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第1話「手」

「餅は餅屋って言葉が、あるんだよ」

「もち? もちや? なんですか、それ」

「結局は、専門家が一番優れてるってことわざ」


 今日も木漏れ日が漏れ出す廃墟同然の宿屋で、もともとは錆びた鉄鍋を修復して鍋の中でたまごをゆっくりと溶かしていく。


「テーブルの前で待ってていいですよ。カイルはお客様なので」

「いや、暇っていうか……」

「戦う以外の才に欠けてますからね」

「はっきり言うなよ、はっきり……」


 鮮やかな黄色の渦を描いていく鍋を見つめるだけで、心も少しずつ温まるように感じられた。


「俺だって、こんなに自炊の才能がないとは思ってなかったよ」


 世界を平和に導くための炎魔法を加減してみるカイルだけれど、香ばしすぎる匂いをかぎ取った私は急いでカイルの元へと向かう。


「モンスターを倒すわけじゃないので、優しくお願いします」

「本当にすみません……」

「カイルは休んでてください。魔王を討伐したばかりで、疲れが残っていますよね?」


 ご飯の支度をするのは宿屋の経営主である私の役割のはずなのに、暇を持て余しているカイルは率先してお手伝いに入ってくれる。

 でも、そのお手伝いは今日も失敗を招く直前で終わってしまった。


「はぁ」

「カイルはスローライフよりも、世界を平和に導く方が似合ってそうですね」

「もう戦争に巻き込まれんのはごめん」


 湯気の上がるスープをそっとお皿に注ぎ、丸焦げになる前に救出できたパンの焼き具合を確認する。

 パンの表面には小さな焼き目がつき、その焼き目を作ってくれらのがカイルだと思うだけで、なんとも言えない満足感を引き出してくれる。


「平和を願うカイルに朗報です」

「ん?」

「今日は、ちょうどいい焼き加減のパンが食べられます」

「おっ」


 脚がほんの少し欠けたテーブルにも慣れ始め、私たちは向かい合って席へと着く。

 ほっと一息吐くと、窓の外では小鳥の声らしき声が優しく響いた。


「やっぱ向いてないかも……」


 スプーンでスープを一口掬い、そっと口に運ぶカイル。

 私も一緒になってスープを口に運ぶと、口の中に理想通りの塩味が広がっていくのを感じる。


「アトリの飯、美味いわー……」

「美味しいと伝えるときは、もっと口角を上げてくださるとうれしいです」


 自分の人差し指を使って、自身の口角を押し上げる。


「平和な世界で、俺にできることか」


 すると、カイルに優しさを含んだ笑みが返ってきた。

 でも、まだまだ無理しているのは伝わってきて、すぐにカイルは両腕を伸ばして天井を仰ぎ見た。


「スローライフをやってみたいっていうのも夢なんだけど……」


 カイルの視線が再びスープを向き、スープを口にした彼の表情が和らいでいくのを確認する。

 たまごと塩だけでは物足りなさがあるものの、大きな苦労をしなくてもたまごと食塩が手に入り、朝食らしい朝食が作れる感謝したいと思った。


「カイルにはカイルにできることをしたい、ってことですよね」


 平和な世界で、次の夢を見つけることの難しさ。

 スローライフを送りたいという願いも立派な夢であることに変わりがないけれど、現状ではカイルが女神様から授かった戦うための力は宿屋経営にほとんど役になっていない。


「戦う力にこだわらなくても、カイルの手から生み出されるものがあるといいですね」


 カイルが望むスローライフ環境を提供するのが、私の役割。

 カイルにも、手に入れたスローライフ生活の中で新たな夢を見つけてほしいと強く願う。


「俺の手、か」


 カイルは開いた自身の手を、じっと見つめた。


「私はカイルが焼くパン、好きですけどね」

「勇者への忖度、ありがと」

「ひねくれないでください」


 朝の光が柔らかく差し込む中、卵の滑らかな食感が口いっぱいに広がる幸福感は、いつだって私の心を優しく温めてくれる。


「この、ほんの少しの焦げに、虜になりそうです」

「同じ焼き加減で焼けないところが、難点だな」


 手にしたパンは、魔法の力を借りることで焼きたてのように仕上がった。

 外はカリッと、中はふわふわ。

 ほんの少しの焦げの香ばしさは心をくすぐるようになっていき、そのうちカイルなしではパンが食べられなくなるのではないかと思ってしまう。


「気分転換に、外出でもどうですか?」


 いくら数えきれないほどの婚約者からの逃亡生活をしているとはいえ、開店前の宿屋に閉じこもった生活を送っていては良いアイディアも浮かばなくなる。

 そう思って、誘いの声を届けるけれど、肝心の勇者様の顔色は宜しくない。


「金ならいくらでもあるから、好きに使って……」

「カイルも一緒に、ですよ」


 魔王の手から世界を救った勇者様と結婚したい女性が多いのも頷けるけれど、それが勇者様の生活を制限することに繋がってはいけないと思う。


「だから、俺は婚約者たちからの逃亡生活……」

「私が魔法使いということをお忘れですか?」


 ちぎったパンの断面から感じた温かさを胸いっぱいに吸い込み、カイルに元気を出してもらうための選択肢を提案するための笑顔を準備する。


「魔王との長きに渡る戦いで、忘れがちかもしれませんが」


 パンをたまごスープに軽く浸して、口に運ぶ。

 スープの旨味とパンの甘みが絶妙に調和しており、簡素な朝食すらも味わいを感じられる。

 カイルと一緒に食事をするという、このひとときにどうしようもないくらいの幸福を感じるのは私が平和慣れしていないせいなのか。


「魔法とは本来、人々に幸せをもたらすために存在するのですよ」


 ささやかな朝食が、小さな幸せそのもの。

 戦争のさ中では感じることができなかった幸せを胸に抱きながら、私はカイルにひとつの奇跡をもたらす。

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