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中庭の天使  作者: kanon
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天使の伝説

 澄んだ湖に天使が舞い降りた日、その美しさに、風さえも止まったという。歌うような声は花の色を鮮やかに輝かせ、真っ白な羽根が羽ばたくと、揺れる梢が鈴の音をたてた。暗い森は、まるでそこに光が灯ったかのように、明るくなった。しかし、森の生物たちは、太陽の光を独り占めするかのような、彼の美しすぎる容姿を妬み、やがて彼を、排除しようと画策し始める。

『やめようよ、そんなこと。あいつは、優しくて、いいヤツなのに』

 白い小鳥だけが、反対したが、誰も耳を貸そうとはしなかった。光は、生物たちにとって、かけがえのないもの。どんな存在にも平等に降り注ぐのに、強欲になって歪んだ目には、天使だけが光を浴びているように映っていた。

 ある冬の新月の夜、一匹の痩せ細った狐が、天使にこう言った。

『子供が病気で死にかけているんだ』

 湖の底に、金色の魚が眠っているはずだ。それを食べさせれば、元気になるのに。狐は細い目から涙を零しながら訴える。

『でも、泳げないんだ。誰か、代わりに行ってくれないものだろうか』

 その様子はあまりにも哀れで、天使は快く、引き受けた。それが罠とも知らずに。影で見ていた白い小鳥は耐えきれず、飛び出して叫んだ。

『ダメだよ!そんなことしたら、死んじゃうよ!』

 すると、狐が更に言う。

『今夜にでも、子供は死んでしまうかも知れないんだよ、』

 天使は咽び泣く狐の前にひざまずき、優し気な笑顔を向けた。

『少しだけ、待っていて。きっと、魚を見つけてくるから』

 天使は迷わず、その冷たい湖に近づいて行く。狐は薄笑いながら、小鳥は涙を流しながら、その闇の中でも輝く後ろ姿を見ていた。……澄んだ湖は、月の消えた夜、その姿を変える。この森に古くから住む者なら、誰でも知っていた。夏は何処までも深く侵入者を引きずり込む闇になり、冬はその鏡の水面に触れただけで、体が凍り付いてしまうことを。


「……中庭の天使は、舞い降りたときの姿じゃなくて、ホントは湖に入ろうとして凍り付いてしまったときの姿なんだ」

 何処で聞いてきたのか、文化祭の準備の最中に、竜志がそんな話を聞かせてくれた。あまりにも悲しい内容に、俊は言葉を失う。想像以上に沈んだ顔をしていたらしく、竜志はこう付け足した。

「っていう芝居を、川村先輩のクラスがやるらしいよ」

「……なんだ、作り話か、」

 俊は何だかホッとして、息を吐く。天使と沙輝を結びつけてしまうようになっていた俊は、たとえ作り話でも、悲しい結末は、聞きたくなかった。夏休み、約束通りに宿題を最後まで手伝ってくれた沙輝だったが、夢とも現実ともつかない出来事には、一切、触れようとはせず、俊もまた、口にしていなかった。もしかしたら、全ては俊の、夢なのかも知れないから。

「でも、何でそんなに詳しく、知ってるの、」

 中庭の天使の伝説は、図書館にもその記録はなく、誰もハッキリとは知らないはずだった。ただ、この学校が建った時から人づてに伝わって、百年以上もの間、語り継がれてきた。その長い時を経る間に、伝説は少しずつその姿を変え、今に至っているのだろう。

「多分、おまえ以外、皆知ってるよ」

 そう言って、女子のグループのところへ行き、小さな冊子を持って戻ってきた。それは、どうやって手に入れたのか、沙輝のクラスの演劇の資料で、今、竜志が話した内容が、そのまま綴られていた。

『一晩、氷付けになっていれば、きっと死ぬだろう。そうしたら、湖の底に沈めてしまえばいい』

 森の生物たちは、動けなくなった天使を眺めながら、そう言った。しかし、夜が明けても、太陽が天辺まで昇っても、天使の体は凍り付いたままで、融けるはずの湖の表面も、硬く凍ったまま。生きるための水を失ったことに気付いた生物たちは、狼狽する。どうしてこんなことになったんだ?誰が天使を殺そうって言い出したんだ?口々に罵り合い、僅かな蓄えを巡って争った。そして、森の生物たちは、死に絶えた。

 凍り付いた天使の目から、涙が零れ落ちる。影でずっと見ていた小鳥が、その凍った肩に止まると、みるみる、その小さな体も、凍り付いた。止めどなく流れる涙は、氷の湖から溢れて地面を濡らし、やがてそこに泉を作る。再び集まった生物たちは、水を与えてくれる美しい天使を崇め、泉の周りを、色とりどりの薔薇の花で飾った。尽きることのない水に、その森の生物たちはいつまでも、幸せに暮らし続けた。


