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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

ログアウト・ワールド

作者: 山本アヒコ
掲載日:2012/12/25

カップルへ、家族へ、恋人へ、子供へ、サンタへ、独りのあなたへ。

 俺は両手剣『ツヴァイハンダー』を頭上から振り下ろす。醜悪なオークの体は真っ二つになり、血しぶきと肉片を撒き散らす。

 威力は申し分ない両手剣だが、切るというより押し潰すようになるのでどうしても凄惨なスプラッター状態になってしまう。

 顔に散ったオークの血液を手で拭うと、パーティーメンバーの魔法詠唱が聞こえた。

「爆ぜよ踊れ饗宴の炎! ファイア・サークル!」

 見るからに魔法使いという黒いローブ身を包んだ少女が叫ぶと、地面から放射状に炎が吹き上がる。それは三匹のオークに襲い掛かり、彼らを火達磨にした。

「ギャグウウウウ!」

 断末魔の声を上げると地面へ倒れた。黒こげの体から煙と焦げた臭いが漂う。

「終わりましたね」

 モンスターとはいえ生き物を殺したというのに、少女は満足げな表情だ。まあ、この世界ではこれが普通なのだが。

「初めてにしてはいい動きだったよ」

「それはもちろん、アキラさんとの特訓の成果です」

 ツヴァイハンダーについた血をボロ布でふき取ると、専用の肩紐を装着して背負う。普通の長さの剣なら鞘に入れて腰に差すのだが、身長よりも長い両手剣の場合はこうするしかない。

「でも、やっぱり両手剣の威力は凄いですねー。オークを一撃ですから」

「その分使いこなすのは大変だけどね」

 今はそれなりに扱える武器だが、彼女と同じ初心者のときは剣の重さに引きずられて、まともに振ることができなかった。それでも三年近くも使っていれば慣れるものだ。

「それにしても、アキラさんについてきてもらって正解でした。私だけだったらオーク八匹なんて無理です」

「いやいや。キュアラちゃんなら一人でも大丈夫だったと思うよ」

 俺が倒したのは四匹。彼女が倒したのも四匹。クラスとレベルの違いを考慮しても、十分彼女が冒険者としてやっていけるだろう。

「でも、アキラさんが最初に数を減らしてもらったおかげですよ」

 今日はキュアラちゃんの冒険者初仕事の護衛をやっていた。

 まずは村から出て草原の南にある森を目指した。この草原は初心者向けとも言える場所で、強いモンスターは出てこない。なので安心していたのだが、いきなりオークが八匹も現れたのだ。

 オークは豚を巨大にして二足歩行にしたモンスターで、その巨体を使った体当たりが攻撃方法である。そしてこの草原では一番強いモンスターであり、レベルが低い初心者一人では一匹を倒すのが限界だった。それが八匹。運が悪すぎる。

 俺はまずキュアラちゃんにファイア・ガードの魔法を自分に使うように指示した。これは体の周囲を炎で防御する魔法だ。これを使えば防御力が上がるので、レベルが低い彼女でもオークの攻撃で即死することは無い。しかしそれより重要なのは、この魔法が炎系魔法だということだ。

 オークは炎が弱点だ。なのでオークは全て炎に近づくことはない。つまりファイア・ガードを使っているキュアラちゃんは安全だということだ。

 彼女の父親は恐ろしいからな。村を出るときも「娘に怪我をさせたら殺す」って言われたし。

 なので彼女をその場に待機させて、俺だけがオークの集団へ走って向かった。

 まずは一匹を軽くバッサリ。見た目は細い眼鏡男だが、これでも中級冒険者だ。この程度のモンスターなら十匹でも楽勝だった。

 しかしいくら弱くても囲まれると厄介だ。適度に距離をとり、移動して包囲されないようにしてさらに二匹を切り倒す。

 すると後ろからファイア・ボールが飛んできた。直撃した一匹が燃えながら悲鳴をあげる。

「私も戦います!」

 いつの間にかキュアラちゃんが追いついていた。

 残っていたオークの一匹が俺に突進してきて、三匹が彼女へと向かった。


「そしてこの状態っと……」

 草原に散らばるオークの死体。俺の世界ではありえない光景だが、この世界では見飽きた光景だ。

 キュアラちゃんは解体用ナイフを持って、嬉々としながらオークの死体から牙や皮や肉をはぎ取っている。

 ……キュアラちゃんはずっと冒険者になりたいと言っていたし、この作業は冒険者としてやらなければならない事なのだが、可愛らしい少女が笑顔でナイフを突き刺す光景は精神的によくない。

「終わりましたー! 一人で全部解体するのは大変ですね。あと炎系魔法だと皮がとれなくなっちゃうのが残念です」

「それは仕方がないよ。武器で戦えるぐらいまで肉体レベルを上げてからだね」

 この世界は例えるなら『ファンタジーRPG』だ。科学技術は進歩していない。しかし魔法があり、モンスターがいて、冒険者なんていう職業が存在する。どれも聞いたことがあるだろうし、こういったゲームをしたことがあるはずだ。

「戦利品も集め終わったし、森に行こうか」

「はい!」

 そのあとはオーク集団に出会うなどということもなく、特にアクシデントは無かった。何度かモンスターが襲ってきたが、ゴブリンやスライムといったザコだったので問題にはならなかった。

 今回の冒険者ギルドから受けた依頼は森の中に自生している薬草の採取だ。森の中は薄暗く、しかし陰気な雰囲気は無い。木漏れ日がまるで光のシャワーのようで美しい。何しろここは森の神殿がある聖なる森なのだ。

 森の神は癒しの神とも言われ、回復魔法が使えるのは森の神殿で祝福を受けた者だけだ。

 世界中の人々から感謝と尊敬されている森の神。その神殿があるこの森にはモンスターは存在せず、薬草が多く自生している。キュアラが住む村ではここの薬草を使ったポーション作りが主な産業となっていた。なので薬草採取の依頼は常にあり、初心者冒険者にとっては仕事として最適だ。

「アキラさん、集め終わりました」

 依頼は小袋一杯ぶんの薬草集め。キュアラはパンパンに膨れた袋を笑顔で俺に見せる。

「よし。じゃあ村に戻りながら、モンスターと戦闘練習だ。帰りは手伝わないから一人でやってみよう」

「はい!」


 森から村までは三十分ぐらいだが、二時間ほどかけて戻った。遅かったのはもちろんモンスターと戦闘していたからだ。そのおかげでキュアラの肉体レベルは二、魔法レベルは五あがった。

「今日はありがとうございました!」

「お礼はいいよ。お父さんには世話になってるからね」

「すいません。父のわがままのせいで……」

 キュアラの父親はこの村で鍛冶師をしている。諸時期こんな田舎の村にいるような腕ではない。王国の王都にいる鍛冶師よりも優秀だ。そんな男がなぜこの村にいるかというと、キュアラの母親に惚れたからだった。

 俺は彼に武器を作ってもらっている。今使っているツヴァイハンダーもそうだ。結婚してから武器は作らなくなったのだが、特別に作ってもらっている。それは彼女、キュアラのおかげだった。

 なぜかキュアラに気に入られた俺は、彼女のお願い……というより脅しで武器を作ってもらえるようになった。まあ、そのせいで彼に恨まれていたり、こうやってキュアラの護衛をやるはめになっているのだが、その程度なら十分おつりがでる。それほどの腕なのだ。

