陸:敗走、されど
その化生者は、突如として翁呑山に君臨した。
遠呂智と言う化生者は確かに巨大に成長する者だが、その個体は明らかに群を抜いた。成体の大きさを越えて尚、ぐんぐんと成長をし続けた。
――「際限無く成長する」と言う【異常】を発現した遠呂智の特異個体。
それが、朱天堂士である。
更に手に負えない事に、この朱天堂士には知恵があった。
害獣としては破格の知性を有していながら、善性を放棄し、悪虐の限りを尽くす大悪党となったのだ。
手始めに同族を含む翁呑山の目ぼしい害獣を殺し尽くした朱天堂士は、山の深奥に住処を構え、夜な夜な麓の雄緑村に降りては暴れ回った。
そして慈悲を請う者々に、自分らで生贄を選ぶ様に要求。選出された生贄共に殺し合いを演じさせ、生き残った最後の一名を生きたまま丸呑みにする……そんな残酷な【遊び】を、毎夜繰り返した。
知性無き害獣の様に無差別な破壊は行わない。
ただ無知な害獣よりも圧倒的悪意を以て圧倒的悪辣に、朱天堂士は生命を弄んだのだ。
悪趣味極まる所業を積み重ね、やがては竜王軍から討伐隊が編成されもしたが……朱天堂士の圧倒的武威はそれらをもあっさりと返り討ちにした。
調子付いた朱天堂士は高らかに笑い「いずれは山を巻くどころか、大陸をも巻き取れる様になってくれるわ」と豪語したと言う。
実際、無限に成長する朱天堂士に取って、その言葉の実現は時間の問題だっただろう。
このままでは、かつて東洋三大大陸を滅亡の縁にまで追い込んだ【最五害獣】の再来になるのではないか、とも恐れられた。
しかし、そうはならなかった。
ある日、ひと組の夫婦が立ち上がった。
無数の戦具を用意したその夫婦は、竜王の軍勢すら撃破した朱天堂士を退治すべく、無謀にも思えるほど果敢に、翁呑山へと挑んだと言う。
一体、どんな手を使ったのか。知る者はいない。
しかし、夫婦が山に乗り込んだ日を境に、朱天堂士は現れなくなった。
その夫婦らも帰ってくる事は無かったが……かくして、災厄の再来を危惧された怪物・朱天堂士の危機は去ったのだ。
◆
「テメェが、朱天堂士、だと……!?」
そんな馬鹿な。朱天堂士とは、あの南蛮飯屋が語っていた「かつてこの山を住処にしていた巨大な蛇」の事だろう。
そして、ロウラの両親によって討ち果たされたはずの――
「じゃははははぁ……あぁ、懐かしい。貴様を見ていると思い出すぞ、小虫。あの夫婦には度肝を抜かれた。何せ、隆盛の限りを尽くしていた我に、正面から挑んで来たのだからなぁ!! 竜王の手勢すら退けたこの我を、たったの二匹で!! 笑えた、嘲笑ったともさ!! だがどうだ、結果は相討ち、いや、我の負けだったと言っても良い!! 我が不意打ちで浴びせた一撃の後遺症が無ければ、奴らは生きて帰ってしまっただろうからな!! ああ恐ろしい!! だが素晴らしい!! あれこそ傑物、いや怪物よ!! どんな手を使ってでも殺せた事を誇ろう!! 我が武勲のひとつとできた事に無上の喜びを感じよう!! じゃははははははは!!」
「負けた……ならば、何故、貴様はこうして大笑いしていると言うのだ……!?」
朱天堂士の退治を目的としていたロウラの両親が、打ち負かした朱天堂士の生命を見逃すはずがない。
「じゃはッ、決まっておる。奴らは詰めが甘く、そして我は優れていた……まぁ、正直、我自身も想像してはいなかったさ。まさか我が獲得した『際限無く成長する異常』が、脳細胞の一片になろうとも働き続けるものだったとはなぁ」
「なッ……」
「難しい話だったか? では噛み砕こう。我は頭蓋を砕かれ、脳を散らされて死んだ――はずだったが、散った脳細胞のひとつ、我の核となる部分は、雷撃に焼かれずに済み、生きたまま残っていた。そこからまたここまで『成長し直した』。ただそれだけの話よ。じゃぁははははははははは!!」
ッ……体躯だけでなく、生命力まで常軌を逸している、と言う事か……!!
