参:山駆ける雷光の娘
「少し目を放した内に道連れが一名増えているとは吃驚でござるニン」
「……拙者は貴様の服装に驚いているが」
ようやく合流したマルの服装は、何故か変わらず桃色の袖無し忍装束だった。
血の染みや破れ解れが無くなっていると言う事は、わざわざ以前と同じのを買ってきたのだろう。
見れば、胸に抱いた反物屋の紙袋からも桃色の布地が覗いている。
……まさか替えの分も同じのを買ったのか……
「貴様、乱破はやめるのではなかったのか」
てっきり普通の着物を買ってくるものとばかり。
と言うか、乱破をやる覚悟は無いと抜け忍になっておきながら、何故に。
それともあれか?
忍装束と言う奴はいざと言う時にすぐ脱げる構造であると噂話に聞いたが、実はやはり脱ぎたがりなのか?
「……店に入ったら、『もう七日経つしそろそろ新しいの買いに来る頃だと思っていたぜ!』と既に完璧に仕上げられたこの装束が用意されていたでござるニン。それも毎度の如く予備を含めて三着……桃柄の忍装束なんてウチしか買わないだろうから断る訳にもいかず……うぅぅ……何故よりにもよってウチが抜け忍になった途端に気を利かせて作り置きなぞ……」
「どうでも良いが、貴様は七日に三着の配分で服を新調せんといかん様な生活をしていたのか……」
もはや誰ぞの呪いか、又は病名のある身体状態なのではないかと疑念を持ってしまう程だ。医者にその辺まで相談したか?
……どうやら拙者は、この者の底抜けた間抜け具合を安く見ていたのかも知れない。
「貴女がマルガレータさんですね。僕はドラクリアです。共に旅する鎮威群の仲間として、よろしくお願いします」
「あ、はいでござるニン。よろしくでござるニン。……? ところで、ドラクリアと言うと何処ぞで聞き覚えが……」
「まぁ、そうでしょう。貴女は嶽出忍軍の所属だったんですよね。でしたら竜王子息として、僕の名前は聞いていてもおかしくはないかと」
ドラクリアに聞いて知ったが、嶽出と言うのはこの龍柩大陸に於いて竜王一派に高く買われている豪族の家名なのだそうだ。
騎馬兵を中心とした大規模な軍隊を有し、竜王の軍隊と連携して治安維持にも努めているそうな。
仮にもそこに所属していたマルが、ドラクリアの名を知らぬはずがあるまい。
「……竜王様の、子息の、ドラクリア」
ドラクリアと握手を交わしたまま、マルが固まってしまった。
まぁ、それもそうか。言うなれば、自身が勤めていた家の同盟方、その若君なのだから。
凡俗な務め者なら、本来は握手どころか言葉を交わす機会すらあるまい。
「にゃな、なにゅ、なん、て御仁を道連れに加えてるでござるニン!? え!? ってか何でこんな所に王子様がいらっしゃるのでござるニンか!?」
「大雑把に言うと武者修行をしたく。重ねて、よろしくお願いします」
「え、えぇぇ……えぇぇえええ……!?」
マルが狼狽えるのも無理はないか。
先程、同盟方の若君と例えたが、その通りなら拙者だって狼狽える。
そんな御仁を連れて歩いて何か起きたら外交問題で即座に切腹言い渡しでは……? と少々焦る。
だがまぁ、ドラクリアに関してはそう繊細に捉える必要はあるまい。
「大丈夫だろう。別に拙者らはドラクリアに強制もしとらんし、人質として預かった訳でもない。我々はただの仲間だ。仲間として最大限の補い合いはするが、もし仮に道中でくたばったとしても自己責任。我々が責荷を負う所ではない」
「おぬしなぁ……マルに『元の身分はどうあれ今の我らは対等な仲間だ、そんなに気負うな』的な事を言いたいのはわかるが、もう少し言い方をどうにかできんのか」
「意図が十全に伝わっているのなら問題あるまい」
言葉とは「思っている事を伝える」か「誰ぞを騙す」ための道具だ。
