第21話 マクシムの決断
あれから二週間後。
「ディロン辺境伯がお越しです」
メイドから突然の知らせを受け、私は読んでいた本を閉じた。
急いで階下へ降りると、両親がディロン辺境伯に挨拶をし、応接室へ案内しているところだった。
「いやはや、突然の連絡で申し訳ない」
「いえいえ。何もないところですが、ゆっくりお過ごしください」
そのとき、ディロン辺境伯が私に気づいた。
「久しぶりだな、ジュリエット嬢!」
「お久しぶりです」
ディロン辺境伯は、以前と変わらない豪快な笑顔を浮かべた。
「手紙、読ませてもらったぞ」
「はい」
「それでな。マクシムと二人で話をしたい」
「……分かりました」
私は頷いた。
二人で話したいというのなら、その方がいいだろう。私がこれ以上口を挟むべき話ではなかった。
「マクシム様を呼んできます」
「頼む」
私は訓練所にいるマクシム様を呼びに行った。
突然の父親の来訪に、マクシム様は驚いているようだった。
――――――――――
マクシムが応接室に入ると、父親が一人で紅茶を飲んでいた。
相変わらず大きな体で、持っているカップが小さく見える。
「父上」
「ああ。来たか」
ディロン辺境伯は目元を緩めた。
戦う姿は猛獣のようだが、家族を見る目はいつだって優しいものだった。
「ジュリエット嬢から手紙を受け取った」
「手紙?」
「ああ。ベルトラード嬢と出かけたそうだな」
突然の指摘に、マクシムは驚いた。
「……はい」
「それで、告白もされたと聞いた」
「はい。ですが、お断りしました」
淡々とした返事だった。
「なぜだ?」
「彼女は侯爵家の一人娘です。ディロン家に嫁ぐことはできませんから」
「それが理由か?」
「もちろんです」
ディロン辺境伯は、しょうがない奴だと言いたげな顔で、しばらく息子を見つめた。
「お前は、ベルトラード嬢が嫌いか?」
「いいえ」
今度の返答も早かった。
「では、好きか?」
マクシムは答えに詰まり、黙り込んだ。
「……分かりません」
それが今のマクシムの正直な気持ちだった。
「そうか」
ディロン辺境伯はそれ以上追及しなかったが、穏やかな表情をしていた。
「そうか。なら、一度よく考えてみなさい」
「父上?」
「自分の気持ちを見失っている状態で、当主の座が務まると思うなよ」
そう言って、ディロン辺境伯は席を立った。
――――――――――
その夜。
マクシムはテラスで一人、考えていた。
ベルトラードをどう思っているのか。
自分が相手を嫌っていないのは流石に分かる。では、好きなのか。そう聞かれると、答えが出なかった。
そもそも、誰かを好きかどうかなど、どうやって分かるものなのか。今まで体の苦しみに耐え、訓練に明け暮れていたマクシムには、分からないことだった。
「マクシム様」
「ジュリエット?」
ジュリエットがビールを二本持って近づいてきた。
「一本、いかがですか?」
「……いただこう」
ジュリエットは一本を差し出すと、自分の分を開けて美味しそうに飲み始めた。
ジュリエットも不思議な女性だった。貴族令嬢として正しい所作を身につけながらも、フランクな雰囲気が常にあった。
出会ったとき、護衛として来たマクシムが敬語で話そうとすると、自分の方が身分が下なのだからやめてくれと必死に断られた。だからといって、ジュリエットが必要以上にマクシムを敬うこともなかった。敬語で話しながらも、友人のような距離感だった。
今もそうだ。貴族令嬢がビールを、しかも缶のまま飲むなんてありえない。しかし、本人はそんなことなど気にせず、とても楽しそうに飲んでいる。
「父に手紙を送ったそうだな」
「……怒ってますか?」
問いかけると、ジュリエットはチラリとこちらを見上げた。申し訳ないと顔に書いてある。あまりにも正直な姿に、怒る気にはなれなかった。
「すみません。勝手なことをしました」
「いや……。構わない」
嫌がらせで手紙を送ったわけではないことは分かっていた。
ジュリエットは何も聞かず、ただ静かに外の景色を眺めていた。
静かな夜だった。
酒を飲んでいると、少しずつ気が緩んでくる。
