表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

AIBW -Who are you?-

作者: 新畑 雨

初投稿です。もともと短編連作を考えており、連載の方にしようかと思ったのですが、定期的に書き上げる自信がなかったので、こちらにしました。

稚拙な文章ですが、楽しんでいただけたら幸いです。

「人って本当に色んな願いを持っているのよね。なんだか、面白いわ」

もう日付は変わった頃、繁華街から少し外れたところにある、廃ビルの屋上に、1人の少女が佇んでいた。佇む彼女は雨が降っているわけでもないのに、奇妙な柄の傘をさしており、真っ黒なゴシックドレスに身を包み、クスクスと笑っていた。右の綺麗な頬には、これまた真っ黒な星型のマークが1つある。

「アリスも十分変わり者ではあるけどね」

どこから声がしたのだろうか。アリス、そう彼女のことを呼んだ声の主の姿は見えない。

「うるさいわね。あなた、人前じゃないからって勝手に私に話しかけるんじゃないわよ」

彼女は自分の持っている傘を向いて、そう言った。

「だいたい傘のくせに喋るあなたに言われたくないわ」

どうやら彼女に話しかけたのは彼女がさしている奇妙な傘のようである。傘の取っ手部分がカボチャのマスコットとなっており、そこから声が発せられているようだ。

「今は周りに誰もいないし、別にいいじゃないか」

「口答えしないの!私が良いって言うときしか喋っちゃダメなの、いいわね?

「はいはい」

と、なおざりな声でその傘が返事をする。

「それじゃあ、次の仕事先に行きましょうか」

「………。」

「そこは返事するのよ!」

「もう無茶苦茶だよ……」

そう傘が呟いたのを最後に彼女はビルの屋上から飛び降りた。地上からは落ちた音も悲鳴もなかった。彼女が飛び降りた先にはコンクリートで出来た歩道と誰かが捨てた錆び付いた自転車だけ。彼女と奇妙な傘は夜の闇へと、忽然と姿を消したのだった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


薄い雲が月の光を遮り、消えかかった街灯のチカチカとした光だけが男の歩く道を照らしていた。

歩く男の名前は神谷 (すぐる)。名は体を表すように、彼もまた優秀な人物であった。おととし大学院を出た後、そのまま彼の専攻である生物学の研究職に就いた。ついひと月前に発表した論文が、世界的に権威のある専門誌に掲載され一躍話題になったのは、記憶にも新しい。


そんな聞くからに順調な人生を送っている彼だったが、街灯に照らされている顔はなぜだか夜空と同じように曇り模様であった。

「日本の将来は君の手にかかってるかあ…」

暗い夜道を歩きながら、彼は1人呟く。

おそらく先ほど、どこぞのお偉いさんに言われただろう台詞を反復した。


彼は元来、人に期待されるのが苦手であった。しかし、現実はその反対で、彼の人生は、期待に応える日々の連続であった。両親の期待、友達の期待、恋人の期待、周りの期待、それらに応えることが今の彼を作ったと言っても過言ではない。

今の仕事に就いたのも、そうしたことの結果に過ぎなかった。

「鬱陶しいんだよ、そういうの」

彼はそうした期待を常に疎ましく思っていた。

それでも応え続けたのは、彼の優しさよるものではない。彼のプライドによるものだった。


彼は、人よりも能力があって、人よりもプライドが高かった。ある意味では、それだけの人間でしかない。

そんなプライドの高い完璧主義の彼の誇りが傷つけられた事件が起きた。


大した話ではない。大学時代から付き合っていた彼女に別れを告げられたのだ。美麗で聡明で彼に相応しい女だった。だが、それは彼の立場からの話。彼女からしたら、いくら優秀な彼氏を持ったとしても、相手が多忙極まる中だとしても、ひと月連絡がまともにつかないとなってはそういう決断をしてもおかしくない。


