壱:河童だから流されるのも止む無し
雄緑村を出て、次に目指すは浅火走。
ロウラの生まれ故郷にして、【匠の街】だの【未来の街】だのと呼ばれる工房街。
雄緑で害獣を狩って銭を稼ぐより、浅火走周辺で【鉱物類】とやらに属する害獣を狩って素材を集め工房連中に売り払うなり、工房の用心棒をやった方が銭になる――と言うのはドラクリアの弁。
浅火走の工房連中は下手な貴族よりも銭を持っており、銭払いが豪気極まるのだそうだ。
……本当に何でも知っているな、この王子は。
と言う訳で、我々一行は浅火走を目指し、旅路を再開した訳だが……
「にゅぉおおおおおお……前が、前が見えぬのじゃあああああああ!?」
「言われんでもわかる! 胸元でぎゃあすかと無駄口を叩くな、やかましい!!」
なんだ、この大雨に暴風は。さながら大嵐だ。雨粒に打たれるだけで「若干痛い」と認識する事があるとはな。初体験である。
長閑な平地道が地獄でしかない。こんなの、ヒメを自力で歩かせればすぐに吹き飛ばされて空の彼方まで運ばれてしまいそうだ。このちんちくりんを突風に掠め取られない様に、抱きかかえる腕にもう少々力を入れる。
「き、季節外れの【最苦嵐】とは……! しかもこの辺りに襲来するのはかなり久々なのでは……!?」
「げッ!? まさかあれか!? また妾のせいになるあれか!? 『なんでこんな所にいるはずのない害獣が!?』どころか『なんでこんな所で起こるはずのない気象が!?』と言う事か!?」
「か、かも知れないでござるニンね……!」
「おいおォい……勘弁しとけよ……! 洒落んなってねェぞこりゃあ!!」
ロウラの言う通りだ。
最初、ただの雨だろうと思い傘代わりにもぎ取った大蕗の葉はもう跡形も無い。雨風に完全に持って行かれてしまった。
現状、我々は完全に嵐の中で丸晒し。雄緑に戻るにも突っ切るにも、道すら見えんこの有様……!
「もしこれも貴様のせいだとするならば、貴様ほど旅に向いていない生き物もないな……!!」
「まッ、待つのじゃ! 気象に関してはこれが初! まだ妾のせいと決まった訳では無いのじゃ! 早計だめ、絶対!!」
いや、翁呑山で遭遇した散々な目から考えて、もう我々の身に降りかかる予想外は全て貴様由来と断じても良さそうな気もするがな。
安全圏と思っていた小屋まで襲撃されたせいで、こいつが働いていた茶屋の店主からの餞別の焼き団子も全て害獣共にやられてしまったし。
まぁロウラ手製の干し肉が残っているため今のところ食糧問題に困窮はしていないが、こいつが甘味を強請たらいちいち何処ぞかで買わねばならんくなったのは面倒だ。
「と言うか、困りましたね、この最苦嵐では、おそらく【坩河】の船渡しも当然休業です」
坩河、とは確か雄緑から浅火走に向かう途中の道を両断する大河の名だったか。
まぁ、だろうよな。この嵐の中で営業する舟漕ぎなどただの自殺志願。そんな輩が操る舟になど乗りたくもない。
「しかし、道の見えぬ今、下手に引き返そうとすれば……」
「だが立ち往生する訳にも行くまい」
さて、どうしたものか……
「むむ! 妾の獣耳にぴこぴこと来たぞ! 皆よ! あっちの方に向かうのじゃ!!」
「寝てろ」
「寝言ではないぞゴッパムゥ!! おぬし、妾の危機回避能力を舐めるでない!! 妾は逃走の百戦錬磨ッ!! なんとなく何処に逃げれば助かりそうかは直感でわかる領域にまで達しておるのじゃ!!」
……確かに、何だかんだ、このちんちくりんは多くの害獣に襲われつつも助かっている。
正確には、自分を助けてくれる者がいる方向へ運良く逃げ続けてきている。
拙者と初めて会った時も、当てずっぽうの逃走の果てと言う感じだった。
「大丈夫じゃ!! 妾を信じろ!! 窮地から逃げる事に関してはマジで妾は最強じゃぞ!!」
「……相変わらず威張る事ではないが……」
