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第5話「勇者カイル」

「お姉さん、花を愛しているのね」

「こっちの黒猫くんも、です」


 不審者だと思われないように装うのに必死な私に対して、黒猫カイルはにやりとした笑みを浮かべて花売りの少女と供託した。


(頼もしい取引先になるかも)


 彼女の瞳には明るさがあって、彼女の声にも自信が満ち溢れ始める。

 勇者カイルがいるだけでも自分の人生を預けられるそうな心強さがあるのに、取引先まで信頼できるとなったら、これから始める宿屋経営に希望しか抱くことができなくなる。


「私は宿屋経営を始める予定のアトリーヌで、黒猫くんは勇者カイルの名前をいただきました」

「すっごい名前をもらっちゃったのね」


 花売りの少女が、黒猫カイルの顎の下をそっと撫でる。


「私は、花売りのニサ」


 笑顔で応じ、互いの話に耳を傾けることで、人生初めての交渉はとても円満なかたちで終わりを迎えた。


「またね、アトリさんっ」

「これから、よろしくお願いします」


 カイルに導かれるがままに交渉を終えると、黒猫のカイルはニサに頑張って手を振るためにも前脚をぐぐっと伸ばして見せた。

 そんなカイルの努力が伝わったかどうかは分からないけれど、別れの際に見せたニサの笑顔はとても素敵なものに思えた。


「ただいま帰りましたー」


 魔法使いと黒猫の空中散歩を終えた私たちは、まだ名もなき経営前の宿屋へと戻ってくる。

 木製の扉が軋む音が、我が家に帰ってきた感を演出していて自然と笑みが溢れそうになった。


「今、お夕飯の支度をしますね」

「いつも悪い」


 可愛い黒猫のカイルの変身魔法を解くことで、彼は元の艶やかな黒髪の青年へと戻ってしまった。

 肩にいた相棒がいなくなってしまった寂しさはあるものの、これからもカイルとの外出時間が増えると確信できるだけで抱いた寂しさも薄れていく。


「もちはもちや、でしたっけ? できる人に、お任せあれですよ」

「ありがと」


 一日中、慣れない大都市で過ごしたこともあり、二人で足取りが重く見えることが滑稽に思えてしまった。


(でも、この疲労感が心地いい)


 カイルは疲労困憊になっていないかどうか気遣おうとすると、彼は持ち帰りができた分の紙袋から必要な荷物を取り出していた。


「何を買ったんですか」

「花の種」


 黒猫が一匹で買い物をしていても違和感のない世界観ということもあり、私たちは途中で別行動を選んだ。

 黒猫カイルが首輪に自筆の買い物メモを挟んで飛び出していく様子すら、頼もしいという感情に包まれたことは言うまでもない。


「ニサのお店以外からも、購入したんですね」

「たくさんの花に囲まれたい」


 まだ修繕が完全になっていない欠けた天井を見上げ、星々が散りばめられた夜空を見つめるカイル。


「だから、もう少し頑張ってくる」

「今から、作業ですか?」


 カイルの視線が戻ってくると、カイルは嬉しそうで、楽しそうで、言葉で表現できないような満足げな笑みを浮かべていた。


「アトリが料理を頑張ってくれるんだから、俺は花壇に行ってくる」


 料理に対して、頑張ってくれるなんて言葉は向けなくてもいいのにと思った。


「自分の手でできること、やりたいから」


 生きていく上で、食べていくことは欠かせない。

 ある意味では食べることは義務のようなものなのに、頑張ってくれるという言葉をくれたカイルの気持ちは素直に嬉しいと思った。


「お夕飯が完成したら、お呼びします」

「めちゃくちゃ腹減ってるから、美味いの頼む」

「精いっぱい努力いたします」


 足は棒になってしまうほど歩いたはずなのに、私たちの間には笑顔が広がっているのだから不思議な感じがした。


「いってらっしゃい」

「いいな、いってらっしゃいって」

「二人だからこそ、交わし合える言葉ですね」


 カイルがそっと軋む扉を押し開け、外に出るのを見送る。

 去り際に浮かべたカイルの爽やかな笑顔に、少しだけ狡いって気持ちが生まれるのはなぜなのか。


「食べることは、生きること」


 古びた木製のまな板を手に取る。

 もちろん水魔法の力を借りて、衛生面にはきちんと配慮できたまな板を使う。


(このまな板を使って、昔はお客様をもてなしてたんだよね)


 手元に透明感のある玉ねぎ、鮮やかなオレンジ色のニンジンを用意し、鋭い刃を使って細かく刻んでいく。

 どちらもみじん切りにし終えてから、鳥型モンスターのマーポッカのお肉を切る準備を始める。


「よしっ」


 マーポッカを一センチくらいの大きさに切ってから、魔法の杖を一振り。

調理用の炎魔法を準備し、その炎の上にフライパンを置く。


(がっつりとしたもので、ちゃんと体力を)


 人に料理を振る舞えるほど料理が得意なわけではなく、あくまで自分の空腹を満たすための最低限程度のものしか作れない。

 それでも、美味しい気持ちを食べたいという気持ちは強い。


「うん、いい香り」


 握り締めたフライパンの中に、溶いたたまごをフライパンの中へと流し入れる。

 深く息を吸うと、香辛料や温められた油の香りが漂ってくる。

 たまごに火が通ったのを確認し、お肉を投入。

 半分くらい火が通ったところで、玉ねぎとニンジンも一緒に炒めていく。


「次は……えっと……ご飯!」


 廃墟同然の宿屋で炊き立てのご飯は諦めていたけれど、大きな市場では炊き立てのご飯を入手することができた。

 もちろん時間が経過したご飯は冷やご飯のように硬くなってしまったけれど、完璧に炊き上がったご飯には信頼の言葉しか浮かばない。


(ほかの野菜も使えるのかな)


 ニンジンの鮮やかさたまごの黄金色は申し分のない食欲を誘ってくれるけれど、平和になった世の中だからこそ手に入りやすくなった多種多様な野菜にも挑戦してみたいなんて意欲に駆られてくる。

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