「それじゃ、俺はこれで」

「お疲れさまでした。また一緒に行きましょうね」

 俺は眼鏡型スマート・デバイスに声でこの世界からの退出コマンドを入力する。世界からの退出はどこでもできるわけではなく、村の中や特定の安全区域だけだ。

「ログアウト・ワールド」

『世界からログアウトします』

 機会音声が聞こえると一瞬世界が真っ暗になり……元の世界へ俺は戻る。


   *****


 ゆっくりと目を開ける。眩しさに目を細めるがすぐに慣れ、見えたのはホログラム・ディスプレイ。壁紙に設定した深海生物がゆらゆらと泳いでいる。

 少しずれていた眼鏡型スマート・デバイスを指で押し上げた。いまどきこんな実体としてスマート・デバイスを身に着けている人間は少ない。というか絶滅危惧種だ。

「…………」

 ホログラム・ディスプレイに指をすべらせて仕事用のツールを呼び出すが、いまいちやる気が出ない。

「……散歩でも行こう」

 家を出ると、道路から数十センチ浮いたオート・ビークルが音も出さず滑っていくのが見えた。オート・ビークルはデバイスで命令すれば自分の所まで来てくれ、料金を払って移動手段として使える。散歩なので必要ないが。

 街を歩く。人通りは無い。俺以外の人間がいなくなったようだ。

 ここは住宅街なので、まわりの建物の中には何人もの人間がいるはずだ。しかし、どこからも声は聞こえない。建物の防音が完璧だから。


 どこかでは友達を呼んでパーティーをしているかもしれない。子供の兄弟がケンカをしているかもしれない。赤ちゃんが泣いているかもしれない。少年がゲームをしているかもしれない。少女が友達と遠隔通話しているかもしれない。老夫婦が飼い犬と戯れているかもしれない。

 でも、その音はどこからも聞こえない。


 この世界ではプライバシー保護と騒音訴訟対策として、全ての建物に完全な防音性を持たさなければならないのだ。

 どんな小さな音でも建物から外に出してはいけない。外の空気を震わせてはならない。

 この世界で産まれた俺はこのことに全く疑問を持っていなかった。しかし今は、まるでこの街が死者の街に感じる。

 あてもなく住宅街を歩く。ほとんどの家が似たような色合いの四角形。たまに変わった色や形のものもあるが、遠くから見れば埋もれてしまうだろう。巨大な点描画に一粒混ぜても何も変わらない。

 三十分ほど歩いたが誰とも出会わない。遠くに人影が見えることがあるが、すぐにオート・ビークルに乗り込んでどこかへ去っていく。

 ここは住宅街であり、フィットネスジムではない。歩いたり走ったりする場所では無いのだ。

 この世界で散歩やウォーキング、ランニングをする場所はフィットネスジムか専用の公園であり、住宅街の道路を散歩したりランニングする人間は皆無だった。

 人々は家を出てすぐオート・ビークルに乗り込み、ウォーキング向けの公園やランニング向けの公園、運動器具やプール施設のあるフィットネスジムへと向かう。これが常識で、俺のように住宅街を散歩するなど、自分は変質者ですと言っているようなものなのだ。

 家を出てすぐオート・ビークルに乗る。これなら犯罪に巻き込まれることは少ない。そこらじゅうに監視カメラとポリス・ロボットが設置されているとしても、年に何度か通り魔的事件が起こっていた。

 すでに俺は要注意人物としてカメラにマークされているはずだ。しかし何もやましい所は無いし刃物も持っていない。ただ散歩がしたいだけなのだ。

 なぜ他の人と同じように公園やフィットネスジムに行かないのかというと、なんだか強制されているような気がするからだ。歩け、走れ、泳げ、体を鍛えろ、と。画一化され、ここで、こうやって、こんなふうにするんだと、誰かにやらされている様な。

 ……昔はそんなことは思わず、普通に公園で散歩していたが、あの時からそう感じるようになってしまった。

 交差点を曲がると自分の家が見えた。今日の散歩はこれで終わりにしよう。十二月に入ってから急に寒くなった。コートを着ていないので辛い。

 家に入るとき「ただいま」は言わない。一人暮らしだからだ。

 キッチンのテーブルには、湯気をたてる温かいミルクティーが準備されていた。スマート・デバイスで指示していたからだ。

 温かいカップを持って仕事部屋へ向かう。待機状態のホログラム・ディスプレイを立ち上げ、今日の分のノルマを仕上げることにする。

 俺の仕事はシステムエンジニア。世界のサーバーやコンピューターの保守整備をしている。契約制の出来高払い。それでも十分の収入だ。

「さて、やるか。キュアラちゃんとの約束もあるし。早めにノルマ分はやろう」


   *****


「力強き炎の精霊よ、猛り、歌い、舞いたまえ! ファイア・タワー!」

 キュアラの詠唱で地面から何本もの炎柱が伸びる。それはモンスターたちを次々に飲み込んでいく。

「ギュアアアアアアア!」

 十体以上いたはずのモンスターたちは跡形も無くなっていた。ところどころに黒い燃えカスがあるだけだ。

「すごいねキュアラちゃん」

「えへへ。レアスキルのおかげです」

 スキルとはこの世界の人間が持つ特殊能力だ。それは身体能力を向上させるものや、魔法のようなものや、ちょっと使い道が思いつかないものもある。言ってみれば才能のようなものだ。

 そのなかでもレアスキルと呼ばれるものがある。名前の通り珍しいもので、レアスキルを持つ人間は一万人に一人と言われている。

 キュアラのレアスキルは『炎の精霊の加護』能力は炎系魔法の攻撃力と範囲増大。

 さっきの魔法も本来はもっと威力と範囲が小さい。どれぐらいかというと、だいたい半分ほどだ。さすがレアスキル、鬼畜である。

 ちなみに俺はレアスキルが無い。しかも『カススキル』と呼ばれるどうでもいいスキルを持っていたりする。

「芋掘りのスキルとかいらないなあ……」

 どうしたんですか? という顔をキュアラが向けてくるが、何でもないよと首を振る。

「キュアラちゃんは魔法に関しては何も言うことないなあ。中級どころか上級に近いんじゃないかなあ?」

 レアスキルの威力がすごすぎる。リアルチートだ。これで冒険者となって半月未満とか……自分の数年の努力を思い出すと、つい遠い目になってしまう……

「むー」

「え?」

 なぜかキュアラが頬を膨らませてムスッとした顔をしている。

「ど、どうしたの?」

「ちゃん付けはやめてください。私はもう十五歳です!」

 この世界では十五歳で成人となる。

「ごめんごめん。でも小さいころから知っているし……」

「もう小さくありません! それに成人だから大人です!」

 そう言って拗ねる姿はまだまだ子供だ。

 そういえば、キュアラと出会ったのは四年前になるのか。

 この世界での生活のスタート地点としてキュアラのいる村を指定した。他に三箇所選べるのだが、温暖な気候と近くに森の神殿があったのでここにした。やはり序盤は薬草や回復魔法が重要だ。ステータスは筋力重視で初期武装は両手剣。

 あの時の俺はとにかくストレスのはけ口がほしかったのだ。大きい剣で暴れれば多少は楽になる気がしていた。

 順調にレベルを上げた俺は王都へ向かった。この周辺ではそこが一番大きい町であり、冒険者である自分の仕事も多いからだ。

 二ヶ月ほどいろいろ依頼やら何やらしていたら、これから先の高レベル地域に行くには装備が心もとなくなった。そこで情報を集めると、俺が最初にいた村に腕のいい鍛冶師がいるらしい。

 俺は久しぶりに始まりの村……実際にそういう名前の村、へ向かった。

 王都から村へは徒歩で二時間ぐらい。モンスターはザコなので散歩がてら歩くことにした。俺の趣味は散歩なのだ。

 草原を一直線に伸びる道を歩き、もう少ししたら村が見えるかなあと思ったとき、微かな悲鳴が聞こえた。

 俺は走り出した。するとゴブリンらしきモンスター数匹が小さな女の子を包囲していた。

「おお。テンプレ展開きた」

 と思ったときハッとなった。自分が思い違いをしていたことを。

 俺は『この世界』を『現実の世界』だと思っていなかったのだ。そうでは無いと理解していたつもりだった。

 この世界に来たのは、言ってしまえば現実逃避のため。五感をすべて現実のように使えるVRRPGをやっている気持ちだったのだ。

 なんてことだ。ここは『現実世界』なのに……!