そこまで自信たっぷりに言うのであれば、子分として乗らぬ訳には行くまい。
「誰ぞ異論・別案はあるか!?」
「ありません! ここまで来ると理屈で脱却を図るのは無理です!! ヒメさんを信じましょう!!」
「右に同じでござるニン……!」
「おォう! もォこォなりゃあヤケだ! 俺も乗ったらァ!!」
「ではあっちじゃ!! あっちの方に全速力じゃ!! はいよー!!」
「馬扱いするな」
まったく……
◆
……で。
「……………………」
ああ、嵐の中の視界不良でもわかる。
拙者達の目の前で轟轟と流動する水の群れ、これは間違い無く、川。それも雨の膜の向こうにも相当な広がりがある事が予想される、大河と呼んで相応しい規模の川幅。
「……坩河ですね」
「おい」
「…………す、すまぬのじゃ」
通れぬ経由地に辿り着いてどうする。
「期待と予想だけは裏切らんのが貴様の取り柄だと思っていたのだがな……! 嫌な予感は若干あったが……ついには期待だけを裏切る様になったか……!」
「嫌じゃあ!! その評価の改められ方は嫌じゃあ!! 心にくるゥ!?」
ならば、次は上手くやる事だ。
「くそッ……こうなれば舟漕ぎの小屋を探すぞ!!」
舟漕ぎがこさえる簡易小屋では雨漏りや隙間風が酷いだろうが、完全な丸晒しよりはマシであろう。
多少でも雨風を遮れるならばロウラの雷電で火も起こせるしな。
「いや、舟漕ぎさんもこの天気では避難してしまっているのではないかと思うでござるニン!」
「構わん! 小屋の戸を壊してでも侵入させてもらう!」
「えぇッ!?」
「案ずるな、当然に後で詫びと修繕はする! 今は少しでも雨風を凌ぐ術を確保すべきだ!!」
拙者は河童の体質故か対して体の冷えを感じていないが、貴様らはそうではあるまい。
特に体の小さなヒメはこれ以上の雨晒しは危険と見るべきだ。
「確かに、賛成で……す……」
ん? どうしたドラクリア。急に顔面を青く染めてからに。妖術を使ってもいないのに貧血か?
「ご、ゴッパム、さん……あの、あれ……」
「?」
何だ、坩河の方を指差して、何があると……
「おい、ヒメ。何か言う事はあるか」
「……しゅ、しゅまぬ……」
貴様、冗談は洒落で済む程度にしろと言う話なのだが。
――影だ。雨の膜の向こう、坩河の中央に、巨大な影が見える。あの形は――
「ワニャアアアアアアアアアッッッ!!」
雨の膜を引き裂き、こちらに姿を見せた巨大な怪物――人だった頃に、見た覚えがある様な気がした。
あれはそう……南蛮人が持ち込んだ舶来の水蜥蜴、【鰐】とか言う奴によく似ている。
まぁ、今目の前にいるこれは、あの時に拙者が見たものより一〇倍以上もデカい上に、亀の様な甲羅まで背負っているがな。
「ドラクリア。あれは?」
「はい知っています! 【泥嫐水亀主】!! 掛け値無しの超危険害獣です!! そして本来であれば坩河にはいません!!」
だろうよ。こんなのが生息しているならば普通、舟など渡せまい。
「ワニュア!! ワニワニャア!!」
真っ直ぐこちらを狙って来ているな。上等だ。甲羅はやたらに堅そうだが、それを避ければ問題無く斬れそうだ。さっさと抜刀して片を……
「いや、不味いですゴッパムさん! 一旦退きましょう!!」
「何?」
「あの害獣は――」
「ワァァニャッ!!」
ッ!?
「か、川の水をって、ぶはあ!?」
あの鰐畜生、川の水を大量に掻き上げて、波を叩き付けて来――ッ……!? 不味い、この感覚は、引き摺られている……!?
掻き上げられ拙者達を飲み込んだ水が引き戻されているのか!? そんな馬鹿な……!?
「ぶば、あ! 不味い! 泥嫐水亀主は特殊な分泌液で極短時間ながら水を半固形に加工し投網の様にして獲物を水中に引き込むんです!!」
「なッ……!?」
おのれ化生者めッ!!
朱天堂士の再生力と良い、厄介な不思議を……!!