前者を目的としているならば、細かな言葉選びなぞ気を付ける必要など無い。まさしく思った通りに言うだけなのだから。
「ゴッパムさんの言う通りです。どうか、妙な気遣いはなく、ただの仲間として受け入れてもらえれば幸いです」
「は、はぁ……でござるニン……」
「さて、では話もまとまった所で! 豪奢な飯を食いにいくぞ!」
「まだ諦めとらんかったのか、貴様」
「雄緑には南蛮料理を出す店もあると聞いておる! 南蛮料理ぞ南蛮料理! 南蛮と言えば我らの予想も期待も超えていくのが常のヤバき場所、その料理、この好奇心が止まるかッ!!」
……完全に情報収集よりも飯が主題になっているな。
◆
ヒメの執拗な要望通り、南蛮料理で腹拵えを終えた我々は……山道に臨んでいた。
山道と言っても道なき道だ。傾斜のある密林、と言った方が適切だろう。
ここは【翁呑山】。
雄緑の町に入った時から奥に見えていた大山である。
何故、食後まもなくこんな所に来たかと言えば、飯屋で得た『強き者の情報』を頼りに、だ。
「ふひー……く、食い過ぎたのじゃ……まだ動けぬ……」
「だから節度を弁えろと言ったのだ」
阿呆が阿呆みたいに暴飲暴食してからに……その苦しみは戒めと知れ。拙者が担ぐ荷の上に転がってしばらく反省していろ。
「あはは……ヒメさん、僕ら全員の食べた物を合計した量よりも多く食べていましたもんね……」
「まぁ、でも確かにいくらでも食べたい気持ちはわかるでござるニン。牛の肉を焼いたものがあんなに美味いとは思わなかったでござるニン」
ああ、日ノ本にも牛を食べるなんぞと言う文化は無かったので拙者も知らなかったが、中々に美味であった。
添えられていた芋を細く切って油で揚げたものも絶品の一言。
南蛮の飯は珍妙だが大概が美味い。外れが少ない。目一杯食らい尽くしたいと言う願望は拙者も理解する。
だが……
「貴様、頭目がその体たらくで勧誘して、仲間になってくれる者がいるとでも思っているのか?」
拙者達は、南蛮料理屋の店主に「この辺に身を持て余している強い輩はいないか?」と質問を投げかけ、ある話を聞いた。
数日前、やたら剣呑な雰囲気を纏った少女が、この翁呑山に入っていったっきり、帰って来ない。
おそらく山篭りでもしているのでは? との事。
するとヒメが耳をピンとおっ立てて「山篭りよりも冒険の方が修行になるに決まっておる!! こりゃあ我が鎮威群四番手の加入待ったなし!! 飯をたらふく食ったらすぐに会いにいくぞ、じゃが、おかわり!!」とその少女を勧誘する事が決定。
そして現在にいたる。
「うぷ……しかし、余りにも手頃な話に食いついたは良いが、少女か……本当に強いのかのう……」
「腕前に性別など関係あるまい」
拙者が人の頃にも、冗談の様な腕前をした女性の僧兵と刃を交えた覚えがある。かつての人生で数回しかなかった「本気で死を意識させられた斬り合い」。そよ風ひと吹きの違いで勝敗が覆ってもおかしくない、まさしく死線上の接戦であった。
女だてら、などとは言うまい。
性別で押し付けられる役割なんぞ無視して武者として戦場を駆ければ、誰しも強くなるものだ。
「そうですね……僕みたいな、男だのに軟弱なのもいますしね……」
「ドラクリアよ、貴様の実力は未だ知らんが、そんな心意気では上達するものも上達せんぞ。名を馳せたいのならその性根から直していく事だ」
「ぅう……はい。ためになります……」
「ところで……ずんずんと無計画に進んでいるでござるニンが、大丈夫なんでござるニンか?」
「まぁ、仕方あるまい。探すあてが乏しいのだからな」
我々がその少女について持っている情報は、その少女が「翁呑山に用がある」と語っていたと言う事と、この山に入ったきり出てこないと言う事だけ。
この山の何処かにいるのは確かだろうが、正確な位置はわからん。とりあえず散策するしかあるまい。