「うおおおおおお!」

 俺は荷物を捨てて走る。

 最悪なことに今は運動能力を上げる薬を持っていない。俺は完全に筋力戦士タイプなので魔法も使うことができない。スピードを上げるには装備を軽くするしかないのだ。

 両手剣をメイン装備にしていることを悔やむ。威力はすごいが、こんなときは重りにしかならない。

「いやああああああ!」

 女の子は手に持った杖をぶんぶん振り回しながら泣き叫んでいた。しかしゴブリンたちは意に介さず、醜悪な笑顔を浮かべながら、女の子へと長い爪を向ける。

「だああああっ!」

「ギィッ!」

 なんとか間に合った。唐竹割りにゴブリンを両断。他のゴブリンだけでなく女の子も唖然とした顔でこちらを見る。俺は優しく見えるように笑った。

「大丈夫か? すぐ助けるからね」

 女の子をかばいながらだったため何度か攻撃を受けたが、ゴブリン程度なら何匹いようが楽勝だ。

「えっと、君はケガは無い?」

「は、はい……」

「俺は小林アキラ。君の名前は?」

「キュアラ・デイル、です」

 こうして彼女、キュアラ・デイルと出会ったのだった。

 でもキュアラの父親が俺の探していた鍛冶師だったのはラッキーだったなあ。おかげで武器を作ってもらえるようになったし。最初は嫌がっていたけど「アキラさんは私を助けてくれたんですよ? 命の恩人なのに武器を作れないなんて、私の命なんてその程度なんですか!」ってキュアラがすごい剣幕で怒るから、最後は了承してくれたんだよな。

「……あれから四年か。そりゃあ大きくなるよなあ」

「どうしたんですか?」

「キュアラちゃんと出会ったときのことを思い出してたんだよ」

「ゴブリンに襲われていたときですね」

 キュアラが一人であそこにいたのかというと、子供のケンカみたいなものだった。

 この世界には人が持つスキルを見ることができるアイテムがある。それは小さな水晶で、それを握りながら精神を集中させるとスキルが見える。

 子供の誰かがそれを持っていて、子供たちはそれを使ってスキルを見て遊んでいたらしい。それで自分にレアスキル『炎の精霊の加護』があることを知ったキュアラは、そのことを自慢した。するとガキ大将的な男の子が嘘つきと言ったのだ。そのアイテムは自分のスキルしか見ることができないからだった。

 ケンカになった二人。最終的にキュアラが魔法でモンスターを倒してくることになってしまった。彼女は小さなファイア・ボールぐらいなら出せたので自信があったのだ。

 最初は村の近くでモンスターを探していた。しかしなかなか出てこない。ならばもうちょっと遠くへ。出てこない。それならば……とだんだん村から遠くなり、運が悪いことにゴブリンの集団と出くわしてしまったのだった。

「あのときのアキラさんはとってもかっこよかったです! それで私も冒険者になろうって思いました」

「たしかにキュアラちゃんの魔法はすごいけど、肉体レベルはまだまだだからね。しばらくは冒険者ギルドの訓練場で鍛えるように」

「はーい……って、またちゃん付けしてる!」

「ははは。ごめん」

「もう! それで、クリスマスは一緒にツリーを見に行ってくれるんですよね?」

「うん」

 この世界は俺の世界の風習がいくつか反映されている。その一つがクリスマスだ。キリスト教など存在しないこの世界でクリマス。違和感はあるが仏教徒の俺もクリスマスを祝うのだから、異世界の人間がクリスマスを祝ってもいいと思う。

「あと何回か戦ったら村へ戻ろうか」

「ええー? まだ戦えます」

「元の世界の仕事がまだ残っているんだ。これが終わらないと一緒にツリーを見に行けないよ?」

「わかりました! 帰りましょう、今すぐ帰りましょう!」

 キュリアは俺の手を取ると、村へ向かって走り出した。必死で手を引っ張る姿はやっぱり子供っぽくてカワイイ。恋愛対象じゃなくて妹みたいってことで。一人っ子の俺にとって兄弟っていうのは憧れなのだ。

「アキラさんは戻ったらすぐ仕事をしてください! すぐにですよ!」

「はいはい。わかりました」

 何度も念を押すように言うキュアラにうんざりしながらも頷く。

「それじゃあ、さようならアキラさん」

「バイバイ。よし、ログアウト・ワールド」


   ******


「…………」

 キュアラと約束したが、すぐに仕事をする気分になれなかった。

 ホログラムで壁に投影されたカレンダーを見る。クリスマスまであと数日。向こうもこっちも『世界』はクリスマスムード一色だ。

 しばらく机でディスプレイとにらめっこをしていたが、どうしても仕事ができない。思い切って外出することにした。

 玄関を出ると、目の前にオート・ビークルが停車していた。スマート・デバイスで交通会社に連絡したからだ。向こうの世界で運動したからといってこっちの世界の体が疲れることはないのだが、精神的に今日は歩く気分ではなかった。

 オート・ビークルに乗り込む。座席に座るとドアが閉まり、何も言わなくても動き出す。デバイスで連絡したときに行き先を指定していたからだ。

「……」

 車内は静かだ。オート・ビークルは無人だし機械音もほとんどしない。車内にはホログラム広告がいくつも表示されている。指示すれば広告から音声が再生されるが、そんな気分ではない。

 窓から外をボーっとながめる。住宅街を抜け、娯楽スペースが多い区画に近づく。どこもかしこもクリスマス一色。ホログラムで過剰なほど装飾された建物。赤と白のサンタ・コスチュームを着たアンドロイド。そして、楽しそうな人々の笑顔。

「…………」

 オート・ビークルが停車する。指定した場所に到着したのだ。

 開いたドアから外に出ると、オート・ビークルは走り去る。料金は口座から引き落とされる。五百六十円。高いのか安いのか。会社によって違うらしいが気にしたことが無い。

 周囲は喧騒に包まれている。ここは通称として学生食堂通りと呼ばれている。近くに学生向け住宅街があり、それによって学生向けのメニューや料金の飲食店が並ぶ場所だからだ。

 その通りを歩く。住宅街の静けさとは違い、周囲には人が多く騒がしい。俺より若い人間が多いのは仕方がないだろう。なにしろ学生食堂なのだから。

「イラッシャイマセ」

 自動ドアが開くとスピーカーから声が響く。聞きなれた声だ。最近はあまり来ていないが、月に一度はここに来てしまう。

 カウンター席に座ると同時に木目の綺麗なカウンターの一部がスライドして、温かいお茶と丼がそこから出てきた。

「ゴユックリドウゾー」

 店に入ったときにデバイスで注文していたものだ。豚丼玉子のせ。

 とりあえずお茶を一口飲んでいると、横にいる学生らしき二人組みがホログラム・メニューを呼び出した。左手の平に右手の指で開くような動きをすると、そこにホログラムが浮かび上がる。四角形の厚みの無い光の板。