「今の私たちって付き合っている意味ないよね」

それが別れの言葉だった。


「なんだよ、周りの奴らは期待だけかけておいて、こっちの期待に応えようともしない。おかしいだろう」

小さな声とはいえ、確かな怒りが感じられる。

どうやら彼は少し酔っ払っているようだった。アルコールのせいで、少し理性のタガが外れかかっていたのだ。

「大学のときからわかってただろ、こうなることはさ」

今はただの他人となってしまった元彼女への愚痴をこぼす。

それでも、彼は自分の中にも非があることを自覚しているようだった。彼女に対して、彼が使った時間はどれほどあっただろうか。思い出そうとも思わない。

1日24時間。それは才能豊かである彼だとしても変わらない。時間は誰に対しても平等に存在しているのだ。


「俺がもう1人いりゃいいのに」

そんな夢物語を呟くほどに、彼は疲れていた。



「その願い叶えてあげる」

突然どこからか女の声が聞こえた。しかし、あたりに人影はない。

「……誰だ?どこにいる?」

少し怒鳴り交じりに、優は聞いた。

「目の前にいるわ。あなたの目の前にね。まだあなたには見えてないだけ。そうね、1度ゆっくり目をつぶりなさい」

女の声に従い、目を瞑る優。

(飲み過ぎたか?もしかして、もう酔い潰れて、俺は夢の中に…)

そんなことを考える優に

「5秒数えるから、そうしてから目を開けなさい」

そう言って、声の主はカウントを始めた。


カウントが終わると同時に、言われた通り優は目を開いた。すると先ほどまでいなかった少女の姿がそこにはあった。

「なんだ、お前は…⁉︎…ってかガキじゃないか」

声のトーンから自分と同じくらいの年頃かと思っていたが、目の前に現れたのは、上等な黒のドレスをまとったとはいえ、中学生ほどの少女だった。手には奇妙な柄の傘を持っており、右頬には黒い星のマークが1つ。大きな赤色のリボンが乗っかっている。

確かに可愛らしい少女であったが、優にとっては彼女はふざけているとしか感じられなかった。


「ガキとはなによ。失礼だわ」

少女は一拍置いてから

「今見えてる私の姿はあなたが見たいと思ってる姿に過ぎないわ。私は見る人によって、容姿が変わるのよ。…あなた、案外そういう趣味なのかもね」

と言って、笑みを浮かべる。

「はあ?お前なに言ってんの?」

「人は見たいようにしか物事を見ない。そう言ってるのよ、おバカさん」

この言葉に優は堪忍袋が切れたようだった。

「おい、お前どこのガキだか知らないが、これ以上ふざけたら、ただじゃおかねぇぞ」

そう言って、持っていたカバンを振り上げた。


「それくらいにしときなよ、アリス」

またどこからか別の声が聞こえて、優は振り上げたカバンを止める。

「おい、今度は誰だ。悪ふざけがすぎるぞ」

「ごめん、ごめん。そんなつもりはなかったんだ。君がこのままアリスを叩いちゃうと色々面倒になりそうだからね。ちょっと話に割り込ませてもらったよ。こっちも仕事はきちんとこなさないといけないからね」

会話に割り込んできた声の元を辿ると、そこはアリスと呼ばれた少女が持っている傘であった。正確には、その取っ手となっているカボチャのマスコット。


「傘が…喋ってる…」

目の前の光景が信じられない様子で、優は二、三歩下がってから、地面に尻もちをついた。

「だから、言ったでしょ。私がいいって言うまで喋るなって。怖がらせちゃったじゃないよ」

傘に向かって、喋りかける少女。

「でも、僕が割り込まなかったら、アリスもっと怖がらせることしたでしょう?」

それに応えるカボチャの傘。

その異様な光景を見ていた優は、これが夢であると思い込んだ。そして、早く目がさめることを願った。現実逃避ならぬ夢逃避。

「そんなことないわよ。私、案外寛大なのよ。殺しはしないわ」

「…どこが寛大なんだい?ハンムラビ法典もびっくりだよ。まったく、アリス。これは慈善活動じゃないんだよ?君の仕事なんだ。しっかりしてくれないと困るのは、君なんだよ」

