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伍:二の刃、ラッパ吹きの小娘


 頻繁に意識を失っていたせいで実感は無いのだが、どうやら拙者がモリキヨ殿に弟子入りしてからもう一〇日程が経過しているらしい。


「よし、これで、ワシの所有している成分は全て覚えたな」


 ……ああ、思い返したくもない地獄の様な一〇日程だったが……どうやら拙者はやり遂げたらしい。

 この薬剤庫、夥しい数の陶器瓶、これら全てを体感しきったと……


 幾度「あ、これ死ぬのでは?」と思ったか……

 と言うか、何度か本当に死にかけて、姫に「妾の方から会いに行くって言っとろうが!!」と蹴り飛ばされて覚醒した事があった様な気がしないでもない。


「では、次は、更に詳しく薬学について教えていただけるので……?」

「何を言っているのだ。そこから先は自らで学べ」

「!」

「師が弟子に己の全てを授けるのは、己の死期を悟った時である。ワシはまだ死ぬつもりなどない。貴様に与えるのは、ここまでだ」

「……成程。ただの弟子として教わるべき一は、もう既に教わり切った、と」

しかり」


 薬学も剣術と同様か。

 基礎技術やいくつかの技を習い、あとはそれを己で研鑽する。


 習った物をり合わせて独自の新技を生み出すも良し。授けられた技を突き詰めてくも良し。

 そうやって、師から受け取った一を己なりの十に仕上げていく。それが弟子の在り方。

 師の技術を一から十まで全て受け継ぎ相伝していくのは後継あとつぎとなる弟子の役目だ。


 モリキヨ殿曰く、拙者は薬学を習う弟子に於いて、習うべき物は全て受け取った。

 確かに、得た物は多い。

 今なら、わかる。この鍾乳洞の床、土くれに含まれている成分のひとつひとつの形状や性質が。外に出て葉を撫ぜれば、きっとその葉に含まれる成分も理解できる。

 薬毒の成分を触覚で理解する要領コツを覚えたおかげだ。


 河童も生き物……これから先、この体を病や不調が襲う事もあるだろう。拙者だけでない、ヒメ達にもそれは起こりえる。

 その時、拙者が周辺の野草や土壌からその病や不調を軽減・解消できる薬効成分を見つけ出し、それを摂取すれば、病や不調によって戦力が落ちる期間を短縮できる。万全でいられる期間を伸ばせる。

 地味ではあるが、これだけでも大きな利。


 加えて、この修行によって拙者の体内には様々な毒成分に対する耐性が作られた。「毒物を利用してくる敵への対策」と言う点で見れば、これ以上の武器は無い。わかりやすい利だ。

 仮に耐性の無い毒物を喰らっても、中毒症状から毒の系統を絞り込み、対応できるかも知れん。


 この修行を受ける前より、これから先に選べる手段は広がった。

 剣術以外の側面から戦力の向上を目指していた拙者には、充分な成果と言える。


「となれば、ロウラ達の様に、体術の指南を……」

「それは不要であろう。先日のマルを止める時の動きを見るに、貴様は実戦に於ける武の呼吸の基礎はできているのだ。ワシが教えるのは体術と言うよりその呼吸法。これは武士が武芸を習う際にはよく叩き込まれる物……おそらく貴様、武士として優れた者を師事していた事があるのではないか?」

「武士として……ええ、まぁ……武芸に関しては、逸した腕前の男を師事していた時期がありました」


 成程。つまり、断城だんじょうから習った「敵を殺すために最適な体の動かし方」の中に含まれていた呼吸法……「効率良く全身の筋肉に力を行き渡らせ動きを洗練し、無駄な動きを減らす事で、余計な疲労の蓄積を抑制する効果がある」と言っていたあれが、モリキヨ殿の言う所の武の呼吸か。