 やはりほとんどの人間はスマート・デバイスをワールド・クラウド化しているようだ。無意識に自分の眼鏡型スマート・デバイスを指で触っていた。

 スマート・デバイスはこの世界での生活必需品だ。これ一つで何でもできる。各種料金の支払いやインターネットの閲覧、友人や仕事相手との通話にメール、家の鍵の開け閉めや警察に職務質問された際の個人証明にも使える。逆に言うと、これが無ければ生活できない。

 もしこれを落としたり紛失したら大変なことになる。そこで開発されたのが『ワールド・クラウド・システム』だった。これはスマート・デバイスだけでなく全ての情報を、政治、金融、科学、インターネット、音楽、小説……一切合財なにもかも、個人情報どころか人間の存在そのもの、世界そのものを共有しようというものだった。一部では『人類補完計画』と言われていたとか。

 それは一世紀近くかけて完成した。それはまったく予想できなかったある結果をもたらすものだったのだが。

 ともかく完成したワールド・クラウド・システム。これによって人間にナノマシンを注入することで、世界中のどこでも自由にワールド・クラウド・システム内のスマート・デバイスを使用することができるようになった。これはシステム内の仮想スマート・デバイスを使用するということで、実物のスマート・デバイスが存在しないため最初は否定意見もあった。しかしそれはすぐに消え、誰もが虚空からスマート・デバイスを取り出すようになった。

 そして現在このスマート・デバイスの『実物』を持つ人間はほとんどいない。俺は自分以外に一人しか見たことが無かった。いや、アイツがいなければ俺もスマート・デバイスの実物を持つことは無かっただろう……

 眼鏡型スマート・デバイスを触る。これはあくまでスマート・デバイスであり、眼鏡では無い。そもそも視力は悪くないのだ。ではなぜかというと、アイツが……

 だめだ……どうしてもアイツのことを考えてしまう。だから嫌なんだクリスマスなんて。できるなら何もしないで引きこもりたい。しかし今年はキュアラとの約束がある……

 いつの間にか豚丼は冷えてしまっていた。


 冷えた豚丼を食べたあとだと、外の寒さが余計に辛く感じる。

 学生のカップルも多い。もうすぐクリスマスだし浮かれているのだろうか。

 そういえば、学生時代はよくアイツとここに来ていた……

 フワフワとした気分のまま俺はオート・ビークルに乗り、この建物の前に立っていた。無意識のうちに来てしまったのだと思う。なんて未練がましい……

 都立第三病院の白く、まるで中世の城の様な威容を見上げる。他の人からすれば普通の病院なのだろう。しかし俺にとっては難攻不落の要塞ように感じてしまう。

 ここにはアイツがいる。でも会ったところで話ができるわけじゃない。

「…………」

 しばらく立ち尽くした後は、逃げるように去ることしかできなかった。


   *****


「うわああああ! キレイですね!」

 色鮮やかにホログラムではなく、魔法の光りでライトアップされた巨大なツリーは幻想的だった。

 ここは王都から離れた『狼の森』という場所の奥だ。狼の森はその名前の通り狼のモンスターが生息している。

「アキラさん、連れてきてくれてありがとうございます!」

 狼の森は中級者向けの場所だ。狼はとても素早く、その牙の攻撃力はかなりのもので初心者では倒すのが難しい。なにしろ低レベルの魔法使いぐらいの体力では、狼の攻撃一回で死亡する危険があるのだから。

「それはよかった。心を鬼にして特訓したかいがあったよ」

 この場所に来るためにキュアラは厳しい訓練を積んでいた。攻撃は魔法があるので十分なのだが、問題なのは体力と防御力だ。低レベルの魔法使いは狼に殺されてしまう可能性があった。それを克服するため、キュアラはひたすたマラソンによる体力と素早さの強化をした。魔法使いというクラスの特徴として重い装備品を使えないというものがある。重い鎧も装備できるのだが、極端に動きが鈍くなってしまう。なのでどうしてもローブなどの軽くて防御力の低いものになってしまうのだ。

 この弱点を克服するため、とにかくキュアラは走って走って走りまくった。結果としてある程度の体力がついたので、彼女の父親は渋々ながらもこのクリスマスイベントへの参加を許可したのだった。

 キュアラはキラキラした目でツリーを見上げている。

 ツリーは森の中にある村の中心にそびえ立っている。このツリーは霊樹と呼ばれるものだ。千年以上の樹齢であり、その太さは大人が手を繋いで十人ほど、高さは百メートル以上は余裕であるだろう。普段はただの巨大な樹木だが、今は多数の魔法石でカラフルに飾られている。

「アキラさんの世界のクリスマスツリーもこんなにキレイなんですか?」

「これとはちょっと違うかな」

 俺の世界のクリスマスツリーといえばモミの木だ。先が尖っていて、上向きの矢印のようなシルエット。しかしこの世界のツリーはブロッコリー形だ。太い幹の上にモコモコとした枝と葉を繁らせている。その直径は村の上空を全て覆い尽くすほどもある。

 俺の世界ではツリーの周囲を飾るが、こっちのツリーはそうでは無い。霊樹を開いた傘だと思ってほしい。その傘の内側を飾るのだ。見た目がかなり違うが、まるで星空のように魔法石が光る様子は壮観だ。

 ツリーのまわりはカップルだらけだった。こっちの世界でもクリスマスはカップルのためのものなのだ。爆発すればいい。俺だって昔は……

 ツリーを見上げながらつい暗黒面に落ちそうになっていると、クイクイと袖を引かれた。

「あの……アキラさん、コレ」

「え?」

 キュアラちゃんは恥ずかしそうにラッピングされた箱を俺に差し出す。

「もしかして、プレゼント?」

 そう聞くとキュアラちゃんは赤い顔で、コクンとうなずく。

 驚いた。まさかもらえると思っていなかったから。

「ありがとう。嬉しいよ。じゃあプレゼント交換だ」

 俺もプレゼントを入れた箱を取り出す。キュアラは瞳を輝かせて満面の笑顔で受け取る。これだけ喜んでもらえるとは思わなかった。

「あの、開けてもいいですか?」

「いいよ」

 俺は女の子にあげるプレゼントがわからなかったため、知り合いの女性に頼んだ。するとなぜか不機嫌になって、夕飯を奢るはめになり、さらにはクリスマスプレゼントの事前引渡しをすることになってしまった。服を買うことになったのだが、親切な店員さんにそのことを説明したら笑われた。なぜだ?

「うわあ! キレイ!」

 それは銀でできた炎をモチーフにした土台の中心に、炎属性の赤色の魔法石をあしらったネックレス。そこそこ高い値段がした一品だ。選んだのは自分ではないので、誇れるのはそこだけだった。情けない……

「あの……着けてもらえます?」

 キュアラちゃんの首に後ろからネックレスを装着する。一瞬首に指が触れたとき、彼女の肩がビクッと震えた。冷たかったのかな?