「……凶悪な害獣とか、出てこないでござるニンよね……?」
「その辺は問題あるまい。この山には大した者はいないそうだからな」
何やら一〇年ほど前には「【遠呂智】の朱天堂士」とか言う巨大な蛇の化生者がこの山を根城にしていたそうだが、そいつは既に退治されたのだと店主は語っていた。
今では出るとしてもせいぜい小物だが、夜になると数が多いので気を付けな。と言う忠告も共にいただいている。
今はまだ昼下り。夜には程遠い。
店主の話通りならば、厄介事になる様な遭遇は無いだろう………………無い、はずなのだがな……
「……あの、ゴッパムさん。前方、すごくワッサワッサしている気がするのですが」
「奇遇だな。早速気が合うではないか。上手くやっていけそうで何よりだ」
「言ってる場合でござるニンか!?」
……一体、どう言う事なのだかな。
前方、わらわらと夥しい数の獣やら虫やらが現れ、こちらに身を乗り出しているではないか。
有象無象、おそらくは全て害獣よな。我らへ注ぐ視線が完全に餌を見るそれでしかない。地を這う者、木を駆ける者、空を飛ぶ者、地面から頭を出している者……雑多雑多、指を差して数えろと言われれば立派な苦行が成立する。
……これは、あの店主が大雑把適当な事を言っていたのか……はたまた……
「な、何故……妾はいつも、『こんな所でこんな奴らが出てくる訳ないのに!』的な事態に遭遇するのじゃああ……うぷ、吐きそう」
我らが阿呆大将の成せる御技か……!
「チッ……マル、ドラクリア! 荷を庇って下がっておけ!」
数は多いが、目測、ヒメと旅に出る前に夜の森で味わった地獄よりはマシ。
そしてあの時と違い、拙者が腰に帯びているのはまぎれもない名刀、この程度なら文字通り斬り抜けて……
「ルァァッ!!」
「!」
その時、山の中に突然響いたのは、低い獣の咆哮……と聞き違える様な、どすのきいた女の声。
声を追いかけてくる様に、バチバチバチィッ!! と言う謎の怪音が連続する。
――直後、それは迅雷の如く現れた。
拙者達を包囲していた害獣どもの中でも一際大きな猪が、吹っ飛んだ。
横合いから飛んできた金色の何かに、弾き飛ばされた。
「なッ……」
「おうおうおうおう! 何だ何だァ!? この時間帯にしちゃあ、妙に大量じゃあねェの! そんなに俺に美味しくされたいのか、獣共ォ!」
大猪を弾き飛ばした……いや、蹴り飛ばしたのは、金色のボサボサ髪をなびかせる女。
乱れる髪の中に溺れる様に、頭頂部から三角の獣耳が生えているのが見えた。ふわふわと膨らんだ尻尾も生えている。間違い無く化生者だろう。
……ヒメと若干の色合いは違えど同じく金毛で獣耳……だのに、似ても似つかないな。
身体の大きさや肉付きが良いのはもちろん、その顔つきは野蛮な雰囲気以外を感じさせない凶悪な笑顔。やや興奮気味なのか元々なのか、目は大きくかッ開かれて四白眼と化している。
ヒメの面は「気が強そう」だが、この女のは完全に「危険そう」だ。平和民族とも言える陽光乞子ではあるまい。
装いは、やたらに軽装である。
身に纏っている物の中で衣類と呼べるのは、胸に巻いた晒布と、褌を締めた上から腰周りに巻かれた薄布だけ。
装着物、と言えば、両足の脛を守る様に装着されている黄金の鎧……足の甲から下腿までを覆うあの形状から言えば【甲掛】なのか?
女子らしい洒落気など「くだらぬ」と唾棄する様な、戦闘面での機能性のみを追求した格好……と言われれば納得の様。あの豊満な胸の肉では、晒布で堅く固定せんと動き回るだけでも苦労しそうだからな。
それは理解が及ぶのだが……何故、裸足に甲掛を着けているんだ?
甲掛とは本来、足の甲に草履の鼻緒が擦れるのを防ぐために着ける物だろう。それも、本来は柔い布でこしらえる物だ。あの金色のド派手な代物……あれは……どう見ても鉄、いや、金か?
