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晴海との初デート時から四か月が過ぎていた。今思えば、そのキスは最初で最後だった。
春先にした唇の感覚を、僕はまだしっかりと覚えていた。
でも彼女晴海はもういない、隣にいるのは結衣に変わっていた。
ホームの前には電車ではなく、巨大なユグドラシルの木の根が見えた。
この樹の根は、地上の階段に伸びていた。
そんなベンチの隣に座っていたのが、スマホを持った結衣だ。
顔が赤く、あの時の僕の様にデートをしているかのようだ。
電車はユグドラシルの幹で動かないが、ベンチで二人きりになって座っていた。
そういえば愛子の姿がないな。どこに行ったんだろう。
「結衣……そろそろい……」
「待って!みんなに会いたくない!だって……」
「結衣、何言っているんだよ……」
僕が呆れ顔になった時、結衣の顔が不意に近づいてきた。
次の瞬間、僕は意外な一言を聞いた。
「あたし、誉が好きなの」
それは結衣の告白だった。
突然の告白に僕は顔が赤くなった。
だけど、目の前の結衣はさらに顔を赤くしていた。
「いきなりこんな非常時に、結衣は何を言っているんだよ!」
「あたし、ずっと我慢してきたんだよ。誉が晴ねえを好きになった時から」
「結衣……」
僕は恥らう結衣の目をじっと見ていた。
それは普段強気で、運動神経抜群な結衣からは想像もできない女性らしい結衣の姿だ。
「だって、あたしだって誉に告白したかったの!」
「なんだよ、それ……」
「あたしはね……フラれたの。告白する前に」
結衣は、悔しそうに両手を握りしめていた。
白いストッキングとデニムパンツに藍色のブルゾンの結衣が、見せたことないような小刻みに震えていた。
運動神経が抜群で、勝気な結衣のそんな姿を僕は初めて見ていた。
「ねえ……誉は今、好きな人がいるの?」
「えっ、いないけど」
「じゃあ、このあたしを好きになって」
「急に言われても……困る」
「そう……よね」
ベンチで一緒に座っていた結衣が、はにかんでいた。
大きなため息をついて、ポケットからスマホを取り出した。
「あたしなんかより……誉には……誉には」
その声が次第に涙声になって、結衣は泣いていた。
「結衣?」
「あたし……卑怯だよ。
晴ねえが死んで、誉はずっと傷ついているのに、自分の気持ちを無理矢理伝えようとするなんて!」
泣いている女に弱い、僕はハンカチを取り出していた。
「泣くなよ、結衣」
「誉、優しすぎ……ズルいよ」
涙を流した結衣は僕からハンカチを受け取っていた。
ハンカチで顔を拭って、僕に顔を見せた。それは精いっぱいの半泣きの笑顔。
「……ごめんね、変な心配かけさせて」
「いや、僕こそごめん。いきなり結衣に言われてあんまり考えずに……」
「そうか、それが恋なのだな」
いきなり真ん中に割って入ってきたのが愛子だ。
台詞を最後まで言えなかった僕は、驚いてベンチの背もたれに背中をぶつけた。
「あ、愛子ちゃん」
「あっ……」
「わらわは恋というモノには興味がない。安心してぬしたちは恋するといい。
野高谷は誰でも好きな女たらしでしょ、このまえ神社で祈祷していたのはそれか?」
「えっ、なによ……馬鹿じゃない」
「ち、違うよ!」
結衣は愛子に見られて急に僕に怒っていた。
涙をぬぐって、強引にハンカチを投げ返してきた。
そのまま僕から離れて、背中を向けた。
う~ん、結衣はどうしてしまったんだろう。最近の様子がおかしいな。
そんな愛子が腕一杯にお菓子やら、つまみやらを僕たちの前に持ってきていた。
「大体、愛子ちゃんはどこに行っていたんだ?急にいなくなっただろう」
「食糧だ」
「食糧って、どこに?」
「あそこの売店から拝借した。お腹が空いただろう」
愛子ちゃんはそばにある売店を指さしていた。
売店にはもちろん人がいない、静まり返っていた。
「でも……」
「今は、生きて帰らなければならぬ。先は短い様で長いぞ」
「ありがと」
チョコレートやジュースを貰いながら、結衣は笑顔を見せていた。
もう泣いていた結衣ではない、笑顔で愛子を愛でていた。
でもいいのか、火事場泥棒みたいなことをして。
「なんじゃ、おぬし何か後ろめたいことでもあるのか?」
「いえ……」
「さっすが愛子ちゃん、やっぱりかわいい」
愛子の方は、やっぱり結衣に撫でられて嫌がっている様子だが。
だけど僕は、まだ顔が赤く胸がドキドキしていた。
ぼーっとしている僕は、あることを考えていた。
(結衣のことが……まさか好きなのか?)
そう思わずにはいられない。
そんなぼーっとしている僕に、愛子がするめの入ったおつまみの袋を差し出した。
「ほれ、野高谷も食うのだ?」
「ああ、悪い」
顔を上げてするめの袋を受けとった。
「おいしいわよ、これ」
「ああ……」
「なんか人が来るわ」
そんな時、誰もいないはずの地下鉄に足音を聞いた。
「まさか売店の人?」
「大丈夫よ……それなら。今は非常事態だし」
何が大丈夫なんだよ、と思いつつも足音の方に注目した。
そこに現れたのが、紛れもなく僕たちが知っている人物だった。
オレンジのオーバーホールに、大きな体。
短髪の男は、体つきがよく百キロ近い高校生。
普段は穏やかな顔で僕達を見ていたけれど、そこに現れたのは明らかに違和感があった。
「誉、結衣、ただいま」
それは、思わせぶりに登場した太だった。




