第25話
「どうなさいました?」
目の前で頭を下げるダリアを、不思議そうに見つめながらシアは尋ねた。
彼女は神妙な表情で近づいて来ると、唐突に頭を下げたのだ。礼儀正しく、深々と下げられた頭からは、不承不承な雰囲気や悪意といったものは感じられない。そして何を言うでもなく、ただそうしていた。
だが、これといって謝られる覚えのないシアは小首を傾げるしかない。いつまでも同じ姿勢でいそうなダリアに、そっと聞いた。
「私の教育が行き届かないばかりに、御不快な思いをさせることとなってしまい、申し訳ありませんでした」
再び頭を下げるダリアに、シアはにこやかに首を振った。
その一方で、疑問を感じずにはいられない。
彼女は仕事を疎かにしたことはないが、だからといって心から仕えてくれているわけではないだろうと思っていた。常に冷静で、どこか1歩引いたところから物事を見ていたからだ。
確かにグスタフの一件では、男たちの狼藉に心から怒っていた。だが、彼女が感情を露わにしたのはあれ限りで、それ以降はいつもと変わらない様子だった。噂などにも強く反応したことはない。
仕事に対して真面目で、他の子たちを叱ることもあったが、あくまでそれだけだ。シアの優しい言葉をかけるでもなく、慰めるでもなく。いつもと変わらぬ仕事をこなすだけ。
だからこそ、こうして丁寧な謝罪を受けたことに違和感を覚えずにはいられない。今までなら、軽い詫びで済んだ話なのだから。
「まあ、そんなに気に病む必要はありませんわ。私はあなたを責める気などありませんし、むしろあなたには感謝しているつもりですから」
明るく告げれば、ダリアが驚いたように顔を上げる。
「私がこうして不自由なく生活できているのは、あなたの働きのおかげですもの。シュリもいますが、こちらに不慣れな彼女だけではこうはならなかったでしょう」
「……」
「本当に感謝しています。いつもありがとう」
「……私には、もったいないお言葉でございます」
「そんなことはないでしょう。感謝しているわ。――だから、あなたが私のことをどのように思っていようと、かまわないのよ」
先程から全く変わらぬ調子で、シアは言いきる。
ダリアは一瞬、苦々しい顔になる。すぐに表情をつくろったが、微かな強張りは消えていない。
気にせずに、言葉を続けた。
「なんて言えばいいのでしょうね。嫌われているわけではない気がします。そうですね、含みがあるというのが近いでしょうか。私に、何か思うところでもありますか?」
真っ直ぐに相手を見つめていても、視線は合わない。逃げるように視線を逸らすダリアを見続けていると、やがて諦めたように口を開いた。
「私は、前の王妃様にお仕えしておりました」
意外な話しに、シアは目を丸くした。中々に色々ある前王妃の関係者。
「まあ、そうなのですか。あなたは帝国の方だと思っていたのですが、違ったのですか?」
「いえ、私は帝国生まれの帝国育ちでございます。幼い時から城仕えをしていたため、遠く嫁いでいらしたあの方のお力になるようにと選ばれました」
「そうだったのですか。あなたは、その方を慕っているのね」
その言葉を聞いた瞬間、ダリアは表情を歪める。自嘲するような笑みを浮かべ、ゆっくりと首を振った。
「わかりません。あの方と陛下のために、尽くしてきたつもりです。なのになぜ、あのようになってしまったのでしょう? 何が悪かったのか。私には、わかりません」
「かの方は、ご病気だったのですよね?」
「そのように聞いております。当時、私は出産のためにお休みをいただいておりました」
「そう……」
離れていたから、知らない、わからない。それが余計に彼女の中で引っかかっているのだろう。前王妃のことを話すダリアの表情は、複雑だ。
「あなた様は、あのお方の死因についてどのようにお考えですか?」
少し前までの不安げな声とは打って変わった力強い声だった。まっすぐと射抜くように、シアを見定めている。
予想外の質問に、目を瞬かせた。それからゆっくりと、口元に弧を描いた。
「私の夫たる陛下が、病でなくなったとおっしゃるなら、その通りなのだと思っていますわ」
今度は、ダリアが驚く番であった。
微笑むシアを、目を丸くしながらダリアが見つめる。そんな彼女にシアは、椅子を勧めた。
「ですが、色々と思うところがあるのも事実ですわ。よろしければ、あなたの知っていることを教えてほしいわ」
固辞するかと思われたが、彼女はあっさりと椅子に納まった。
シアの知っている前王妃のことは、表面的なことだけだ。
かねてから帝国に縁のある国に生まれ、国同士の関係強化のために帝国へと嫁いだ。子宝にも恵まれて幸せなはずだった。しかし、彼女の生家と帝国が争うこととなり、事態は一変した。
敵国の娘。今のシアと同等か、それ以上の風当たりの強さがあっただろう。国に帰ることなく帝国に残った彼女は、状況が好転する前に亡くなった。
「あの方は、あなた様と同じように伝統ある国に生まれ、わずかな供をつれてこの国に嫁いで来られました。慎み深く、もの静かな人であったあの方には、互いに慣れるまで無用な心労をおかけしました」
「彼の国では、自己主張せず、夫を陰から支える女性こそが美徳とされていましたもの。その通りの方だったのでしょう」
「まさに、そのでした。繊細なあの方には、あの状況はさぞやお辛いものでしたのでしょう……」
「それで、体調を崩して亡くなったのだと、あなたは思っていますか?」
しばし悩んだ後、ダリアは微かに首を振った。もう驚くこともなく、淡々としたものだった。
「わかりません。体がお強くなかったことは事実です。ですが、医師の常駐する城でああも簡単に王妃様を死なせてしまうとも思えません」
「では、殺されたと?」
「いえ、それこそあり得ません」
「言い変えましょう。噂のように、陛下が手をかけたと思ったことはありますか?」
彼女は俯かせていた顔をゆるゆると顔を上げた。
「あなた様は、そのように思っていらしているのですか?」
「いいえ。確かに陛下は敵には容赦しないでしょうが、その根底にあるのは家族や国に対する想いでしょう。浅慮に人の命を奪うことはしないと、私でもわかります」
「では、なぜ?」
「こんな馬鹿げた騒動は、早々に終わらせるに限りますから」
同意を求めるように見返せば、相手の強張っていた顔がゆるむのがわかった。それから気の抜けた笑みで、「そうですね、私もそう思います」と静かに同意した。