第3話「再会」
「ランプは、魔法でつけて……」
壁には古いランプがいくつかかかっていたため、懐にあった魔法の杖を使って光精霊を呼び込む。
「inrihome」
ランプに明かりが灯ることで、年季の入った受付カウンターが埃を被っている様子が確認できた。
誰かが使ったインク壺とペンはそのまま残っていて、かつてはお客様をもてなすための場所だったということに胸を痛める。
「部屋の数は五……」
五部屋あるうちの一部屋は自分が使うことになるので、お客様を招き入れられるのは四部屋。
(平和さえあれば、贅沢なんて望まない)
女神様が言うには、次の人生を歩む際にお金があればあるほど選択肢が増えるということ。
でも、今は大きな利益を追うことよりも、日々の生活が成り立つことが最優先。
(癒しの宿屋とか、いいかも)
戦争が終わったあとの世界なら、宿屋を癒しの空間をして提供することも可能かもしれない。
傷ついた体を休めるための宿屋ではなく、日常から解き放たれた場所で過ごす非日常を提供するための宿屋。
宿屋のコンセプトらしいものが思い浮かぶだけで足が軽くなるのを感じるけれど、床板が軋むたびに足元を立てるのはいただけない。
「まずは衛生面と、お客様の安全の確保……」
こじんまりとした宿の造りの調査は短時間で終え、どんなに丁寧な歩き方をしても底が抜けそうな木の板に心臓が怯える。
木製の階段が軋む音が妙に響き渡ったとき、玄関の方から何か物音が聞こえてきたことに気づく。
(これだけぼろぼろなら、泥棒さん入り放題……)
泥棒が取っていくようなものは見当たらなかったけれど、周囲に何も見当たらない草原に佇むお宿を訪れる人がいるわけがない。
(魔法が使えるなら、撃退も余裕)
泥棒への恐れは微塵も抱いていないけれど、階段が抜け落ちないことだけは必死に祈った。
階段が抜け落ちて怪我をしてしまったら、独りぼっちの私を助けてくれる人は現れない。
再び女神様の元に戻ることを恐れつつ、慎重に足を進めていく。
「誰かいますかー……」
宿の扉に呼びかけても、誰かが入ってくる気配はない。
誰かいますかの呼び声に反応する人がいるとも思えず、こうなったら自分の目で安全を確認するために扉を開けようと意気込んだ。
「誰かいてもいなくても、開けますよー」
腐りかけた木の扉をそっと開くと、自分では支えきれない重さの何かが倒れ込んできた。
想像していなかった展開と衝撃に驚かされた私は、思わず扉から手を放してしまった。
「っ」
私の目は、きっと大きく見開かれていると思う。
「勇者様っ!」
視界に飛び込んできたのは、私が生きてきた世界では珍しい黒い髪色の男性。
この黒色の髪を持つ人物が何者なのか知らない人が、この世界にいるわけがない。
「治癒魔法……は……使えない」
迷うことなく膝をつき、彼を支えた。
こんな寂れた宿しかない草原に、勇者様はどんな目的で現れたのか。
それとも何かから逃げてきたのか、何かを追ってここまで来たのか、次から次へと問いかけが頭の中を駆け巡る。
「……れ」
「勇者様っ」
彼の服装は、まるで自分の身を闇に隠すような落ち着いた色合いの紺色のローブ。
王家の紋章を示した金色の刺繍が施されていることから、国から支給されたローブを身にまとっていることが分かる。
「……くれ……」
勇者様の唇が、微かに動いた。
「私に何ができますか」
「っ、水……」
勇者様の瞳が、そっと開く。
「水……飲み水ですね」
小さな声ではあったけど、勇者様は私が聞き取れる声の大きさで言葉を紡いでくれた。
埃をかぶって、少しも衛生面が整っていないキッチンに急いでやって来たけれど、そこに使えそうなコップも器も見つからない。
(飲み水は魔法で確保できるけど……)
棚や引き出しに目を光らせてはみるものの、そこで見つかるのは罅割れた陶器の皿や錆びついた調理道具ばかり。
(勇者様に、水をかぶってもらう……)
なんの権力も地位も持たない魔法使いが、魔王の討伐に成功した勇者様を水浸しにしてしまってもいいものなのか。
思わず身を案じてしまったけれど、自分のことを考えるよりも今は大事なことがある。
(勇者様を救わなきゃ)
魔法使いのヴァレミとして生きてきた頃の記憶があるせいか、なんだか物凄い使命感のようなものに駆られた。
辺境の地っぽい場所で勇者が一人で亡くなっても誰も気づかないかもしれないのに、私の体は勇者様を救うための行動を取る。
そこが、元勇者の配下らしいかもしれない。
「あった!」
ほかの食器と汚れが大差ないティーカップを見つけ、声を上げる。
「weshe」
ようやく水漏れしなさそうなティーカップの衛生の安全を確保するために、水精霊の力を借りてティーカップを洗浄する。
「wetherterwa」
注いだ水が漏れ出ないティーカップを確保できた私は、急いで水精霊の力を借りるための詠唱を口にした。
薄青い光が魔法の杖から放たれると、キッチンに薄青い霧のようなものが広がり始める。
水一滴すら存在しなかったキッチンに恵みがもたらされ、ティーカップの中にはきらめく透明な飲み水が注がれた。
「勇者様のところ……に……」
飲み水が確保できただけでも十分だと思っていたけれど、また私を呼び止める声が聞こえてきた。
「薬草……?」
どこか温かく、懐かしい感覚に包まれながら、私は宿に残された小さな命を見つける。




