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東京湾に突如現れたユグドラシルは、今までのドラゴンよりはるかに危険だった。
ビルはあっという間に破壊されて、人が次々とカオスホールへ飲み込まれていく。
シェルターも無効化され、人類に安全な場所が無くなっていた。
ユグドラシルが町を破壊する様のテレビ中継も、数秒後には画像が砂嵐に変わった。
秋葉原のシェルターを出た僕と結衣は、秋葉原の大通りに棗と愛子、それから冬規と合流した。
そこにはタイミングよく弘明も来ていた。
「そいつが冬規か……お前のせいで」
「弘明……」
いきなり拳を握って怒りを表そうとする弘明に、怯える冬規。
それを諭して止める僕。嫌われているのに、僕は冬規をかばった。
「みなさん、ごめんなさい。ボクがいけないんです!」
「ううん、冬規は操られただけだから」
「そう、こやつは心の隙を見せている間に……ニーズヘッグに操られたのじゃ」
冬規の前には、愛子が腕を組んで難しい顔を見せていた。
小さな小学生の女の子は黒いスマホを取り出した。
「今の社会、信じられるものはリアルな社会ではないのかもしれない。
ネットワークに繋がれて、そこの世界に救いを求めようとする」
「愛子ちゃん?」結衣が首を傾げた。
「冬規君、本当に純粋に棗が好きなんだよね」
僕がそれでもあえて優しく冬規に接した。
リュックを背負った冬規はちらりと棗を見た。
棗も冬規を見て、顔を赤くしていた。
冬規も棗もお互いが好きなんだ。リアルではなくてはならない存在だ。
棗はダメンズ好きというけれど、冬規は棗のことを裏切らないような気がした。
そんな冬規が、僕の方に近づいてきた。
「やっぱり僕よりあなたの方が強い」
「強くないよ、冬規君」
「こんなボクを、あなたを殺そうとしたボクを認めるというのか?」
「認めるも何も……棗も冬規君も二人は愛し合っているんだろ。
僕にはそれを止める権利がない。それに僕は何度も命を狙われているから」
はにかみながら僕なりのジョークを交えた。
弘明は、バツが悪そうにそっぽを向いたが。
「誉……さん」
「誉でいいよ」
はにかんだ僕に、救いを求めるような目で見てきた冬規。
何だろう、すごく照れくさい。
だけど冬規は実直なのが分かった。
彼は少し僕に似ていたのだから。
「それより、あのメールはいつ貰った?ニーズヘッグから」
「うんと……一週間前、学校に久しぶりに行ったら、下駄箱に紙があった」
ポケット内に取り出した一枚の紙。
それはラブレターとは遠くかけ離れたただのメモ。
『弱気で引きこもりの君を、変えようと思わないか?
もしその気があるのなら、ここにメールをするといい。
君は誇り高き『銀の風』のリーダー『ベイズ』なのだから』
その文字に、僕はある違和感があった。
(どこかで見たことある文字だな)
「なんだよ、これ?」反応したのは弘明。
「『パンタシスタ・オンライン』だよね」
僕の言葉に冬規君は頷いていた。
するとやっぱり不機嫌な顔に変わった弘明が、僕の首元を掴む。
「おい、誉は知っていたのか?やっぱり『ドラゴン視アター』か?」
「……うん、ごめん」
「……そっか」
弘明は怒るかと思いきや、意外にも怒りを沈めた。
彼の心中は分からないけど、僕のことを理解してくれたととろう。
「パンタシスタってあの大型ソーシャルゲームか?」
「うん。冬規君はあのゲームでは……」
「ボクは一匹狼から神になった」
冬規君は高揚した顔に変わっていた。急に自信に満ちた顔で、声も張っていた。
「あのゲームで、ボクは最強の防具を手に入れた。
それはどんな武器のダメージも無効にできる防具『IRスーツ』と銃『IRガン』
開発時期に強すぎて、お蔵入りになったデータが入ったギフトボックスのメールだった。
それを手に入れたボクはパンタシスタの神になった。何せダメージを全く受けないから」
「マジ?ゲームのバランス崩れるな」
弘明は呆れていた。でも冬規はこの話をしている時が一番嬉しそうだ。
「そんなことより、どうしてメールを見て……」
「『拡散希望』って書いてあった。拡散することで強くなる。
制作側が、β版当時にゲーム広告を兼ねて作った没武器だって……そう書いてあった」
取り出したのが携帯ゲーム機。確かに、携帯版にはIRスーツとIRガンが書かれていた。
「そう、この銃とスーツ。でこっちが添付されていたメール」
「これは……」愛子がおののいた。
そのメールは、ごく普通のメールだった。
携帯版『パンタシスタ』の正規版サービスが五月に始まるという旨が書かれていて、特には変わっていない。
「なるほど、ユグドラシル発生の理由はこれか」一人で納得した愛子。当然僕たちは納得できない。
「どういうこと?」
「それは……」
と言おうとしたときに、一人が叫んだ。
「逃げろ!」
そこに見えたのが道路を我が物顔で伸びてきた巨大な樹の根。
「マジかよ!」
叫ぶ間もなく、巨大な樹の根はシェルターから出てきた中年男性を掴んでいく。
そのまま巨大な樹の根は、建物をなぎ倒しながら木へと引きずられていく。
さらに後ろには巨大な樹の根がいくつも見えた。
突然不気味に現れた巨大な樹の根に、僕たちは背を向けた。
だけど、五人で一番後ろの僕はあっという間につかまれた。
「誉っ!」叫ぶ結衣。
捕まった僕は、万力のような強い力で胴体に巻きついていた。
体が浮き上がって、引っ張られるのを感じた。
すぐに僕の目の前で弘明が、結衣が、棗が、冬規が全員掴まれていくのが見えた。
だけど愛子だけは、下で寂しそうにじっと見ていた。
体が締めつけられて呼吸ができないほど苦しい。
「離しなさい!」
「くそっ、ダメか」
「……ダメみたい」
結衣が抗って、弘明が悪態をついて、棗が諦めていた。
体が浮き上がって、僕達は巨大な樹の根に引っ張られようとしたとき急に巨大な根の動きが止まった。
僕の胴体に巻きついていた巨大な樹の根は、突如力を失った。
万力のような強い力の締めつけが緩んで、数メートル上に浮いていた僕たちは地面に落とされた。
「いったぁ……」結衣がしりもちついて、痛そうに腰をさすった。
「なんだったんだ?」
難なく僕はユグドラシルの樹の根から脱出した。
「運が良かったようだな」
唯一掴まれなかった愛子は、僕たちを見上げていた。
「どういうことだよ?」
「人類は、最後の選択の猶予が与えられた。
朝日が昇るまでに選択しないといけない……」
そう言いながら愛子は、暗くなった夜の空を見上げていた。
「存続か、絶滅かを」
虚ろな愛子が言ったその言葉に、偽りのないリアルをはっきり感じた。