「……父上に、ベルトラード嬢をどう思っているか聞かれた」
「……マクシム様は、なんて答えたんですか?」
「分からない、と答えた」
ジュリエットは少しだけ目を丸くした。
「好きか嫌いかと聞かれても、分からなかった」
「……」
ジュリエットは少し困ったような顔をして、俺の話に耳を傾けていた。
「相手を好きかどうかなんて、どうやったら分かるんだ?」
「そうですね……」
ジュリエットは腕を組み、しばらく考え込んだ。
やがて何かを思いついたように顔を上げ、ピンと人差し指を立てた。
「相手の目を見て、綺麗だなと思ったら、恋をしているんじゃないでしょうか?」
「……」
そういうものなのだろうか。
マクシムにはよく分からなかった。
それでも、一度ジュリエットの言葉を信じてみてもいいかもしれないと思った。
「もう一度、ベルトラード嬢と話してみようと思う」
「はい」
ジュリエットは嬉しそうに微笑んだ。
「それがいいと思います」
そう言って、ジュリエットは半分ほど飲んだビールの缶を、マクシムの缶に軽くぶつけた。
まだ何も決まってはいない。
それでも、不思議と気持ちは晴れていた。
マクシムは再びベルトラード嬢と会うことにした。
「わざわざ来ていただいて、ありがとうございます」
「いえ。またお会いできて嬉しいですわ」
婚約者でもない男が会いに行くのは外聞が悪いため、ベルトラード嬢にはマルティネスの屋敷まで来てもらった。
「ベルトラード嬢は……、なぜ俺が好きなのですか?」
マクシムは少しだけ言いにくそうにしていたが、直球で尋ねた。
ベルトラード嬢は頬を赤くしながら、まっすぐにマクシムの目を見つめている。
「一目惚れですわっ!」
「一目惚れ……。外見が好みだったということですか?」
「そうです!」
ベルトラードの堂々とした発言に、少し離れたところで様子を見ていたジュリエットが、ずるっと転けた。
「でも、それだけではありません。話を聞いてくださるときに、必ず目を見てくださるところが素敵だなと思ったんです」
ベルトラード嬢はそう言って、嬉しそうに微笑んだ。
「……そうですか」
マクシムは少し考えるように黙った。
ベルトラード嬢の言葉に迷いはなく、どこまでもまっすぐだった。
マクシムはその瞳を見つめた。キラキラと輝いていて、綺麗だと思う。
……ということは、好きだということなんだろうか。
マクシムには、まだ分からなかった。
それから、マクシムは何度かベルトラードと会う機会を設けた。
ジュリエットにも付き合ってもらっていることが、少し申し訳なかった。
「毎回付き合わせて、すまない」
「気にしないでください。私も楽しいですから」
ジュリエットはいつものように、あっさりと答えた。
「それに、私は友人として、マクシム様に自分の望むように生きてほしいと思っています」
「……友人、か」
「はい」
そう言って笑うジュリエットを見て、マクシムも笑顔で頷いた。
友と呼べる人がほとんどいないマクシムにとって、気楽に話せるジュリエットの存在はありがたかった。
けれど、友人だというのなら、いつまでも他人行儀なままなのもおかしい気がする。
「では、今後は敬語で話さなくていい」
「え?」
「俺たちは友人なんだろう?」
ジュリエットは目を丸くしたあと、嬉しそうに笑った。
ある日、マクシムはベルトラードと街へ出かけた。
ジュリエットも同行していたが、いつものようにさりげなく距離を取り、話の邪魔をしないように歩いていた。
もちろん、アルディ侯爵夫妻も同行していたが、特に何か言われたことはなかった。
「マクシム様、こちらですわ!」
「ああ」
ベルトラードに連れられて入った店には、あの童話に登場する小物を模した雑貨が並んでいた。
「ドラゴンのぬいぐるみもあります」
ベルトラードは嬉しそうに抱きしめながら笑った。
他にも、勇者の剣を小型化したものや、お姫様をモチーフにしたドレスやイヤリングなども置いてあった。
二人で様々な雑貨を眺め、気に入ったものをいくつか買った。
別の日には、本屋を訪れた。
「これはどうですか?」
「それは読んだことがない」
「勇者が活躍する冒険譚なので、きっとマクシム様も気に入ると思いますわ」
