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きみは天使  作者: 奥汰由乃
【1】 好きな人に
6/11

5 ◆ ねばねばカレーもまんざらでもない

(追記)3/21:後半を大幅に改稿しました

 遠くから聞こえる。

 クラクション、エンジン音、話し声。

 ブレーキの摩擦でタイヤの鳴る「きゅっ」という音、横断歩道の信号から流れる『とおりゃんせ』。

 共鳴するように、それらがぐわんぐわんと響く。


――俺は今、どこにいるんだ?


 頭が朦朧としている。思考に白くもやがかかったようで、考えがうまくまとまらない。

 ええと。あれ? さっきまで俺は、どこで何をしていたんだっけ……――






「あれ? 周防ちゃんじゃん」

 誰かの声で、目を開いた。瞬間、視界に飛び込んできたのは、自転車に乗ったオッサン。

 変だな、女の子の声に聞こえたのに。そう思いながらボーゼンとしている俺の方へ、オッサンは直進してくる。ヤバい、避けなければと思うが、まだ全ての感覚がぼんやりとしていて、体が思うように動かない。

 危ねぇだろ! その怒鳴り声にはっとする。オッサンは舌打ちをすると、ぶつかるぎりぎりのところでやっとハンドルを切り横を通り過ぎていった。オッサンの声は間違いなくオッサンのそれで、俺が聞いた女の子の声とは違う。

「どうしたの、大丈夫? なんかすごく、ぼーっとしてるみたいだけど」

 あ、そうそう、この声。声は背後から聞こえることに気付き、後ろを向く。

 そこに立っていたのは、マキシ丈の白いワンピースを着たショートヘアの少女。両手にスーパーの買い物袋をさげている。

 私服姿なので見馴れない印象だが、俺を『周防ちゃん』呼ばわりする人間は記憶にある限り一人しかいないので誰なのかはすぐにわかった。彼女の名前は、事代ことしろ美鈴みれい。西高の生徒で、俺のクラスメイトである。

「事代……?」

「ね、大丈夫? そんなところに立ってると、危ないよ」

 彼女にそう言われてはじめて、自分が横断歩道のど真ん中にたたずんでいる事に気付いた。あたりを見回しているうち、だんだんと聞こえる音の輪郭が明確になり、それと同時に頭もはっきりしてくる。

 ざわざわとした喧騒の中にある、そこが西高の最寄り駅『南天堂駅』の駅前であることに、俺はようやく気付いた。大型スーパーや個人商店が軒を連ねるこの駅前はいつでも比較的賑やかだが、帰宅ラッシュの時間帯のためか、今はさらに人通りや自動車の交通量が増しているようである。

「ほら、信号が赤になっちゃう。早く渡ろ」

 なお、ぼうっとつっ立ったままの俺の腕をつかんで、少女は歩道の対岸へと俺をひっぱっていく。目の前で揺れる彼女の黒い髪をみつめているうち、次第に現実感が戻ってきた。

 ――何で、俺は。こんなところにいるんだ?

 地主神社のたこ焼き屋でバイト中、いつものようにクシナダさんとどうでもいい話をして。それから――

 それから?

「あっ」

 急に事代が声をあげる。

「周防ちゃん、腕から血が出てる」

「え?」 

 見てみると、確かに左腕の肘のあたりに擦り傷があり、そこから血がにじんでいた。

「制服にもあちこち泥ついてるし。一体どうしたの? もしかして、ケンカ?」 

 事代の言うとおり、俺の夏服の白いシャツにはところどころ泥がつき、ズボンの裾も汚れていた。さらに、出血している肘を動かしてみると、ずきんと痛む。まるで、どこかで手酷く転びでもしたかのようである。

 転んだ? ……――ああ、そうだ。

「……バイトの帰りに、ちょっと転んじゃってさ」

 そう言ってから、脳裏に記憶が後を追うようにして浮かび上がってくる。

 いつもと同じように閉店後の後片付けをすませ、バイトを終えた俺。駅の方角へ参道を歩いていたら、つるつるとした御影石に珍しく足をとられて思いっきりずっこけた。そんな記憶。