「どうですか?」

 ネックレスはキュアラによく似合っていた。同年代の少女と比べても頭一つ抜け出た美人じゃないだろうか。しかし俺にとっては妹のようにしか思えない。そもそも俺の世界では未成年だ。

「良く似合ってるよ。美人度が上がったね」

「そ、そうですか! あの、私のプレゼント開けてみてください」

「そうだね……ん?」

 急に周囲が騒がしくなった。何か怒鳴り声みたいなものも聞こえる。

 まわりの人たちが視線を向けている方向では、カップルに詰め寄る男の姿。

「しゅ、修羅場ですね!」

「……」

 男は女性に怒鳴りつけている。彼氏らしき人物は彼女を背後にかばいながら鋭い視線で睨んでいた。

「テメェ! 浮気しやがって!」

「二股かけてたのはそっちでしょ! それがばれて両方に愛想尽かされるなんて自業自得じゃない! それに浮気じゃないわ! あんたとは別れたでしょ!」

「俺は別れるなんて言ってねえんだよ!」

 周囲の人間は遠巻きにして三人を見ている。眉をひそめるより、好奇心に輝く目のほうが多い。隣いる少女も後者だ。

「おおおおお……」

 キュアラは胸元で両手を握り締め、食い入るように見ている。まるで大好きな芝居をみているように。

「…………」

 怒鳴っていた男がついに武器を抜いた。悲鳴があがる。

 武器は両手剣。盾が装備できず、剣も普通の長剣より短い。しかし二本の剣で繰り出される連続攻撃は脅威だ。

「……わかった。決闘だ!」

 彼氏はそういうと腰の鞘から剣を抜き、男へと切っ先を向けた。すると足元から光が円形に広がる。決闘フィールドができたのだ。

 この世界ではプレイヤー・キルができる。いや、人殺しと言ったほうがいいだろう。なぜならこの世界は『VRRPGのゲーム』では無い。現実世界なのだ、もう一つの。

 『決闘』は死ぬことはなく全力で戦い合える魔法だ。戦の神に決闘の誓いをすることで、対象の人物二人以外は入れない空間を作る。その中では人は死なない。だが決闘で死んだ者、敗北を認めた者は制約した事柄を守らなかった場合死亡する呪いを受ける。

「私が勝ったら、彼女につきまとうことを止めてもらう!」

「俺が勝ったら、お前はあいつと別れろ!」

 決闘フィールドの中心で青い光がはじける。戦の神が決闘を認めたのだ。

「でえええええい!」

「オラアアアアア!」

 二人は激しく剣を打ち合わせる。すぐに全身傷だらけだ。お互いに防御する気が無い。ひたすら相手を仕留めようと殺意を乗せた斬撃を繰り出す。

 彼女は両手を祈るように組み合わせて無言で彼氏を見つめる。逆に周囲の人間ははやし立てるように大声を出していた。

「…………!」

「うわあ! あの彼氏さんには勝ってもらいたいですね」

 なんだ、なんだこれは。

「あっ、彼氏さんの突きが肩に決まりました!」

 どうしてこんな……

「ひっ! 危なかったです。逆恨み男の剣が首に刺さるかと思いました!」

 やめろ……やめろ!

「あっ、勝ちました! やっぱりあんな人の恋に割り込むような男は死ぬべきですよね!」

 ちくしょう! どうしてアイツはっ! ちくしょう!

「えっ? アキラさん?」

「なんでなんだよおっ!」

 俺はこの世界から逃げるための言葉を吐く。


「ログアウト・ワールド」


   *****


「……どうして?」

 少女は呆然とつぶやく。

 地面に転がる自分のプレゼントを見つめながら。

 傷だらけになりながらも、恋人を守り通した騎士へ人々は拍手を送る。

 恋人の姫は騎士へ熱い口付けを。さらに人々は喝采と指笛を鳴らす。

 一人立ち尽くす少女を誰も見ない。

 愛する人が消えた少女のことなど誰も気づかない。


   ******


「あああああああああああっ!」

 眼鏡型スマート・デバイスを床へ投げつける。砕けるような音が聞こえたがどうでもいい。

 あれはアイツとの、エミとの思い出の物だった。エミが言ったから買ったのだ。

 エミとは幼馴染みだ。小学校から一緒で、高校生のとき付き合いだした。友人から「やっとかよ。遅すぎるだろうが」とからかわれたりもした。

 エミは幼いころに父親を亡くしている。西暦三〇〇〇年をこえた現在の医療でも治療法が存在しない病気だった。彼女は父親が残した形見、スマート・デバイスの実物を大事に使っていた。

 俺と付き合うようになったとき、エミは言った。

「実体のあるスマート・デバイスを使って」

 現在の世界はワールド・クラウド・システムの基盤の上に成り立っている。

 体に注射一本分のナノマシンを注入すれば、何も持たず世界中のネットワークに接続し、様々なサービスを受けられる。それなのにわざわざかさばる実体型スマート・デバイスを持ち歩く人間なんかいなかった。

 だからこそエミは父親の形見となった、実体のあるスマート・デバイスに執着したのだろう。彼女は他の人が持っていない、父親だけが持っているスマート・デバイスに特別な物を感じていた。

 俺はエミが好きだった。だからすぐに実体型スマート・デバイスを買うことに決めた。

 しかし、値段が高かった。少なくとも、普通の高校生が買うのには躊躇するぐらい。

 そこで俺は悩みに悩み、眼鏡型スマート・デバイスにすることにした。なぜ眼鏡型かというと、エミの持っているような手帳サイズの物や腕時計タイプが気に入らなかったからだ。それまではずっと手やポケットに何も持たず生活していたので、そこに異物を入れるのがどうしても嫌だった。

「……うううううう」

 思い出したくない。思い出したくないのにエミとの思い出が蘇る。

 彼女を二度目の不幸が襲う。二十歳のときだ、母親が病魔に犯された。神の悪意か、父親と同じ病気。

 エミは泣いた。泣いて泣いて、決意する。もう家族を失いたくない。絶対に、どんな方法を使っても母親を死なせはしない。

 母親を死なせない方法はただ一つ、この世界ではない場所へ行くこと。


『異世界への移住』


   *****


 異世界というものは様々な物語に登場する。神話に寓話、ファンタジー小説。

 そんな架空の存在だった異世界を、人間は自らの手で『創造』してしまった。

 ことのはじまりは量子コンピュターの開発と量産化の成功だ。俺は詳しいことなどわからないが、いくつものブレイクスルーで可能になったらしい。

 そこから始まったのが『ワールド・クラウド・システム』の開発。現実の世界には限界があるが、コンピュターの『仮想世界』には限界が無い。そんな理由らしかった。最終目標は地球の全ての情報を仮想世界に保存すること。

 その計画は成功する。いや違う。成功しすぎたのだ。

 理屈を説明しろと俺に言われても困る。日本人の誰かが思いつたらしい。

「仮想的に作った世界の中で量子コンピュターを作れないだろうか?」

 地球全てはまだ無理だったが、ある程度の世界を創造することは可能になっていた。その中で量子コンピュターを作るプログラムを組み、それは成功。

 それに気をよくした誰かは量子コンピューターで作った仮想世界の中で量子コンピューターを作り、そこでまた仮想世界を作りその中で量子コンピューターを作り……という無限ループ・プログラムを作ってみた。すると、世界は『無限に増殖』してしまったのだ。

 慌てて止めようにも、気づいたときには増殖スピードが理解不能な領域になってしまっていた。蜘蛛の巣のように広がる増殖した世界。『元の世界』でプログラムを止めても、それが末端には届かない。なにしろ『増殖の限界』が無いのだ。プログラムを停止させていくのと同じスピードで増えていく。お手上げだ。

 諦めの境地に達した科学者たちは、これを有効利用するしかないと考えた。無限にある仮想世界の量子コンピューター。それを使ってワールド・クラウド・システムを完成させる。それしかない、と。

