序
誤字修正しました。
私の母は弱い人だった。心も体も。
第1王妃として王に嫁いだが、中々懐妊の兆しを見せず、後継ぎの必要な王は第2王妃が迎えた。
それからほどなくして第2王妃が妊娠し、後を追うように母も身籠った。産まれた子は、女児と男児。第2王妃が姫君を、母が世継ぎを産んだ。
待望の男児を産んでも、既に王の心は華やかな第2王妃へと向かっていた。
母は、義務的にしか自分のもとへ訪れなくなった王を恨み、第2王妃からの嫌がらせに耐えた。いつしか、母は体を壊して1年の大半を床で過ごすようになった。
我が身の境遇を嘆き、救い出してくれる誰かを待っていた。
己が悪くないなら、間違っていないなら、いつか必ず幸せになれると信じていた。
哀れな身の上、意地悪な王妃様。お伽噺のような境遇でも、現実には王子様なんてやってこない。
あの人はきっと、御伽の国に産まれたのなら幸せになれただろう。
静かな部屋に、扉を叩く音が響いた。
手に持っていた花を急いでベッドサイドテーブルの花瓶に活ける。ベッドに横たわる母が眠っているのを確認してから、起こさないように忍び足で扉の前に移動する。
ドアを開ければ予想通り、兄が立っていた。
兄は視線で寝室の続き間になっている応接室に招くと、疲れたようにどっかりとソファーにもたれた。自身もその向かいに座ると、侍女がお茶を出して静かに退席していった。
それを薄目で見届けてから、兄はいつものように淡々とした口調で話し始める。
「帝国との和睦の件だが、同盟を結ぶことになった」
「それは良かったではありませんか」
中原の大国である帝国と、北の小国の公国は先日まで戦争中であった。かねてから同盟関係にあった隣国が先頭に立ち、北の3国が連動して宣戦布告を行なった。3面から攻められた帝国は苦戦するはずだった。しかし、勝敗の要であった3国の連携はうまくいかず、開戦から1月半で筆頭であった隣国は王都まで攻め込まれて降伏。残る2国も早々に和睦を申し入れた。
その和睦の使者として、帝国の王子が全権大使として現在この城に滞在している。公国の王は病床にあり、第1王子であるこの兄が代理として和睦に関する話し合いが行なわれていた。
「父上は戦争の責任を取って退位し、俺が次期王になる」
「まぁ、おめでとうございます」
「戦を推奨した第2王妃と第2王子は、北の館に永蟄居。味方した貴族にも処罰がある。他にも賠償、輸出入について色々取り決めた。――それと、シア。お前の輿入れが決まった」
「承知いたしました」
「……いいのか?」
突然の縁談を平然と受け入れるシアに、兄王子は怪訝な表情を浮かべて問うた。
「ほんの数ヶ月前に、約束したではありませんか。今まで第2王妃派との対立を避けるために、耐え忍んで参りましたが、それには何の意味もありはしなかった。
――引いても、譲っても、我慢しても。何も守れないのならば、茨の道であろうとも自分の足で歩いていきましょう、と。
お兄様が王の子として役目を果たすなら、私も姫としての役目を果たしましょう」
帝国への旅立ちの日、シアは城門に停めた馬車の前で別れの挨拶をしていた。両親とは既に挨拶を済ませていたため、今いるのは兄夫婦だけだった。
心配そうに見つめる夫人と難しそうな顔の兄と定型文のような挨拶を済まし、ふと城の方を見ると中から双子の異母妹がやって来るのが見えた。
彼女らはシアの前まで来ると笑みを浮かべて、心底楽しそうに話しかけてきた。
「本当におめでとうございます、お姉さま。かの帝国の、『王』に嫁げるなんて、羨ましいですわ」
「それとも、お悔やみ申し上げたい方がよろしいでしょうか。だって、お姉さまと同い年の子どもがいるような方ですもの」
「しかも、王族も貴族も使用人もみんな斬って、敵国の王城を血の海にしたとか」
「前のお妃さまも、王の不興を買って首を刎ねられたんだとか」
「「怖いわよねー」」
双子は、無邪気な笑みを浮かべて話した。さすがに他国の噂話は耳を寄せあい話していたが、2人の目の前にいたシアには間違いなく聞こえていたし、彼女らも聞かせるつもりで言っている。
獲物の反応を確認すべく双子がちらりとシアを窺うと、あまりに予想外の反応であったのだろう唖然とした表情を隠せないでいる。いつものように俯くか、それとも泣くのか怒るのか。そういった反応を期待していたのに、シアは平然と微笑みを浮かべていた。2の句が言えない双子に、シアはゆっくりと口を開く。
「ありがとうございます。でも、心配は無用です。だって、私はこの縁談に満足していますもの。
――それよりも、ご自分の心配をなさってくださいね。ご自分のときに、良い縁談が残っていることをお祈り申し上げますわ」
初めて受けた反撃に、双子は真っ赤になって喚き始める。怒りに身を任せて騒いでいるといつもと違うことに気付いたのか、段々と声が小さくなり、そして止まる。周りを見渡せば、自分たちに厳しい視線が集まっていた。
ようやく彼女たちは気付く、権力をふるっていた母と兄はもういない。それを許していた父も倒れ、疎んでいた異母兄が王となる。
見知った顔を探し、視線を向けるが、逸らされてしまう。それを2、3度繰り返し、置かれた状況をのみ込んだ。逃げることも、喚くこともできず、ただシアを睨みつけた。
最後にもう一度、シアは笑顔で一礼すると、颯爽と馬車に乗り込んだ。