傘に叱られる少女。異様な光景ではあるが、どこか微笑ましい。

しかし、優は動揺して、その会話が耳に入っていないようだった。

「ねぇ、いつまでそこで座ってるの?」

急に話を自分に向けられて驚いたのか、優は「ひっ」と変な声を出してしまった。

「あぁ、ほら面倒なことになった。これじゃあ、上手くいくかわからないわよ?」

「まぁ、僕らの仕事は彼の願いを叶えることだからね。それからのことは彼次第だ。僕らには関係ない」

「あなたのそういうところ、私好きじゃないわ」

「僕は結構好きだけどね」

アリスと呼ばれている少女は一息ついてから

「今から、あなたの願いを叶えます。願いは、もう1人の自分が欲しい。それでいいですね?」

と、いかにも形だけの敬語で優にそう聞いた。

返事を聞く前に、彼女は持っていた傘を前に突き出し、それを開いた。

すると、姿見が傘の中から出現した。


「これは、パルテナの鏡といって、映した物をもう一つ出現させることができる代物よ。でも、ただレプリカを作るだけじゃないの。本物が傷ついてしまったり、壊れてしまったら、レプリカも同じ状態になってしまうの。その逆も然り」


「……それって不良品じゃ?」

ようやく言葉を発せられるようになった優が、アリスに聞く。

「そうなの。物に使うには不適切なのよね。ただし、人に使ったときは別。同じ人がもう1人出現するの。これだけで十分なのに、なんとレプリカは本物と同じように成長するし、本物の記憶を共有するようになるの。本物のあなたもそのレプリカの記憶をもちろん共有できるわ。他人には見分けがつかないでしょうね」

そこでアリスは一息つく。それは何か言葉を飲み込んだようにも見える。

「制限と言えば、この姿見に映るものしか出現させることはできないことだけど、今のあなたには関係ないわね。はじめは気持ち悪いかもしれないけど、じきに慣れるわ。何か質問は?」

優は首を横に振る。


「良かったね、意外にスムーズに事が進んだじゃないか」

「あなたが喋り出さなければ、より良かったのだけれどね」

そう言ってから、アリスは優しそうな笑みを浮かべ、座り込んでる優に手を差し伸べた。

「ど、どうも」

その手をとった優は、強烈な力で引っ張られて、有無も言わせず、姿見に映ったスーツ姿の自分と対面することになった。

「じゃあ、新しい世界にいってらっしゃい」

アリスがそう言うのと同時に、優は意識を失った。



優が目を覚ますとそこは自宅の寝室であった。

「なんだ…やっぱり夢か」

そう言って、額に浮かぶ汗を拭う。

「って、スーツのままで寝てんじゃんかよ…。絶対シワになるよ、これ」

安心したと思いきや、すぐに落胆する優。

急いでスーツを脱ぐべく、立ち上がろうとした優は

軽い頭痛を感じた。おそらく昨夜のアルコールのせいだろうと、彼はスーツから部屋着に着替えて、水でも飲もうかとキッチンに向かった。


「やっと起きたか。遅いぞ?」

そう言ったのは、当然、優ではない。と、断言するのも適切ではないかもしれない。「それ」は、顔や体型といったものから、寝癖まで優と瓜二つのもう1人の優だったからだ。異なるのは、彼はまだシワのついたスーツのままであるということだけ。

「えっ?お前……どういうことだよ?」

まだ夢を見ているのかと、頭を二、三度振る優。

「いや、君でしょ?俺を作ったのは」

そう言う優のレプリカは本物よりも、冷静のようである。

「君は昨日、あの少女に会った。それで俺を作ったんだ。君が気を失った瞬間、俺も気を失って、気付いたらここにいた。俺の方が少し早く起きたみたいだけど。ここまでオッケー?」