脳の細胞の一片でも生存できる、そしてそこからでも、時間をかけて再生・復活してしまう、と。
まさしく化生者だ……!!
「で、あの夫婦の子がどうしてこの山に来た? ……ああ、聞くまでもないか。当然、親の痕跡を探し求めに来たのだろう? 子とはそう言うもの。我は悪辣な害獣なれど知性はある。その感情は理解しよう。くだらんとは思うがなぁ。しかし、奴らの痕跡を探して我に出会うとは、これもまた因果か」
「! その口振り、もしや貴様……」
「ああ、取ってあるとも。尊敬に値する戦士と認めたのだからな。我の寝床の奥に、奴らの骨を戦利品として飾っておる。勲章だ。じゃはは。欲しいか? 欲しいよなぁ? じゃははは……ならば……」
ッ! 何かする気だ……!
「決死の覚悟で、我に挑むが良い!! 歓迎するぞ小虫共!!」
遥か彼方で、何かが振れ上がった。
おそらくは、朱天堂士の尻尾の先。
「!」
空から、何かが来る……あれは、鱗か!?
朱天堂士の全身をびっしりと覆う泥色の鱗……その塊の様なモノが、降ってくる。
今、尻尾を振り上げた時に飛ばしたのか!
投擲技、だが、速度は鈍い。ひとつひとつがかなり大きいが、躱すのは難しくな――
「ほれ、愉快に踊れ――【辛殻爆霧】」
朱天堂士の声に反応する様に、飛来した鱗の塊が、爆ぜた。
「くッ……!?」
不味い、裂羅風刃でも斬れん程に堅い物体が、雨か霰の如く降り注いでくる。
まともに受ければ、蜂の巣が如く穴だらけにされかねん。ヒメを抱えて……って、おい。
「おい、ロウラッ!?」
「ッ、あ、お、おう!! え、どぅわ!?」
ッの、馬鹿が! 何を呆けて――いや、無理は無いか……!?
両親が生命を賭して退治したはずの害獣が生きていたのだ。親の死を無下にされた様な精神的衝撃を受けるのは仕方無い。
それはわかるが、敵を前にして……えぇい!! 所詮は小娘かッ!!
「まッ、たくッ!!」
「きゅえッ」
乱暴にヒメを引っ掴んだせいで変な声が聞こえたが、火急だ、許せ。
ヒメを引っ張ったまま、ロウラの前に走り込む。
ロウラの今の状態では、この鱗の雨は凌げんかも知れん、ならば、
「ずぁあああああああああ!!」
全力全霊、裂羅風刃を振り回し、鱗の雨を弾き、叩き、落とす。
やはり堅い、叩き斬れん。だが、叩いて軌道を変えるのは容ッぐぉ……!!
「ゴッパム!! 血がッ……」
「ッ……やかましい!! 少し肉を削り取られただけだ!!」
……流石に、二名も庇いながら全弾を凌ぐのは無理だったが……左肩の肉を少々抉られただけだ。上出来だろう。
「ほほぉ……その程度の傷で凌ぐか……じゃはははは!! これは期待以上!! 嬉しい限りよなァ!!」
「くッ……一時退くぞ!!」
ヒメを庇いながらでも勝てるか怪しい相手だ。ロウラの面倒まで見ながらでは戦いにすらならんわ。
「じゃっはぁ!! 逃がすとでも思っ…」
「赤き水は我が眷属! 反せず、抗わず、我が声に従え!」
! 今の声は……
「ドラクリアか!?」
ロウラ同様、朱天堂士が轟かせた破壊音を聞きつけたのだろう。
ドラクリア……だけでない、マルもいる。
「妖術【馳隠摺見】!」
おぉ、例の血を操る妖術と言う奴か!
ドラクリアの掌、自傷したと思われる横一文字の薄傷から、赤い霧が吹き出した。
赤い霧は鉄砲玉の如き速度で、朱天堂士のぎょろめく目玉に直撃。
「ぐぉ!? 目がァ!?」
朱天堂士が派手に顎を跳ねあげて悶絶する。
ああ、まぁ流石に痛いであろうな、今のは。ドラクリアめ、血の目潰しとは……普段の物腰は柔らかい癖にえぐい事をする。だが助かった。
「今の内でござるニン!」
「ああ!」
「ッ……ゴッさん、すまねェ!! 少しばかし動揺しちまって……」
「謝罪は後で聞く! 走るぞ!!」
「ぁ、ああ、おう!!」
ああだこうだ喋っている場合ではない。
多少は持ち直した様子だが、ロウラには未だに動揺の色がある。ドラクリアとマルが駆け付けてくれたとは言え、やはりこのまま無策では戦えない。
朱天堂士が血の目潰しでのたうち回っている内に、撤退だッ!!