 二〇〇〇年代初頭から始まった研究は遅々として進まず、百年後、五百年後も新しい世界はできなかった。そして西暦三〇〇〇年のある日、科学者たちは発見したのだ。もう一つの世界を。

 しかし、彼らはその世界を見て愕然とした。なにしろそこに住む人々は『魔法』を使えたのだ。

 いったい何百年前の人間がプログラムしたのか今ではわからないが、誰かが『魔法が存在する世界を作るプログラム』を紛れ込ませていたらしい。

 科学者たちは発狂しただろう。『科学』で『魔法』の存在を証明したのだから。

『高度に発達した科学は魔法と見分けがつかない』いったい誰の言葉だったろうか。

 そんな異世界の発見と大混乱は百年ほど続き、ついに異世界にこちらの世界から人間が行けるようになった。とは言っても仮想的にだ。肉体ごと移動することはできない。

 異世界での肉体と心は、こちら側からプログラミングして向こうの世界で実体化させる。こちらと向こう、二つの世界で同じ人間が存在することになるのだ。しかし難しく考える必要は無い。VRRPGみたいなものだと思えばいいのだから。

 それから異世界との交流やら混乱がさらに百年ほど。そして俺のいる現代となる。今では百を超える世界へ行けるようになっている。

 そして異世界は『仮想世界』なのだが『現実世界』でもある。その世界で生まれ育った人間と、作られ滅びまた新しく作られた国々と歴史が存在している、ちゃんとした『世界』なのだ。

 異世界に行くには資格がいる。まあ犯罪者でもない限り拒否されることは無い。

 しかしいくら異世界でも、やってはいけないことがある。こちらの世界では常識でも、向こうではやってはいけないことは多い。そのあたりは条約が締結されていて、その世界での犯罪はその世界の法律で裁くようになっている。ファンタジーな異世界では罰則として処刑が当たり前のところが多いので注意したほうがいい。

 何が言いたいかというと、VRRPGと違い異世界は現実世界なので法律があり、そこに住む人々には『人権』が存在するということだ。

 家の中に押し入ってタンスをあさり壷を割ってアイテムを手に入れれば窃盗だし、罪も無い人々を殺せば殺人犯だ。プレイヤー・キルは可能だが、自分も殺されることになる。

 それは『元の世界』にも適用される。つまり異世界で犯罪者となった者は、元の世界でも犯罪者となってしまうということだ。今では異世界に対する人々の認識は、手軽にログインできる外国みたいなものである。

 ただし異世界で一度死ぬと、その異世界へは二度と行くことができない。『その世界での自分』は死んだのだから。

 異世界に行くときは、向こうの世界で肉体を再構成する。それはどういうことかというと、簡単に言えば『魔法を使えるようにする』ことだ。

 詳しいことは知らない。ただ向こうの人間とこちらの人間では遺伝子に違いがあるらしい。それはそうだろう。こちらの人間は誰も魔法は使えないのだから。さらに言うなら向こうとこちらの世界とでは決定的な違いがある。『神』の存在だ。異世界に簡単に行けるのも神との契約のおかげらしい。まあ、そのことでこちらの世界では少なくない混乱があったが。一つの国が消滅するほどの。

 この魔法はこちらの世界で再現できるものでは無いが、異世界ではその恩恵を受けられる。手から炎や水を出したり、自分の身体能力を増加させたり……回復魔法で病気を治したり。

 異世界で再構築される体はこちらの肉体の状態をそのまま作り上げる。ただ魔法が使えるようにするのと、その世界独特の『特殊能力』も使えるようにする。俺は華奢な体つきで、筋力に自信は無い。それなのにあの世界、いくつもある異世界の一つ『アムルシード』では『レベル』の概念と『スキル』という固有の世界設定があった。これを使うことでひ弱な俺でもツヴァイハンダーを振るうことができる。

 つまり異世界人にも魔法やスキルのような特殊能力は作用するのだ。

 すでに五感を全て使えるVR技術は完成されていたが、ゲームの域を超えることはできていなかった。CG技術は進歩していて生物を本物同様に見せることは可能だったが、人類の姿は本物と同じにはできていなかった。いわゆる不気味の谷現象を解決できず、どうしても不自然な表情の人間しかCGで作ることができなかったのだ。

 しかし異世界人はCGではない。完全な世界で生まれたまぎれもない『人類』なのだから。

 

   *****


「エミ……本当にいいのか?」

「うん……」

 ガラスの向こうには、透明なカプセルの中でいくつものチューブやコードが体に取り付けられたエミの母親がいた。

 穏やかな顔で目を閉じている。最近は病気のせいで苦しむ表情しか見ていなかったので、それを見てほっとする。

 今日この病院で行うのは、エミの母親の『異世界への移住』

 移住とはその名前の通り、この世界から異世界へ住む場所を移すということだ。

 エミの母親は闘病生活と薬の副作用で痩せ衰えてしまっている。治療法が無い以上、この世界ではあと何年も生きられない。

 そこでエミは必死で母親を説得して、異世界への移住を納得させた。この世界で会うことができなくなっても、異世界なら魔法で治療が出来て元気な母親と笑いあえる。エミはもう誰も家族を失いたくなかったのだ。

 医者がやってきてホログラム・ディスプレイを見せる。母親の移住についての最終確認だ。

「……」

 エミは父親の形見である手帳型スマート・デバイスでサインをした。

 二三の諸注意を言うと、医者は頭を下げて去っていく。俺たち二人も頭を下げた。

「……もう、おばさんは向こうの世界にいるんだよな」

「うん」

 移住した世界は『ルエムンハイト』といって、犬や猫の耳を持つ亜人がいることで人気の世界だ。

 エミと母親は動物が好きだったのでそこに決めたらしい。実際に犬を飼っていたが、数年前に亡くなった。それから二人はペットを飼ってはいない。

「そんな顔するなって。大丈夫だ。向こうは治療院の準備はできてるんだろ?」

「そうだけど……」

 むこうの世界には魔法で怪我や病気を治療する治療院というものがある。すでに入院の準備は整っていて、向こうで構築された体は待機していたスタッフによって運ばれ治療がはじまる手筈になっている。

「お母さん……たまにしか会えないけど……がんばってね」

 エミはガラスに額をくっつけて涙を流す。

 移住するのは母親だけだ。異世界への移住が認められてから、まだ十年ほど。魔法が使えるとはいっても、科学技術はこちらの世界では二〇〇〇年以上昔だ。そんな圧倒的に不便な世界へ住もうと思う人間は少なかった。

 俺はエミの肩を抱き寄せる。縋るようにもたれる彼女の重みを感じて、俺は絶対に彼女を幸せにしようと思った。


   *****


 机の引き出しを開ける。そこには小さな箱。

「…………」

 蓋を上げると、中にあるのは一つの指輪。

 母親の移住のあと、俺はエミとの結婚を考えるようになった。もちろん結婚したいとは思っていたが、数年後ぐらいにはと悠長にしていた。

 しかし母親が病気になり、また家族を失ってしまうと泣いた彼女の姿を見て決意したのだ。俺がエミの家族となり、絶対に幸せにしてみせると。

 すでに仮想空間内の量子コンピューターの保守点検の仕事をしていた俺は、歩合制なのをいいことに、睡眠時間を削ってひたすら仕事をした。婚約指輪と結婚資金のためだ。

 エミも仕事があったし、一人で異世界に行って不安であろう母親に会いに頻繁に異世界へログインしていた。そのせいで会うことが少なくなったが、特に不安は無かった。といより俺は必死だったし、エミは母親のことで頭がいっぱいで余裕が無かっただけだろう。

