秘密のお守り
夏休み、最初の登校日が終わると、友人たちは本格的にバイトを始めた。いよいよ、遊び相手がいなくなってしまったが、俊が退屈の二文字を口にするよりも早く、嬉しい電話があった。沙輝が、一緒に買い物に行こうと誘ってくれたのだ。
「ホントは、買い物する場所が解んなくて。俊に教えてもらおうと思ったんだけどね」
待ち合わせ場所に現れた沙輝は、そう打ち明けた。が、そんなことよりも、彼の制服姿しか知らなかった俊は、そのラフな恰好が意外で、思わず見つめてしまった。
「よく言われるよ、襟つきのシャツを着てそうだって」
そんなの、暑くて着てられないよね、と、俊に同意を求める。白いTシャツに、ベージュのカーゴパンツ。そんなありふれた組み合わせも、沙輝が着ると、すごくサマになっているのが羨ましい。ふと、何かが光ったような気がして見ると、彼の左手の小指に、金色のリング。よく見ると、小さなクロスの形に、淡いブルーの天然石が埋め込まれている。それが、太陽光をとらえて、光るのだ。
「綺麗だね、それ」
「お守りなんだ。生まれたときからついてて、絶対に、外れないんだよ?」
「え、」
思わず真に受けてしまった俊を見て、沙輝は声を立てて笑った。
「冗談に決まってるでしょ、」
「なんだ、もう……」
この綺麗な少年が言うと、あり得ないことも、真実に聞こえる。そこにまた、不公平を感じてしまう俊だったが、
「俊は、何かお守り、持ってる?」
尋ねられて、誰にも言っていなかったが、沙輝になら打ち明けてもいいと思い、こう口にした。
「天使の羽根」
「天使の、羽根?」
意外なものだったのだろう。沙輝は目を丸くしている。彼はまだ、知らないのだろうか。中庭の天使の伝説を。
「天使、って、何処に行けば逢えるのかな、」
そう言いながら、沙輝は俊の瞳を、痛いほどに見つめた。俊は意味ありげに、微笑んでみせる。
「もしかして、俊、……知ってるの?」
「知ってるよ?」
「……何処?」
まるで、その居場所を探し求めているかのように、真剣な眼差し。それで、さっきの仕返しができたことに満足した俊は、こう答えた。
「学校の、中庭」
「……なーんだ、ホントに知ってるのかと思っちゃったよ」
頭は良いかも知れないが、疑うことは、知らないようだ。沙輝は膨れていたが、ふと思い出したように、
「そういえば、文化祭でね、天使の恰好してくれって、頼まれたんだ。僕、そんなのばっかり、」
不本意そうな様子が可笑しい。前の高校では、女装させられた挙げ句、メイクまでされて、恥ずかしかったと言うが、きっと誰よりも綺麗だったのだろう。
「でも、天使の恰好が似合う人なんて、そうはいないから。みんな楽しみにしてると思うよ」
お世辞でもなんでもなく、本当にそう思った。真夏の太陽の下で、彼の笑顔はさらに眩しく輝き、体が動くたび、キラキラと音が聞こえる気がする。本当に、天使なのではないかとさえ、思えた。
真っ白な、眩しい空間で、俊は目が覚めた。ここは何処だろう。光の粒子が邪魔をして、辺りがよく見えない。それに、自分は一体、何をしていたのか……。考えながら、何度も瞬きをする。聞こえてくるのは、梢のざわめきと、鳥たちのさえずり。徐々に目が慣れてきて、赤やピンクや黄色の綺麗な色が視界に現れた。そして、そよ風に乗って届く、甘美な香り。薔薇の花だ。
俊はしばらく、その淡い香りを楽しんでいたが、何かとても大切なものを探していたことを思い出して我に返った。記憶の底に眠る、その姿は、まだ見えなかったが、俊は立ち上がった。行き先は?いや、ここで、誰かと待ち合わせをしていたんだったかな。考えているうちに、再び、瞼が重くなってくる。まあ、いいや。ずっと、ここにいたんだから。もう少し眠れば、思い出すだろう。そんなことを思いながら、俊は再び、眠りについた。
沙輝の屈託のない性格のおかげで、俊はもうすっかり、彼の友達になっていた。遊び相手がいなくて、ふて腐れていたのが嘘のように、楽しい夏休みを送っている。何より助かるのは、沙輝が夏休みの宿題を手伝ってくれること。いつもなら、二学期が始まる間際になって、半泣きになりながら机に向かっていたが、今年は違う。沙輝は面倒見の良い兄のようで、彼からしてみれば簡単すぎてあくびが出るような問題に呆れることもなく、優しく、丁寧に、教えてくれた。一人っ子の俊には、それが嬉しくて、ついつい甘えてしまっている。
聞くと、沙輝も兄弟はいないようで、俊の気持ちはよく解るよ、と、嬉しい言葉をかけてくれた。家にいても、話し相手がいない寂しさは、慣れれば慣れるほど、寂しいものだ。少子化が進んでいるとは言え、俊の周りには、大抵、兄がいたり妹がいたりして、未だに部屋を共有させられるのがイヤだとか、何かにつけて比べられるのがイヤだとか、羨ましい不満を口にする友人が多かった。
俊はそっと、テーブルの向かい側で自分の宿題をやっている沙輝を、窺ってみた。迷うことなく、淡々とペンを走らせている様子から、彼にとってこの宿題が、全く意味のないものだということが知れる。
「俊?もう終わったの?」
突然顔を上げた沙輝と、目が合ってしまった。どうやら、気付かれていたようで、決まりの悪くなった俊は、俯いた。
「……まだ、」
すると沙輝は、そんな俊を咎めることなく、可笑しそうに笑う。立ち上がって、俊の後ろからノートを眺め、
「この問題ができたら、プールに行こうか」
学校や塾でなら、まだやるのか、とウンザリするまでやらされるところだが、沙輝は、もう終わり?と、物足りなさが残る程度の量しか進めない。こんなペースで本当にいいのかと思っていると、
「少しずつ、やればいいんだよ。夏休みは長いんだから」
最後まで、付き合ってあげるよ。その言葉に安心した俊は、いつの間にか出来るようになった問題を最後まで解いて、プールに行く準備を始めた。




