第24話
アンジュは家族のことが好きだし、大切にも思っている。
兄は、口うるさく感じることもあるが、優しく頼りになる良き相談相手でもあった。弟も、体が弱いせいで過ごす時間は少ないが、努力家で可愛らしい。
王でもある父は、忙しい人ではあるが、それを理由に自分たちを蔑ろにしたことはなかった。他愛のない話しにも耳を傾け、些細な問いにもきちんと答えてくれた。考えや意見を押し付けることもなく、いつだって大好きな父の言葉を疑ったことはなかった。
だから今、アンジュは怯えと不安を抱えながらもそっと調べまわっていた。
調べるのは母のこと。
お転婆に遊ぶアンジュを見守っていた優しい目。柔らかく髪を梳いてくれたしなやかな手。自身ではあまり覚えていないが、優しく繊細な人だった記憶がある。
母が亡くなる前後は、ただ慌ただしかったことしか覚えていない。男の人も女の人も、父も。みんな何かに追われるように動いていた。1人で過ごさなければいけない時間が長く、退屈で寂しかった。
やがて母が亡くなったと教えられ、理解する暇もなく葬儀が行なわれ、いつの間にか終わっていた。ほっとつく余裕もなく、次には母の後釜を狙う女性たちがアンジュの周りを取り囲んだ。
何人もの女性が、アンジュ達に懐かれようと馴れ馴れしく接してきた。お菓子やおもちゃなど、もので釣る者。ひたすら猫撫で声で顔色をうかがう者。既に母親面で、躾と称して自分の好みを押し付ける者。
子どもがゆえに、振り回されてどうすることもできなかった。ただ耐えて忍んで。
ようやく落ち着いて、母の死も受け止められるようになった時には、もうあの頃のことを思い返したいとは思えなくなっていた。
だから、病死だと言われた言葉を疑うこともなかった。父の口が重いのは、辛い記憶のためだと思っていた。勝手な噂は、心ない人間のつまらない嘘だと信じていた。
それらを初めて疑って、初めて家族を裏切る行動を取った。
知られれば父から怒られ、恨まれるかもしれない。兄弟からも呆れられ、悲しまれるかもしれない。
好きだから、信じているから、彼らの意に反することをする。それは後ろめたく、恐ろしいものだった。不安はいつでも心を苛んだが、今回ばかりは止まることはできない。
大好きな父が間違うのは、何としてでも止めたかった。
アンジュは城の書庫に通いつめて、母が亡くなった頃について調べた。
あの頃、妙に慌ただしかったのは戦があったからだと今更ながらに知った。その戦は、母の生国を含む国々とのものだった。不意を突かれて国境の城が包囲され、それを救うために父は多勢に少数で挑んだらしい。
母が急に亡くなったように感じたのは、それで会えなかったからだろう。敵国の娘として離されていたか、気に病んだ母が自ら身を引いたのかはわからないが。
いくつもの記録を漁り、すっかり当時のことには詳しくなった。今なら人事配置から戦況まで歴史の先生にも引けを取らない講義ができそうだとアンジュは思った。
しかし、それでも肝心のことは何一つわからなかった。
書いてあるのはたったの一言。病死、それだけだった。何の病気かも、いつからかも経過もわからない。
当時を知ってそうな人には、真っ先に聞いた。父や兄には聞けなかったが。
それでも望む答えは得られなかった。
誰も何も知らなかった。皆、同じように病死だと言った。さらに尋ねると弱り切った様子で、それ以上のことは本当に知らないようだ。逆に、首を傾げて問い返されてしまった。
父は優しい人だ。母を殺すなんてありえない。疑ったこともなかった。
だが、今は疑念を払拭することができない。信じてる、信じてると念じても、その想いに暗い不安の影が落ちる。振りはらっても振りはらっても、逃れることができない。どんなに頑張っても、疑う前には戻ることはできなかった。いっそ知りたくなかった、聞きたくなかった。
本当のことを知ることは怖かったが、このまま不信の種を秘めたままでいることはもっと怖かった。望むなら、戦時の慌ただしさで記録がしっかりしていないだけでただの病死であってほしい。迷子になった幼子のような心細さを持ちながら、アンジュは答えを求め続けた。
良くも悪くもアンジュは素直で、わかりやすい子だった。
彼女が母の死について不信をもち、それを調べていることは人々の知るところとなる。ことがことだけに声高に噂されることはなかったが、ひっそりと広まっていった。
人は思う。なぜいきなり姫がそのことを気にかけ、調べまわるのか。
そして思い至る。姫が最近会った、変なことを吹き込みかねない人物を。
シアは自室で、大人しく過ごしていた。
すると、久しく見かけていなかった侍女たちが来たかと思うと、掃除をしながらおしゃべりをし出した。
「姫様が、母君のことを調べているんですって」
「そんな、急にどうして?」
「わからないわ。でも、嫌ね。姫様に変なことを吹き込む人がいるってことでしょ」
「まあ、困るわね。一体誰かしら?」
シアのことを横目で見ながら、彼女たちは意地の悪い笑みを浮かべている。
これは幾らかもの申さねばならないかと、シアは音を立てて呼んでいた本を閉じる。娘たちは、面白そうにシアを窺った。
シアが立ちあがる前に、隣の部屋へと続くドアが開いた。
「あなたたちは、いったい何をやっているのです。仕事をする気がないのなら、お帰りなさい。侍女長様には私の方から申しておきましょう」
突然現れたダリアに、彼女たちは目を丸くした。ダリアもシュリも出払っていると思っていたのだろう。
ダリアからの冷ややかな目を受け、彼女らはたじろいだ。それでも、何とか相手をにらみ返した。
「仕事はしています。見てください、掃除をしています」
「それを掃除と言うならば、一から勉強し直すべきでしょうね」
ぴしゃりと言い切り、もう一度退室するように促す。恨めしげに捨て台詞を吐いて、彼女たちは去っていった。
出端を折られたシアは、素直にその背を見送った。
一体何をしに来たのやら。軽く言い返されたぐらいで逃げるなら、始めから来なければいいのにと、思いながら。
そんなことを考えていると、厳しい表情のままのダリアがシアを見つめていた。
「どうしました?」
シアが明るく尋ねると、ダリアはスッと動いた。