 そんな生活が半年ほど経過した。もうすぐクリスマスという時期。俺はついに目標金額を達成し、婚約指輪を購入した。

 俺は胸を弾ませながらエミに久しぶりのメールを送った。

「クリスマスだしデートしよう」

 きっと了承の返事が来ると思っていた。だけど返ってきたのは断りのメールだった。

「ごめんなさい。クリスマスはこっちの世界で母親とすごすから」

 俺はがっかりした。しかし母親のことを言われると諦めるしかない。

 その後に会おうとメールを送ったら、今日はずっと異世界にいるつもりらしい。

「…………」

 軽く舌打ちをしてホログラム・ディスプレイを立ち上げる。しかし仕事をする気分になれない。

 どうしたものかと考えていて思いついた。俺が向こうの世界に行けばいいんだと。

「そういえば、ずっと仕事ばっかりしていたなあ。おばさんのお見舞いも行ってないや」

 俺はすぐにスマート・デバイスへ命令する。

「ログイン・ワールド」


   *****


「ここがルエムンハイトか……」

 服装はそまつな貫頭衣とズボン。靴は動物の皮。この世界では一般的な服装だ。

 時刻は夜七時ごろ。向こうではまだ昼ぐらいだった。

 異世界での経過時間は元の世界と同じだ。しかし時差はあるので、そこは注意しなければならない。

「しまったなあ。勢いで来ちゃったけど、面会時間は大丈夫かな?」

 とりあえず適当な店でお見舞い用の花とお菓子を購入する。

 エミの母親の入院先や、退院後の家探しのためここには何度も来た事がある。電灯は無いが魔法による光とクリスマス・イルミネーションで周囲は明るい。

「こっちの世界もクリスマス一色だなあ」

 治療院の前まで来た。見た目は赤煉瓦の平屋建て。ガラス瓶と杖のマークが描かれた木の看板が壁にかかっている。この建物が治療院であることを示していた。

「すいませーん……」

 声をかけながらドアを開く。部屋は一箇所の照明が灯されているだけで薄暗い。なかは狭いながら整然としていて、ここが病院施設だということを感じさせた。

「……で」

 奥の部屋から声と明かりが漏れている。そちらへ歩いていく。少しドアが開いていて隙間から部屋のなかが見えた。

「そうなんですか。ふふふ」

 そこには楽しそうに笑うエミと彼女の母親と……犬耳を生やした男がいた。

「…………」

 男の服装は丈の長いローブのようなものを着ている。胸にあるのは治療院のマークを描いた金属製のプレート。それは男が魔法で治療を行う治療術師であることを示している。

 すぐに入っていけばよかったんだ。「すいません。来ちゃいました」そう笑いながら部屋に入れば……

 でもその時は、なぜか動けなかった。じっとドアの隙間から室内の光景を見ていることしか。

 三人は楽しそうに会話している。エミも男に笑顔を向ける。

 おかしい、何かが間違っている。そんな考えに頭が支配されていた。話の内容など耳に届かない。男が話す。エミが笑う。母親も笑う。男が何か冗談を言ったらしい。エミが男を叩く。しかし叩く力はあまりに弱く、唇が緩んでいる様子から本気で怒っていない様子だとわかる。

 どうしてだ! そこは俺のいるべき場所だ!

 俺とエミは幼馴染みで、子供のころから三人でああやって笑いあっていた。エミの父親がいないことで俺の両親は「エミちゃんの家に遊びに行ってあげなさい」と子供のころからよく言われていた。

 だから俺とエミとおばさんはよく一緒に遊んでいて、たまに「本物の家族またいだ」って言われたりして……

「……っ!」

 手に力が入る。花束を千切れんばかりに握り締めていた。

「ねえ、エミ。クリスマスは私と一緒にいるって言っていたけどいいの?」

「うん。お母さんといっしょにいたいから」

「でもねえ……」

 そんな会話をしていると、男が真剣な表情で思いがけない言葉を言った。

「あの、エミさん。僕と……ツリーを見に行きませんか」

 その瞬間、俺は何も考えられなくなった。

 何で? どうして? クリスマスは俺と一緒に、それで指輪を渡してプロポーズして!

「ああああああっ!」

 気づいたら叫び声をあげながら室内に飛び込んでいた。

「えっ!」

「アキラ!」

「どうした……ッ!」

 俺は男を殴り飛ばしていた。

 派手に吹き飛んだ体は近くに合った小さなテーブルと、その上にあった花瓶を倒す。花瓶が割れて破片と水と花が散らばる。

「ルールさん!」

 エミが悲鳴をあげた。

「どうして、何をしているのアキラ!」

 俺は男の胸倉を掴み、無理矢理立たせる。

「お前が! お前が、どうしてっ!」

「やめて、アキラ!」

 エミがルールから俺を離そうと必死で後ろから引っ張るが、怒りに震える俺は動かない。

「どうしてだ! それは俺の役目だ! エミと話をして、おばさんと笑って……クリスマスだって俺と、俺と……っ!」

 さらに力を込めてルールーの胸倉を持ち上げる。苦しそうな表情だ。

「おかしいだろ! 俺はエミの恋人だ! 俺が家族だ! 俺が守るんだ……なんで、どうしてお前みたいな異世界の人間が! 仮想世界の存在しない世界の人間なのに!」

 最後の言葉を言わなければ結末は変わっていたのだろうか。

 俺の体が光りに包まれる。

「な、なんだ!」

 俺に掴まれて苦しそうにしながら、ルールがつぶやく。

「これは……神の光り……」

『我が世界の住人を侮辱した者よ。立ち去れ。また立ち入ることも許さぬ』

 頭の中に響いた威厳ある声とともに、俺の意識は突然途切れた。


   *****


「……はっ!」

 いつの間にか元の世界に戻ってきていた。

「何があったんだ?」

 スマート・デバイスのログを確認する。

『幻想世界ルエムンハイトの神によって強制ログアウトしました。またこの世界へのログイン権限も消滅しました。詳細はリンク先を参照してください』

「は?」

 しばらく呆然としていた。意味がまったく理解できなかった。

 リンク先の詳細を確認する。どうやらルエムンハイトの神の怒りに触れたらしい。

 異世界は仮想世界でありながら『現実世界』だ。そこに住む意思ある人間や亜人、その他の生物にはプライドも人権も存在する。そして彼らはその世界の『神』の眷属だ。

 世界によって神の性格は様々だ。優しい神もいれば、悪意しか持たない神もいる。ルエムンハイトの神は優しい心を持ち、そこに住む人間や動物を不当に扱い侮辱する人間を許さない。

 俺が言った「仮想世界の存在しない世界の人間なのに」という言葉が神の怒りを買ったようだ。神にとってルエムンハイトは実際に存在する世界であり、そこに住む人間も等しく愛している。それを侮辱する言葉であり、異世界の住人をいないものとする発言は、俺の世界の法律でも侮辱罪となっていた。こちらでは裁判官が罪状を決めるが、異世界での最高裁判官は神だ。

 その神によって、俺は裁かれてしまった。もうエミの母親がいる世界へは行けない。


 その後こちらの世界へ戻ってきたエミと話し合った。

 そうじゃない。話し合いなんかしなかった。

 ルールを殴った俺を非難するエミ。そんな彼女を非難する俺。

 どうしてルールと話していたのかと詰問する俺。彼は母親の主治医だと説明するエミ。

「嘘だ! 信じられない! あんなに楽しそうにしていたのに!」

 なんでアイツなんかとクリスマスを! どうして! 俺は家族じゃないのか!

