――圧倒的なカリスマ性と本能に訴える蠱惑的な魅力を纏ったものだ。
薄褐色の肌には、豪奢な金の髪と、黄昏に燃える太陽のような色合いの瞳がよく映える。人間には到達しえないはずの黄金比によって創られた完璧な顔は、ただ笑んでいるだけで威圧してくる。
長い足を組む不遜な姿が、これほど様になる人間も他にいるまい。
――王子じゃねえよ……これは覇王、いや帝王の風格だ!
前世プレイしていたゲームで、プレイヤーのほとんどが王子と気づかなかったのも無理はない。
「ふ、ふたつめは……?」
「知りたいか?」
満面の笑みの王子様。やだ怖い。
「お家帰りたいよぅっ」なんて心のなかで何度も繰り返しながら、私はこの帝王を前にただただ小さく身を丸めるしかないのだった。