男の娘な兄と普通の弟なお話
「お待たせしたね」
もうすぐ夏に差し掛かろうとしているとある休日。
駅前の広場で「その人物」が現れるのを待っていた俺に声をかける人物。
女性にしてはやや短めだが艶のある黒髪に、ぱっちりとした瞳。うっすらと施された化粧が素材のよさをより引き立てているのがわかる。
服装は白のワンピースで、いかにも清純そうな見た目にマッチしている。
美少女と評するに相応しいその人物の唇から紡がれるソプラノボイスが続けて発せられた。
「いやぁ、シュウ君とこうしてデートするだなんて、今更ながら緊張してきたよ」
いかにも嬉しそうなその言葉に俺はこう答える。
「まったく、兄弟同士でなにがデートだよ…フミ兄」
そう。俺、鈴木修也は、これから俺の実の兄こと鈴木文也とデートするはめになったのである。
ことの始まりは今から一ヶ月前だった。
フミ兄から借りていた本を返そうとフミ兄の部屋の扉を開けた俺だが、そこに兄の姿はなかった。
「ん、トイレかな?まぁいいか。机の上にでも置こうっと」
俺とフミ兄の間では黙って部屋に入って借りていたものを返すのはそう珍しくない。
そうして部屋に入った俺の視界には、何故か開けっぱなしのクローゼットがあった。
閉め忘れたのかと思ってクローゼットに近付いた俺の目の前には、予想だにしていないものが映った。
「え…!?」
そこに入っていたものは、明らかに女物と思われる服の数々。
数々のスカートやらワンピース。
どこから用意したのかうちの高校の女子制服まである始末。
「見ちゃったな…?」
言葉を失って立ち尽くしていた俺の背後から、聞き慣れた声が聞こえる。
男とは思えない高い声に振り向くと、そこに立っていたのは…
2つ下の弟より頭ひとつ分以上背の低い、高校三年になっても童顔だと言われる俺の兄…鈴木文也がそこにいた
「あ、これは、その…」
秘密を知られたのはフミ兄の方だというのに何故かこっちのほうが慌ててしまう。
そんな俺にフミ兄はふっ、と微笑むと、こう切り出した
「知られたからにはしょうがない。そうさ、それが僕の秘密の趣味…ってやつさ」
それからというもの、何故か俺には兄の女装姿を評価する…という役目が与えられた。
「たとえばシュウが父さんと母さんにこのことを言ったとすればどうなると思う?きっと厳格な父さんのことだ。きっと母さんやシュウも巻き込んでの大喧嘩…
家族は引き離され、一家離散の憂き目にあったのであったとさ…ね?そんなことになるよりは、秘密にしておいた方がいいとは思わない?」
そう思うのなら女装なんてしなければいい、とは言えず、フミ兄の女装趣味はふたりの秘密となった。
そしていつの間にかフミ兄は俺に対して「どうかな?女の子に見えるかい?」なんて聞いてくるようになっていた。
しかし「女の子に見える?」なんて聞かれても…正直、フミ兄は元から童顔だが整った顔立ちをしており、それが女の子の格好をして化粧までするとなると…正直、女にしか見えない。
だから俺も毎回「ああ、どこからどう見ても女の子だよ」としか言いようがない。
女のファッションの知識を持っていればもっと気の効いたことも言えるんだが、あいにく俺にそんなものはない。
「まったく、いつもそれじゃないか。ちゃんと見てるのかい?」
ちゃんと見ても完璧な女の子にしか見えないフミ兄が悪い…とも言えず、いつも同じ答えしかしていないことに俺自信も少しだけ申し訳ないと思って、「ごめん、気の効いたこと言えなくて。俺も悪いと思ってるよ」と言うと、フミ兄はふっ、と微笑んだ。
…あ、これマズイやつだな
「ふむ、悪いと思ってるのか…じゃあひとつ、お詫びにひとつ言うこと聞いてもらおうかな」
そうして話は冒頭に戻る。
ちなみに同じ家に住んでいるのに待ち合わせなんてしたのは、その方がデートっぽいからと、女の支度は時間がかかるから先に待ってて…だそうだ
「フミ兄って言うのはやめてくれ。今の私はシュウ君の彼女の文音。そういうことにしてくれ」
「誰がシュウ君だ!まったく…」
「はっはっは、まぁいいじゃないか。さて、それでは行くとしようか。
本来ならエスコートは彼氏の役目と言いたいところだがこれまで彼女のいなかった我が恋人のために私がリードしてやるとしよう」
「彼女のいなかったって…」
「ん、いたのか?」
「いえ…いませんでした…」
「そうだろう?君は昔から人付き合いが下手な男だったからなぁ。嘘をつくのも下手で正直すぎるし…
だが安心したまえ、私も彼氏ができたのは初めてだ」
むしろ彼氏がいた方が驚きだ。
ていうか勝手に恋人同士にしてるがこれは一回限りのデートもどきじゃないのか…と問い詰めるのも虚しい俺は、フミ兄…今は俺の彼女を名乗る文音…の後をついて歩き出した。
「この店のクレープは巷で人気だそうだ。どれ、ここは年上の彼女として奢ってやろうじゃないか」
「どうだ、似合うかい?いやぁ、それにしてもこうして一緒に服を買うというのは楽しいものだな。いつもは通販で購入しているから…」
「いい映画だったなぁ。主人公とヒロインの再開のシーンなんて思わず泣きそうになったほどだよ」
買い物して、一緒に映画を見て…まるで普通の恋人同士のデートのように過ごしているうちに、俺もだんだんその気になって…いやいかんいかん、ここにいるのは実の兄だぞ。確かにどう見ても可愛い女の子だけど…
それにしても…
「さっきからなんていうか…視線を感じるな」
そうなのだ。
最初は気にも留めてなかったのだが、道行く人々から視線を感じる。
なんていうか、それこそ…
「それはそうだろう。こんな美男美女のカップルなんてそうそうお目にかかれないぞ?」
「なっ、美男、美女って…ていうか美女とか自分で言うな!」
「私は自分の事を客観的に見れるのでな。それに、シュウ君だって十分イケメンだと思うぞ?」
「それは無いだろ。だいたいフミ…文音だってさっき俺に彼女いなかっただろって言ったじゃないか」
「そんなことはないさ。現に私のクラスでもシュウ君のことを狙ってるって子は結構いるんだぞ?」
「えっ…」
「それに私も、こんなかっこいい彼氏とデートしていて…ドキドキしているんだぞ?」
「は?」
いやいや、あんたは男だろうが。
おい、何顔を赤らめているんだ。そんな顔をしてるとまるで恋する乙女そのものじゃないか…
「シュウ君」
「……」
「今こそ言おう。私は…」
やめろ
「私は君のことが好きだ」
やめてくれ
「愛してるんだ。家族としてじゃない。私は…」
「やめて…くれ…」
声が、出てしまった。
それを聞いて彼女は…彼は…はっ、とした顔をして、すぐに俯く
「そう、だよな…何を言ってるんだろうな。私は…僕はシュウ君の…シュウの兄で…男なのに」
そう言って、その人は走り去って行った。
「待ってくれ!文…」
そこで言葉は止まる。
俺が呼びかけたいのは、フミ兄なのか?それとも、文音の方なのか?
