第8話
「誰か来ていたのか?」
ライオネルが訪ねてきたのはテッドが去ってすぐのことだった。
もうすでに恒例となりつつあるお茶の時間だとはいえ、今日は随分早い。ライオネルの政務の都合に合わせているので、常に決まった時間に行なっているわけではない。大抵予定より遅くなり、今日のように早くなることは本当に珍しかった。ましてや、手に書類を持っているのも珍しい。
おかげでまだ余裕があるはずと、ゆったりと片づけをしていた侍女たちが慌ただしく動き回る。
「失礼いたしました。先程まで商家の方がいらしておりましたので」
シアが不手際を詫びると、ライオネルが納得顔で頷いた。忙しなく動く侍女たちにも気にしないように告げ、長椅子に座り自分は持ってきた書類に目を向ける。
せっかくの気遣いだが、侍女たちは恐縮しきっている様子だ。無暗に恐れられているわけではない、むしろ慕われている。ゆえに逆に緊張で手先が震えている年若い侍女を見ていると、シアは可哀想なような、おかしいような気になるってしまう。
忍び笑いを洩らすと、ライオネルがまじまじとシアの顔を見つめていた。反射的に笑みを返せば、憮然とした表情に変わる。何故だろうか。
「お前に手紙だ」
ライオネルが差し出す。封蝋には公国王家の紋が押され、差出人は王妃とあった。つまりは、王の妻、義姉ということである。彼女とシアは親族となる前から親しくしており、感慨深げにその名を撫でる。
ライオネルは再度書類に目を戻しており、これがシアに対する気遣いなのだと気付く。早く来たのも、仕事を持ちこんだのも。
封を開け、中の便箋を取り出す。
時候の挨拶に始まり、シアの近況を尋ね、手紙を出さないことへの苦言。同じく妹に手紙の1つも出さない兄への文句が、2枚に渡って書かれている。続いては公国の状況で、予想よりも落ち着いていること、周辺国とも問題ないこと、家族のことも心配しないでよいとあった。
読み終えて封筒に仕舞うとライオネルと目が合う。
「わざわざ、ありがとうございました。嬉しいです」
「ああ。中は改めない。手紙ぐらい出してやれ」
「改めても私は一向にかまいませんが」
悪戯っぽく笑うと、ため息を吐かれる。
その頃にはお茶の支度も済み、いつもと変わらぬお茶と数種類の茶菓子が出される。それらに手を伸ばしながら、シアは思い出したように尋ねる。
「こちらに出入りしている商家とは長い付き合いなのですか?」
「それなり、といったところだな。先王の時ぐらいから城に出入りするようになったはずだ。南やら東やら手広く商売をしている。時には他の職人との窓口にもなっているから、ドレスでも何でも何か欲しいものがあればまずあそこに言えばいい」
「そうなのですか。ですが、暫くは今あるもので十分です」
「予算内なら好きにしてかまわない」
今は無用だときっぱりと断る。
社交界に呼ばれないのをいいことに、読書に刺繍にお茶にと自由を謳歌している身だ。衣服も装飾品も必要ない。
とはいえ、王妃のために年間予算として多くのお金が用意されていることも知っている。それらは、いずれ慈善活動にでも使うつもりだ。死蔵していては何の役にも立たない。大量のお金を留めることは経済の停滞にもつながる。
探るような目つきで、今度は逆にライオネルが尋ねる。
詰問している風でもなく、興味とちょっとした牽制程度であろう。疚しいことがあるはずもなく、シアは視線を真っ向から受け止める。
「なぜそれを気にする?」
「公国との交易を考えているとのことでしたので少し気になりまして。いかんせん封鎖的な土地柄ですので、できるだけ情報がほしいと」
「確かに、最近北に出向くようになった商人たちが嘆いていたな。商売にならないと」
「左様ですか、頑張りに期待せねばなりませんね。――それで、私と話しがしたいと言っておいででした」
「そうか」
短く答えるとそれきりこの話には興味を失ったようだった。
その後は何事もなく、穏やかにお茶会は終わった。
ライオネルを見送ると、部屋が随分静かになったような気がした。珍しく、2人も連続で訪ねて来たからだろうか。
片づけを侍女たちに任せ、シアはシュリを伴ってバルコニーへと出る。頬を撫でる微かな風が心地よい。
足元に置かれた鉢へと目を向けると、そこには小さな芽が覗いていた。帝国に来てから植えた花がもう芽吹いていたのだった。
その様子に目を細めていると、背後のシュリが小さな声で報告する。
「よくないご報告があります」
振り返ることもなく、話しの続きを促す。
はたから見れば王妃と侍女が鉢の芽を愛でているようにしか見えないだろう。
シアにしか聞こえない声量で、報告が続けられる。
「先程、商人から頂いた茶葉から毒物が検出されました。どの程度のものか、何の毒かは不明です。わかり次第、ご報告いたします」
微動だにせず、シアは報告を聞いていた。
変わらず笑みを浮かべながら。