そう聞かれて、優は頷く。

「これこそまさに自問自答だね」

そう言ってふふふと笑う自分の姿を見ても、優はまだ現状が呑み込めていなかった。

「ほら、とりあえず水でも飲んでさ」

そう言ってもう一人の優は、コップに水を注いで、それを優に手渡した。

 手に持ったそれを、一口飲むと、優も少し冷静さを取り戻したようだった。

「なあ、これは夢じゃないんだよな?」

「そうだよ。昨夜のことも全部本当だのことだ」

もう一人の優はそう言ってから、リビングのソファに座った。

 少しの間があったあと、レプリカの優の方が

「でも、本当、不思議だよね?」

「…不思議だって?不思議どころの話じゃない。お前、俺が2人いるんだぞ。世界の科学者が束になっても不可能だったクローン技術が、完成してるんだ。あのガキは一体何者なんだって話だよ」

「いやいやそういうことじゃないよ。確かにそれは不思議なことだ。彼女がやったことは世の中の理を逸脱している。でも、俺が言いたいのはそういうことじゃない」

「じゃあ、なんだって言うんだ?

「彼女はあの鏡の効果を何て言ったか覚えてる?」

優は昨夜のことを思い返そうとするが、頭痛がそれを邪魔する。

「全く同じものを出現させるだけじゃなくて、同じように成長して、同じ記憶を共有するようになるって言ったんだ。物の場合は、片方が壊れたら、もう片方も壊れるってそう言った」

「確かに…そうだった気がするけど…」

「でも、現状は少し違う。確かに同じ人間が2人存在してるけど、君より俺の方が早く目覚めたし、確かに俺も頭痛を感じてるけど、君ほど酷く感じてはない」

レプリカの優は続けてこう言った。

「今だって、昨日の記憶を思い返そうとしても、俺の方がより鮮明に思い返すことができるし、こうした思考も今の状態なら、俺の方が優れているように思える」

「それは俺もこの状況に動揺しているからであって……。」

「そうまさにそれ。俺が言いたいことはそこなんだよ。片方の人間が何らかの状態であるとき、もう片方も同じ状態になる。君は、そう彼女に言われたはずなんだ。なのに君の動揺は俺には伝わらない。なぜなのか」

そう言って、あごに手をあてるもう一人の優。

「お前、この状況でそこに着目するのかよ……。もっとおかしいところがあるだろう。第一、心理的側面について考えるのなら、身体的側面についても考えなくてはいけないだろう。お前は座っているのに、俺はコップを持って立っている。それも説明できないじゃないか」

それを聞いて、うーんと頭を抱えたあと、レプリカの優は、

「これは、最初にどこまで効果が出るのか、調べる必要があるね。俺たち自身のことなんだし」

と、少し興奮気味に言っている。その様子はどこか楽しそうだ。そんな自分を見て、優はため息を一つ。それでも、そのため息は落胆のものではなかった。

現状を受け止めた合図のようなものである。

「…勝手に話を進めるんじゃねえよ。まず、お前にはやってもらうことがあるんだ。別に現象を研究してもらいたくて、願ったわけじゃないんだからよ」

その言葉を聞いて、幾分驚くレプリカ優。

「やってもらうことって?」

「そうだな…ひとまずそいつと俺の部屋にあるのを、クリーニングに出して来い」

「なるほど、そうなるのか」

と呟いてから、そそくさとクリーニングの支度をする自分の姿を見て、案外悪くないじゃないかと思う優であった。



それからしばらくして、彼らがわかったことはいくつかあった。

まず、記憶の整理、共有というのは彼らの睡眠時に行われるようだった。彼らが目覚めると、昨日の自らの行動とは別のものが、脳に記憶されている。これは、互いの行動を同時進行で認識してしまうと互いの脳が情報処理しきれないか、または他の何らかの悪影響が起こるためだ、と確かなことではないが、彼らの中では落ち着いたらしい。

それらに付属する事柄として、この現象そのものが彼らに悪影響を与えることはない、とも結論付けた。つまり、2人同じ人間が存在することだけ、またそれらが密接に関係し合うだけでは、彼らに何か害をもたらす事はないということである。例えば、情報過多や計算処理などの脳の問題から、ストレスや疲労などの心身の問題が今までの倍になるなどということはないということだ。

もちろん、2人同じ人間が存在することが、他人にバレてしまったり、不可解に思われてしまうことに対する気苦労や身体的疲労はあるものの、それらはあくまでこの現象そのものではなく、その延長にあるものだと結論づけたわけだ。