「……ん? となると……」

「うむ、そうだな。ワシが教える事はもう無い。丁度、貴様らの世話にも飽きてきた所。さっさと出てけ」


 雑ッ。



   ◆



「あ、ご、ゴッパムさん……な、なんかお久ぶりでござるニン」


 鍾乳洞の入口付近へと戻ると、まず最初に、すっかり元の容姿に戻ったマルが出迎えてくれた。モリキヨ殿の治療のおかげだろう。


「見た目は元通りだな。体調は万全か?」

「はいでござるニン……あの……その節は、非常に御迷惑をおかけしましたでござるニン……」

「そうだな……あんな珍事と似た様な事がまたあるかは知らんが、次は気を付ける事だ」

「肝に命じておくでござるニン……」


 きっちり後悔と反省をしている様子だな。

 ならば、これ以上は何を言う必要もあるまい。


「お! ゴッさんじゃんか」

「そちらも終わったのですか?」


 ロウラとドラクリア……若干たくましくなった様に見えるな。

 相当、モリキヨ殿にしごかれたらしい。


「うむ。そちらも、と言う事は……」

「やや! ゴッパムではないか!」


 ヒメは変わり映えしていないな。相変わらずのちんちくりんだ。


「ふん、本当に顔を合わせれば毎度のこと賑やかであるな。ようやく静かになるかと思うとせいせいする一方で、不思議と少しばかりは寂しい気もする物だ」

「ほう、ではやはりじぃじ殿も一緒に旅を…」

「しないのである。興味が無い」


 やはり取り付く島も無いな。


「ところでよ、ジィさん。ゴッさんの修行が終わったっつゥ事ァ、ゴッさんはもォ医薬師河童イヤシガッパって奴なのか?」

「阿呆を抜かせ。未だワシですら到れぬ到達点、この数日で到れてたまるか。だが、教えるべき一はしかと教えた。どう極めるか、あとはこやつ次第よ」

「承知しました。ありがとうございます」


 医薬師イヤシとして学んだ事、活かせる所では遺憾いかんなく発揮させてもらう所存だ。


「うむ。……貴様らもだぞ。呼吸の一は授けた。そして貴様ら全員、それを見事に受け取った」

「え……も、モリキヨ殿。全員……でござるニンか……?」


 モリキヨ殿の発言に、マルが疑問。

 ……まぁ、あの顔からして、言わんとしている事は大体予想が付く。


 とことん、自信と言う奴が無い様だな。


「ふむ……ああ、ワシとした事が。一名を除いて、なのだ」

「ッ」

「――ヒメ、貴様はもうアレだ。色々と諦めるのだ。陽光乞子おひさまこうしとやらがここまでとは。お手上げである」

「……え……」

「うむ! ご心配には及ばぬぞ!! 既に諦めは付いておる!!」

「威張るな」


 まったく。



   ◆



 ひとまず今日まではこの住居に世話になり、出発は明日。

 そう決まり、夕飯を済ませ、皆が眠り仕度を始めた頃。


「あの……モリキヨ殿」

「ん? ああ、マルか。どうしたのである?」


 鍾乳洞の奥、何やら薬剤をわちゃわちゃといじるモリキヨ殿に、少し話を伺いに来たでござるニン。


「ぁ、あの……訊きたい事がありまして……」

「……武の呼吸を会得できたかどうか、についてか?」

「あ……」

「あの話をした時から、貴様の様子がおかしかったのは明らかだったのである。何だ? 信じられんとでも?」

「……その……はい……」


 皆の前で、気を使ってくれただけではないだろうか。そんな気がして、確認しておきたかったのでござるニン。


 確かに、ここ最近の組手は前よりはマシになったでござるニン。

 呼吸や動きについても、意識できる様にはなったでござるニン。


 でも……とてもではないでござるニンが、そんな立派な何かを会得できたとは……


「貴様はあれであるな。自身は過小評価し、それ以外は過大評価する。故に周囲との認識格差が酷い」

「は、はぁ……?」

「実感はあるはずだろう。貴様が会得できていないと思うのは、『自分がそれを会得できるはずがない』そして『誰ぞが教えてくれる技がこんなにささやかな物であるはずがない』と言う、過小評価と過大評価が相乗しているせいだ。いいか? 武の呼吸と言うのは、実際の所、そんなに大した物ではない(・・・・・・・・)

「……え……?」

「武の呼吸は、武芸の基礎である。言ってしまえば『効率の良い運動のために最適な呼吸を整え、それを維持し続ける』。それだけの事。体に慣らしさえすれば、誰でもできるのだ。ただ、この世界には――っと、ここらの文化圏では、呼吸に着目した鍛錬が一般的でないために普及していないだけなのだ」


 つまり……?


「はっきり言おう。貴様は問題無く、ワシが教えられる事を学んだ。基礎は修めたのだ。貴様は確実に、ここに来る前よりも強くなった」

「……問題……無し……ウチが……?」

「それに、あの一件以降、取り組む姿勢が見違えたからな。成果が出るのは当然である」


 取り組む姿勢……?


「心に余裕ができた、と言うのが近いか。【目標】が手近になったおかげだろうな。――空を飛ぼうと頭を捻っていては歩は進まぬ。飛べぬと割り切って歩き出した方が、先に進める事はある。『急がば回れ』と言う奴だ。あの一件から、貴様は明らかに変わった。無理に高みを目指そうと言う気配が無くなった。飛ばねば届かぬ目標ではなく、歩いて届く目標を見る様になった。飛ぼうと苦悩するのではなく、とりあえずゆっくりとでも歩き始めた」


 それは……まぁ……今のままでも仲間として認めてもらえている、ただの小娘でいても良い……そう言ってもらえたおかげで、少し、開き直れたと言うか……できない事を無理にしようとせずとも良い、できる事をできるだけやっていれば良い、そう思える様になったと言うか……


「それで良いのだ。その変化が、貴様に必要だったのだ」


 ウチの心情を読み取った様に、モリキヨ殿が少し笑って、そう言ってくれたでござるニン。


「いいか。誰ぞが変わるには、きっかけが要る。逆に言えば、きっかけさえあればあとは簡単な話。マルガレータよ。貴様は既にきっかけを得たのだ。乱破としては大成できずとも、【新たな道】に臨むきっかけをな。せいぜい、ただの小娘(・・・・・)として、精一杯にできるだけ足掻くが良いのである。なに、『ただの小娘が音忍の秘伝忍法や河童老師直伝の武術を振りかざしてはならぬ』……などと言う道理を決めた者は無し」


 ………………!


「はいでござるニン!」


 ――ただの小娘だから、大して役に立たずとも良い。


 そう言ってくれた御方が――仲間達がいるでござるニン。


 だからこそ、決めたでござるニン。


 ウチはそんな方々の御役に立てる小娘に成りたいでござるニン。


 しかし、もう現状を卑下する事はしないでござるニン。

 現状でも充分。それを重々承知して、それでもなお、不必要に上を目指すだけ。気負う事は何も無く。

 できる限りをできるだけ、自分の精一杯で、少しずつ進む。


 そう、乱破としては、生涯未熟のままだとしても。

 ただただ「ただの小娘にしては上出来以上だ」と言い続けてもらえる小娘に。

 ウチはなってみせるでござるニン!!

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