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――二年前の春、中学を卒業した僕は団地のそばに来ていた。
既にこの団地の一部の住人は区画整理のために立ち退きをしていた。
三十年続いた『たまだん』の最後が迫っていた、僕の家は今週末引っ越しが決まっていた。
団地の裏は夕方もあって少し薄暗い。
普段はあまり着ないおしゃれなコートをまとった僕は、緊張していた。
胸がドキドキと十四年間生きてきた中で、一番激しく高鳴っていた。
「覚悟はできているな」
僕の前にいた弘明は、やはり普段とは違うオシャレなコートを着ていた。
茶色のコートは、弘明のすらりとした体を表現していた。
「ああ、僕は逃げも隠れもしない。ここまで来たんだ」
「どちらを選んでも恨みっこなしだ」
「もちろんだよ、これは最後の戦いだから」
僕と弘明は今から最後の戦いを迎えていた。
それは一人の女をめぐる譲れない戦い。
『たまだん』が消滅することで、離れ離れになってしまう僕達六人。
そんな僕と弘明は、つながりがなくなる前に最後の告白をしようと決めていた。
春の寒さを感じないほどに増していた緊張感。体には震えと顔がほのかに熱い。
間もなくして団地の裏手に人の気配がした。
「来たぞ!」
弘明が言ってゆっくりと晴海が現れた。長いロングへアーをなびかせて登場した。
普段はおっとりした年上の団地のお姉さんは、ブラウスとロングスカートでいつも通りの笑みを浮かべていた。
やはり上品で、穏やかで、どこかかわいいお姉さんの晴海。
「うん、二人がここに呼んだのね」
「晴ねえ、ずっと俺は好きでした」
まず僕の前に出たのは弘明。
弘明の顔は驚くほど自信に満ちた顔を見せていた。が、徐々に赤くなっていく顔。
晴海は前に出てきた弘明を、いつも通り穏やかな顔で見守っていた。
それは母親が、成長した子供を見守るような温かい目だ。
「いつも明るくて、穏やかで、ゲーム好き。
そんな晴ねえ……いや晴海と俺はもっとゲームがしたい。
たまだんが無くなっても、俺のそばにいつまでもいてください!」
最後の言葉を言いきる頃には、完全に赤面していた弘明。
だけど弘明はそれでも堂々として、晴海の前に手を差し出す。
弘明の告白に、僕はいてもたってもいられなかった。
あまりにも完璧な弘明の告白に、僕は驚いてしまったからだ。
だから僕は焦っていた、焦ってすぐに前に出ていた。
「晴ねえ、僕は……」僕が一言いうと、そのまま晴海が僕を見てきた。
一瞬彼女の穏やかな目が僕に向けられると、僕は緊張ですぐに顔が赤くなった。
(僕はこの日、この瞬間のために、妹と何度も練習してきたんだ。
大丈夫、僕はできる……僕ならできる)
呼吸を整えて僕の口が開いた。
「僕も晴ねえも、お互いのことを気にしやすい人間です。
でも、そろそろ僕は晴ねえと……一緒に寝たいです!」
僕の言葉に、晴海はいきなり驚いた顔を見せた。
隣の弘明は、下を向いてうつむいたまま。なんだか笑いをこらえているみたいだ。
その瞬間、僕は後悔が頭をよぎった。
(何言っているんだよ、僕は!)
自分自身を、自分の口を呪った。
咄嗟に出た言葉が『寝たい』って、なんでこんなことを言ってしまうんだ。
首を横に振って慌てた顔を見せていた。
「えと……あの……その……そうじゃなくて、寝たいっていうか……
やりたいっていうか……」
「変な誉君」
いつの間にか目の前の晴海は笑っていた。
(ダメだ、もうだめだ!)
一世一代の告白は失敗した、そう思った。
隣の弘明も、笑いをこらえているようでクスクスと嫌な声が聞こえてきた。
「でも、僕は晴ねえが好きです。僕の彼女になってください!」
最後は、無理矢理終わらせるような形で頭を下げて手を出した。
顔が赤くて半べそ状態になった顔で晴海の言葉を待つ。
(終わりだ……なにもか……えっ)
自分の運命を呪おうとしたとき、僕の差し出した右手に触れるものがあった。
おそるおそる顔を上げると、僕の目の前には晴海の姿。
その顔は眩しくて笑顔を、僕にだけ見せてくれていた。
「誉君、いいよ」晴海は、今までで一番穏やかな顔を見せていた。
「えっ?」
「私……今日から誉君の彼女になってあげる」
それは晴海が僕の彼女になった瞬間だった。
手をつないで団地の裏を離れた僕と晴海。
僕の顔は明るく晴れて、晴海の顔が眩しかった。
隣の弘明は唇をかみしめたまま、しばらく顔を上げることはできなかった――




