羽根の下で
想像していた通り、沙輝はあっという間に、全校の女子たちの憧れの的になった。何処へ行っても、川村先輩、川村先輩、という声が聞こえてくる。彼の、非の打ち所のない容姿は、女子たちが言うように、確かに綺麗だったが、別れ際に見せた、あどけない笑顔のほうが印象に残っている。男の自分に母性本能というのも変だが、笑うと途端に幼く見えて、年上にも関わらず、何だか無性に可愛いと思えた。
「ちょっと前までは、日に焼けたマッチョがいいって言ってたくせにな」
竜志が呆れたように言った。沙輝はその真逆で、長身だが線が細く、おまけに色白。肩に届くほど伸ばした髪は、中性的な容姿を際立たせるかのように、柔らかく上品な栗色をしている。だが、俊が思うに、きっと短髪が似合わないことを苦にしているはずだ。
「でも、前にいた学校と、レベルが違いすぎて、退屈なんじゃないかな、」
「……どういうこと?」
「川村先輩って、超有名なエリート高から来たらしいよ」
容姿だけでなく、頭も良いとは。天は人に二物を与えず、ということわざがあるはずだが、彼には適用されなかったようだ。若干の、というより、かなりの不公平を感じながら、どうしてこんな平凡な学力の高校を選んだのか、不思議になる。自由に選ぶことはできないにしても、それほどの学力なら、ある程度、融通は利いただろうに。転校などしたこともないくせに、勝手な想像をしてみる。
「あれ、」
教科書を取り出そうと、机の中を探っていた俊の指に、折り畳んだ紙のようなものが触れた。取り出してみると、それは……。
『こないだは、ありがとう。また一緒に帰ろうね。沙輝』
思いもよらないものだった。起立、という声が聞こえ、条件反射で立ち上がり、礼をして、再び腰を下ろすと、手の中のそれを、ジッと眺めてみる。くせのない、綺麗な文字は、彼の印象そのままだ。
「何、それ。ラブレター?」
竜志が隣から、小声で話しかけてきた。
「そ、そんなんじゃないよ、」
必要以上に動揺して、そのうわずった声が教師に聞こえたらしく、私語はやめなさい、と叱られた。……あの雨の日から一週間。どこのクラスかまでは、話さなかった。もしかしたら、自分の机を、ずっと探してくれていたのだろうか。たった一度、駅まで傘を共有しただけの後輩に、お礼を言うために。俊は、何だかとても大切なものを見つけた気分になり、その白い紙を、生徒手帳に挿んだ。
梅雨明けしてから、晴天続き。気温は日に日に上昇し、校庭や道路に、陽炎がゆらめいた。中庭を挟んだ北側の校舎はまだいいが、南側の校舎に陽射しを遮るものは何もなく、特に一階は、窓の外のコンクリートが発する熱で、せっかくの風が熱風に代わる。教師たちが交替で、そのテラスに水を撒いているが、熱さで瞬時に乾き、まさしく焼け石に水、といった感じだった。
昼休み、水が恋しくなった俊は、中庭へ赴いた。冷房のない教室も、外も、たいして暑さは変わらない。むしろ日陰なら、外のほうが涼しいくらいだ。しかし、そんなことを考える生徒は少ないのか、中庭は数組のカップルと、植木や薔薇の手入れをする作業服の男性がいるだけだ。炎天下にも関わらず、潤沢に溢れる水が涼し気で、誘われるように噴水の側に寄ると、水飛沫の中に虹が見えて、何だか得をした気分になれた。
眩しいほどに白い天使の像は、いつ見ても見事だ。その広げた羽根の影にいると、ひんやりとした空気が心地良い。時折飛んでくる水飛沫が常にタイルを濡らし、熱を寄せ付けないからだろう。陽射しが反射してダイアモンドのように輝きながら飛び散るのが綺麗だ。俊は手を伸ばして、噴水の水に触れてみた。想像していたより随分冷たくて、気持ちがいい。
「見つけた、」
突然の声に驚いて振り向くと、そこに沙輝の姿。いつの間に忍び寄ったのか、全く気がつかなかった。
「こんなとこに隠れて、何やってるの?」
ここ、僕の特等席だったのに。と、少々悔し気に言う。真夏だというのに沙輝の肌は白くて、それだけで涼し気だ。それに、その柔らかい笑顔。俊は何だか、ホッとした。
「すごく、深いところから汲み上げてるから、冷たいんだよ」
俊と同じように、噴水の水で手を濡らしながら教えてくれた。水道水だとばかり思っていたが、地下から汲み上げていたとは。転校してきたばかりの沙輝が、そんなことを知っているとは思わず、驚いていると、
「あの人が、言ってたんだ」
そう言って、作業服の男性を指差した。庭師、というのだろうか。祖父と変わらない歳に見える。もしかしたら、この中庭を作ったのは、彼なのかも知れない。そんなことを思いながら、しばらく、黙々と作業をする姿を見つめていた。
「あの、また来てもいいですか?」
予鈴が聞こえ、俊はそう口にしていた。
「もちろん、」
さっきのは、冗談だよ、と笑う。
「それより、敬語なんて、やめてよ。一つしか変わらないんだから」
彼は、やたらと先輩風を吹かせる他の二年生とは大違いだった。中学の頃から思っていたが、学年が一つ違うだけで、まるで身分が違うかのように振る舞う連中が、俊は大嫌いだ。そういう風習は学力が平均以下の高校だけで、エリート高には存在しないのだろうか。先輩と並んで廊下を歩くことに慣れなくて、彼の教室の前で手を振る沙輝に、お辞儀をした俊は、走って自分の教室に戻った。