◆
ひとまず、ロウラの拠点である小屋まで辿り着けた。
……まったく……敗走の経験は人の頃から通算して二度目だが、つくづく気分の良いものではないな……!
「ど、どうやら撒けた様じゃのう……」
「ああ……だが、これより先となれば、そう簡単には逃がしてはもらえまい」
朱天堂士があれだけの体躯にまで再生していながら、今まで噂話のひとつも立たぬ程におとなしくしていた理由。
単純に考えて、まだ万全の状態にまで回復していないからだろう。あれだけの武威を持っていながら万全でないなど、信じ難いと言うか、考えたくはない事だがな……拙者達にちょっかいをかけてきたのは、拙者達が大した事の無い少数であると判断しての事と思われる。
であれば、拙者達が村に降りて増援の大軍を連れて来たりでもしたらたまったものではない、そう考えるだろう。
奴には拙者達をむざむざ逃がす訳にはいかない理由がある。つまり、村への退路を中心に、当たりを付けて我らを探していると考えるのが妥当。
状況は……かなり悪いと考えるべきか。
ロウラの両親の骨は奴の寝床にある……それが判明したのは良い。大変な前進だ。
奴の寝床とやらも、奴の移動の痕跡を辿れば容易に探し当てられるだろう。あの巨体では、この山林地帯に於いて木を倒さずに移動なんぞできるはずがないからな。奴が木々を薙ぎ倒して作った道を辿れば、その内必ず行き着ける。
……だがしかし、遺骨を回収できても、山を降りるには……奴が当然張っているであろう警戒網を突破する必要がある。
先程、奴が遥か彼方より真っ直ぐ拙者の方へ向かってきた事から考えるに、奴の探知能力は決して低くはない。
下山道は限られている以上、そこに見当を付けて網を張られれば、確実に気取られる。
そして、先程のドラクリアがやった目潰しは当然、次は対処される。不意打ちに二度目は無い。相手が手練であれば尚更。
再戦は、避け難い。
あの「頑強にも限度があるだろう」と叱りつけたくなる様な鱗で覆われた巨大蛇と、また戦う……ああ、まったく以て骨の折れる話だ。
勝ち筋は、一応あるのだが……しかしやはり、どうしても越えねばならん問題がある。
……拙者とて、できる事ならば朱天堂士を放置なぞしたくはない。
下山の邪魔である事を差し引いても、あんな邪悪な生物、放置してもろくな事になるまい。すぐ麓には民草の生活がある……他所の国の民だからと意味も無く見捨てられる様な冷酷さは、生憎と持ち合わせておらなんだ。
是が非とも、あの害獣は今ここで殺しておきたい所存ではあるのだが……
現実問題として、現状での朱天堂士討伐は厳しい。かなり渋い賭けに臨む事になる。
……策が必要だな。とびきりの上策が。
「……すまねェ、ゴッさん。俺がぼけっとしちまったばっかりに、肩……」
ん? ああ、ようやく口を利く余裕が出てきたか。
「この程度の傷は気にしなくて良い」
「嘘吐け! 血ぃだっくだくではないか!! しゃがめ! 布で縛るのじゃ!!」
「いえ、止血なら僕がやります」
「ああ、ドラクリア、頼む。……して、ロウラよ。拙者の傷よりも、貴様自身の心の内はどうなのだ?」
「ッ……我ながら、情けねェ……」
今朝までの豪気さは何処へやら。俯いて震える様は、実に小娘相応に見える。
「朱天堂士が生きていた……だけの動揺ではないな」
「……ああ、笑ってくれ。どォにも俺ァ……覚悟できてたつもりで、つもりでしかなかったらしい」
……成程、そうか。
心の何処かで、期待でもしていたか。
両親が、実は生きているのではないか……と。
