第20話
外出が禁じられた以上、シアは部屋で大人しく過ごすしかなかった。人が来れば気も紛れるかもしれないが、元々訪ねてくる人の限られた部屋に、この状況でやってくる人などいるはずもない。
元より、散歩を日課にしているものの、それ以外は部屋に籠っていることが多い。当然のように特に不満を抱えることなく、シアは日々を過ごしていた。
ふと耳についた音に、シアは刺繍の手を止めた。その音は、いつぞやの時のように人と人とが言い争う声だった。だが、常に兵が守るここに同じことが起こるとも思えない。
シアがシュリに目配せをする。1つ頷いてシュリは、様子を見に行く。
扉が開けられたことによって、その声が鮮明に聞こえてくる。知っている声が飛び込んでくる。
「だから、前から約束してあったの! 別にいいじゃない!」
「なりません。お部屋にお戻りください」
「もう、これが出来上がらなかったらどうするの!? あなたたちのせいよ!」
一方は警護の兵の声、もう一方はアンジュのようだった。
思いがけない知り合いの声に、シアも顔を出すことにした。
「どうしました?」
「シア様!」
王女相手に手荒に追い返すわけにもいかずにいた兵たちは、重ねて王妃まで出てきたことでわずかに怯んだ。その隙に、アンジュは部屋に入り込み、シアの腕を取る。
「シア様、約束ですよね。刺繍を教えてくれるという」
「確かに約束しましたが……」
上目遣いのアンジュをやんわりと引き離し、次の行動を決めかねている兵を見やる。彼は意を決したように1歩前へ踏み出した。
「王女殿下、なりません。お戻りください」
「だ、そうですよ?」
「戻りません! 別にシア様のところに行ってはいけないとは言われていませんし、約束だってありますから」
「殿下……」
意外なことに、ライオネルはシアの外出を禁じたものの、来訪には特に何も言っていないらしい。だからこそ、彼らは諌めることしかできない。
戸惑う彼らに、アンジュは畳みかける。
「そもそも、どういった理由で駄目だというの?」
当人の前ではっきりと口にするのは憚られるのだろう、言葉に詰まる。勢いを失った彼らに、アンジュは満足げに笑った。
「アンジュ様、中へどうぞ」
アンジュが追い打ちをかける前に、シアは彼女を部屋の中へと招き入れる。勝手知ったるアンジュは、嬉しそうに中に入っていった。
少し遅れてからシアもその後を追った。
「やっぱり、おかしいです」
湯気の立つティーカップに口をつけながらアンジュが言った。
「何がですか?」
「シア様は何とも思わないんですか? 噂のことも、今の状況も、さっきのことだって!」
「仕方ありませんよ。私は、今一番疑わしい人物なのですから」
「それは、そうかもしれませんが……。でも、違うのでしょう? だったら!」
「どうします? 何をしても、そう簡単にはいきませんよ。本当のことだから過剰反応しているのだと言われるでしょうし」
「それは……、わかっています。……今日のシア様は、意地悪です」
アンジュは、拗ねたように唇を尖らせた。可愛らしい姿に、シアは笑みを浮かべる。それを見てアンジュは、さらに拗ねたようだった。
シアの身を案じて、アンジュは本気で怒ってくれていることも、心配してくれていることも理解している。
「私のために怒ってくれていることには、感謝していますよ。とても嬉しいです」
「ずるいです。これでは、私が我儘言ったみたい……」
恥ずかしそうに頬を染めて、アンジュはそっぽを向く。
丁度よく運ばれてきたお菓子が目の前に置かれた。できたてのお菓子からは、美味しそうな甘いにおいが漂ってくる。
ちらちらと皿に視線を送るアンジュに勧め、お茶のお代わりを用意するよう頼んだ。
ゆっくりと話しを続けている内に、やがて口実であったはずの刺繍もやり始め、時間は和やかに過ぎていった。
日も傾いてきた頃、不安げな顔でアンジュはぽつりと呟いた。
「最近、お兄様やお父様が何を考えているかわからないわ」
シアは彼女の表情を窺おうとしたが、視線は窓の外へと向けられていてわからなかった。スカートを掴むアンジュの手に、シアは自分の手を重ねた。
はっと、振り向いた顔はひどく不安げだった。そして、すぐに俯いてしまう。
「どうしました?」
「だって、何も言ってくれないし、教えてもくれない。こんなことになってるのに、聞いても『知らなくていい』とか『気にするな』ばっかり」
「気持ちはわかりますわ。殿方ってみんなそうですもの」
そうなのかと、尋ねるようにアンジュはシアを見た。
「私の兄や父も同じような人でしたよ。危ないから女だからって、いつも人のこと遠ざけるんです」
同意するように、アンジュが何度も頷く。
「知っていた方が危なくないこともあるはずなのに、なぜか何もかも内緒にしたがるんですよね」
「わかります! ただひたすら駄目としか言ってくれないんですよ。私だって、力になりたいのに……!」
そう言って、アンジュはまた俯いた。
頼ってほしいのに、頼ってもらえないのは悲しい。それが、近しい人や大切な人ならさらに。力になれるとは限らなくても、待っているだけ、守ってもらっているだけは辛い。だから、話してほしいと思うのは、女の我儘だろうか。
「でも、仕方ないんです。殿方ってそういうものですから。きっと、外国に嫁いでも変わりませんよ」
「じゃあ、どうしたらいいんでしょう? 待っているだけでいいんでしょうか?」
「人それぞれですよ。信じて待って帰る場所になるか、自ら動いて力になるか。どちらにせよ、やるからにはやり通さなければなりませんが」
シアの言葉に、アンジュは戸惑うように眉根を寄せた。言葉を反芻し、考え込んでいる。
「でも、相手があなたを心配していることは忘れないでくださいね。アンジュ様が危険な目に遭ったら、私も悲しいです」
「それは、私も一緒です」
顔を上げたアンジュが、シアと視線を合わせてはっきりと言う。
「本当は、今日はシア様を元気づけたいと思っていたんです。辛いことがあったら、頼ってください。私でよければ、力になります」
少し恥ずかしそうに、でも力強く断言するアンジュにシアは目を見開いた。
真っ直ぐな思いが気恥ずかしい。そして、眩しい。
シアは、顔を綻ばせて礼を言った。そして思う。この子は、巻き込むわけにはいかないと。