綺麗な友達
期末試験が終わり、全校生徒が通る、下駄箱の前のボードに、上位二十名の名前を書いた紙が、貼り出された。俊の名前はそんなところにあるはずもなかったが、最も人だかりのできた二年生の順位が気になって、足を止める。
「川村くん、すごいね。ほぼ満点だよ」
そんな声に、見なくても解ったが、一応、人の隙間から覗くと、一番上に、川村沙輝の名前。教科ごとではなく、総合計のみの順位だったが、内訳など見なくても、間違えたのは一問か二問だろうと想像がついた。しかも、二位との差が大きく開いていて、彼が飛び抜けて頭が良いことは、一目瞭然。一体、頭の良い人と自分は、どこが違うのかと真剣に考えてしまう。同じように生まれて、同じ時間をかけて育ってきたはずなのに、この格差はいつ出来たのか。暇さえあれば昼寝をしている自分が原因だとは、これっぽっちも思わずに、俊は溜め息をついた。
授業が始まって十分と経たずに飽きた俊は、席替えで窓際の席になったのを良いことに、グラウンドを眺めた。この暑いのに、走り高跳びをする生徒たちが、一人飛ぶごとに、大袈裟な歓声を上げている。そこに、沙輝の姿を見つけた俊は、チラッと教壇のほうを窺ってみた。古文の教科書を、呪文のように唱える教師の声が聞こえている間は、余所見をしていても大丈夫だ。安心した俊は本格的に、窓の外に集中し始めた。
笛が鳴り、沙輝が走り出す。それほどスピードを出しているとは思えないのに、フワリと浮いたその体は軽々と、彼の背丈ほどのバーを越えていった。また、大歓声。俊も思わず声を上げそうになって、慌てて前を向いた。エリートというのは、運動ができないはずだったが……。彼にないものは、いったい何だろう、と、首を傾げる。それにしても、綺麗なフォームだった。陸上の知識など皆無でも、それくらいは解る。まるで重力など関係ないかのように見せる脚力は、相当なものだということも。
羨ましさに溜め息をついた頃、チャイムが鳴って、驚いた。そんなに長い間、グラウンドを眺めていたのだろうか。俊は自分に呆れながら、古文の教科書を机に仕舞った。
夏休みを目前にして、生徒たちは当然、落ち着きがなくなる。いつ海へ行くか、だの、何処でバイトをするか、だの、大体、どこのクラスも同じような話題が飛び交う。俊の周りでも、どうせバイトをするなら、可愛い店員がいる店がいい、と馬鹿げたセリフが聞こえていた。
「俊は?どこでバイトすんの?」
竜志に尋ねられ、俊は首を横に振った。
「ウチは、禁止なんだ。わけ解んないよ、」
「そんなの無視してやっちゃえば?」
そうできたら、とっくにそうしている。お金が欲しいという理由なら、小遣いを増やしてやる、とハッキリ言われて、二の句が継げなかった。
「じゃあ、社会勉強、とか言えばいいのに」
女子たちも、いろいろとアドバイスをくれたが、それらは全て、既に却下されてしまった内容だった。労働は、社会人になったらイヤというほどできるから、今はやめておきなさい。毎日残業で深夜に帰宅する父親に言われたら、素直に頷くしかなかった。
「夏休み、長いんだろうな……」
友人たちが皆、バイトで忙しくなれば、当然、俊は暇になる。去年まではあり得なかったセリフを吐いて、俊は窓の外の、真っ青な空を睨んだ。
簡単な終業式とホームルームを終え、竜志たちと一緒に下駄箱まで行った俊だったが、今日が掃除当番だということを思い出した。遊びに行くなら誘って、とだけ言い残して別れ、急いで職員室へ向かう。この高校は、生徒をよほど信用していないのか、掃除道具入れの鍵を職員が預かっていて、取りにこなければ掃除をしていないことが解ってしまうため、掃除当番は必ず、職員室へ赴かなくてはならないシステムになっているのだ。
さっさと終わらせて帰ろうと、担任から鍵を受け取り、職員室を出た俊は、視界の端に気になる光景が映って、足を止めた。
『沙輝?』
中庭を見下ろす二階の渡り廊下に、一人の男子生徒の姿があった。手摺にもたれ、天使の像を見つめている。それが遠目にも沙輝だとすぐに解ったことより、普通ならすぐにでも逃げ出したい場所に、いつまでも留まっていることのほうが、気になった。
『どうしたんだろう』
教室でホウキを適当に動かしながら、考える。
『もしかして、いじめられてる、とか』
あり得ない話ではない。季節外れの転校生で、並外れた学力と、その容姿。同級生に妬まれる要素は幾らでもある。
『それとも、待ち合わせ?』
誰もいなくなった校舎で、コッソリ会う相手といえば。彼は美男子だから、教師から言い寄られることもあるのかも知れない。断れば、成績を下げると脅されて、無理矢理関係を持たされた女子高生が、教師を訴えたというニュースを思い出した。心配になった俊は、ホウキを教室に放置して、二階の渡り廊下を目指して走った。
そっと、渡り廊下へ出る硝子戸を開けると、そこにはまだ、沙輝の姿があった。ジッと、思い詰めたような表情で、天使の像を見つめていたが、俊に気付いて驚いたような顔になる。
「どうしたの?」
尋ねられ、答えに困った俊は、ただ首を横に振り、沙輝の隣に並んだ。丁度、噴水の上の天使の顔は、この場所と同じくらいの高さにあって、大きく広げた羽根に手が届きそうだ。その左肩にとまった、小さな鳥の彫刻があるのだが、その姿はここからしか見えなくて、それを知ってから、俊は二階の渡り廊下を通るとき、いつも肩の小鳥を眺めるようになった。
「ここ、僕の特等席なのに、」
そう言うと、沙輝はやっと、笑顔を見せてくれた。何だかそれが嬉しくて、俊も笑う。
「綺麗な、天使だね」
沙輝は、まるで愛おしいものを見つめるかのような瞳で、天使の横顔を見ていた。どうやら、この天使の像に惹かれるのは、自分だけではないようだ。俊は、天使に負けないくらい美しい沙輝の横顔を、見つめた。
「夏休み、暇だったら、一緒に遊ばない?」
帰り道、沙輝はそんなことを言った。バイトが禁止で、やることがない、と笑う。それでようやく、俊の中のわだかまりが解けた。自分も同じだと打ち明けると、沙輝は嬉しそうに、
「良かった。遊べる友達がいなくて、寂しかったんだ」
そのホッとしたような笑顔が、言いようもなく可愛らしくて、また顔が綻ぶ。先輩であるという意識が、親しくなりたいと思う気持ちを抑えていたが、どうやら彼は本当に、俊の友達になってくれそうだ。
「実はさっき、沙輝のこと、見かけて、……何だか心配になって、」
俊は躊躇いながら、そう口にした。
「心配?」
「あんなところに一人でいたから……、いじめられたりとか、してない、よね?」
その言葉に、沙輝は驚いたように大きな目をパチパチさせていたが、
「掃除当番で、鍵を返しに行った帰り、あんまり中庭がキレイだから、眺めてただけだよ、」
紛らわしくて、ごめんね、と謝る。そこで俊は、ようやく、思い出した。
「しまった、鍵、返すの忘れてた!」
掃除の途中だったということを、すっかり忘れていた。駅は目の前だったのに、俊はそこで沙輝と別れ、再び学校へと走り出した。また電話するね、と叫ぶ沙輝の声が聞こえ、振り返ると、俊に向かって大きく手を振っているのが見える。俊もそれに応えて手を振り、急いで教室に向かった。