まぁ、そうだろうな。ああ、そうだ。それが普通だろう。
ロウラは今まで、両親が死んだと言う具体的な証拠に触れていない。ただ噂話に、両親らしき者達がこの山で消息を絶ったと聞いただけ。
いくら強面で豪気な性格でも、結局こいつはまだ小娘だ。
そんな甘えた思考をしていても仕方無いし、そう言う甘えた思考でも許されるべき分際だ。
だが、現実は突如として、非情に叩き付けられてしまった。
朱天堂士が、その言葉で、叩き付けてきた。
困惑し、動揺し、動けなくなるのも当然、か。
「自分で自分が情けねェ……こんなんじゃあ、あの世で親父達にも笑われちまう……!」
「……ああ、そうだな。無様だ」
「おいゴッパム! 言い方ッ!」
「最後まで聞け阿呆。『このままで終われば』の話だ」
「!」
「……で、どうする? 諦めるか?」
「ッ……んな訳、ねェじゃんかよ……!!」
うむ、よろしい。
まだ完全に動揺が抜けきってはいないが、それでも幾分かマシな面にはなっている。
「では、飯を作れ。肉をふんだんに使った奴だ」
「おう! って、は? 何言ってんだゴッさん、こんな時に……」
「決まっているだろう、決戦前の腹拵えだ」
朱天堂士を破る策を、必ず考える。英気を養いながら、な。
◆
「じゃっはぁ……目潰しとは小癪な真似をしてくれるではないか……じゃはははは!」
既に視覚機能を取り戻した朱天堂士。その口角は、高く裂け上がっていた。
そう、笑顔だ。その表情に、怒りや苛立ちは皆無。
朱天堂士は悪辣を自ら謳う。卑怯な騙し討ちや不意打ちはやるのも見るのも浴びるのも嫌いではない。むしろ小虫の足掻き、余興としては好い。
抵抗しない死骸同然の相手を踊り食いにしてもつまらない。心臓が最期の鼓動を刻むまで生に執着する、胃の中に落とされても一片残さず溶けきるまで胃壁を拳で打つ様な……そんな輩でなければ、丸呑みにする意義が無い。
抵抗されればされる程、愉しみに口角が裂けていく。
「あの緑色の小虫の目、まったく屈する兆しが見えなんだ。好い、実に」
あれは、必ずまた挑んでくる奴の目だ。朱天堂士は確信している。
何せ、あれと同じ目をした夫婦に、かつて朱天堂士は敗北すらした事があるのだから。
「…………愉しそうだね、朱天堂士」
「! おお、シマヅか」
朱天堂士が獲物を追って木々を薙ぎ倒しながら移動していると、不意に木陰から男の声が。
「じゃはは、中々気骨ある小虫であるぞ。見ていて愉しかろう?」
「ああ、想像だにしなかった程に、愉快な見世物だよ。因果な話もあったものだと感心している」
「うむ、まさか我を倒したあの夫婦の子が、今更になって現れるとはなぁ……」
「……それだけではないさ」
「何?」
「まぁ、こちらの話だよ。……さぁ、朱天堂士。当然、連中を逃がすつもりは無いのだろう?」
「勿論。あんな目をした小虫、呑まねば外道が廃ると言うもの」
そこで会話を打ち切り、朱天堂士はまた這い出した。
その巨体を見送りながら、木陰の男は静かに笑う。
「……まさか、こちらの世でも、あの太刀筋を見る事になるとは……誠に、因果な話だよ。――そうは思わないかい、流之助」
◆
簡素な肉の丸焼きをカッ喰らい、皿を空け、策の打ち合わせに移る。
「一体何者だったのかと思えば……あの大蛇が、件の朱天堂士……ロウラさんの御両親の仇、ですか……」
「風聞に違わぬ巨体に禍々しさだったでござるニン……」
ひとまず朱天堂士についての情報を共有し、本題へ。
「先に言っておこう。勝ち筋はある。一太刀入れて確信した。拙者の【奥義】を使えば、あの鱗、かち割る事も充分に可能だ」