などと、舌打ちをしている場合ではない。
「いぴゃあああああ!? 溺れ、溺れりゅ!? 妾泳げぬゥゥ!?」
「暴れるな!! 貴様が器用に泳げる姿など欠片も想像できん程にわかり切っている!!」
絶対に離さんから貴様もせいぜい大人しくしがみついていろ。
それよりも、不味い。
全員、完全に坩河の中へと引き込まれた。
しかも……
「いない……!」
泥嫐水亀主とやらの姿も見えん。
差し詰め、水中から我々を狙うつもりか。
この激流の中、水中から襲われてはまともに回避も抵抗もできまい。小賢しい。
現に、辺りを見渡せばドラクリアもマルもロウラも、流れに翻弄されてジタバタともがくのが精一杯。
――だが、拙者はイケるな。
ここでも河童の身である事が活きた。
足の水掻きが上手く水を掴んでくれている。肌の滑りが水を受け流し、激流の負荷も軽減してくれている。
よし、泳ぐに問題は無い。
ならば……
「ヒメ。少しの間、耳を伏せて目を閉じ、息を止めていろ」
「まッ、まさか潜るつもりか!? 正気か!? 水中であれと戦うつもりだと!? と言うか妾を水に潜らせると!?」
「大丈夫だ。すぐに終わる」
「ぬッ……う、うにゅ……す、すぐじゃな? 約束じゃぞ!? 一〇秒な!? 絶対一〇秒な!? それ以上は恐いからな!?」
「承知した。一〇数えていろ」
「……ッ……信じたぞ!」
ヒメが耳を伏せ、瞼を下ろし、そして口をぎゅっと結んだ。
臆病な気はあるが、だからこそ、自分が生き残るためにすべき事の理解が疾い。
……さて、主との約束だ。一〇秒で片を付けねばな。
「神日の払暁はこれ夢幻泡沫の如く――抜刀、【裂羅風刃】」
――行斬ッ!!
◆
水の中、巨大な影は嗤う。
泥嫐水亀主――本来であれば、広大な沼地に住まう害獣。
たまたま川に迷い込み、そこから流れてこの坩河に辿り着いたはぐれ個体。
彼は水中で巨体を揺らして、愉悦を顕にする。「ああ、この流れる水場に辿り着いたのは僥倖である」と。
沼地では見た事も無い、美味そうな生き物がたくさんいる。水中には勿論、水辺にも。
今まさに、見た事も無い猿の小さな群れを引き込んだ。
さぁ、ここからは楽しい狩りの始まりだ。
陸地の生き物は、水中では無様。故に陸で生きている。彼はそれを知っている。
だから、嫐ぶ。喰らう前に、抵抗させて余興にする。
ああ、水面を見上げれば、無様にもがく三つの影――おや? 不意に彼は首を不思議を感じた。
あと二匹、いたはずだ。小さな奴を抱えた緑色の奴が、一匹……奴は、何処に――
――瞬間、激痛が走った。
「ボバアアア!?」
水中で濁った声と大量の泡を吐き出し、彼はのた打つ。
後ろ脚だ。右の後ろ脚を――切断された。
身を翻し、脚の方に回頭する。
「……!?」
しかし、そこには何もいない。
「こちらを向いてくれて、手間が省けた」
水中を振動する濁った声は、直上。
彼が頭を振り上げようとした瞬間。
桜色の煌きが、三度、閃った。
◆
「ぶっはァ!! よし、九秒ッ!!」
泥嫐水亀主の頭を輪切りにして斬り落とし、水面へと緊急浮上。
約束通り、一〇秒以内だ。文句あるまい。
「にゅ、ひ、ひぃ……お、終わったにょか……?」
「ああ。あれが首を落とされても生きていられる様な手合いでなければな」
しかし、河童は水泳達者だとは聞いていたが……拙者自身でも驚く程だ。まるで自分の体ではないかの様な感覚だった。
本能が、泳ぎ方を理解していたのだ。
あそこへ向かいたい、そう思うと、なんとなく、どう動けば良いかがわかる。
生前では絶対に不可能だったろう水中機動力で、思うままに、泳ぎ回る事ができた。
「……いや、河童の泳力に感心するのは後にしておくか……!!」
まずすべきは、皆の救助だ。
魚すら腹を水面に向けて踊る程のこの激流、連中が自力で脱するのはまず不可能だろう。
「まずは……おい、ロウラ! 無事か!?」
一番手近にいたロウラから順に行く。
「ごぼが、ぼ、おぉう!! な、なんとかッ……でも、こりゃあ、きっつ……!!」
ああ、犬猫が流れる水を苦手とし忌避するのは知っている。獣人種とやらも似た様なものだろう。無理はするな。
「拙者の首に手を回して掴まっていろ」
「ぅ、ごう、あ、ありがとよ、流石は河童だぜ旦那……!!」
今褒められても喜ぶ余裕が無い。後にしてくれ。
次、ドラクリア。
「ドラクリア!」
「ご、ゴッパムさん……!」
流石は知力馬鹿。溺れかけでもおとなしく冷静だな。無駄にもがいていない分、回収しやすい。
「が、外套が、重いぃ……!」
……どうやら、水を吸った着衣が邪魔で、もがく事すらできていなかっただけの様だ。
洋装は派手珍妙で見ている分には面白いが、布地が厚く広い分、着衣泳には向いていない様だな。
ドラクリアを肩に担ぎあげ、立ち泳ぎをしながら最後、マルを探すが……
「ッ……何処だ……!?」
まさか、もう沈んで……!?