それから、身体的損傷、つまり怪我や病気などについても彼らは調べた。自分の身体がモルモットなので、そこまで深く調べられたわけではなかったが、こちらの方は思考回路とは異なり、瞬間的に効果が出るようだった。片方の指の先に針を刺して、血を出すと、もう片方の指の先に同じような小さな穴ができ、そこから、血が流れ始める。これらはほぼ同時に起こるようだ。そのことがわかり次第、互いは怪我にいっそう気をつけるようになったのは、言うまでもない。

しかし、これらの研究を以ってしても、この現象そのものを解読する手がかりは見つからなかった。

「これじゃあ、ただの現状報告じゃねえか」

「まぁ、そうだね。報告する相手もいないけど」

「全然わからないもんだな。こんなんじゃ、天才生物学者の名が廃るってもんだ」

「そんなのは、はなからいらないんだけどね」


そして、2人は互いの自分の顔を見て、同時にニヤッとした。

「そろそろだよね?すぐる

「そろそろだな、ゆう

互いにそう呼び合うことを決めたのは、初めて対面した日の夜のことだ。自分のことをお前と呼ぶより、そちらの方が幾分抵抗感がなかったからである。おそらく、彼らは、目の前にいるのは、自分であって、自分ではないと思いたかったのだろう。


「まず何からしようかな?」

「それはもちろんあれからだろ」

彼の願い、今は彼らの願いは、それは当然、この現象の研究なんてものではなかったわけだ。あくまで自らを2人にして、自分の時間を倍にすることに。そうして、自分へかけられる期待に全て応えること。それが、彼らの願い。

「よし、じゃあさっそく……」

そう言って、優は携帯を取り出して、かつての彼女に電話をかけた。


結果から言えば、彼らの行動は上手くいった。

「付き合ってる意味がない」とまで言われた彼女とは、よりを戻し、それから毎日のようにメールのやり取りをして、週末になると、必ず旅行に出かけるようになった。

「こんなに遊んでて、あなた大丈夫なの?」

と彼女から心配されるほどだった。

「俺には優秀な右腕がいるからね」

すぐるはそう返すと、彼女は

「あなたがそんなに人を褒めるなんて珍しい。ぜひ会ってみたいわ」

そう言われたときには、優も変な汗をかいたものだ。右腕どころか全身なのだから、会わせられるわけがない。


その頃、研究室にいるゆうは、研究に没頭していた。元々、研究自体は嫌いではなかったが、超科学的なことが身に起きたことがきっかけで、彼にも今までとは違ったモチベーションが湧いたのだ。科学者という者は、他人からの期待より、未知との遭遇こそが必要なのだろう。むしろ、期待だけでやっていた今までの優が、凄いと称賛されるべきなのかもしれない。


職場が研究室ということもあり、人の出入りが少なく、ほぼ隔離された場所であったためか、彼らが2人存在していることに気づく人はいなかった。

また、彼女もそうした彼の不審な点に気づくことはできなかった。

そこは彼らが賢くおこなったということであろう。元々、多くの人との関わりを持つことがなかったので、それも功を奏した。


彼らが特に気を遣ったのは、両親とスケジュールである。前者については、取り越し苦労に終わったが、後者の方は、万が一があると最善を尽くして、事に当たった。

彼らの優れた点は、悪事にこの現象を利用しなかった事にある。これは道徳的な意味ではない。彼らがつつがなく生活を送るために必要なことだったのだ。

こうした努力の結果、彼らは無事に日々を過ごすことができた。


そんな彼らに転機が訪れた。

それは、あの少女に会った日から1年ほどたったある日のことだった。


「結婚…どうしようか?」

彼女の方から切り出した話だった。

すぐるにとって、それは突飛な話ではなかった。本来なら自分から話すべきだと思っていた。それでも、もう1人の存在のせいで、なかなか切り出せる問題ではなかった。

おそらく彼女も待っていたのだろう。しかし、待ち切ることができなかった。

ゆうが先日発表したクローン細胞についての論文が、またも世界的ニュースになったのだ。今度は、生物学界だけではない。日本中が湧いているのだ。世間では新聞やテレビが日夜そのニュースを報じている。その世紀の大発見の報道を見ることが、彼女の気持ちを急がせたのかもしれない。