「おお! 誠か!? 流石はゴッパムじゃのう!」
「待ちな、ヒメ。……じゃあ何でそんなに神妙な面してんだ、ゴッさんよ。……なんか、問題があるんじゃあねェのか。それも、滅茶苦茶デケェのが」
ふん、やはり飯を作らせて正解だったな。
日常習慣的な動作を行う事で、ロウラの平時の調子が戻ってきた。
「まったく以てその通り。あの技は、隙が大きい……と言うより、効果が出るまでが、長い。かち割るに到るまでの途中で、技を外されるのが目に見えている」
「にゃッ……それでは無理も同然ではないか!!」
「ああ、だからこうして、ここにいる全員の知恵を撚り合わせて策を考えようとしているのだ」
飯を食いながら冷静に熟考した結果……情けない話ではあるが「拙者独りの頭と身体では、どう計算してもどうにもならん」と言う結論に達した。
断言しよう。
一対一では、拙者は朱天堂士に勝てん。
ならば一騎討ちに拘泥する理由も無し。
負け戦なんぞやってられるか、阿呆臭い。
武士が守るべき矜持の第一は「勝つ事」だ。誇らしく負け潔く散る事を目指すのは、第二かその次。勝つために全てを出し尽くした後にすべき事である。
無駄と確信できる足掻きしかできなくなるその時まで、有意義だと思える足掻きはやめないのが、武士のあるべき姿だ。拙者は師匠からそう学んだ。
と言う訳でここは、こちらが群れである事――鎮威群である事を活用する他に道はあるまい。
「山を降りて増援を呼びにいくのが堅実ではあるが、朱天堂士がそれを許す間抜けとは思えん。どうにか、ここにいる者の総力だけで、奴の動きを止める手立てを考えたい」
「と言うと……身動きを封じる事さえできれば、勝機があるんでござるニンか?」
「ああ、もし、奴の動きさえ止められれば……拙者が全霊を以て頭部の鱗を砕き、ロウラが止めを刺すと言う算段でいける」
「俺が、止め? なんでまた、そこだけ俺に譲るんだよ?」
「譲る訳ではない。そうするしかないのだ。拙者では、あれを殺す術が無い」
朱天堂士は自慢気に語っていた。脳細胞の一片でも生で残っていれば、成長し直して復活できると。
拙者は刀を振るしか能が無い、炎や雷電は出せん。この中でそれらの類を出せるのは、ロウラだけだ。
「貴様の雷電で、奴の脳みそを微塵も逃さず焼き尽くせ。できるな?」
「……当然だ。むしろ、仇討ちの機会をもらえてやる気が逸って仕方無ェくれェだ。もォ情けねェ姿は晒さねェ!! 完膚無きまでにやってやるぜ!!」
うむ、その意気だ。完全に調子が戻ったな。
「……動きを止める……」
「む? ドラクリア、何かあるか?」
「……あの……時間を、ください」
「ほう、如何にする?」
「【血】を集めます……!! 幸い、ここは山。ヒメさんの体質をあてにすれば、獣の血はすぐにたくさん集められる」
血……ああ、貴様のあの血を操る妖術に使うのか。
拙者の血を操り止血をできる所を見るに、他者の血でも操る事ができるのだろう。いちいち触れる必要はある様だが。
大量の血があれば、それだけ武器も潤沢、十全の攻撃ができると。
「話によれば、朱天堂士はゴッパムさんが大猪を斬った途端に現れたんですよね……もしかしたら、戦闘の気か血の匂いには敏感なのかも知れません。血を集める狩りの最中、それを嗅ぎつけられては元の木阿弥」
成程、故に拙者に「時間をくれ」と頼むか。
血を集める間、朱天堂士を釘付けにせよ、と。
中々難儀な仕事だが、請け負う価値は充分にありそ……
「たくさんの血があれば、僕はきっと――奴を止められる……かも、知れません」
……は?
