第4話
今回は視点が変わります。わかりにくかったら、すみません。
レイフォードは、父王に提出する書類を持って廊下を歩いていた。
成人を目前に控えた彼は、次期国王となるべく軍務・内政・外交と種々の仕事を任されるようになり、こうして王の執務室に報告に行くこともよくあることだった。父から課せられるものはけして簡単ではなかったが、幸いにも才覚と人材に恵まれてこれまで大きな問題もなくこなしてきた。
シアに出会ったのも、そうした仕事の1つだった。
北方3国との戦争は、帝国の圧勝という形で終わった。
主犯国は、王妃と赤子の王子を除く王族は全員処刑された。加えて、王都まで攻め込まれたせいでほとんどの貴族や官吏が逃げ出し、その国の政務もライオネルを始めとする帝国の者がやらねばならない状況だった。そのため、戦後処理は多忙を極め、多くの者たちがあちこちを駆けずり回っていた。
しかし、残る2国とも戦後交渉を速急に行なわなければならない。
まだ自由のきくレイフォードが、熟練の補佐を付けられ公国へと赴いた。
公国とは、実を言えば刃を交えていない。宣戦布告はあったが、いざ開戦という所で公国の王が病に倒れたとの報が入った。王位争いの火種を抱える公国はそれで動けなくなり、帝国としても無理に争う気はなく、国境線での睨みあいとなった。結局、どちらも動かないまま終戦となった次第だ。
元々同盟国との義理で参戦した公国に、帝国への敵意は少なく、幸い被害もなかった。ゆえに若いレイフォードが任されたのだろう。
実際、公国の権力を握った第1王子との交渉は概ね上手くいき、戦争相手だったにもかかわらず歓迎されて王城は快適だった。
交渉の大筋は満足していたが、同盟に関しては後ひと押しが欲しいところだった。
今まで密なつきあいがなかった分、確かな同盟の証があればなお良い。
公国の次期国王の同母の妹。彼女が帝国に嫁いでくるのが理想的ではあった。
とはいえ、理想は理想と、それはただの思いつきで実行する気はなかった。妹を人質に渡せなど、相手の感情をむやみに逆なでするだけだとわかっていた。
しかし、交渉が順調に進み、空いた時間に王女と会って気が変わった。
不遇の身の上の可憐な姫君。
少し話しただけで、噂とは全く違うと気がついた。王族の自覚と聡明さ、そして芯の強さ。
確信めいた予感が頭をよぎり、補佐官や宰相を巻き込んで交渉は続いた。
見慣れたはずの父の執務室は、冷たい空気が満ちていた。
重厚なオーク材の執務机をはさんで対峙しているのは、部屋の主でもあるライオネルとその妻シアだった。
常と変らず笑みを浮かべるシアに対して、ライオネルは眉間にしわを寄せて睨むように妻を見ている。獅子の一睨みともいえる視線は今まで多くの者を震え上がらせてきたが、シアには動じた様子など一切ない。
互いを見つめあう新婚夫婦にも関わらず、甘い雰囲気は一切なく、むしろピリピリと肌をつつくような緊張感に包まれていた。
その緊張感も、レイフォードの登場でわずかに緩んだ。
「どうなされたのですか?」
図らずも2人から視線を浴びることとなり、半ば義務感で問いかける。
「陛下をお茶にお誘いしていたのですよ」
「お茶に、ですか?」
ええ、と頷くシアは楽しそうに答える。
「陛下とて休憩も入れず、ずっと政務に就かれているわけではないのでしょう? その休憩時間の1つを私と過ごしていただけませんか、とお願いしていましたの」
同意を求めるように、シアがライオネルの方に向き直る。
否定も肯定もせず、渋面のライオネルは沈黙を貫く。無言は、肯定だ。
「どのような理由で夫婦になったとしても、私は誠心誠意お仕えいたします。そのためにも、陛下のことをもっと知りたいと思いますの」
「必要ない。言ったはずだ、何もしなくていいと」
「ですが、私の好きなようにしてよいとも仰いましたわ」
「何でそんなことを望む? 惚れたわけでも、好きなわけでもないだろう」
ライオネルの声はことさら冷たく、射るような視線を向ける。
そんな視線を受けても、相変わらずシアは変わらない。むしろ、花開くように笑う。
「ええ、もちろんこれっぽっちも好きではありません」
ライオネルだけでなく、レイフォードも唖然とした顔をする。
好きではない。当たり前だ。
一昨日始めて会った者同士であり、大局のためだけに結婚を承諾した間柄だ。
「だからこそ、私は陛下のことをもっと知りたいのです」
「知って、好きになるとは限らないだろ」
「私、陛下を好きになりたいなんて言っておりませんわ」
一転して困ったような表情を浮かべるシアに、ライオネルは言葉を失くす。
確かに王族の政略結婚で愛も恋もないとはいえ、あまりに身も蓋もない。
シアは言う。
愛情がなくてもよい家庭を築く夫婦もいる。苦労して好きあった相手と結婚をしても、憎み合って好き勝手に生きる夫婦もいる。
自分は、愛だの恋だのにこだわらない。信頼できればいい、と。
「私は精一杯、あなたに尽くします。何があろうとも、どう扱おうとも私は陛下の妻でありますわ」
「……」
「別に、恩を着せたいわけでもありませんの。私が『好きに』していることです」
「――それでも、許可しないと言ったら?」
「別の方法を考えますわ。同じ所で暮らしているのですし、時間もたくさんありますから」
言外に諦めないと言い切る。
今日のところは退いても、いずれまた何らかの誘いをしに来るだろう。
厳格な王にして、勇猛な将。
敵には情けをかけず、時には非道な手段もためらわない。戦で多くの命を奪い、政治で民の生活を支える。慕われながらも恐れられる。
しかし、シアはライオネルに気後れすることはない。
微笑みを顔に張り付けながら、邪険にしようともどこまでもついてくるような気がした。
「わかった、時間が空いた時に一緒に茶をすればいいんだろ」
「まあ、よろしいのですか。ありがとうございます!」
突然折れたライオネルに意外そうな声を上げる。それは、話しを聞いていたレイフォードも同様なようで、驚いたような表情をしていた。
休憩時にシアの部屋を尋ねる約束をし、代わりに執務室には近づかないように言い含める。釈然としない様子ではあったが、強く言い聞かせて了承の意は得た。
静かにシアが退室したのを見届けてから、視線をレイフォードに移す。
表情が引き攣るのに気付かないふりをして、持ってきた報告書を受け取り、容赦なく手落ちを指摘する。
最後に書き直しを命じて、机に積まれた己の仕事へと戻った。
なぜかちょっとしたコメディ回になった気がしなくもない。
最後はやつあたりじゃないですよ、多分。
2人が思い合うまではまだまだかかりますが、お付き合い下さると嬉しいです。