自分への問いに答えを出せないうちに、その人は俺の視界から消えていた。
探しながら、俺は考える。
今日のデートの間、『文音』は本当に楽しそうに笑っていた。
でも笑っていたのは『文音』だけじゃない。俺もまた、いつの間にか彼女とのデートを心から楽しんでいたんだ。
あんなに楽しい時を過ごしたのは、俺の人生の中でも初めてじゃないだろうか?
それぐらいに、俺もデートを楽しいと思っていたんだ。
いや、今日だけじゃない。昔から俺はフミ兄に振り回されてばかりだったけど、そんな兄と過ごす時間が、俺は楽しかったんだ。
フミ兄に女装趣味があるって知った時は驚いたけど、フミ兄の女装姿を見てる時…
俺がいつも同じような受け答えしかできなかったのは、単に女のファッションの服の知識が無かったからじゃない。
俺は……
ああ、くそ!
そうさ、見惚れてたんだ。あんまりにも俺の好みにハマっていたフミ兄に言葉を失ってただけだ!
俺も、俺もフミ兄のことを、家族として以上に…
そうして考えているうちに辿り着いたのは、家の近くの公園。
昔はよくここでフミ兄と遊んでたっけな…
「……よくここがわかったな」
腰かけていたブランコから立ち上がった女の子が、俺に語りかける
「ああ。凄いよな、GPSって。」
「全く…ロマンの無い男だな。君は」
「携帯のGPS機能だって位置情報の送信拒否はできるんだけどなぁ…普段はオフにしてる機能を入れたのは誰だ?」
「ふふっ…そうだったな」
しばらくの間、沈黙が流れる。
1分か、10分か。いや1時間は経ったかもしれないと錯覚するぐらいの間、お互いに何も言えない空間。
最初に言葉を出したのは
「なぁ、さっきのことだが…忘れ「文音」っ」
「俺も文音のこと、好きだ。家族としてじゃなくて、だ」
「シュウ…」
「同情なんかじゃない。ここに来るまで、ずっと考えてた。俺がフミ兄のこと、文音のこと、どう思ってるのか」
そう言って俺は、彼女のもとに歩み寄り、抱きしめる。
ああもう、柔らかいなぁ…ほんとに男なのかと疑いたくなる
「わかってるよ、同情じゃないってね。君は昔から…嘘がつけない正直者だったからな」
「文音…」
「これからもよろしくな。私の愛しい恋人、シュウ君」
ふたりで抱きしめあった時間は、今日のどんな時間よりも長くて、どんな時間よりも満たされていた。
少なくとも俺は、そんな風に感じた。
後日談
「ただいまー…」
「あら、お帰りなさい」
俺は一足先に家に帰ることになった。
女装姿の文音とふたりきりで帰るところなんて母さんが見たら卒倒ものだ。
なので、俺が先に帰って母さんの気を引いてるうちに、文音はこっそりと家に入って着替える。そういう手筈になっていた。
ちなみに父さんはこの時間、まだ帰ってこない。今日は休日だというのに…いつもありがとう、父さん。
そしてごめんなさい。あなたの息子たちは今日から恋人同士になりました
だが
「ただいまー」
「へ?」
「フミもお帰りなさい。どう?シュウとのデートは楽しかった?」
「うん、最高だった。聞いてよ母さん、僕たち正式に付き合う事になったんだよ」
「あらあら、それはめでたいわねぇ」
「いやいやいや!」
え?なに、ちょっと待て。なにこれ?
「どういうことだよ!何!?母さん知ってたのか!?フミ兄の趣味も、その、きょ、今日のデートのことも!」
「当たり前じゃない。お父さんも知ってるんだから。今まで知らなかったのはシュウ、あなただけよ」
「はあああああああああ!?いや、父さんもって、あの父さんが認めるわけが…」
「そりゃあ最初に見た時は驚いてたけど、すぐに『可愛いから許す!』って言ってたのよ」
「そうそう、あの時は面白かったよねぇ」
俺の中で父さんの厳格なイメージがガラガラと音を立てて崩れていく。
「シュウ君」
「へ?」
「これで家族公認だよ。絶対、逃がさないから…ね?」
ああ
俺はこの兄から…愛しい恋人から、逃げることはできないらしい