第6話
お気に入り1,000件突破ありがとうございます!!
諸事情で更新休止中ではありましたが、ちょこっとUP。短めです。
滑らかで、独特の光沢を持つシルク。正方形のその布に縁取りを施し、四つ角の1つに動植物を縫い取る。
慣れ親しんだ作業は、特に意識せずとも手が動いていく。
視界の端にティーカップがそっと置かれるのを見て、シアはようやくその手を止めた。万が一にも汚れないように布と針を脇に除けて、お茶を飲んで一息つく。
長年一緒にいた経験から、接妙なタイミングで茶を入れたシュリが静かに控える。
他の者は誰もおらず、気の置けない主従2人だけがこの部屋にいた。
いつもなら心安らかな時間を過ごすものだが、今日は違った。
言葉なくともわかる。互いをよく知る者の特権として、相手の微かに漏れ出る気配を察して声をかける。
「ねぇ、シュリ。何か聞きたいことでもあるの?」
水を向ければ、完璧な侍女の表情から少し不機嫌気な素の顔をシュリが覗かせる。
「どこがよろしいのか理解できません」
「私はあなたがそれほど嫌う方がわからないわ」
あえて避けた固有名詞を言及はしない。何を指し示しているかは、分かりきっている。
ずっとずっと一緒にいた。シュリは、シアの結婚観も夫婦観も知っている。シアが婚姻に将来に希望も夢も見出していないことも、よく知っている。
それでもなお、シュリがシアの幸せな未来を望んでいることもわかっていた。
でも、譲る気はない。だから、無為な会話を続ける。
「年齢? 継子の存在? それとも、待遇?」
「全てです、と言ったら、どうなさるのですか?」
「特に何も」
にっこりと笑ってお茶をすする。
シュリは驚くこともなく、空になったカップにお茶を注ぐ。
「ああいった男性を嫌っていたではありませんか」
「でも、あの方は今まで見てきた殿方とは違うと思うの」
シアに言いよって来た男がいないわけではない。
王族の娘を娶るというだけで、それなりの利益を享受できる。位の高い貴族にはそれほどでなくとも、中下級貴族や貴族の次男三男にはこれ以上もないご馳走だ。
教科書でもあるかのように、お決まりのセリフしか吐かない男たちは、シアがたまにしか夜会に出ない分しつこかった。その度に上手くあしらってきた。
――不幸で哀れで可哀想な姫君、私があなたを守り、愛して差し上げましょう。
彼らがシアに対する根柢の認識。
彼らはシアの意思を認めない。儚く可憐な姫の像から外れる行動を許さない。
当然のこと。彼らは姫という人形が欲しいだけ。それがどんな名前でも気にしない。でも、できれば己の理想通りの人間であってほしい。
ライオネルとの初夜での会話は、シアに期待と落胆を味あわせた。
端からシアをシアとして見ず、噂通りの姫君としか見なかった。その上、王妃の像に当てはめた。その一方で、何も求めないと切り捨てた。好きにしろと許可した。それがどれほど甘美なことだったろう。そして、許せないことだったろう。
相反する感情が、シアの中に夫に対しての今までにない興味が湧き起こした。
常に被って来た数匹の猫を振り捨て、素の自分で接する。レイフォードとの約束は既にきっかけの1つに過ぎなかった。
想像と現実の落差にどう反応するかと、心を躍らせた。
怒るなら興ざめ、無関心ならつまらない。さあ、どうくるのだろう。
「あの方は、誰よりも一番私を貶めながら、誰よりも一番私を理解してくれるような気がするの」
挨拶がしたいと頼んだ時も、近づくなと言われていた執務室に押し掛けてお茶に誘った時も、ライオネルは驚き怒っては見せてもけして無下にはしなかった。
「一応、あの手この手で3,4回ぐらいお誘いするつもりだったのに」
断られること前提で、シアは行動しているつもりだった。挨拶ならまだしも、お茶の誘いはライオネルにとっては迷惑以外の何物でもないとわかっていた。
それなのに、ライオネルはあっさり了承した。適当な理由を付けて反故にすることも容易かろうに、それもせずに当たり前にやって来た。
ライオネルは、よくシアの話に耳を傾けた。新婚夫婦とは思えないような会話内容ばかりではあったが、シアが経験した男との中で最も楽しいものだった。
レイフォードが言っていたような頑なさは見られなかった。
むしろ、柔軟にシアという存在を受け入れつつある。
「シア様は、お嫌いなのですか? お好きなのか?」
「どちらでもないわ。好きでも、嫌いでもない。でも、良き夫婦にはなりたいの。お互いのことを知るのは、その第1歩」
おかしいことじゃないでしょう、と首を傾げる。
そう、短い間だけでも随分夫のことを知りつつある。
自分から多くを語らないが、相手の話はよく聞いていること
相手の言い分によっては、己の意見を変えることもやぶさかではないこと。
家族である子らのことをいつも考えていること。
存外シアのことも気にかけてくれていること。
驚いた顔、呆れた表情は可愛らしいと思った。
怒った顔、真剣な表情が素敵だとも思った。
難色を示しても、意外と素直に許してくれた。
始めはあんなにもシアのことを哀れな娘だと決めつけていたのに、素で接するシアを受け入れつつあった。
それでもまだ、シアに対する認識を変えていない部分もある。
それがとても嬉しい一方で、不愉快だった。
じっとシアを窺っていたシュリが口を開く。
「好きになる気はあるのですか?」
「どうでしょう。それはきっと、気の向くまま、心の赴くままでしょうね」