第21話
暗くなる前に、アンジュは自分の部屋へと帰っていった。心配ないとは思うが、念のためにと警備の兵も同行させて。
彼女を見送り、シアは開けていた窓を閉めようと窓に近づく。夕陽に赤く染まる庭をガラス越しに眺めていると、外から内へと警戒したような視線を向けていた兵と目が合う。見つめあうことしばし、彼らににっこりとシアが微笑む。すると、彼らは動揺を見せた後、気まずそうに視線を外し、自然な動作で立ち去っていく。
シアは、その様子にクスリと先ほどとは違う笑みを零す。
笑いながらカーテンに手をかけると、背後から生真面目な声がかかる。
「妃殿下、そういったことは私たちがやることでございます」
言うが早いか、為すが早いか。茶器を片付けていたはずのダリアが、戻って来ていたようで、あっという間に窓を閉めてカーテンを引いていく。
「これぐらいは、私がやってもいいのではなくて?」
「いえ、私たちの仕事でございます。お手を煩わせるわけにはまいりません」
「それだと、あなたたちが大変でしょう?」
人手が減ってしまったのに、と小声でつけたす。
噂が広まり、シアが軟禁状態になると、侍女の一部が職務を放棄しだした。それを叱るダリアの姿を度々目撃したが、改善された様子はない。今では、シュリとダリアの2人だけで回している状態で、彼女たちの休む暇はほとんどなかった。
元からシアは、周囲に人を置かないたちの人間である。そのため、身の回りのことはある程度自分でできるようになっている。正直に言えば、自分で動いた方が早いし気も楽だったりする。
だから、気にしないでほしいと思って言った言葉は、彼女の中では違う意味にとられたらしい。シアに向き直ったダリアが、深く頭を下げる。
「……妃殿下にご不便をおかけしていることは、大変心苦しく思っております」
「頭を上げてください。不便を感じているわけではありませんし、むしろあなたに感謝していますよ」
不可解そうな表情をするダリアに、シアは微笑んで続ける。
「わざわざこの部屋にまで届けられる嫌がらせの数々。それをこっそり処分してくれていたのは、あなたでしょう?」
長年の経験ゆえに、目に見える動揺はなかった。だが、纏う空気も声も明らかに固く、強張っていた。
「――ご存知でしたか」
「ええ、さすがに。いくら始めから表に出ないからといって、何もないなんておかしいと思いましたから。でも、おかげで穏やかに過ごせていますわ。ありがとうございます」
素直に感謝の意を示すと、ダリアは驚いたようにシアを見やった。しばし、2人は対峙していたが、先に切り上げたのはダリアの方だった。去り際に何か言いたげな様子だったが、何も言うことなく言ってしまった。
1人残された部屋で、シアは不思議に思う。
相手から好かれているとは思ってはいなかったが、彼女はどこまでも職務に忠実でよく尽くしてくれている。抜けた穴を埋めるべく、身を粉にして励んでいる。逃げ出すことも、最低限にして楽にすることもできるはずなのに。
時折、視線を感じることがある。警戒でも批難でもなく、思いつめたような奇妙な視線。
尋ねようにも、察しが良くてその度に避けられる日々が続いていた。
「こんにちは!」
元気のいい挨拶と共に、アンジュがまたやって来ていた。
てっきり、もう事態が収束するまで来ないだろう。来られないだろうと、考えていた。王として父としてライオネルが禁じるなり、言い聞かせるなりするはずだろう。
「いいのですか。陛下にお叱りを受けるのではないですか?」
「大丈夫です。昨日も今朝も、何にも言われませんでしたから!」
アンジュ本人も、それが意外だったようで嬉しそうに報告する。
単に言い忘れたかと考えられなくもないが、それはあり得ない。ライオネルが子らを大切に思っていることは間違いない。だからこそ、余計にわからなくなるのだ。
ふわりと甘い香りが鼻をくすぐる。今日もまた予告なしの訪問だったため、アンジュの侍女がお菓子を用意してくれていた。シュリがお茶の用意を済ませ、女の子らしく取り留めもない話に花を咲かせる。
アンジュは気を使って色々な話しをしてくれる。最近の流行り、城下の様子、人気のお菓子。意図的に避けられている話はあるものの、それを感じさせることはない。
ふと、思い出したようにアンジュが口を開く。
「そう言えば、しばらく買い物が禁止になっちゃったんです。そこまで無駄遣いはしてないし、商人に無茶も言ってないのに何ででしょう? 酷くありませんか!?」
愚痴を零すアンジュに、肯定とも否定とも取れない言葉で宥める。
アンジュにとっては、ただの何気ない話だったのだろう。つまらないと零しながらも、すぐに別の話題に移っていく。
シアも、その話が後に引かないよう、アンジュの中に残らないように、彼女の気を引きそうな話を持ち出す。
すっかりと暗くなり、静まり返った時間帯。そろそろ休むべく、シアはシュリを伴って寝室へと下がっていた。
シュリが手に持った灯りを、燭台に移す。燭台の灯りが部屋をほのかに照らす。
シアは手を借りながら素早く夜着に着替えると、寝台に潜り込んだ。柔らかな羽毛の枕に頭を乗せると、違和感と共にカサリと乾いた音が下から聞こえた。頭を上げて枕の下に手を入れると、小さく折りたたまれた紙切れが出てきた。広げれば、何やら文字が書いてある。
シアは起き上ると、紙を明かりに灯りにかざす。
――あなたを助けたい。どうか私を信じて、明日庭まで来て下さい。私の手の者がおりますから、その者に従って。決して悪いようにはしません。
「シア様?」
いつの間にかシアの口からは笑いが零れていた。心配そうに声をかけてくるシュリに、その紙きれを渡した。
中身を読んだシュリは、目に見えて渋い顔をする。
「この誘いに乗る気ですか?」
「あら、せっかくの誘いなのですから、断るのは無粋でしょう」
笑いを引っ込めることなく、シアは楽しそうに言った。対照的に、シュリは怒ったような表情を崩さない。シュリからはお小言をもらい、危険な真似はしないように言われたが、最終的には認めることにしたらしい。
シアは再び寝台に戻り、静かに明日を待った。