第2話
朝、起きて見ればライオネルの姿はもう既になく、広い寝室にはシア1人だけが残されていた。
シアは自室に戻ると侍女の手を借りて着替え、そのまま部屋で食事をとった。
食事が終わり、食後のお茶を飲んでいると王妃付きの侍女となったダリアが傍に寄ってきた。ダリアは他の者たちよりも年配の侍女で、シアの側付きの取りまとめ役でもある。
「王妃様、本日はどのようにお過ごしになられますか?」
茶会などの誘いもないシアにとって、特に予定は何もない。
「そうですね。殿下たちにご挨拶したいのですが」
「申し訳ございません、それは陛下のご許可がないと致しかねます」
申し訳なさそうな表情をしつつも、きっぱりと断られ、シアは不思議そうな顔をする。しばらくダリアを見つめてみたものの、微動だにしないのを見て挨拶は諦めることにした。
「では、本を持って来ていただけますか」
「はい、どのようなものがよろしいでしょうか?」
「帝国の文化や歴史などが書かれているものをお願いします」
「承知いたしました」
どのような理由で帝国に来たとしても、これから暮らしていく以上、文化や常識に関する知識は必要だ。公国でも帝国に関する本は一通り目を通したが、自国と他国で得られる情報には差がある。
とはいえ、情報は貴重なものである。断られる可能性を考えつつも頼めば、この要望はあっさりと許可された。
ダリアは、慇懃に頭を下げてから退室していった。
「シュリ」
「はい」
呼んだのは公国から共に来てくれた侍女の名。幼い時から一緒におり、シアにとって姉のような存在でもあった。
ふと思い出したことを尋ねる。
「公国から持ってきた贈り物は届けてくれた?」
「全て手配済みです。ただ……その……、陛下はどのような方でした?」
「そうね、素敵な方だったと思うわ」
言いにくそうに尋ねるシュリに、あっさりと返せば唖然とした表情をした後、何とも言えないような複雑な表情をした。シアにもその気持ちはわからなくもないので、余計な言葉は重ねずに放っておく。
知らず口元に笑みを浮かべながら、静かに茶を啜っていた。
午後のうららかな陽光が降り注ぐ中、シアは数人の侍女を連れて庭を散策していた。
昼前は書庫から持って来てもらった本を読んでいたものの、目新しい記述はなく、すぐに読み終わってしまっていた。1日に何度も本を持って往復してもらうのは憚られ、この後の時間をどう過ごすか考えていると、ダリアが庭園での散歩を提案してきた。断る理由もないシアは、シュリと幾人かの若い侍女を連れて外に出た。
見習いらしい若い庭師の案内のもとでゆったりと歩く。
公国では見られない花も多く、一流の庭師によって整えられた庭は目に楽しい。庭師は、若いながらも知識は豊富で、口を閉じる間もなく説明して回る。
気のいい性格なのだろう、丁寧な案内だけでなく、シアのちょっとしたお願いにも快く請け負ってくれた。
庭師の熱の入った口上を聞きながら歩いていると、垣根の陰から静かに人が現れた。
危うくぶつかりそうになった庭師は素っ頓狂な声を上げて驚き、その相手が誰だかに気付いて飛び退いた。
「こんな所で、何をしている?」
突然の国王陛下の登場に、皆が慌てて頭を垂れる。
散策は、王族の私室が集まる棟の庭だけにしておくはずが、知らぬうちに政務などを執り行う区画に入っていたらしい。
自分の失態に気付いた庭師が、体を震わせ、口をパクパクと動かしている。
シアが一歩前へと立つと、淑やかに謝罪した。
「ごきげんよう、陛下。案内を頼んだ私の責任です、お許しください」
「咎める気はない。だが、あまりここに近づくな」
「ありがとうございます。――お願いしたいことがあるので、少々お時間いただけませんか?」
「わかった」
踵を返そうとしたライオネルに声をかけると、訝しげな表情をしながらも了承した。
シアは青い顔をした庭師に案内の礼を言い仕事に戻ってもらい、成り行きを見守っていた侍女にライオネルが手を一振りすると声が聞こえない程度に距離をとる。シュリが心配そうな顔をしていたが、安心させるためにも1度頷いて見せた。
なぜかシアが来た道を戻る夫の背を追いながら、問いかける。
「陛下?」
「部屋まで送る。で、話とは?」
「ええ、殿下らにご挨拶したいのですがよろしいでしょうか?」
急に立ち止まり、振り返ったライオネルと向き合う形になる。その声も表情も険しいが、シアに動じた様子はない。
「何のために?」
「何故、と問われても困ります。仮にも縁続きになるのですから、当たり前に行うものだと思っていました。人でなくとも、群れをなすものは獣であれ挨拶するのですから、人間であるためにも挨拶はすべきことではありませんか。
ですが、何かご懸念があってならぬと仰るのであれば、諦めましょう」
「――好きにしろ。明日の朝食は食堂でとれ。朝は基本的に揃って食事をとることにしているから、その時に挨拶すればいい」
「承知いたしました。機会を与えてくださり、ありがとうございます」
話は終わったとばかりに、再び歩き出したライオネルをシアは追う。
王族、家族。
一夫一妻を貫く帝国においては、王位争いも家族内の確執とも縁がないらしい。
現に、比較的新しい国であることも手伝って、帝国内で王位争いや父王殺しなどは1度も起きていない。
公国でもそうした諍いを避けるために、王妃や子らに差をつけることを禁じられているが、ほとんど形骸化している。
王自身は公平を心がけていたが、それが周囲に伝わらなければ全くの無意味だった。結局、王族や貴族を巻き込んで、第1王妃派と第2王妃派に分かれて争うこととなった。
派閥の筆頭である王妃や異母兄、異母妹とシアが会えばいがみ合うのが必定なため、ここ数年は公務以外で王族が一堂に会することはなかった。ましてや、一緒に食事など記憶にない。
下手すれば数カ月顔を合わさないこともある。
「陛下は、毎朝家族と顔を合わせていらっしゃるのですか?」
「忙しくて、子の顔も性格も知らないなんて問題だろ」
「そう、ですね」
「公国ではどうであれ、ここじゃそれが普通だ。――着いたぞ」
気がつけば、シア達が庭へと降りたところまで来ていた。
「お送りくださり、ありがとうございます」
「昨日も言った通り、好きにしていい。城内を歩き回るのも、買い物も、手紙も好きにくれて構わない。ただ、あの辺りは貴族連中もよく通るから面倒事が嫌なら近づくな。それと……」
「どうなさいました?」
「いや、何でもない。戻れ」
シアが部屋に入り侍女が扉を閉めるまで、ライオネルはその場を動かなかった。彼女らの姿が見えなくなってから、先ほどよりも鋭い目で周囲を見回す。
ライオネルの姿しかない庭園は、葉擦れの音と鳥の鳴き声が聞こえるのどかな様相を見せている。
何事もないことを見届けると、ライオネルは仕事に戻るために執務室へと帰って行った。
家族関係が分かりにくいということなので、簡単に説明します。
読まなくても問題ありません。
≪公国≫
王
第1王妃
第1王子 22歳・既婚
第2王女 シア 17歳
第2王妃
第1王女 22歳・同盟国に嫁ぎ済み
第2王子 19歳・謹慎中
第3・4王女 双子・13歳