 怒りと悔しさと混乱していて、俺は自分で何を言っているのかわからなかった。

 交わることが無かった二人の会話はやがて途切れ、別れる。

 俺はエミに連絡しようと思わなかった。向こうからも連絡は無かった。

 やがてクリスマスは過ぎ、新年を向かえ、数ヵ月後に共通の友人から知らされた。


 エミは異世界に移住したと。


   ******


「ううううううう……」

 あの時と同じように、俺は机に肘をついて頭を両手で抱え込み涙を流す。

「あああああああ……」

 噛みしめた歯の間から苦悶が漏れる。これは本当に俺の声なのか。

 あの時と違うのは、ここが実家の部屋ではなく、俺の家だということだ。

 二階建てで風呂とトイレは別。リビングとキッチン以外に五部屋。土地込みで二〇〇〇万。新築にしては安いが、さすがにローンを組んだ。

 この家は、エミと結婚したら住みたいと思った家だ。エミが移住したと知らされた後、すぐに購入した。

 親も友人も反対したが、あの時の俺はどうしてもこうするしかなかったのだ。エミを失い、夢見ていた幸せな生活が消滅した俺は、その残滓に縋らなければ生きることができないと思いつめてしまっていた。

「ああ……うう……」

 机の引き出しを開ける。そこには小さな箱。蓋を開ければ、エミに渡すことができなかった婚約指輪。

 不意に手から力が抜けた。手から零れ落ちた箱は床へ落下して、指輪が箱から転がり出る。

 それを見ても何も思わなかった。何も感じなかった。エミに渡せないなら意味が無い。

 目の前のホログラム・ディスプレイに気づく。

「…………」

 スマート・デバイスに命令しようとして気づく。そういえば、眼鏡型スマート・デバイスは無いのだった。エミとの絆だったもの。実体のあるもの。

 エミはこの世界にはいない。仮想世界の、実体の無い、しかし現実である世界。

 数年ぶりにクラウド化されたスマート・デバイスを立ち上げる。データは今まで使っていたものが、ワールド・クラウド・システムの中に保存してあるので問題ない。

 そもそも実体型スマート・デバイスは『実体のある物体でしかスマート・デバイスを存在させることができなかった』から作られた。しかし、仮想世界の中でスマート・デバイスを存在させることができるなら『実体のあるスマート・デバイスは必要ない』のだ。

 

 実体のあるものは、

 仮想世界の中で再現できるのなら、

 実体は必要ない。


 ホログラム・ディスプレイに仕事用ツールを呼び出す。

 俺の仕事は仮想世界を作る、仮想世界の量子コンピューターの保守点検。異常が無いか、世界を構成するプログラムに問題が無いか。

「…………」

 空中に指を蠢かし、バグや破損箇所を直す。無限に構築されている量子コンピューター群は、とんでみなく強固な城だ。それでもハッカーという人間は挑みたくなるらしい。

「…………」

 とある異世界にワームを送ったりクラッキングをしかけた痕跡を発見し、当局へ通報する。おそらく明日か明後日には捕まるだろう。

 何で俺はこんな仕事をしているのだろう?

 それはエミとの繋がりが欲しかったからだ。

 エミは異世界に移住した。異世界を作っているのは仮想世界の量子コンピューターだ。もしそれに異常があれば、異世界が消滅してしまうかもしれない。

 エミが消えてしまう。それは嫌だ。

 だから俺は量子コンピューターを形作るプログラムをひたすら調べ、直し、改良し、また調べる。エミを守るために。


 本当に?


 エミは存在する。仮想世界の異世界に。

 俺の世界にはエミの体は存在しない。焼却され、父親と同じ墓の中で眠っている。そのことを彼女が望んだのだ。もうこちらの世界に帰れないけど、父親と一緒にいたいと。母親の体はまだ存在している。病気の治療法の解明のために。体が老衰すれば同じように焼却され、家族三人が同じ墓に入るだろう。

「………………」

 俺の世界にエミはいない。しかし仮想世界の中に彼女は存在している。

 こちらにいる友人とはメールをしたりしているらしい。向こうの世界へたまに遊びにいったりもしているという。

 エミはルールと結婚したと聞いた。子供も一人、去年産まれた。犬耳がかわいい男の子だそうだ。

「……………………」

 俺の世界にエミはいない。でも、エミは存在する。

 見えない、会えない、触れられないけれど存在する。

 ここにはいない。けれど、向こうにいる。

 此方と彼方。遠すぎる距離。

「…………………………………………」

 いないけど、いる。いるけど、いない。

 指の動きが止まる。

「……ログイン・ワールド」

『その世界へのログインは拒否されています』

「……ログイン・ワールド」

『その世界へのログインは拒否されています』

「……ログイン・ワールド」

『その世界へのログインは拒否されています』

「……ログイン・ワールド」

『その世界へのログインは拒否されています』

「……ログイン・ワールド」

『その世界へのログインは拒否されています』

「……ログイン・ワールド」

『その世界へのログインは拒否されています』


   *****


 いない。エミがいない。

 どこにもいない。俺の世界には。


 好きだった。彼女のことが。

 愛していた。エミのことを。


 エミは家族を失うことを恐れていた。

 だから俺はしっかりと結婚資金を貯めて、婚約指輪を買ってプロポーズしようと思った。

 住む家も調べた。できれば一軒家に住みたい。小さくてもいい。エミがいれば。

 子供は何人がいいだろう。二人は欲しい。俺とエミは一人っ子だったから、兄弟に憧れがあるのだ。


 だけどエミはいない。この世界にいない。俺の世界から消えた。


 エミは存在している。異世界のどこかに。

 会おうとおもえば誰でも会える。異世界に行くのは簡単だ。スマート・デバイスに命令すればいい。

「……ログイン・ワールド」

『その世界へのログインは拒否されています』

 友人たちもよく会いに行っている。犬耳が生えた赤ちゃんは非常にカワイイらしい。

「……ログイン・ワールド」

『その世界へのログインは拒否されています』

 会いたい。エミに会いたい。

 話したい。エミと話したい。

 触れたい。エミに触れたい。

「……ログイン・ワールド」

『その世界へのログインは拒否されています』


「あ!あ!あ!あ!あ!あ!あ!あ!あ!あ!あ!あ!あ!あ!」


 無理なのだ。エミはいない。俺の世界から消滅した。

「ううううううううううう!」

 いや、違う。エミは消えていない。異世界に存在している。

「だけど! 会えない! 話せない! 触れられない!」

 そんなもの、存在しないのと同じだ。

「……ログイン・ワールド」

『その世界へのログインは拒否されています』

「……ログイン・ワールド」

『その世界へのログインは拒否されています』

「……ログイン・ワールド」

『その世界へのログインは拒否されています』

「……ログイン・ワールド」

『その世界へのログインは拒否されています』


   *****


 何度ログインしようとしたのだろう。

 ホログラム・ディスプレイには『その世界へのログインは拒否されています』というログで埋め尽くされていた。

 そこでやっと気づく。

 俺の世界からエミが消えたのではない。

 エミの世界から俺が消えたのだ。


 無性に笑いたくなった。いや、すでに笑っている。

 大声で、目と口を大きく開き、壊れたように狂ったように笑い続ける。


「…………ログアウト・ワールド」


   *****


『この世界からのログアウトは不可能です』


   *****

ヒャッハー! 無職でむかえる初めてのクリスマスだあー! もちろん独りだぜえー!


というノリで書いたものです。なので設定の甘さは仕様です。


独りの方の癒しになれば。

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