「今は忙しいから、落ち着いてからにしないか?」

そう言おうとしたが、優は口をつぐむ。

実際、ここ最近、彼は彼女に会うことを控えていた。こうした発表の際に、彼女と会ってばかりいたら、何かしら勘付かれかねないからだ。

(もし今、口に含んだ言葉を出しても、問題はないだろう。でも、ただそれは先延ばししてるにすぎないじゃないか。今の状態を続けることはできないんだ。いつかはこうなるんだ)

何かを決心した優は、目の前にいる好きな人に対して

「                」

と言った。


自宅に帰った優を迎える顔は、自分のものだった。

「なんだ、もう帰ってたのか?」

「まぁね、今はひと段落したところだし。」

「そうか?一昨日なんか大変だったじゃないか?カメラたくさん向けられてさ」

「あはははは。あれは確かにね。でもさ、フラッシュとか考えて欲しいもんだよ」

「………」

「やっと皆の期待に自分が追いついた気がするよね」

「………」

(ここで、こいつにさっきのことを伝えなくても、寝ちまえばどうせわかるんだ。なら、今言った方がいいに決まってる!)

「どうしたんだよ?急に黙ってさ。何かあった?」

「結婚…することになった」

それを聞いて、もう1人の自分の顔は喜びと不安が混じったようなものに変わった。

「へ、へぇ?そうなんだ…」

「うん……」

「ってことは同棲になるんだよね?」

「まぁ、そうなるよな。普通は」

「どうするの?俺たち?」

この質問にすぐに答えられるすぐるではなかった。

少しの間があってから

「もう一度あの子に会うしかないね」

「えっ?」

優は、別居したときにどうなるか、互いが全く違う生活をしていたら悪影響が出るのでは、など全く別のことを考えていた。

「だって、そうでしょ?それが1番いいよ。上手くいけば、1人に戻れるかもしれないし」

「そんなに上手くいくわけないだろ?」

「上手くいかなくたってさ、何か手掛かりは見つかるかもしれないし」

「でも、どうやって会うんだ?あいつのことなんか何も知らないぞ?」

「思い出してみて。あの子は、言ってたよ。見えているようにしか見えないって。これって、もしかしてさ」

「俺が見えてると思えば、あいつが現れるのか?」

「最初に会ったとき、あの子のことは見えてなかった。その後、あの子がカウントして、初めて現れたんだ。あれは一つの暗示だったんじゃないかな?」

「あいつがそこにいると認識するためのか?」

「そう」

それは、自分の言ってることとはいえ、なかなか信じられる理論ではなかった。

「でも、やってみる価値はあるんじゃないかな?」

「…まぁ落ち着けよ。明日結婚するわけじゃないんだ。もう少しやり方を考えてもいいんじゃないか?」

自分でも驚くことに、優はもう1人の自分に対して、少なからず愛着が湧いていた。

「いや、俺が嫌なんだ。もう1人の自分が、好きな相手にプロポーズした記憶なんて知りたくないんだ。お前にもわかるだろ?」

そう言うと、早く行ってこいよといった風にゆう、同じ容姿の自分に車の鍵を放り投げた。

「こういうのは、雰囲気が大切なんだ。同じ場所、同じ時間の方がいい」

「わかった。でも、お前は行かなくていいのか?」

「それは俺にもわからないよ。でも、まぁ必要になったら呼んでくれればいいから」

「一緒に…行けないのか?」

「うるさいな、俺にも悲しむ時間くらいくれてもいいだろ?」

彼の内心はわからなかった。これから消えるかもしれない悲しみなのか、それとも、彼女にプロポーズできなかったことによるものなのか。それはすぐるにはわからなかった。

最後に

「上手くいくかわからないけどさ…今までありがとうな」

そう言い残して、家を出た。このとき優には、もう1人の自分に会うことはこれで最後なんだという確信が、不思議とあった。



時刻も場所も同じ。それでも、あの夜とは異なり、今夜は綺麗な満月が顔を出している。

優は一息ついてから、少女の姿を思い出す。