 暗い体育館の中が、割れんばかりの拍手で埋め尽くされたのは、その演劇が終わってしばらく経ってからだった。天使の悲しいほどの美しさに、観客は皆、心を奪われ、涙を流していたのだ。舞台の袖に沙輝の姿が消えても、それがただの芝居だったとは思えなくて、俊はただ、呆然と、暗転したステージを見つめていたが、徐々に体育館の外へと消えていく観客たちに急かされるように、席を立った。

「しかし、凄かったな。まるで本物の天使だよ」

 あちこちで、そんな声が聞こえていた。誰も、本当の天使の姿を知らなかったが、舞台の上の沙輝の姿こそ、天使に違いないと思えるほど、美しく、儚かった。氷の湖に捕われた沙輝の体は、決して凍り付いてなどいないのに、冷たく、心まで凍えそうに見えた。どうしてあそこまで、表現できるのだろう。俊にはただ、感心することしか出来ない。経験のないことを、演じて、観客に伝えるということは、とてつもなく難しいはずだ。

 俊はクラスメイトたちとは合流せず、一人、中庭へと赴いた。これまでは、噴水になど興味も示さなかった生徒たちが、その周りを取り囲んで喋っている。俊は二階の渡り廊下へ移動して、その美しい天使の像を、眺めた。湖に触れた足の先から凍り付き、動けなくなった天使。肩には、小鳥が止まっている。憂いを含んだ眼差しは何処に向けられているのだろう。すぐ目の前の誰かを見つめているようにも、遥か彼方の星を見つめているようにも見えた。

「俊、」

 その声に、驚いて振り返ると、そこに沙輝がいた。既に着替えて、見慣れた制服姿に戻っていることにホッとする。

「ここにいるんじゃないかと思って」

 沙輝はそう言って、俊の隣に並んだ。

「……凄かったよ、さっきの芝居。みんな、泣いてた」

 まだ現実に戻りきれていないことを感じながら、俊は口を開く。

「俊は?」

 泣かなかったの?からかうように顔を覗き込んだ。俊は物語を、天使にとってもハッピーエンドにしたくて、こう言ってみる。

「天使は凍り付いてしまっても、たくさんの綺麗な花と生物たちに囲まれて、寂しくなかったよね、」

 明るい陽射しが降り注ぎ、美しい泉の水面で反射する様を思い浮かべた。

「そうだといいんだけど、」

 沙輝は何故か悲し気に言って、天使の像を見つめる。胸に残る、涙の余韻は、いつまでも消えなかった。


 しばらく、並んで中庭を眺めていたが、俊はふと思い出して、胸のポケットから、生徒手帳を、取り出した。無くさないように挿んだ、沙輝からの手紙。それが、あるはずだった。しかし、そこから姿を現したのは、小さくて、真っ白な羽根。

「……それ、前に言ってたお守り?」

 沙輝が尋ねた。頷きながらも、整理のつかない俊は、ただジッと、その羽根を見つめる。俊の体は、白い羽根を挿んだことも、確かに覚えていた。夢の中だけで続く、物語。決して現実とは交わらないが、夢の中では、それが真実なのだ。毎晩見るわけではなく、忘れた頃に現れて、過去の夢の記憶と繋がってゆく。幼い頃から、そんな不思議な夢を、よく見た。

「夢だと、思ってた」

「夢?」

「うん。ここで、白い羽根を見つける夢を見たんだ。この高校に入るより、ずっとずっと前に」

 記憶の奥深くに仕舞われていたその夢は、俊がこの高校に入学して、中庭の噴水の存在を知った時に姿を現し、ついに現実と交わった。しかし、羽根が手元にある今となっては、それが夢だったのかどうかさえ、曖昧だが。……それとも、これが、夢?

「天使の羽根、なのかな」

 俊はその指先ほどの小さな羽根を手に取り、光に透かしてみた。

「天使の羽根なら、キラキラした粉が、付いてるはずだよ。羽ばたくと、その粉が飛んで、綺麗な音がするんだ」

 沙輝はそんなことを言って、羽根を持った俊の手をそっと引き寄せる。小指の指輪のクロスが輝いて、綺麗だ。

「ホラ、見て。粉がついてる。だからこれは、天使の羽根だよ、」

 見ると、さっきは気付かなかったが、本当に金色とも銀色ともつかない、無数の細かい粒子が光っていた。驚いて沙輝を見つめると、

「あはは、また信じたの?俊は可愛いな、」

 可笑しそうに声を立てて笑った。

「笑い事じゃないよ、ホントに、キラキラしてるじゃん」

 俊は真剣に訴える。すると、沙輝は、フッと優し気な表情になった。

「そうだね。それが天使の羽根かどうかは、天使に聞いてみないとね。でも、そんなに小さな羽根なら、あの小鳥の羽根かも、知れないね」

 天使と一緒に凍り付いたという、白い小鳥。自らの意志で、天使と運命を共にすることを、選んだ。

「彼はいつも、周りの目を盗んで、天使と一緒にいたんだ。小さいから、羽根の隙間にだって、隠れられる。……粉は、その時に付いたのかな、」

 最後は呟くように言って、再び天使の像を見つめる。俊は沙輝の綺麗な横顔を、ずっと見つめていた。


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