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通り魔の影響で朝ではなく昼からの学校を僕は無難に過ごす……予定だった。
授業の最後が普段と違って、三時間遅れの夕方六時を過ぎていた。
それでも夏至を過ぎた今日は、六時でも明るい。
だけど教室に残っていた僕はやることがあった。
それは三時の休み時間に起きたのだ。
――いつも通り二年生の僕の教室。
クラスメイトとは、当たり障りのない関係を持っていた僕。目立つ方でもないが干されてもいない。
僕は平和主義で、周りとは波風を立てない主義。
『平均的』という言葉が僕のクラスに対する考え方だ。
だからコミュニケーションを取らないわけではない。
そんな僕の平穏なクラスの立ち位置が最近、ある人物の登場でおびやかされていた。
それは、間もなく聞こえたこの声の主。
「野高谷!」
教室で僕を呼ぶ大きな声がした。クラスでは一斉にその声の主に振り返る。
野太い声に振り返って、ため息をついた僕は椅子を立った。
声の主は僕を手招きし、僕は廊下へと誘い出された。
「生徒会長、またですか?」
僕の前にはがっちりした体の銅林生徒会長。一か月前は副会長だった人物だ。
だけど会長の死によって、会長に昇格した生徒内では一番偉いお方。
柔道二段のつわものの彼は、筋肉隆々で腕っぷしが太いのが特徴だ。
「ああ、頼みがある」
「……分かりました」
観念したように僕は、銅林生徒会長の話を聞いていた。
最近教室に現れるようになった銅林会長は、豪快に笑いながらやってきた。
「銅林会長、今日はなんですか?」
「こいつを頼もうと思って」
廊下の影でそう言いながら、銅林生徒会長は出したのは可愛らしい手紙だ。
すぐに僕はピンと来ていた。
「これを渡してほしい」
「完全なラブレター……」
「馬鹿!声が大きい」
取り乱した様子の銅林生徒会長。渡す相手を僕は知っていた。
それは僕のクラスにいる目立たない女子。
特徴といえば、いつも本を読んでいることか。
ここ一週間、毎日のように銅林生徒会長に呼ばれていた。
それは銅林生徒会長が好きな女子の調査をするためだ。
僕をいつものように呼んでは、いろいろとさせていた。
見張りをしたり、接触して情報を聞き出したり、はっきりいってスパイ感覚だ。
アジ・ダハーカも言っていたっけ、『戦争は情報戦だ』って。
アジ・ダハーカは若い執事に情報収集をさせていたが、会長は僕に情報収集をさせていた。
恋の戦争真っ只中の会長が、ようやく告白するんだ。
長いスパイ活動から解放されるとあって、僕は正直ほっとしていた。
「これを渡せばいいんですか?」
「野高谷……そうだ。だけど、それだけじゃいけない。
ちゃんと彼女の気持ちを確認して来いよ」
「でも……それなら僕じゃなく会長本人が直接言った方が……」
「そんな勇気があるわけないだろ!」
あっさり白状した大きな銅林生徒会長。
恥らっているが、大きい体なのでなんだか逆に滑稽だ。
なよなよしい銅林会長の顔は、分かりやすい程に赤くなっていたし。
「とにかく頼んだぞ、明日はちゃんと理由を聞くからな」
などとラブレターを渡されて、最後の面倒事を引き受けさせられた僕だった――
そんな僕のポケットの中にはそのラブレター。
静かな放課後の教室に、赤い夕陽が窓から差し込んでいた。
生徒がみんな帰っていく中で、意中の女子はまだ残っていた。
彼女は佐藤さんという……クラスでも成績は中の上。
佐藤さんはいつも放課後、図書館で本を借りてきては本を読んでいるらしい。
全部銅林会長の指示によるリサーチ済みだ。
こうして遠目で見ると、知的でかわいい。
僕は一つ呼吸をして彼女に近づいた。
他人の告白にちょっとだけドキドキしていたが。
「あの……佐藤」
「野高谷君?」
「これ、ラブレター」
「野高谷君が……私の事?」
「いや、とりあえず受け取ってくれないか?」
僕の役目は、銅林生徒会長の代理に過ぎない。
生徒会役員としてそれは不純な役割の気もしたが。
中間管理職は辛いということを、学生ながらに感じていた。
僕が差し出した銅林生徒会長のラブレターを見て、首を横に振った。
「それは受け取れません」
「……そっか」
僕は残念そうな顔を浮かべていた。
佐藤さんは本を閉じて座ったままで僕の顔へ見上げていた。
そんな僕は失礼かもしれないけれどあることを口にした。
「佐藤さん、一つ聞くけど好きな人とか、彼氏とかいますか?」
「います」
それは即答だった。それを聞いて僕は納得できた。
それと同時に銅林生徒会長への返事を頭の中で考え始めた。
(変なことを言ったら、柔道技のオンパレードがきそうだ)などと思いながら。
「佐藤さん……そうですか。しょうがないですね、青春ですから」
僕が話し終える頃、佐藤さんが立ち上がって僕の方に顔を近づけた。
諦め顔の僕は、いきなり近づけられて急にドキドキしてしまった。
おののいた僕は、反射的に背中を逸らしてしまう。
「佐藤……さん」
「野高谷君」
「は、はい!」
思わず声が裏返ってしまった。
一瞬だけよぎった(もしかして僕なのか?)と。
佐藤さんの眼鏡越しの目が僕をはっきりと見ていた。
「野高谷君は、A組の木田君と知り合いなんでしょ」
「えっ、木田……もしかして弘明の事?」
「うん、木田君。彼は……」
それだけで僕は理解できた。
佐藤さんが好きな人、それは弘明だった。
僕の胸のドキドキはあっという間に収まって、落ち着くことができた。
眼鏡女子の佐藤さんは、僕を羨望の目で見ていた。
「野高谷君、木田君には好きな人いるの……かな」
「うーん、昔は好きな人がいたけど。今は……どうだったかな?」
晴海のことを思い出しては心が痛んだ。
弘明が好きな人は、僕の彼女だった人だから。
だけど結衣がそれらしいことを言っていたような気もしたな。
詳しいことはよくわからないけど。
それを察したのか、佐藤さんが辛そうな顔を見せていた。
「そう……ですか……」
「でもでも、今はいない……んじゃないかな」
「ねえ、聞いてみてくれる?」
「えっ、それって」
「お願い!難しいのは分かっているけど」
女性らしい佐藤さんが真っ直ぐに迫ってきて、僕は断れなかった。
つくづく僕は損な性格なのかもしれない。平和というのはなかなか訪れそうもない。
そんな自分の意志の弱さを呪いながら、彼女の誠意に負けていた僕は「はい」とつぶやいた。