「ぎゃはァ!!」
拙者が思考を整理して声をかける前に、女は駆け出した。
今まさに蹴り飛ばし意識を刈り取った大猪……には目もくれず、有象無象がうごめく中心部へと、一切の躊躇いも無しに飛び込んでいく。
「あ、ちょっ……」
ドラクリアとマルが揃って女を制止しようとしたが、間に合う訳も無し。
「まァとめてイかせてやんよォ!!」
角力で言う所の、四股の予備動作か。女が大股かっ開いてその足を高く振り上げた。
すると、その足の脛に巻かれていた金製の甲掛に、異変が起きる。
「あれは――」
――雷、だと……?
あの金綺羅の甲掛から、眩しく迸る金色の雷電が吹き出している。
何だあれは……ドラクリアが使う妖術の類か?
それともあの甲掛の機能か?
駄目だ、この手の不思議には知識が無い、わからん。とにかく雷電が出た。
「ハッハァ!! 【雷射吐淵導】ォッ!!」
女が叫び、そして、雷電を纏った足を一直線、大地へと叩きつけた。
すると、雷電がさながら蜘蛛の子を散らす様に、地面を這って凄まじい速度で拡散していく。
一瞬だ。たった一度、四股を踏んだだけ。
その一撃が放出した無数の雷撃が、女の周囲にいた害獣共を次々に貫き、その身を焦がし、仕留めた。
雷撃に怖気付き、雷撃から逃れた者、雷撃に焼かれつつもどうにか助かった者達は一目散に山の奥へと逃げ去っていく。
「んんん……何匹か逃がしたかァ……ま、今日の飯分にゃあ充分相応。むしろ余りで干し肉も作れそうだから……良し!!」
「……貴様が……あの店主が言っていた少女、か」
色々と理解が追いつかぬ部分はあるが……まぁ、まず間違い無いだろう。
山に入った物騒な少女……こんなんがそう何体もいてたまるか。
ただ……
「ん? 何だァ、テメェ。河童か? 良い身体付きしてんな。そそるじゃあねェの。で、ァんだよ。俺に喧嘩でも売ってんのか? ァア?」
……仲間にするには、ちと厄介そうな気がしないでもないな……
「……別に、喧嘩は売っておらん」
何故そう思ったのかは知らんが、一応否定しておこう。
「少々ばかり、そちらに話が……」
「あッ、とォ。こォしている場合じゃあねェや。悪ィな河童。喧嘩してェ訳じゃあねェんならテメェは後回しだ。俺ァ今、忙しい」
…………………………。
「こっちを無視して、今さっき仕留めた連中の死骸を回収し始めたでござるニンね」
「ええ、それも鼻歌混じりで大分ご機嫌良さげです」
「……おい、貴様、少しで良いからこちらの話を聞け」
「ァーんだよ。喧嘩売ってる訳でもねェのに俺に構って欲しいのか? あァ、もしかしてサカってんのか? だとしたらまた悪ィが、俺ァ性的な事にゃあ疎いんでな。お相手ァできねェぞ」
「違う。貴様に話があるのだ」
「話ィ? 話ねェ……ほォほォ、つまりゃあアレか。俺の飯が食いてェって事だな?」
……何故そうなる?
酒でも浴びているのかこいつ。酒気は感じないが……
「積もるかどォかはともかく、話ってのァ食卓囲んでやんのが一番だろォ!? そォ言う事ならイイぜ! その頬肉ずっがんと落としてやらァ!!」
「いや、だからな……?」
「そうとくりゃあボサッとつっ立ってねェで猟果の回収手伝えよ! 美味ぇ肉料理を食わせてやるってんだ!!」
「あのな……別に食卓を囲む必要は無いし、なんなら拙者達は先程飯を済ませたばかり……」
「ぅ、美味い肉料理とな!?」
おい、何を反応しているんだこの満腹阿呆。
「手伝う……妾は手伝うぞ……もうこの腹は限界なれど『美味い肉料理』などと言う魅力しかない言葉を目の前に吊るされてはこうもなろぅぷ……」
荷の上でイモムシの如くもぞもぞと身をよじる事しかできん分際が何を……まったく。
……だが、この様子、まともに話を聞かせるのは困難に思える。
会話が成立しない訳ではないが、どうにもこの娘、自分の都合を絶対の最優先とする性質とみた。
この手合いは、適当に付き合って機会を伺いながら少しずつ話を進めるのが上策だろう。