第18話
グスタフもダリアも引くことなく、今は黙ってにらみ合っていた。それを止める人もおらず、張りつめた静寂が肌に刺さる。
乾いた手を打つ音が、静かな部屋に響いた。
不意のことに誰もがビクリと肩を震わせて、音の元へと目を向ける。
皆が自分に注意を向けたのを確認すると、シアは嫣然と微笑んだ。まっすぐと視線をグスタフに向け、口を開いた。
「答えられないというのでしたら、あなたが必ず答えられることをお尋ねしましょうか」
今まで、ほとんど人任せにして静観していたシアの行動に注目が集まる。
シアの大人しい姿しか知らないグスタフは、相手が変わったことにほくそ笑む。いつまでも追求の手を緩めないダリアを相手にするよりも、もの静かな王妃を相手にする方がはるかに容易い。そう思った。
少し前までの威勢を取り戻すと、挑むようにシアを見た。
「あなたは誰の許可を受け、この部屋にいらっしゃったのでしょうか?」
シアの問いに、男の表情に余裕が戻った。男は、どこか嘲るような笑みを浮かべる。とりあえずこの場は、強気に押し切って切り抜けるつもりでいた。
しかし、シアの話は終わっていない。男が話し出す前に、続きを語る。
男は、取り戻したはずの勢いを再び失うこととなった。
「ここは仮にも王妃の私室。国王夫妻の寝室に通じ、さらには陛下の私室にも通じる部屋でもあります。そう簡単に入れる場所ではありません。ましてや、ここを調べるというのであれば、陛下の勅命。もしくはそれに近しいものが必要になるはずです」
静かに立ちあがったシアが、1歩、また1歩と、グスタフに近づく。その言葉を聞きながら、その姿を見ながら、男は逃げ出したい気持に駆られる。だが、顔は凍りつき、足は石のように動かない。
シアはグスタフの前にまで行くと、そっと顔を近づけて囁いた。
「あなたは本当に、正しい許可を得ているのでしょうかね?」
グスタフの目が零れ出しそうなほどに見開かれる。胸の内を様々な感情が巻き起こり、幾つかの対応が過ぎるが、固まった身体は中々動かない。
血の気の引いた顔で睨みつけ、震える唇から何とか言葉を絞り出す。
「お飾りの王妃風情が……!」
小さくつぶやかれた声は、確かにシアの耳に届いた。
刺すような視線を受けながら、怜悧な笑みを浮かべて男にだけ聞こえるように返す。
「お飾りであっても、私に冠を乗せてその席に座らせたのは、間違いなく陛下ですよ。陛下の決定に不服があるということですか?」
押し黙る男に口だけの笑みを浮かべて、シアは顔を離した。
背筋を伸ばして凛と立ち、相手と対峙する。
「それでは、質問に答えていただきましょうか。――あなたは陛下の勅命を受けてここにいらしたのでしょうか?」
「……いいえ、違います」
漏れるような小さな声。だが、確かに違うと言った。
シアは目を丸くし、驚いたように口元に扇を当てて見せる。
「まあ、そうなのですか。では、陛下に近しいどなたかの命で?」
明るく尋ねると、グスタフはさらに苦虫を噛み潰したような顔になる。
「おや、困りましたね。それでは、あなたに何の権利があって強制捜査など行なったのでしょうね。――先程の書状、もう一度見せていただけます?」
男は動かない。見せられない。それが全てを物語っている。
シアが再度見せるように要求すると、男はぎこちない動作で懐から紙を取り出して差し出す。
丸められたその紙を広げ、シアはその内容を確認した。
それは捜査令状でも何でもなく、ただの任命書と協力願いであった。目の前の男をこの件の担当の1人に任命したこと、止む追えない事情がある限り捜査に協力するようにと呼びかける文面が書かれている。
「公国ではとても許されないことですが、帝国ではこのような拡大解釈は許されるのでしょうか?」
頬に手を当て困ったように、眺めていた書状をダリアへと手渡す。
彼女が内容をしかと確認すると、怒りに身を震わせ、眦が吊り上がる。それを一瞬で内に隠すと、顔を上げ、断言した。
「もちろん、帝国でもありえないことでございます」
「でしょうね。それを許せば、大変なことになってしまいますもの」
シアが横目でグスタフの様子を確認すると、男は明らかに落ち着きをなくしていた。顔を赤から青へと色を変え、心なしか体が震えている。
男の計画では、このようになるのはシアの方だったのだろう。毒を突き付け、暗殺の犯人として捕える予定だった。それなのに、計画は早々に破たんした。
これだけの強硬手段を取っておいて、失敗すればただでは済まない。それでも、襲撃から間をおかずに決行したということは、それだけ失敗しない自信があったのだろう。
「困りましたね、どうしましょうか」
心底困ったといった風情で、眉根を寄せて憂い気な表情を浮かべる。
顎に手を当てて少し考えた後、ふと俯くグスタフの顔を覗き込んだ。
鈴のような声で、優しく問いかける。
「あなたは、そんなつもりではなかったのでしょう?」
驚いて顔を上げる男は、慈母のような、聖女のような笑みを見た。
救いの甘露のように、密やかな毒のように、響き渡る。
「あなたは陛下のためを思って、このようなことをなさったのでしょう? 陛下のお命を守るため、陛下の安全を保つため。このような暴挙に出たのも、偏に忠誠心の高さゆえと言うならば、今回は見逃して差し上げましょう」
その言葉に思わず縋りつきかけ、グスタフは我に返る。崖っぷちに立たされたとはいえ、追い詰めた人物に救いを求めてどうするのか。
自分の心境と相手の言動が信じられず、何もかもが疑えてくる。。
「どうなのです? あなたの忠誠心に嘘偽りはありませんね」
考える暇を与えぬように、続けざまに問われ、男の思考が千千に乱れる。
自分のしたことは、許されるはずもなく、見逃すメリットもない。だからこそ、こんなことを言い出す真意が読めずに焦る。
しかし、この申し出を断ることはできなかった。断れば今回のことが王に報告され、自分はただでは済まない。最悪は、処刑もあり得る。
ましてや、断ることは忠誠心を否定することもなるように彼女は話しを作り出した。
2重の意味で、男に道は1つしか残されていなかった。
「無論、私は、陛下に忠誠を捧げております」
「その言葉に、嘘はありませんね?」
「もちろんでございます」
「では、その言葉を信じますわ」
グスタフは悔しげな顔を隠すように頭を垂れる。つむじに冷ややかな視線が注がれる。
シアは振り返ると、侍女たちに「そろそろお帰りのようですよ」と告げる。それに従い、無言で彼らを追い出しにかかる。
この部屋に入ってきた時のような覇気はなく、彼らは素直に扉へと向かった。その背を見送り、誰かが侍女にあるまじく、音を立てて扉を閉めた。