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第8話「宿屋『花笑みランドスケープ』」

「では、腹が減っては聖域に行けずですからね」

「腹が減っては(いくさ)……ま、いっか」


 魔法の杖を使って、炎の精霊を呼び寄せる。

『まったく人間と来たら、出来立てのものを食べなよ』という炎精霊のお小言が飛んできたのは、カイルには秘密にした。


「では」

「いただきます」

「いただきます」


 まずは、鳥型モンスターマーポッカの出汁を使ったスープを一口。

 たまごのスープは朝食でも口にする機会が多いけれど、湯気が立ち上るほど温まったたまごと海藻のスープは朝とは別物に見えてしまう。


「カイル、カイル、このスープ、すっごく美味しいです!」

「んー、どれどれ」


 マーポッカの出汁が溶け込んだスープに、きめ細かなたまごが踊るように優雅に漂っている。

 たまごに火が通りすぎていたら、このたまごの優雅な舞を拝むことができなかった。

 そんなことを思うと、このたまごスープは理想通りに調理できたのかもしれない。


「美味っ」

「美味しすぎます」


 たまごが舌に柔らかく触れるだけでなく、優しいマーポッカの風味が口いっぱいに広がっていく。


「ん、これ、鶏ガラか?」

「とりがら?」

「鶏の骨を煮込んで、スープとかの素にするんだよ! うわっ、懐かしっ」


 魔王を討伐することだけを考えて生きてきた私に対して、カイルは私が知らないこと、経験したことがないことをたくさん知っている。


「なんと! こちらの炒め飯にも、マーポッカの出汁粉を使ってます」

「だって、なんか、もう……香りが違う」


 いくら勇者様とはいえ、戦時中の食事はかなり味気のないものだったのだと思う。

 カイルの瞬きの数が増え、その瞳の向こう側には感動という名の光が存在してるような気がする。


「塩気だけじゃない……」

「本当ですね……なんて便利なものが存在していたのでしょうか……」


 黄金色のたまごや鮮やかなオレンジ色のニンジンが、炒め飯に彩りを添えてくれる。

 マーポッカの出汁粉の優しい香りが鼻をくすぐり、食欲が止まらなくなりそうな効果を与えてくる。


「多分、戦時中は出回んなかったんだろうな」

「少しでも美味しいもの、食べたいですからね」


 スプーンを手に取り、またひとすくい。

 口に入れた瞬間、しっかりと炒められた米の香ばしさをずっと味わっていたくなるような幸福感に浸る。


「この肉も、食感最高」

「そのお肉もマーポッカですね。マーポッカの炒め飯というところでしょうか」


 お肉を使っているところは贅沢と言えるけれど、基本的にはシンプルな材料の炒め飯。

 食材の持ち味を生かし、マーポッカの旨味を利用することで、こんなにも豪華な食事を楽しむことができることに驚かされる。


「マーポッカを狩りに行きたくなります」

「いいんじゃないか、アトリのスローライフなんだから」


 アトリーヌとしての人生を歩み始めて、まだ数えられるほどしか経っていない。

 それなのに、こんなにも自分の名前が馴染みあるものに感じられるのは、目の前に自分()の名前を呼んでくれる人がいるからだと気づく。


「カイル、こっちのサラダも食べてみてください」

「おっ、こっちも彩り最高」

「栄養価がさっぱりわからないので、彩りだけは頑張ってみました」


 食事は、魔王を討伐するために必要な義務。

 そんな風に思っていた時期もあったのは事実だけれど、平和な世界では食事が一日の疲労を取り払ってくれるような効果を持つのだと知っていく。


(初めて知ることばかり)


 気づく。

 知る。

 学ぶ。

 カイルと過ごす日々には、常に新しい発見が待っている。


「大人になると、初めてなんて経験できないと思ってました」


 何を食べたのかも覚えていないような毎日だったけれど、今はゆっくりと食材の味を噛み締めることができている。

 自分の中に思い出が増えているのを自覚するだけで、少しだけ心がくすぐったさを覚える。


「毎日が初めてだらけじゃなくてもいいけど、なんていうか……心は動かしたいよな」


 一皿一皿をしっかりと味わうことで、宿屋を包み込む空気が温かくなっていくのを感じる。


「お客様にも、体感してほしいですね」

「わかる! 食べて、休むって、自分のためにやることなんだって知ってほしい」


 一食一食のあとに、こんなにも大きな喜びが待っている。

 宿屋で過ごす時間が笑顔を取り戻すきっかけになり、また明日も頑張ろうと思い直してもらえたらいいなと願う。


「料金とか、どうしましょうか」

「寝具にめっちゃ金かけたからなー……」

「でも、寝るって、かなり重要なことですから」


 長年放置されてきた宿屋は壁も屋根も崩れかけていて、寂れた印象の方が強かったかもしれない。

 でも、人が利用していた形跡が残っていたからこそ、歴史の重みを感じるようになった。

 先代の意思を引き継ぐなんて立派なことは言えないけれど、新しく始まる宿屋は温かなランプの光が優しく照らす場所にしたいと思う。


「宿屋の名前は?」

「はっ……考えてませんでした……」


 宿屋の開店日は、雲ひとつない青空が広がる快晴の日だった。

 太陽の光が宿屋の始まりを祝福するかのように降り注いでくる様子が印象的で、私に人生の生き直しをさせてくれた女神様がどこかで見守ってくれているのかなと物語みたいな話を妄想した。


「元勇者が営む……」

「ちょっ、ばらすなって!」

「じゃあ、いい案をください」

「えー……」


 最初のお客様が扉を開けた瞬間、小さなドアベルの澄んだ音色が響いた。

 新しく掛け替えられた看板には『花笑みランドスケープ』の文字が。

 花笑みは、転生前のカイルが育った国の言葉。

 私たちが経営する宿屋が、咲いた花のような煌びやかな笑顔が広がる場所でありますように。

 私たち二人で、花笑みランドスケープの未来に願いを込めた。

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