あの黒色のドレスと印象的な赤のリボン、頬の星のマーク、それから奇妙な喋る傘。それらを鮮明に思い出した後、目をつぶり、彼女がやったように5秒数える。

「ガキ、そこにいるなら出てくるんだ」

そう言って、目をゆっくり開く。


「別にそんなことしなくても、私はすぐそばにいるのに」

そう言って、くすくすと笑うのはあの夜会った少女だった。黒色のドレス、頬の星のマークと奇妙な傘、違うところはリボンの色が白に変わっているところだけ。

「でも、ガキ呼ばわりは気に食わないわね。あなたは、願いを叶えてもらう側なのに…」

「まぁまぁ、アリス落ち着いて」

案の定、傘が少女に話しかけている。


今度はわかってる分、尻込みせずに堂々とした様子で、優は彼女に頼む。

「事情が変わったんだ。俺らを1人に戻してくれ」

「ふふん、好き勝手な人ね。別に私は構わないけど」

「そうだね、もう十分サンプルはとれたし」

その言葉を聞いて安堵する優。

「本当か?どうするんだ?もう1人は呼んだ方がいいのか?」

「別にあなたがやることは特にないわ。もう1人も呼ばなくていい。こっちでやるから。ただ……」

「ただ、なんだよ?」

そして、一拍おいてから、アリスは言った。

「あなた、本物なの?」

「は?」

と、優は、間の抜けた声をあげる。

「だから、私が最初に会ったのはあなたなの?って聞いてるの。〇〇の鏡から出てきた方じゃないの?」

「いや…だって、俺は俺だって。そのくらいわかる…」

優の声はだんだんとしりつぼんでいく。

「それならいいけど。容姿も記憶も同じなのに、よくそれがわかるわね?」

「俺たちは互いに呼び方を変えていた。わからなくなるはずがないだろ?」

「でも、それって本当に確かなものなのかしら?昨日の記憶がどちらの記憶なのかって?だって(ゆう)と(すぐる)の両方の記憶があるわけでしょ。自分の記憶がどちらのものなのか、って本当にわかるのかしら?」

「………」

アリスの言葉に沈黙する優。

「あら、ごめんなさい、ただの好奇心だから。気にしないで。あなたがそう言うなら、私は何も言わないから。じゃあ、ここにいない方を消せばいいのね」

「ちょっと待て」

そう言って、優はアリスを制止させた。

(本物の俺が消える…かもしれないってことか。でも、俺が本物で。そうだ、あっちも俺が本物だと思ってるはずだ。だから、ここに来させたんじゃ?…いやでも、同じ記憶を持っているのに、その判断はおかしいんじゃないか)

思考を繰り返せば、繰り返すほど空回りするようで、優の額には、夜にも関わらず大量の汗が流れている。

(昨日の記憶は?あれは俺のだ。じゃあ、一昨日のは?鎌倉に行ったのは?論文を仕上げたのは?じゃあ、俺は本物の方か?それとも…)

疑問が疑問を呼び、答えのわからないものばかりが山積し、ついに優は精神が崩壊したのか

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ ……‼︎‼︎」

と、断末魔の叫びのような声をあげた。


その声を聞いた傘のカボチャは

「もう許してあげなよ、アリス。本当はわかってるんでしょ?」

「うふふふ。ごめんなさい。ちょっとふざけ過ぎたかもしれないわ。大丈夫、あなたが本物よ、すぐるくん。安心して」

その言葉を聞いた優は、安堵とともに色んな感情が溢れ出して、膝から崩れ落ちた。

「こんなことになるとはね。またいいサンプルがとれたね」

「ごめんなさいね。まぁ、ガキ呼ばわりした罰ということで」

その声に顔をあげた優に対して、

「おかえりなさい」

アリスはそう言って、微笑みかけた。

その少女の笑顔が優にとって、この摩訶不思議な体験の最後の記憶となった。


月も出ていない真っ暗な夜、住宅街の一画にある公園のベンチに1人の少女が腰掛けていた。ほとんどの家の電気は消えており、住民は各々の夢を見ていた。公園のライトだけが、彼女と腰掛けたベンチを照らしていた。

