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元冒険者が待つ宿で、紅茶を一杯いかかですか  作者: 海坂依里
第1章「廃墟のような宿屋」
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第4話「夢と現実」

「勇者様っ」

「っ、あ……」


 水魔法で勇者様は宿屋で唯一、生存していたティーカップを手に取る。

 焦るように唇をティーカップに触れさせている様子を見て、水が喉を通るたびに彼の体が生命力を帯びていくのを感じる。


「おかわりっ!」

「はいっ! wetherterwa!」


 冷たい水が喉を通るたびに勇者様は目を閉じながら、ひと時の幸福に浸っていく。

 水が勇者様の喉を潤すと、ようやく彼は私のことを視界に入れてくれた。


「ありがとう……助かった……」

「勇者様をお救いする機会があるなんて……光栄です」


 転生前の勇者様にお会いしたことはないけれど、彼の黒髪は転生後も転生前の色合いを保っていると聞いたことがある。

 灰色の瞳だけは転生前と違うらしいけれど、私たちが生きる世界に染まった瞳の色をいいなと思った。


「この水、ただの水じゃないな」


 咎めるような声質ではなく、ただ浮かび上がった疑問を口にする勇者様。

 その声を耳にするだけで、自分が魔法使いヴァレミに戻ったときの記憶が一気に甦ってくる。


「ご明察のとおりです。ホーピスクローバーと呼ばれる薬草を……」

「体力を回復させる薬草か」

「あくまで気持ち的なものですけどね。それでも、ただの水よりはいいのかなと」

「気遣い、助かった」


 勇者様が二十一歳のままか判断することはできないけれど、外見は私が亡くなったときと大差がない。

 先頭を行く勇者様の顔を拝見することができないくらい下っ端の配下をやっていたけれど、私の知っている勇者様が目の前にいることに大きな喜びを感じる。


「俺は魔王と戦う力に長けてるだけで、飲み水すら確保できないからな」

「wetherterwa」


 空いたティーカップに杖をかざし、柔らかい光が集まり始める。

 いとも簡単に飲み水を生成することができるけど、私にとっての《《簡単》》は勇者様にとっての《《難しい》》ということを学ぶ。


「召し上がれ」

「やっぱ凄いよ。さすがは魔法使い」


 勇者様の唇が動き、その唇は再び喉を潤すために水を含んでいく。


「自分の面倒を、自分で見ることすらできないんだもんなぁ」


 水を飲み干した勇者様は、欠けた天井の空を見上げた。

 外に待っているのは希望溢れる美しい青の世界なのに、勇者様の瞳には希望の輝きが映っていないように見えた。


「にしても……こんなところまで、勇者の名が広まってるなんてな」

「こんなところ……」

「ん? ここは、緑生きる大地広がる村スードだろ?」


 緑生きる大地広がる村スード。

 その名の通り、多くの自然に恵まれている村として有名な場所。

 でも、その一方で、これといった名物も有名な観光地も存在しない。


(宿にお客さん、来なさそう……)


 今度の生活に一抹の不安を抱くものの、今は勇者様の命を繋ぐことができただけでも良しとしよう。


「はぁ」

「差し支えなければ、スードまで何をしに?」


 あまりにも盛大な溜め息を吐き出した勇者様を見て、まるで友人に話しかけるような気軽さで尋ねてしまった。


「逃げてきた」


 すると、勇者様も躊躇いもなく答えを返してくれた。


「まさか、まだ魔王の残党が……!」

「違う、違う。数えきれないほどの婚約者様候補から」


 まだ平和慣れしていない私は物事を悪い方向に考えてしまったけれど、勇者様は勘違いを繰り広げる私を優しく否定する。


「でしたら……勇者様が、お姫様と結婚なさるのは普通では?」

「俺にも、選択する権利が欲しい」


 魔王が現れるまでは、勇者様がお姫様と結ばれる恋愛小説や劇が流行していたはず。

 物語のような展開が現実にもたらされるのが当然だと思っていたけれど、勇者様は物語のような展開をお望みではないらしい。


「お姫様と結婚すれば、愛情とお金に溢れた日々が……」

「いやいやいや、初めましての人と結婚させられる身になってください」


 丁寧な喋り方をしていたのは私の方だったはずなのに、頭の中が混乱という文字で埋め尽くされている勇者様は喋り方が可笑しなことになっていく。


「転生初日とかに、挨拶は……」

「そんなの初対面と変わんないから……」


 魔王の討伐に向かう勇者様が、どんな表情をしながら生きてきたのかは分からない。

 何度も絶望に陥ったかもしれないのに、数えきれない婚約者を前に絶望に陥る勇者を見て、絶望するのはここではないと言葉を挟みたくなってしまう。


「勇者だって、好きな子との結婚を夢見るんだよ」

「好きな方でも?」

「お付きの者が数えきれないほどいた中で、初恋相手を探せって?」

「確かに……」


 まだ言葉を続けたかったのかもしれないけれど、勇者様は言葉が出てこない様子だった。

 それだけ嫌そうな顔をしていて、よっぽど大行列で魔王を討伐することになったことへの不快感を示していた。


「魔王を倒しました、結婚相手です、意味わかんないから」


 物語の王道を歩んでいるはずの勇者様は、真っ向から王道というものを否定してくる。


「ふふっ……ははっ……」

「笑うなって」

「世界を救った勇者様が、婚約者を前に……ふふっ」

「初対面相手に、笑いすぎ」


 自然と上がっていくはずだった口角が、途中で止まってしまう。

 勇者様が口にした、初対面という言葉に引っかかりを感じてしまった。


「笑いたければ、笑えばいいけど」


 一人で宿屋探検をしていたときは気づかなかったけれど、いまさら玄関ホールに硝子が散乱していたことに気づく。

 一部が割れた鏡が壁に掛けられていて、そこに自分の顔が映り込んでいた。


(これが、アトリーヌの顔……)


 鏡に映るのは、見慣れた顔ではない。

 肌は滑らかに輝いているように見えて、鼻筋も高く、何よりも目が大きい。

 鏡の中で待っているのは、自分ではないように感じるほど美しい女性の姿。

 金色の髪がランプの明かりを受けて輝き、前世の赤茶色い髪とはまったく違う。


(これが、生き直すってこと……)


 魔法使いヴァレミは、亡くなった。

 勇者カイルに仕えていた魔法使いの一人は、とうの昔に亡くなってしまった。

 それを知っていたはずなのに、分かっていたはずなのに、理解していたはずなのに、なぜか寂しいって感情を抱いてしまった。

 いざ自分の顔を見つめることで、生き直すという言葉の意味を知っていく。

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