「ちょっと待て……かも知れん、だと?」
「ぅ……はい。少し、自信が……」
…………チッ。ならば期待などさせるな。
「であれば却下だ。別の案を考える」
「え……?」
「いやいやゴッパム! ここはどんな小さな望みでもかけてみるべきでは!?」
馬鹿か。
「良いか、阿呆。この世には『できる』か『できない』かのみだ。『できる』と断言できぬのなら、それは『できない』と言う事でしかない」
その程度の意気でしか提案できぬ策に乗っていては、生命がいくつあっても足りぬわ。
例え失敗する可能性があろうと、成功する見込みが余りに乏しかろうと、誰ぞに生命を張らせるのならば自分は見栄を張れ。まやかしだとしても、安心して生命を賭けさせるくらいの度量は見せろと言う話だ。
それすらできぬ様な意気の弱い者に為せる事など、たかが知れている。
いくら身体が強くとも、心が折れていては刀は握れぬ。
拙者よりも倍からある体躯を誇る力自慢の農民が、初めての戦場を知って心折れ、無抵抗のままに斬り殺される所を幾度となく見てきた。
同様、戦場にて膝を着く敵の雑兵も、この手で幾人斬ってきたか……定かではない。
逆に、両腕を落とされても柄を咥えて斬りかかってくる猛者と戦った事もある。そして、その猛者の一太刀を浴びてしまった事も、だ。
腕が折れても、心さえ折れていなければ、戦える。戦えてしまう。
物事を最後に決定付けるのは、身体の強さよりも心の強さと知れ。
――……だが、しかし、現状は策の提案すら無いのもまた事実。
ここは少し、焚き付けてみるとするか。
「――小僧の技は、所詮、自信も持てぬ領域でしかない。『その程度』と言う事だ」
「…………ッ…………!」
「ぉ、おい!? その様な言い方、仲間同士とは言え無礼であろう!!」
「……………………」
「……………………」
拙者の意図を察しているのか、マルとロウラは静観。
ドラクリアも歯噛みしているが、怒りを顕にする気配が無いと言う事は、発破をかけるための安い挑発だと言う事はわかっているのだろう。
察しの良い奴は助かる。
それに比べてこのちんちくりんは……
「黙っていろ。上策を考えている所だ……正直、暗中模索と言った所だがな。まったく……使える駒が少ないと言うのは辛い所よ。己の技に自信も持てぬ輩など、いないに等しい。何が、母の血を誇っている、だ。役立たずめ」
「ゴッパム! おぬし、言い過ぎだと言っておろうが!! どうしたのじゃ急に!? おぬしたまに毒舌ではあるが、今回のはちと趣向が悪過ぎるぞ!?」
当然だ。己でも言い過ぎだと思える様な酷い言葉を選んでいるのだからな。
……どうだ、小僧。
いくらわかりきった挑発と言えど、ここまで言われて腹に燃える薪を持ち合わせぬのであれば、まさしく貴様の血にかけた誇りなど――、――!
「ゴッパムさんは、意地が悪いですね」
「……ふん。随分と生意気な目をしているが……今、何か言ったか? 小僧」
「ええ……ゴッパムさん、僕に時間をください。必ず、朱天堂士の動きを封じてみせますとも……!! 僕のこの、誇るべき血と共に育んだ、至高の術式を以て!!」
……王の子、と言うのは、伊達ではないな。面構えが化けた。
姫と言い、殿と言い、いつぞや見た公方様と言い、高貴な血筋の御仁と言うのは、覚悟を決めた時の目が違う。
腹の底に生まれ秘めた地力と言うモノが、我々庶民とは一線を画しておられる。
――正直、今、背筋がゾクリとしたぞ。
「さぞかし上策と見た。面白い。やってみろ。時間は必要なだけ稼いでやる」
「よろしくお願いします……!」
「はッ……線は細ェわ腰は低いわでぶっちゃけ薄弱野郎かと思ってだが、良い目をしやがるじゃねェか。そォだな。あんだけ焚き付けられて燃えねェなんて男じゃあねェ。俺も負けてらんねェ……男として俺もガツンと乗ったァ!!」
「おぬしは女じゃろうに……」
ロウラに呆れつつ、ヒメは安堵した様な息を漏らした。
「ふぃー……にしても、ゴッパムが悪口を叩き始めた時はひやひやしたが……まとまった様で何より!! 結果良ければなんとやら!! そして無論、妾は子分の策に乗るぞ!! 妾自身ではどうにもならんからな!!」
「威張るな」
まったく……頼りにならん頭目よ。
となれば、それを支える子分である我々が、気合を入れねばな。
「……では、決まりだ。切り替えていくぞ。気を張れ、血を滾らせろ。勝ち筋は確かだが、これはまごうことなく死線を臨む決戦と心得よ」
「はいッ!!」
「ござるニン!!」
「応よッ!!」
「うむッ!! 我々の鎮威群、望刃救光楼に取って初となる総がかりでの連携じゃな!! にゃっはっは! 窮地だと言うのに不思議とわくわくするぞ!!」
ふん、それは――――同感だ。
「さぁ、往くぞ!!」