「そういえばさ、アリス、君はあの男に嘘ついたよね?」

その声の主は夜の闇に消えているのか、あたりに人影は見えない。

「またあなたは私の許可なしに…」

「だって…周りに人がいないわけだし…」

そう言い訳しているのは、ベンチに立てかけている傘についているカボチャであった。どうりで人影がないわけである。

「まぁいいわ。今夜は気分がいいの。特別に許してあげる」

「やったー」

無感動な声をあげる奇妙な傘。

「私が嘘をついたって?何のことかしら?」

「ほら、最初にあの男に会ったとき、人間は見たいものしか見ないって」

「あら、それは嘘ではないでしょう?」

「いやそこじゃなくて、『今見えてる私の姿はあなたが見たいと思ってる姿に過ぎないわ。私は見る人によって、容姿が変わるのよ。』とかなんとかって。あれ、嘘じゃないか。君は彼が見たまんまの少女体型なんだから」

「あれは、あのとき彼がガキ呼ばわりしたから…」

「しまいにはロリコン扱いしてたし」

「………あんまり過去のことにとらわれないほうがいいわよ」

そう言って、会話を終わらせようと、アリスは立ち上がった。

 そんな彼女に、奇妙な傘は思い出したかのように尋ねる。

「でも、よく本物のほうがわかったね」

「あら?あなたわかってなかったの?あなたの方が聞いてきたから、てっきりわかってるものだと思ってたわ」

「あのときはこのままじゃ仕事が終わらないなと思ったから、とっさにね。本当にわかってるとは思ってなかったから、アリスを少し見直したよ」

 そう言われて、少し照れた少女は、一拍おいてから

「それで、どうしてわかったかって?なに単純な推理よ、ワトソン君。彼は私をガキ呼ばわりしていたけど、ゆうと呼ばれていた方は確か、私のことを彼女とかあの子って呼んでたの。それで、ピンときたわね」

アリスはふふんと胸を張って、自慢の推理を披露する。

「えっと…それだけ?」

「それだけよ」

それを聞いて、奇妙な傘は呆れ果てる。

「アリス。忘れているかもしれないけど、レプリカの方は最初、本物の方を君って呼んでたけど、最後の方はお前って呼んでたんだよ」

「それがどうかしたの?」

「……まだわからないの?彼らが誰かを呼ぶ時に呼称が変わるのは、別に人格の問題じゃない。言ってしまえば気分だったり、冷静さとかそういう部分に起因しているんだと思う。君だって、同じ相手でも、彼って呼んだり、あいつって呼んだりするでしょう」

何も言い返せないアリスに続けて、傘は言う。

「第一、あのパルテナの鏡は、君も説明していたとおり、互いを同じ状態のままにするんだ。新しい人格を作るわけじゃないんだ」

「……もう終わったことよ。この話はもう終わり。仕事も終わったんだから。もういいでしょ?そもそも、自分が自分であることを証明できなくてどうするのよ?別に本物だろうが、偽物だろうが、彼は彼なのよ。それでいいじゃない」

自分が劣勢になると見るや話を終わらせようとするアリス。

「……君ってたまに良いこと言うから怖いね。まぁ、僕も彼のことなんか興味ないから別にいいけど」

「あら、あなたのそういうところ嫌いじゃないわ」

「………」

そう言って、アリスは立ち上がり、その奇妙な傘と共に夜の街へと消えていった。






「ねぇ、優くん。なんだかこの頃、少し優しくなったような気がするの。結婚するからってそんなに変わることないのに…。もしかして、他に何かあったの?」

彼女からそう聞かれた優が、今回の話をするのはずっと先のことである。

時間を割いていただきありがとうございました。

次の話のアイデアもいくつかありますので、投稿した際には、読んでいただけたら嬉しいです。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