「本当に? なんか、へたな言い訳に聞こえるんだけど」

「ほんとだよ。ほんとにコケただけ」 

 彼女は心配そうに俺に尋ねる。どうも困っている人を見ると放っておけない性格らしく、俺が何か危険な目に遭ったのではないかと気になって仕方がないみたいだ。

「岡っちとケンカ、したんじゃないの?」

「え?」

「ほら、今日の体育の時間。岡っちと周防ちゃんが殴り合ってたって噂、聞いたから」

「あ、ああ」

 そんな話が広まっていたのか。岡元の付き添いで保健室に行ったはずの俺がグラウンドに戻らず、しかも顔に痣をつくって教室に現れたのだから、多少見当はずれな憶測が飛び交っていたのだとしても仕方ないといえば仕方ないのかもしれない。

「岡っちと周防ちゃん、仲いいのに。なんでケンカなんかしてるの?」

 悲しそうに事代は言う。いちいち付きまとってくる岡元と、多少迷惑に感じつつも何となくそれに付き合ってしまう俺。そんな俺たちのやりとりを、よく横で笑いながら見ているのが事代だ。

 だから彼女には、俺たちが暴力沙汰に発展するような激しいケンカをしているということがうまく想像できないらしかった。

「それ、デマだって。あいつの大事なものを俺がぶっ壊したから、怒ったあいつに殴られたの。それだけ」

「……大事なものって?」

「でっ……デジカメの、SDカード」

 嘘はついていない、俺はけして嘘はついていないぞ。

「ふうん。……岡っち、いくら大事なものだったからって、殴るのはちょっとやりすぎだよね」

「う、うん。まあ、悪いのは俺なんだし、あいつ基本的にアホだし。仕方ないよ」

 この場にいないからと思ってあんまりな言い草をする俺。しかも事代も俺の言葉に何となく納得してしまっている。ああ、なんかちょっと、岡元があわれに思えてきた。

「ね、傷みせて。ばんそうこう貼るから」

 そう言って、事代はショルダーバッグから取り出した派手なキャラクター物のばんそうこうを左腕の傷口に貼ってくれた。ありがたいけれど、ピンク色であちこちにハートが踊っているそのばんそうこうを家までつけて帰るのだと考えると、少し気恥ずかしい。

「本当は、傷口を洗ってからのほうがいいんだけど。家に帰ったら、ちゃんと洗って、ばんそうこう換えてね?」

「……わかった。ありがとう」

 学校では何となくぼうっとして抜けた印象のある事代が、まるで母親のようなことを言うので少し驚いた。意外にしっかり者の一面があるらしい。

「その荷物さ、途中までもつよ」

 せめてものお礼に。というか、先ほどから彼女が重たそうに買い物袋を提げているのが少し気になっていた俺は、そう申し出た。

「え? いいよいいよ。周防ちゃん、怪我してるんだし」

「大丈夫。怪我っていっても、たいしたことないからさ」

 そう言って、彼女から買い物袋を受け取る。買い物袋には、牛乳、ジュース、卵、菓子、あとは山芋、オクラ、納豆なんかがぎゅうぎゅうに詰められていた。

「ありがと。ほんとはね、重いもの買いすぎたかなと思ってちょっと後悔してたの。周防ちゃん、見かけによらず紳士なんだね」

 にこにこ笑いながら事代が言う。見かけによらず、って何だ。

「重いものは女の子に持たせちゃいけない、ドアをくぐるときは女の子を先に通らせてあげなくちゃいけない、女の子が困ってる時は助けてあげなくちゃいけない……って。俺のばあちゃん、昔からうるさくてさ。耳にたこができそうなくらい、ずっとそう言い聞かされて育ったんだ。だから、これはばあちゃんの教育の賜物たまもの

「へえ、素敵なおばあちゃんだね」

「もうよぼよぼの年寄りなのに、口うるさくて、怒るとめちゃくちゃ怖くてさ。身内からしてみりゃ、全然素敵なんかじゃないよ」

 俺のばあちゃんは、女の子をないがしろにするタイプの男がとにかく許せない性分らしく、俺にも徹底的にレディファーストの精神を教え込んだ。『女はか弱くて小さいのだから男が守ってあげなければいけない』というのが彼女の言い分だが、当のばあちゃんは小柄ではあるものの誰よりも元気があって口うるさく、声もでかいので、とても『か弱い』というイメージにはそぐわない。