「ゴッさん! 向こォだ! かなり流されてやがる!」
「!」
ああ、ロウラの言う通り、流れに揉まれて好き放題に運ばれているが、まだ水面に浮いて元気にもがき回っている。
まったく……ヒメに次いで世話の焼ける!!
まぁ、喇叭を吹いて物が斬れる事以外はただの小娘だ、仕方無し!!
「マルッ!!」
「ひぅ、ご、ゴッパムしゃ……」
ええい、ヒメとドラクリアで腕が埋まっている!
ここは……嘴だ!!
「ふんッ!!」
嘴でマルの肩口を啄み上げ……
「きゃばああああああああ!?」
……肩口を引っ張ったせいで、マルの胸元がはだけ、片乳がこぼれた。
もはや持ち芸か。いや、今回に関しては拙者が原因ではあるのだが。
「ひぃん……! ひど、いや、わかっているでござるニン! 有難いんでござるニンが……!! ぅぴぃ……!!」
「ゴッパム!? 何をしておるのじゃこの助平!! 男に取って大きな乳が魅力的なのは理解するが、場所と時を考えよ!!」
「そォだぞゴッさん! 俺みてェな男勝りが言うのも難だが、女の乳ってのァそんな何のてらいもなく引っ張りだしていいもんじゃねェぞ!」
「ぼ、僕は見てません! 何も見てません!! ゴッパムさんみたいに助平じゃありません!!」
「放り捨てるぞ貴様らッ!?」
大体、誰が助平か。どれだけ大振りだろうが小娘の乳なんぞ見たがるものか。
拙者の好みはもっと大人めいて艶やかな……っと、そんなくだらん事を考えている場合では……ぬッ……
「ん? って、ゴッパム? 何か、普通に流されとらんか? 岸が遠のいておる気がするのじゃが……」
「……………………」
……流石の河童と言えど、この人数を抱えた立ち泳ぎで、この激流を思うまま進むのは難しい様だ。はっきり言って、舵が効かん。
「ッ……致し方ない……!」
ここは、流れが緩まるだろう下流までおとなしく流されるしか……
「……ぬッ……!?」
何だ? 急に、流れが変わった……?
いや、これは……
「……あの、ゴッパムさん? 何だか、岸の方に引っ張られてませんか? これ」
……ああ、気のせいではない。
まるで水に掴まれる様な――……これは、先程の泥嫐水亀主の水投網に引っかかった時と、ほぼ同じ感触……!!
冗談が厳しいぞ……!!
この状態でまたあれと戦うのは流石に無理だ!! 何とか離脱を……!!
「ぐッ……」
『もがくでない。愚かな若輩者よ。助けてやろうとしているのである』
「!? なんじゃ!? 今、水が喋ったぞ!?」
『水が喋っているのではないのだ。水を通して声を伝えているだけである。とにかく動くでない。この【水流固定薬】は開発中の代物。効果はそう優れたものではない故な』
すいりゅうこてい……薬?
なんらかの薬剤を使って、水を固めてあの鰐畜生の真似事をしていると言うのか?
一体、何者がそんな珍妙な……、!
「ふん。河童の機能を十全に使いこなせん若輩が、嵐の川に臨むでない、と言う話である」
岸にて、水を引っ張っていたその者は――
「……河童……!」
緑色の肌に黒い髪、黄色い嘴。拙者と違いまともな着物を纏っているが、間違い無い。
嘴の下、顎から白く長い髭を垂らした、一匹の老河童がそこにいた。




