第5話
ライオネルにとってシアは押しつけられた妻であり、王宮に渦巻く嵐に巻き込まれた哀れな花に過ぎなかった。
温室に閉じこもって小さく咲き続けるか、徒花となって枯れ朽ちるか、それとも嵐の一部になり下がるか。いずれかの未来しかないだろうと思っていた。
約束通りライオネルはシアの私室に向かっていた。
先触れも出さずにやってきたために驚愕する侍女を尻目に、部屋を見渡す。数年ぶりとはいえ良く知る部屋は、主が変わったと言うのにあの時と変わらないような気がした。
しばらく、しみじみと部屋を見回していたが、肝心のシアの姿が見えないことに気がつく。
侍女たちに指示を飛ばして茶の支度を進めるダリアに、シアの居所を尋ねる。呼んでくると言うダリアを留め、ライオネルは自ら妻を迎えに行った。
テラスから庭に下り、奥まった方へと足を向けるとすぐに見つかった。1人の侍女を連れ、地面にしゃがむ後姿が目に入る。何かをしているようだった。
その手元が見えるほどになって、侍女がライオネルに気が付いて弾かれたように立ち上がる。
「土いじりが趣味か?」
ゆっくりとした動作で立ち上がり、こちらに振り返ったシアは土に汚れた前掛けと手袋を付けていた。そして足元には土や鉢植え、シャベルなどが散乱していた。
「趣味、と言われれば、趣味なのかもしれません」
汚れた前掛け等を脱いで侍女に渡しながら答え、ライオネルのもとへと歩く。
近くまで来たところで踵を返すと、特に何か言うことなく付いてくる。
「わざわざここに来てまでやっているのに、趣味じゃないのか?」
「そこまでたくさんの花を育てることはできませんから。私が育てられるのは精々2,3種類です」
部屋に戻る頃には既にお茶の準備は済んでおり、案内されるままに席に着く。
「何の花だ?」
「護華と呼ばれる花ですわ」
そこで一旦切って、悩むそぶりを見せる。
「5枚の花弁をもつ花で、昔は五華と呼ばれていたそうです。根や葉が薬になると知れ、また、甚大な被害をもたらす流行り病に効くと分かると、当時の王が国を護る花。護華と名を改めたそうです」
「北の花が、ここで咲くか?」
「品種改良してありますから、手間暇をかければどこでも咲きます。国でも育てていましたから、おそらく咲かせられると思います」
シアがお茶の香りを楽しみながら口に含む。
始めて見るそのお茶からはほのかな花の匂いがして、女が好みそうな甘いものを想像したが、予想外にも口当たりも後味もさっぱりしたものだった。
いかがですかと、シアが尋ねれば、ライオネルは素直に頷いた。これは疲れた時には砂糖を入れても美味しいだろう。
「いいのか、そんな大事な花を帝国で栽培して?」
「かまいません。昔の逸話ですし、今はより薬効のあるものが見つかって、それほど重要な花ではありませんもの」
「ならば、なぜ育てている?」
「調合次第であかぎれやささくれに良く効く薬になりますので」
一国の王女が手荒れの薬について話しをする。ちらりとシアの手を見ても、爪も指先もそんなものは知らぬかのように綺麗なものだった。
視線に気付いたシアが苦笑する。
「使うのではなく、売るのですよ」
曰く、作った薬は孤児院の子どもたちと共に売り、それで得たお金で染色や縫製などの仕事道具を買わせる。しばらくの間はシアが馴染みの商人に頼んでできた商品を卸させていたが、慣れて質も数も安定すれば紹介の有無に関わらず続けられる。中でも優秀な子は自分の商品を売り込み、働き口を確保することもできる、と。
普通に施して、仕事も斡旋すればいいだろうと言えば、それでは意味がないと言う。
「私がいなくても回る仕組みがなくてはいけません」
施すのでは、シアがいなくなれば全て終わる。あくまで、自分たちの力で作られた機会を繋いでいかないといけない。もらうだけではなく、努力して掴みとらせなければ続かない。そうすれば、シアが居なくなっても商人との繋ぎもなくなることはない。上手くいけば、何代もそうしてやっていくことができる。
慈善活動は、一番手っ取り早い人気を得る手法だ。
金を物をばら撒くだけで、人は高潔で慈悲深い者とみなす。例えそれが一時だけの改善で、根本的な問題は何も解決できていなくても、だ。
王族のそれも変わらない、貴族主義ではなく民衆のことも考えていると知らしめるに最適な方法。即自的な点数稼ぎでしかない。
労働を知らない手、豪奢なドレス、不自由ない生活。目の前の少女は根っからの王族のはずである。
それなのに、何一つあてはまらない。思考も感情も行動も。
初夜の席でライオネルが始めてかけた言葉は牽制と拒絶だった。
泣き出すでも怒るでもないシアは、穏やかに笑った。驚きはしたが、男に唯々諾々と従う女には興味はなかった。必要以上に会うことも話すこともないだろうと、その存在は頭の片隅へと追いやる。
翌日に会った時は、シアから近づいてきた。身分の低い者を庇い、頼みがあると引きとめた。
子らに会いたいと言う願いは、取り入るつもりかと詰問した。
わずかな怒気に反応して、離れた所から様子を見守る侍女が青くなる。花よ蝶よと育てられたものなら、腰を抜かすかとも思えたが、あくまで真っ直ぐ己を見つめ返してきた。他意はないと説明しつつ、駄目ならいいと引いてみせる。
試しに会わせてみれば、あしらわれるでもなく受け入れられていた。
今まで幾人もの女が王妃の座を求め、子らを手なずけようとしてきた。しかし、誰一人できた者はいない。それなのに、シアはあっさりと成し遂げた。
誇りに頼るでもなく、従うだけの女でもなく。ライオネルが今まで見てきたどんな種類の女にも当てはまらない。
百戦錬磨の男ですら時に震え上がらせる視線をものともせずに受け止めて、自分の意思を押し通す強かさをみせる。その思考は理性的で下手な貴族の男よりも使えそうだ。
『父上に相応しい姫をお送りします。苦情は輿入れしてから言って下さい』
ふと、己に隠して縁談を取りまとめたレイフォードの言葉が頭をよぎる。
その時は、息子の成長に目を見張っただけであったが、今は全く違う思いを抱く。
嵐の気配は早々に感じていた。
かつて嵐に散っていた女性を思えば、苦いものが広がるが、過去に囚われることはできない。
目の前の娘に微かな期待と興味を抱きながら、静かな時は進んでいく。
ライオネル視点でした。
心情描写少な目だったのでこっから増やしていきたいと思っています。