 時々、俺はそんなばあちゃんに適当に言いくるめられて都合よく使われているだけなんじゃないかという気がしてしまうことがあるが、人に親切にするというのは少なくとも悪いことではないだろうと考えて自分を納得させている。

「そんなこと言うと、そのおばあちゃんに告げ口しちゃうよ」

 からかうように事代は言って、自由になった手で俺の左肩をぱしんと叩いた。傷に響いて、ちょっと痛い。こいつ、俺がケガ人だということを早速忘れてるな。

「あーあ。お腹すいたなぁ」

 しかも暢気に空腹まで訴えやがって。まあ、もう夕食時だから腹が減るのも仕方ないのだろうけど。駅前を歩いていると、近くの飲食店から美味しそうな香りが漂ってきたりして、結構食欲を刺激されるし。

「そういえば、これって晩飯の材料?」

「そう、ねばねばカレーの材料なの」

 ね、ねばねばカレー。なんだそれ。もしかして、この袋に入っているオクラ・納豆・山芋なんかをカレーに混ぜるつもりなのか? その完成図を想像して露骨に不快そうな顔をする俺に、事代は笑っていう。

「あ、気持ち悪いと思ってるでしょ。美味しいのに」

「……」

「すりおろした山芋と、オクラの輪切りと、納豆を上にのせるの。ねばねばしたものって夏バテに効くらしいし、暑い時こそカレーみたいな辛いものを食べて汗を流したほうが体にいいっていうから、夏にぴったりの食べ物だと思うよ。私のカレー、市販の固形ルーを使わないでカレー粉から作るから、すっごく美味しいし。ちょっと辛いけどね」

「へえ、事代が作るんだ」

 事代の説明を聞いていたら、ねばねばカレーもまんざらでもないような気がしてきた。

「うん。自慢じゃないけど、私、結構料理得意なんだよ」

 相変わらずにこにこと微笑んだまま、発言とは裏腹に自慢げに彼女はいう。料理なんてするタイプじゃないと思っていたけれど、話を聞くかぎりそんなことはないらしい。この短い間に、事代の知らなかった顔をいくつも知った気がする。

 ふと、ずっと俺の方を見て会話をしていた事代が視線を外す。正面を見つめる彼女の目線を追うと、最近建てられたばかりの教会がそこにはあった。教会といってもどうやら商業用の施設らしく、結婚式場として使用するために建てられたもののようで、棟続きのビルのウィンドウには結婚式用のきらびやかなドレスが何着も展示されている。

「ここ……教会が建ったんだね」

 事代が、ぽつりと言う。元は長らく更地のままになっていた土地で、そのさらに前には比較的規模の大きな総合病院が建っていた。確か、病院が郊外に移転されることになったので、取り壊しになったのだったと思う。

「あ、ああ。病院の跡地に結婚式場建てるなんて、なんか変な感じだよな」

「あれ……周防ちゃん、近所じゃないのに詳しいね。ここに病院があったって、なんで知ってるの?」

「昔、急性虫垂炎で入院したことがあるんだ、その病院に」

 といってもかなり幼い頃の話だから、俺自身はほとんど覚えてないのだけれど。そう続けようとした俺の腕を、事代が突然がしりと掴んだ。驚いて見ると、なぜか彼女は真面目くさった顔で俺を凝視している。

「ねえ、それっていくつの頃の話?」

「……確か、五歳くらいじゃないかな」

「五歳の、何月ころ?」

「さ、さあ。よく覚えてないけど、夏だったような」

 その迫力に面食らいつつも俺が答えると、事代が小さく息を飲む。それから、ぽつりと呟いた。

「……ゆーくん、だ」

「え?」

「ねえ、覚えてない? 入院していた時、仲良くなった同い年の女の子がいたでしょう?」

「……覚えて、ないけど」

「……でも、間違いないよ。間違いなく、周防ちゃんがゆーくんだ」

 俺が、ゆーくん? 記憶にある限り、俺をそんな甘ったるいあだ名で呼ぶ人間は一人も思い当たらないのだが。

 意味のわからないことを言う彼女に俺は混乱する。しかし、おそらく困った顔をしているのだろう俺を前にして、事代はずっと探していた宝物を見つけたとでもいうかのように目を輝かせている。

