1 ◆ いくらなんでも暑すぎる
強い陽射しが室内の明かりに慣れた目に眩しく、視界が白くぼやける。
七月も中旬、夏の盛りだ。炎天下のグラウンドにわんわんと響くセミの声と、刺すように強い日の光。
できるだけ薄着になるよう短パン+ポロシャツをチョイスして体育に望んだ俺だったが、授業開始後十分も経たないうちにどこかの誰かに一言文句を言わなければ気が済まないような心持ちになってきた。
いくらなんでも暑すぎるだろ、これ。
大体、女子は水泳なのに何で男子はサッカーなんだ、せめて室内授業にしろよ。そう一人ごちながら視線をあげると、グラウンドの俺が現在つっ立っている位置とは反対方向に、砂埃にかすむ様に白黒のサッカーボールが見えた。
ボールは現在相手方のゴール前にあり、センターバックを任されている俺はほとんど他人事のように相手ゴール前の攻防を眺めながら、心の中で引き続き文句を言う。
そう、女子と一緒に水泳授業を受けたいとまでは言わない。言わないからせめて、グラウンドよりはプールが見える可能性の高い体育館で、クーラーのかかった涼しい中で授業を受けさせてくれ。
俺が通う高校、県立西高の水泳授業は男女別に行われることになっており、女子が水泳の日は男子はサッカー、男子が水泳の日は女子はバレーボールと決まっていた。
もちろんサッカーの場合は授業はグラウンドで行われるが、バレーボールの場合はサッカーに比べコートが手狭で構わないこともあって体育館で行われる。
男女で行う競技が違うのは、屋外での体育を嫌がる女子たちが結託して体育教師の野田に『日焼けをするから嫌』とか『具合が悪くなる』とか訴えでたことがきっかけだという噂だった。野田め、女子にばかり媚びやがって。影で散々ハゲとかキモイとか陰口叩かれていることも知らずに、可哀想なやつ。
ちなみに、この高校は坂に沿うようにして建てられており、校舎や体育館やプールは坂の上側、グラウンドは下側にある。つまり、グラウンドはプールよりも一段低い場所にあるため、どうがんばってもこちらから水泳授業の様子を伺うことは不可能である。
グラウンドにいる俺たちには、ただばしゃばしゃという水音と女子生徒たちの声が頭上から降るように聞こえてくるのみである。何だか知らないけど、いやに楽しげできゃあきゃあと高い声が。
「おい、周防」
ふいに後ろから声をかけられた。振り向くと、クラスメイトの岡元匡史がポロシャツの襟元を掴んでパタパタさせながらそこに立っている。ちなみに、岡元はゴールキーパーである。
「なに」
思わず不機嫌な声が出る。
「お前さぁ、今、有栖川の水着姿のこと考えてただろ」
「は?」
岡元がにやけながら口にした名前、有栖川。実は、先ほどから少なからずその人物のことが頭にあった俺は少しどきりとした。当たらずとも遠からず、というところか。
有栖川真梨花。俺と岡元と同じクラスの、おそらく学年、いや学校一の美少女。人それぞれ好みはあるだろうが、少なくとも有栖川の水着姿を拝める可能性を目の前でちらつかされてそれに惹かれない男子はこの学校に一人もいないだろう。
黒目がちな大きな瞳、形のいい唇、白い肌。顔は小さく足は長く、細身だが、バストは岡元の言うところによると推定Dカップ。俺がこんなにも女子の水泳授業を気にするのも、あそこに有栖川がいるという意識があるからこそだという自覚がある。
「考えてねぇよ、みんながお前と一緒だと思うなよ」
が、とりあえず岡元の予想は否定した。何につけ調子に乗りやすいヤツなので、話を拡げるといろいろと面倒くさいのだ。
「おい、素直になれよ。お前が大好きな真梨花ちゃんの水着姿をむっつり妄想してました、って素直に認めたら、俺がいいもん貸してやるけど」
「だ、誰がむっつり……」
「いいのか、むっつりは女子が嫌がるぞ」
「……あのさ、お前みたいに開けっぴろげなのに比べれば、そっちのがまだマシだと思う」
「ふっふ。わかってねぇなー、お前、女心ってやつが」
なぜか腕を組み胸を張って不敵に微笑む岡元。こいつがもてない理由が、今つくづくわかった気がする。
「お前と話してると、ただでさえ暑いのがもっと酷くなるよ。『いいもん』っていうのも、どうせ双眼鏡か何かだろ」
「お、周防いい勘してる。でもちょっと違うな。もっと『いいもん』だよ」
そうもったいぶりながら、本当はその『いいもん』が何なのか言いたくてたまらないらしい岡元はどことなくそわそわとした様子で続けた。
「いいか周防、俺は屋上にベストプレイスを見つけた。そこからならプールの端から端まで間違いなく見渡せる」
「……岡元。覗きってさ、犯罪だぞ」
『体育館からなら女子の水泳授業が見えるのに……』などと頭の片隅でちらっとでも考えてしまっていた自分を棚に上げて、岡元に忠告する。
「俺さ、家から一眼レフ持ってきたんだよ、望遠レンズ付の。あれならあの距離でも、かなり鮮明な写真が撮れる」
しかし岡元は俺の言葉を完全無視し、サンタを待つ子どものように瞳をきらきらとさせながらまくし立てた。なんだか、気圧される。
「……盗撮も犯罪だぞ」
「周防、お前はわかってない」
そう言って、岡元は突然がしりと俺の両肩を掴んだ。いつになく押しの強い彼を前に、はっきり言って嫌な予感しかしない。
「有栖川の第一志望校、知ってるか?」
「は? そりゃ、東大か京大だろ。っていうかお前、顔近い」
なぜ今志望校の話になるんだ、そう思いながら答える。学年成績ぶっちぎりでトップの有栖川が、県内模試で1位になったのはついこの間の話だ。このままいけば数年ぶりに西高から東大合格者を輩出できそうだ、と教師たちが喜んでいたのが記憶に新しい。
「そうだ。つまり、このチャンスを逃したら有栖川はどんどん遠い人になっていくっていうことだ」
「遠い人?」
「あんな美人で、秀才だぞ。大学入ったらスカウトとかされて、インテリ美女タレントとして大人気になって、クイズ番組に出演したりするんだよ。そうなったら俺たちには完全に手の届かない存在になる。そうだろ?」
「あのさ……それ、かなり妄想入ってないか?」
「とにかく! やるなら今しかない。俺の言うとおりにしたら、この千載一遇のチャンスをものにさせてやる」
さらに顔をずいと近づける岡元。その迫力に完全に圧倒されて、俺はなぜか素直にこくりと首を縦に振ってしまった。