ベルトラードは本のあらすじを嬉しそうに話した。マクシムも穏やかな表情で耳を傾けている。
ジュリエットは本を見ながら、二人の様子をこっそり眺めていた。何度も会ううちにマクシムの硬さが取れ、楽しそうな雰囲気が伝わってくる。
マクシムが自分の気持ちに気づくのは、そう遠くないかもしれないと思った。
そんなある日、ディロン辺境伯が訪ねてきた。
「マクシム。少し話がある」
二人は応接室で再び話をした。
「ルミリオ殿下と話していたときに、ある提案をされた」
「提案ですか?」
「ああ。王室騎士団の副団長を、お前に任せたいそうだ」
マクシムは驚きながらも、黙って父親を見る。
「現在の副団長は、国王陛下の意向を強く受けている人物だ。殿下は、自分が信頼できる人間に任せたいと考えているらしい」
「……俺に務まるでしょうか」
「ああ。大丈夫だ」
ディロン辺境伯は目尻の皺を深くして、笑顔で頷いた。
「体の不調を抱えながらも、お前は訓練を怠らなかった。お前が努力して身につけてきた力は、決してお前自身を裏切ることはない」
「……」
「マクシム。当主になることが全てではない」
マクシムは黙ったまま俯いた。
「長い間、苦しんできたからこそ、義務だからという理由だけで生きてほしくない。お前が心から幸せだと思える道を選んでほしいんだ」
「……幸せ」
「ああ、そうだ」
ディロン辺境伯は穏やかに笑った。
「それが当主になることなら、私は喜んで応援する。そうでないなら、別の道を選べばいい」
マクシムは、すぐには答えられなかった。
「少し、考えさせてください」
「そうしなさい」
ディロン辺境伯は、それだけ言って部屋を出ていった。
その夜。
「少し飲まないか?」
今度はマクシムがビールの缶を二本持って、ジュリエットを誘った。
「いいね」
ジュリエットは小さく笑って頷いた。
マクシムは、ルミリオ殿下から副団長の座を打診されたことを話した。
「すごい」
ジュリエットは素直に感嘆の声を上げた。
「いや」
マクシムは照れくさそうにビールを一口飲んだ。
「まだ迷っているが……、だが……」
少し考えてから、続ける。
「ベルトラード嬢と一緒にいるのは、悪くないと思っている」
「……」
「話をしていても楽しいし、ああして一緒に本を探すのも悪くない」
ジュリエットは何も言わずに聞いていた。
「結婚したら、きっとこういう時間が増えるんだろうな」
マクシムがそう口にすると、ジュリエットの表情が少しだけ緩んだ。
「……そうかもしれないね」
嬉しそうに頷いた。
それから、二人はただ静かに、穏やかな時間を楽しんだ。
翌日。
マクシムは王室騎士団の副団長を引き受けることを決めた。
そして、ベルトラード嬢に正式な婚約を申し込むことにした。
報告を受けたディロン辺境伯は、満面の笑みで息子の決断を受け入れた。
その後、ジュリエットの元に、ベルトラードから一通の手紙が届いた。
封を開くと、そこには喜びと感謝の言葉が綴られていた。
マクシムとの婚約が決まったこと。
私が二人のために動いてくれたことが嬉しかったこと。
何度もお礼を言う文章を読み、私は小さく息を吐いた。
「……よかった」
手紙を机の上に置き、一息つく。
二人が幸せになれるのなら、それでいい。
それでいいのだが、自分のことに目を向けると、良かっただけとは言い難い。
「……うーん。私とルミリオ殿下の婚約、どうしよう」
多くの貴族たちが、ベルトラードの方がルミリオ殿下の婚約者にふさわしいと躍起になっていたのだ。
マクシムとの婚約が発表されれば、そんな声も消え去るだろう。
すると、周囲から押し切られる形で、婚約を辞退するという結果が手に入らなくなる。
「……どうするのよ、自分」
思わず呟いた。
ルミリオ殿下からは、未だに何の連絡もない。私から手紙を出すこともできないままだ。
絶対に、人の婚約をどうにかする前に、自分の婚約をどうにかするべきだ。
私は小さく息を吐いた。
「……そろそろ、向き合わないとな」
なんだか酔いたい気分だなと思いながら、私は自分の問題について考え始めた。




