第16話
シアが部屋に戻ると、神妙な顔をした侍女たちが出迎えた。
護衛兵は、しばらくは出歩かないこと、警備は厳しくすることを告げて去っていった。
シアが静かにソファーに座ると、彼女たちも心得たもので何も聞かずにお茶が出される。
湯気の立つ繊細なティーカップを眺め、憂い気な表情を浮かべる。それでも、温かいものを口に含めば、少しばかりは落ち着くような気がした。
ふと顔を上げれば、若い侍女たちのもの言いたげな目と視線が絡む。
不安、好奇、疑念。様々な感情がない交ぜになっている。
よく口に出さずにいられると思うほどに、その目は心の内を語っている。言いださないのは、シュリやダリアが何も言わないからだろう。
主人に何かあれば、近しい使用人にも迷惑が降りかかるのだから、仕方がないとはわかっている。
普段なら気にはしないが、今はそうもいかない。適当な理由をつけて、彼女らを隣室へ向かわせる。
ようやく落ち着いたところで、シアは先程のことを思い返していた。
絶好のタイミングで行なわれた初撃。狙いは大きく外れたものの、そう時間をおかず繰り出された2撃目。そして、見事な引き際と使用された凶器と毒。
計画的に行なわれたように思う。
しかし、元々あの散策は昨日に決められたものだ。
ライオネルもよく、自分の予定を空けて、警護の準備をしたものだと感心するほど急な予定だった。
あの場をすぐに追い払われたため、シアのもっている情報は断片的なものだ。もう少し確定した情報がほしいところだが、どうしようもない。
いくつかの可能性や疑惑が展開されるが、どれも途中で立ち消える。
最終的には、ライオネルの自作自演とまで思考が行ったところで、あまりの単純な思考に失笑が漏れそうになった。
誤魔化すように何杯目かの紅茶に口づけた。
随分長いこと物思いに沈んでいた気はするが、カップからは湯気が立ち、冷めた様子はない。冷める度に注ぎなおしているだから、当然でもあるが。
一旦は考えることを放棄して、ぼんやりと紅茶を啜ると、何やら不穏な音が耳に入った。
口論だろうか。男の多いな声と、女の甲高い声が競うように聞こえてくる。
隣室の入口あたりから聞こえていた声は段々と近づき、今はこの部屋のドアの前あたりから聞こえてくる。
その騒々しさに、ここにいる全員が眉を顰める。
辛抱が切れたようにダリアが、扉へと近づいていく。だが、彼女がドアに手をかけるより早く、扉は勢いよく開かれた。
シアの予想通り、男と侍女たちが雪崩れ込む。男は3人組みで、人の部屋に押し入ったことに罪悪感の欠片もないような表情をしている。
「何者です、あなたたちは! ここをどこだと思っているのですか!?」
ダリアが声を張り上げて、闖入者たちを詰問する。
その姿は女丈夫然として見事なものだったが、相手はたじろぎもしなかった。
むしろ、小憎たらしい笑みを浮かべて慇懃無礼な態度で挨拶をする。シアも無礼に礼儀を尽くす気もなく、余計な口上を打ち切って本題を促す。
すると、勝ち誇ったような笑みを浮かべ、グスタフと名乗った執行官は声高に宣言した。
「恐れながら、妃殿下には陛下暗殺の疑いがかかっております。つきましては、お部屋を検めたく存じます」
「横暴な! そんなことが許されるはずありません!」
ダリアの叫びも、グスタフは余裕の態度を崩せなかった。
むしろ、拒否するのは疚しいことがあるからだと言って憚らない。それでも強気に抗議するダリアの鼻先に、1枚の書状を突き付けた。
「私は、確かにこの件を任された者なのだぞ!」
その剣幕に押され、ダリアが口をつぐみ、1歩下がる。
グスタフは満足げに周囲を睥睨すると、後ろに控えていた2人の男に取り掛かるように命じた。その言葉を受けて、男たちが動き出す。
黙って成り行きを眺めていたシアが、ようやく口を開く。
「シュリ、ダリア。2人についていて差し上げて」
2人は短く頷いて、男の背後にぴたりとついた。
それを見たグスタフは、慌てた様子でシアに詰め寄った。
「邪魔をするおつもりですか?」
「嫌ですわ、そんなつもりはありません。女性の部屋で殿方に好き勝手されては困ります、というだけです。――それとも、人に見られて困るような捜査をするおつもりで?」
「まさか、そのようなことは……」
「なら、何の問題もありませんね」
畳みかけるように言えば、相手は苦虫を噛み潰したかのような顔でシアを見降ろした。それから、表情を検めると、今度はあからさまな笑みを浮かべる。
「妃殿下にも色々とお伺いしたいことがございますが、よろしいですか?」
シアが返事をする前に向かいの席に腰掛ける。
自分は捜査に加わらず、シアの相手をすることに決めたのだろう。先程までの表情など嘘だったかのように、人の良さそうな笑みを浮かべる。
扉のところで茫然としていた侍女がお茶を出そうと動き出すのを、シアは視線だけで制す。
顔を正面に戻して笑顔を浮かべると、グスタフが今日の襲撃から日ごとのことまで聞いてくる。
繰り返される質問に、ただ淡々と答えていく。
質問が2巡、3巡とした辺りで、他の部屋を調べていた男が駆け戻ってきた。
ダリウスに何事かを耳打ちする。その口が動く度に、彼の表情には隠しきれない笑みが見え隠れする。
勢いよく立ちあがり、芝居がかった動作で手を広げる。
「まさかとは思いましたが、妃殿下、なんてことを――」
額に手を当てて、大げさに嘆く。だが、下からは口角が動いているのが見えた。
「陛下を弑そうとは」
いつの間にか戻ってきていたもう1人の男とダリアも、侍女たちも、その言葉に息をのむ。
シアも口を扇で覆い、目を丸くする。
その様子を演技と思ったのか、強い語調で続ける。
「白を切るおつもりですか?」
「まあ、一体何を証拠に仰っているのでしょうか?」
シアがそう問い返せば、彼はもはや勝ち誇った笑みを隠しもせず、シアの目の前に“証拠品”を突き付けた。
掌に収まる程度の小さな缶。ラベルもなく、取り立てて何の特徴もない缶ではあるが、シアはその缶に見覚えがあった。
それは、だいぶ前に商人の青年から試供品としてもらったあの茶缶と同じものであった。