「今年、周防ちゃんと同じクラスになってから、ずうっとどこかで見たことあるなぁって思ってたの。小中学校も塾も違うし、家も近所じゃないのに一体どこで会ったんだろうって、不思議だったんだけど」 

 そういえば、今までにも何度か事代に『どこかで会った事ない?』と尋ねられたことがあった。おそらく他人の空似か何かだろうと思って、深くは考えていなかったのだけれど。

「私、お母さんのお見舞いで病院に通ってたの。お母さんが死んじゃうんじゃないかって怖くって泣いてばかりだったのを、ゆーくんが……あ、周防ちゃんがね、励ましてくれたんだよ。……覚えてない?」

「…………ごめん、思い出せない。あのさ……人違いじゃないかな?」

 彼女の話を聞いても、俺には全くぴんとこなかった。入院中の出来事で覚えているのは、見知らぬ場所でたった一人で眠るのが怖くてひどく泣いた事だけである。そんな俺が、病気の母親の死を恐れて涙する女の子を励ましていただなんて、とても想像できない。 

「ううん、間違いないって。周防ちゃん、顔だってあの頃のままだし」

 そう言って事代はおかしそうに笑う。どうやら、記憶に残っている五歳児の『ゆーくん』の顔と今の俺の顔を頭の中で比べているらしい。

「でもさ、俺、本当に記憶にないんだよ」

「周防ちゃん、ひどーい。私はずうっと覚えてたのに」

 事代が子どもっぽくほっぺたを膨らませる。目は笑っているので、本気で怒っているわけではないらしい。

「祐樹じゃなくて、ユウイチとか、ユウジとか、ユウタっていう名前の子どもだったって可能性もあるだろ?」

「ううん、絶対周防ちゃんだって! 私にはわかるの」

 反論は許さない、という口調で事代は言い切る。しっかり者で料理上手なだけではなく、意外にも意地っ張りでもあるようだ。

「周防ちゃんがゆーくんだってわかって、うれしい」

 本当にうれしそうにそう言う事代に、彼女が主張することに全く身に覚えのない俺は、うーん、と曖昧な返事を返す。そんな俺を見て、何が楽しいのか事代は一人でくすくす笑っている。




 気付けば、いつのまにか駅の前まで来ていた。俺は電車通学なので、事代とはここで別れなければいけない。彼女もそれをわかってか、俺の手から買い物袋を取り上げた。

「今日、ここで周防ちゃんに会えてよかった。荷物持ってもらえたし、長年の謎もとけたし」

 ありがとう、また明日ね、と事代は言って、こちらに小さく手を振る。彼女の話に未だについていけていない俺は、何か釈然としない思いを抱えながら手を振り返した。

 俺には単なる人違いにしか思えないのに、事代はなぜかあんなに強く確信している。それが不思議でならなかった。

 果たして、本当にそんなことがあったのだろうか。俺と事代は、実は五歳の頃、あの病院ですでに出会っていたのだろうか。


 『絶対にきみを守る』。

 その時、俺はふとその言葉を思い出した。幼児の俺が名前もわからない女の子に贈った、あまりにキザな一言。今の俺にすらそぐわないように思える、頼もしくて男らしい台詞。記憶に残る女の子の綺麗な黒髪を思い浮かべながら、俺は思う。彼女は、あの女の子は。ひょっとすると、事代美鈴だったのだろうか。

 混雑する駅の改札前で立ち止まり、俺は思わず雑踏を振り返る。しかし、事代の姿はすでに人ごみに紛れて見えなくなっていた。

なかなか話が進まず申し訳ないです。あと2話で一章が終わります。


読んでくださりありがとうございます。

次話もお付き合い頂ければ幸いです。

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