第22話
翌朝、紙片のことを他の人に告げることなく、いつもと一切の変化なく振舞った。
朝食を部屋で取り、静かに過ごしているとシュリが箱を抱えてやってきた。曰く、いつの間には控えの間に置かれていたと。
箱には服と昨夜と同じように置き手紙が入っていた。その者の望み通りシアは、装飾の少ないシンプルなドレスを身にまとった。髪はまとめ上げて、頭巾で覆う。そうすれば、地味で目立たない人間の出来上がりだ。
王妃の顔を正確に把握している者など、ろくにいはしない。黒髪に青目、それと華やかに着飾った貴人、と符号で認識しているにすぎないから。その符号を隠してしまえば、誰もこれが王妃だとはわからないだろう。
いるはずの警備が見当たらなくなった庭を通って、シア達は部屋から離れた。幾分こそこそと移動していたが、幸いにも誰とも会うことはなかった。王族の私的区画を抜ければ、堂々と歩いて人とすれ違っても騒がれることもなかった。
途中、シュリに道を聞きながら、指定された場所へと向かう。
人気のないそこは、住み込みの使用人たちが寝起きする棟と他の棟を繋ぐ渡り廊下だった。今は、夜勤だった者は休み、日勤の者は既に職場へ行っているため、誰かが通りかかることもない。
待ち人の姿が見えず、どうするかと立ち止ったところで声がかかった。
「お久しぶりです、王妃様。こんな所にお呼び立てして、申し訳ありません」
太い柱に身を隠すように、ひっそりとその男は待っていたのだろう。彼は、シアが来たことに気付くと柱の陰から出て優雅に一礼した。
「ごきげんよう、テッド様。気にしていませんから、かまいませんよ」
「ありがとうございます。すみませんが、そちらは……?」
なるほど、王族だけでなく使用人や役人相手にも商売している商人なら、この場にいても怪しくないし、密談によい場所も知っている。衣服の調達も朝飯前、持ち込みも楽だろう。
シアが納得していると、テッドは言い難そうにシアの後ろへと視線を向けた。そこにはシアについてきたシュリが静かに控えている。
言いたいことはわかるが、譲るつもりはないのでわからない振りをして首を傾げる。
「どうしました?」
「申し訳ありませんが、侍女の方には遠慮していただけますか?」
「なぜ?」
「内密な、重要なお話です。あまり多くの方に聞かれるわけには……」
「そうですか? 大切な話しなら、なおさら彼女もいた方がいいと思いますわ」
「王妃様……」
男の声に、明らかな非難が混じる。そして、微かな苛立ちが隠れていた。
シアはそれにどこまでも気付かないふりをする。相手が本気で怒れないことをいいことに、しばらく堂々巡りの会話につきあわせる。苛立ちを隠しきれなくなってきたところで、シュリがおずおずと申し出た。
「でしたら、私は少し離れたところに行きましょうか」
「嫌です! 私を1人にしないで。ここにいて、一緒に話を聞いて」
シュリの手を取って縋りつくように引きとめる。
男は、呆れたような目で2人を見ていた。シアが振りかえる頃には、そんな様子は鳴りを潜めていた。
「彼女が居ないと不安なの。どうしても、駄目かしら?」
「そうですね。あなた様のご不安に、私の配慮が足りませんでした。お許しください」
シアの前に跪き、テッドはその手を取った。そして、許しを請うように手の甲に額を当てる。
「妃殿下、あなたのご不遇は私の耳にも届いております。ですが、あなた様がそのようなことなさるとは私は思いません」
「私のこと、信じてくださるのですか……?」
「もちろんです。その上で、私はあなたをお助けしたいのです」
男はゆっくりと顔を上げ、シアと真っ直ぐに視線を合わせた。その瞳には、真摯な光が宿っている。
戸惑うように、シアは顔をそむけた。
「助ける? どうやって……?」
「その前にまず、あなた様にお話ししなければならないことがあるのです。――前王妃殿下のことはご存知ですか?」
「え、ええ。ご病気で儚くなられたと……」
「確かに、そのように公表されています。ですが、それは真実ではありません。できることなら、こんなことお伝えしたくはなかったのですが。このようになってしまった以上は仕方がないでしょう」
苦悩の様子を見せながらも、不安気なシアを安心させるかのように男は笑みを浮かべた。すっと表情を引き締めると、声を潜めて話しだす。
「前王妃殿下は殺されたのです。他でもない、夫であるライオネル陛下によって殺されたのです。
――あの方も王妃様のように同盟の証として、この国に輿入れされました。子宝にも恵まれ、夫婦仲はよろしかったご様子でしたが、それも長くは続きませんでした。突然宣戦布告がされ、実家と戦争状態になった。
本人のご意思もあって、前王妃殿下は帝国に残られました。ですが、敵国と縁のある人間に周囲は厳しかった。王妃様と同じように。隙をついて城の1つが囲まれたときに、王妃様が帝国を裏切って情報を流したせいだと噂がたちました。折しもその城の主は陛下の信の厚い従兄弟殿だったために、陛下のお怒りは凄まじく……」
途中から視線を落とし、ひどく痛ましげな様子だった。
「信じられません。陛下が、そんな……」
「お気持ちもわかりますが、このままではあなた様も同じ道を辿ることになりかねません」
「でも、陛下はお優しかったです」
何度も首を振って、シアは否定する。現状から、類似点から目を背けるように。
そんなシアに、テッドは殊更優しく語りかけた。
「それは、あくまで必要だったからでしょう。陛下は一度敵と見た相手には情けをかけません。現に生家である公国の隣の国は、ほとんどの王族は殺され、残された者たちもまた苦しんでいるようです」
「……姉さま」
シアは、彼の国に嫁いだ姉を案じる。何年も会っていないが、異母兄弟たちの中では1番親しかった。死は免れたものの、幼子と共にどうしているだろうかと思っていた。
尋ねるように視線を送っても、詳しくは知らないのか教える気はないのか、黙って首を振るだけだった。
どちらともなく口を閉ざし、間が生まれた。そのせいで、重苦しい雰囲気が一層強く感じられるような気さえした。
それを振り払うように、男は両手でシアの手を握った。
手の中に、冷たく硬い感触が落ちる。