間:驕る災厄は久しからず
「やれやれ……気まぐれで拾った連中だが、中々に手間がかかるのである」
マルの治療に一段落を付け、モリキヨは気晴らしの散歩に出ていた。
坩河の畔、砂利を踏みながらのんびりと歩く。
空は生憎の曇り模様だが、関係無し。
例え嵐が来ようとも、モリキヨは散歩を敢行する。毎日の散歩は長生きの秘訣だ。
まぁ、おかげで嵐の日に賑やかな連中を拾う羽目になったのだが。
「そうである、久々に少し、魚でも獲って帰ろうか」
ロウラの料理の腕にはモリキヨも感服している。
干し肉や野草ばかりを使っているが、それは手持ちの食材の問題だろう。
あれだけ料理の腕があって、魚の料理はできぬと言う事はあるまい。
と言う訳で、モリキヨは軽く袖を振るった。
中から袖奥から零れ落ちたのは鍔の無い短刀。懐中刀と言う奴だ。これで川の魚を突くつもりらしい。
「…………!」
川に入ろうとしていたモリキヨの歩みが、止まる。
「……誰ぞ。何やら禍々しい気であるが」
「いやはや、禍々しいとは酷い言い様」
何時の間にやら、モリキヨの背後に立っていた男。
紫色の袈裟に身を包み、紫色の頭巾を深く被った、髭の僧侶。
「……うさんくさい坊主……貴様か。あの小娘に妙な薬を持たせたのは。悪趣味な真似を」
「そう言う御老公、貴方は随分と無粋な事をした様だ。生命を削ってでも夢を追い求める若気の至り。あれほど見ていて愉快な物は無いと言うのに」
僧侶が肩を揺らして嗤うのに合わせて、その大きな袖口から覗く錫杖がしゃんしゃんと音を立てる。
「拙僧の――いや、我の薬を、そして愉しみを、更には野望を、台無しにしてくれた償い……当然、済ませてしかるべきよなァァ……」
ずるり、ずるり……そんな不気味な音を立てて、大きな袖口から異形が顔を出す。
それは――触手。左右四本ずつ、合計八本。蜘蛛の脚の様に先端に鋭い爪を持ち、蛸の様な無数の吸盤が生えた、触手。
触手から滴り落ちた薄紫色の粘液が砂利の上に垂れ落ちると、じゅわッ……と言う勢いのある音を立て、地面にくっきりと穴が空いてしまった。
「……何者だ、貴様」
「楽栄畄……否、これから死に逝く者、土産に聞かせてやろう。我が真の名は堕願――おのれらに付けられた異名は【苦乱充蜷】!!」
「! クラァケン……だと……?」
その名に、モリキヨは覚えがあった。
「【最五害獣】の一角の名か」
数百年前にこの禍の国を――いや、世界を未曾有の危機に叩き込んだ五つの災厄。
その一つの名が、確か、クラァケンだったはずだ。
水辺に住まう蜘蛛の化生の特異個体であり、万物を溶かす毒液を分泌する触手を持っていたと言われているが――
「騙り……にしては、似合いの禍々しさではあるな」
「ハッ!! 我を贋作呼ばわりするか? まぁ確かになァ。現状の我々は出来の悪い複製品と呼ばれても仕方無し。全盛期の万分の一程の武威も無い」
だが、と、ダゴンは大きく舌を出して自身の唇を舐める。
獲物を前にして余裕のした舐めずり、と言った所か。
「万分の一でもこの武威は凡百に決して劣らず。おのれを嬲り殺しにするには充分よ。ああ、心配はするな。河童が強いのは知っているとも。だからどうした? 全盛期の我ならば河童の一万匹程度、一晩もかけずに殺し尽くせる」
故に、万分の一の武威まで落ちても、河童一匹に劣るはずが無い、と。
ダゴンの言い分を聞き、モリキヨは――溜息。
「……その醜態、まるで昔の自分を見せられている様であるな」
「ん? 何か言ったか? 遺言ならもっとハッキリと言え。偽とは言え僧侶に扮している身だ。聞き届けてやるぞ」
「ひとつ、金言を教えてやるのだ」
モリキヨが、静かに、短刀の刃を抜く。
特別して奇異は無い、普通の刃。
「『驕る者は久しからず』――傲慢に振舞う者は簡単に足元を掬われ、あっさりと滅ぶ。決して長く栄える事はできない――病没の間際、ヨリトモの奴に書状で叩きつけられた忌々しい文言であるが、これ実に真理なり」
「ハハッ、我が驕っているとでも? ……ん? 待て……病没の間際?」
奇妙な言い方だ。まるで、一度、病死を体験したかの様な言い回しではないか。
「亡霊風情が何を驚いているのだ? 詳しくは知らんが、どうせ貴様も似た様な手合いであろう」
「…………おのれ、何者だ?」
「なに、名乗る程に氏のある者ではない。そう驕りはしない。ワシはただの老いぼれ。かつて、皇の寵愛を自らの実力と違え、驕り高ぶった愚か者。せっかく極めた武芸百般も、贅を尽くした生活の中に一度は置き去りにした――誠に救えぬ者よ」
かつて何処ぞの世にて。
武士としては未曾有の栄華大成を極め、その最高峰を臨んだ男がいた。
その男は、武芸百般すべてを人外めいた領域で修め、人心を汲む事にも、治政にも長けた――そんな名君まっしぐらな武士だった。
だがしかし、優れ過ぎたが故に、彼は堕ちた。驕り高ぶった。
誠実を忘れて勤勉を怠り、人の心を嘲る様になり、政のいろはをもないがしろにし――やがてはただの暗君、暴君へと堕ち果てた。
――もし、彼がその記憶を持ったまま何処かで蘇ったとするならば。
悔やまぬはずが無いだろう。
省みぬはずが無いだろう。
誠実を以て堅実な勤勉に励み、誰かの心を尊重し、世の流れを乱そうとは考えない。
そうして、最高峰を臨んだ彼の武士は捲土重来。
かつての武威を取り戻す。
「覚悟せよ不埒者。ワシは強いのだ。驕りではなく、ただ一つの客観的事実として、な。そして貴様の如き矮小な魑魅霊の類がワシに及ぶと考える事――それ即ち驕りと知れ」
「老いぼれがよく吠える。我が持つ忌名に聞き覚えが無い訳ではあるまい? 本気でこの我に勝てると――」
驕る者は気付かない。
その頭が地に落ちるまで。
「――は?」
「のろのろと、のんびり回る舌である」
血飛沫の一つも散らさず。
ただ静かに、堕願の首は一刀にて両断。
頭巾に覆われた頭が、川辺の砂利に弾む。
「卑怯と思うか? 否。これは貴様の打った悪手。――十訓抄が教えの一つ【油断大敵】。驕るが故に相手の実力を正しく測れない。驕るが故に斬りかかられても反応できない。驕るが故に斬り捨てられても気付けない。傲慢は百害あって一利無きものと知れ」
モリキヨは血糊の微塵も付着していない短刀の刃を、ゆっくりと鞘へと滑り込ませる。
刃が鞘に収まった音を立てたのと同時――既に数百度に渡って斬り刻まれていたダゴンの体が、ようやく自らが斬られた事を理解し、無数の肉片となって崩れ落ちる。
――決着である。
「ぞ、ん……なッ……!?」
それが、ダゴンの最期の言葉。
断末魔を上げるには、気付くのが遅過ぎた。
「――驕りを後悔したか? 上出来である。では、ワシの様に、来世では堅実勤勉に励むが良い」




