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ファンタジィ論  作者: 八雲 辰毘古
8/11

七、和製ファンタジーの西洋崇拝と、ゲーム・ファンタジーに就て。

 吾々が「ファンタジー」と云う言葉を聞いたとき、大抵は「剣と魔法(Sword and Sorcery)」を聯想(れんそう)する。そして次に(ドラゴン)妖精(エルフ)などが居る中世ヨーロッパ的な世界観が現れ、国籍不明な(少なくともカタカナで作られた)名前の人物が街の通りを行き交い、伝説の武器を握った勇者と、悪の権化たる魔王が最終決戦するようなものを想像するかも知れない。少なくとも吾々は(実際はそうであるにも(かかわ)らず)『うつほ物語』や『南総里見八犬伝』、或は『西遊記』や『水滸伝』の雄大なる構想を指してファンタジーとはそう言わない。

 鈴木光司氏は或新人賞の選考で「そもそも小説はすべてファンタジーである。判断基準は、あくまでも、優れた小説か、否かで、ジャンルに忠実か、否かではない。」と述べた。ファンタジーの本質は、矢張(やは)り自由奔放な想像力ではあるまいか。併し、多くの作者は、自縄自縛的なパターンとテンプレートに自らを()じ込ませるかのように、没個性的な発想に()した、書き直したような物語をさも新しいかのように紹介してしまう。だが考えて見よ。宮崎駿氏は上記の型通りのファンタジーを一度として描いたことがあろうか? そして、上橋菜穂子『精霊の守り人』シリーズのような、例外的な傑作の想像力は、果たしてどのパターンとテンプレートに相当したものだろうか、と。

 私は上述したがごとき安易な「ファンタジー」のモデルを、ゲーム、引いてはその遠祖となったトールキン『指輪物語』に観る。『指輪物語』で熱く夢を刺激された人々は、卓上遊戯(T.R.P.G)『ダンジョンズ&ドラゴンズ』を創り上げた。所謂(いわゆる)「ファンタジー」ゲームは、こうしたものに端を発している。これらの着想は『ウィザードリィ』や『ウルティマ』と云うコンピュータ・ゲームと成って新しい「異世界」に進出し、インベーダーゲーム以来の日本の新しい「遊び」に加えられることと為った。つまり、『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』などの、恐らく日本で最も有名なファンタジーゲームの誕生である。当初ゲームとは新しい「遊び」を提供したに過ぎず、こうした作品群の初期に表れた「勇者」やら「魔王」のごときは、文字通り役割を()める(Role Playing)為にしか存在しなかった。ならば、役割を演ずる遊び(Role Playing Game)なのだから、仮令(たとい)それが大宇宙であろうと、中世ヨーロッパであろうと、ギリシャ・ローマであろうと、中華世界であろうとも構わなかった筈である。

 少なくとも、私は既にある幾つかの傑作に対してかれこれ云う積りはない。「泣きゲー」と呼ばれた感動ストーリーを持つゲームソフトの一部が、それ自体が並大抵の小説や映画を(しの)ぐほどの完成度と独創性を秘めていたのは(うなず)けることなのである。だが、この辺りに陥穽(おとしあな)があった。当初、「遊び」と同義的だった「ゲーム」は、いつしか「物語」を提供するようになったと云う変化がそれだ。思えばこれは当然のことかも知れない。RPGはその遊びの性質上、「役割」と云うものを何よりも必要とするが、その「役割」には演劇で云うところの脚本(シナリオ)が無くてはならぬ。筋の無い配役なぞ、俎板(またいた)と包丁はあるのに切るべき魚や肉がないようなものだ。ゆえに、如何なるRPGでも、仮初(かりそめ)のシナリオが必要だった。草創期のゲームに複雑で奥深いシナリオがあったわけではない。むしろ「遊び」の目的を知らせるために敢えて単純化されたものだった。が、その敢えて欠けていた部分に、無数の想像力の余地が残されていた。どうやら、その余地から派生してゲームは「物語」を有するに到ったのだろう。現在でもゲームには概ね二通り存在し、片方は「遊ぶ」ための、他方は「物語」を有しているものなのである。これらが両方揃って居れば尚良いのだが、時としてどちらにも属せないような虚しい作品もある。まあそれはいいか。

 併しそのゲームが、現在の「ファンタジー」のイメージを創り上げたのである。これを悪いことだとは思わない。何故なら読者は「面白い」とさえ思えれば、それを娯しみ、好きになり、印象付けらるるからだ。日本に於て「ファンタジー」のイメージが西洋的なものであったとするならば、それだけ多くの人間が、西洋的な「ファンタジー」と云うものを娯しんで来た証であろう。ここに付ける文句は無い。問題なのはこうした傑作に()って創造的に為った人たちの方である。彼等はまだ見ぬ新しいものや、物語を求め、(つい)に己れの手で書き始めるようになる。併し彼等のうちで、「面白い」と「好き」の分別を持たない人間は、西洋的なものをこそ「ファンタジー」だと誤認してしまう。そうした彼等が産み出すのは一度見た夢の名残りである。こうした夢の遺跡に寄り付くのは、愛好家たちだけである。併し想像力は死んだわけではない。愛好家たちは遺跡から更に夢を膨らませることが出来る。こうして無数の夢の再生産が始まる。これではいつ(まで)経っても終わりようが無い。ゆえに彼等は(とこ)しえに夢の「似せ物」を創り続ける結果となる。

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