麻田奈那子の不幸①
「あの、拓斗さん……?」
幸太朗は唇をへの字に曲げて、困った顔をしながら拓斗へと視線を向けた。拓斗もまた複雑そうな顔をしたまま幸太朗の方は見ず、真っ直ぐに視線を向けている。
視線の先には『お風呂倶楽部』と可愛らしいフォントで書かれた城の様な施設があり、入口の前には黒服の男性が立っていた。
俗にいうソープランドである。
幸太朗は顔を真っ赤にしながら喚き散らした。
「崇己さんからの依頼を手伝って欲しいって言うから来てみれば、一体どういうつもりなんですか!?」
「ちょ!! お前、声がでかいっつーの!!」
拓斗は慌ててそう言うと、逃げる様に近くのビルの影へと隠れた。
「あ、ちょっとずるいですよ! 自分だけ!!」
幸太朗も慌てて拓斗の後を追い、ビルの影に隠れようとして、ドン!! と誰かにぶつかった。
「キャッ!」
甲高い悲鳴を上げ、ぶつかった相手が尻餅を付き、幸太朗は咄嗟に「ごめんなさい!!」と謝罪した。
艶やかな黒髪に白い肌。控えめな色の口紅が塗られた柔らかそうな唇に、大きな二重の瞳。歳は二十歳前後といったところだろうか。なんにせよ、思わず見惚れる程の美女だ。
「うわああ! 怪我してませんか!?」
自分の失敗に泣きたくなりながら幸太朗が言うと、相手の女性はすまなそうに微笑んだ。
「大丈夫よ。私も前をみていなかったから、ごめんね。貴方こそ、怪我してない?」
——手を差し伸べたいけれど、僕なんかの手を握りたくないよね……?
幸太朗がそう考えて、手を差し伸べるのを躊躇している間に、さっと別の手が彼女に差し伸べられた。
「連れが悪かったなぁ。怪我、してねぇか?」
拓斗だった。
口調こそいつもと変わらないものの、ここぞとばかりの低い声と、とっておきの爽やかスマイルを向ける様子に、幸太朗はゾッとして頬をヒク付かせた。とはいえ、流石は便利屋をやっていただけあって、彼女に差し伸べられた拓斗の手は男らしく、腕も筋肉がついて逞しかった。
伸び放題だった髭もさっぱりと剃り、長い髪を後ろで結んで清潔感のある拓斗の様子は、今更ながら割と男前だなと幸太朗は羨ましく思った。
「ありがとう」
彼女はお礼を言って拓斗の手を取って立ち上がると、お尻についた埃をサッと払った。
「それにしても、こんなところに居るってことは、貴方達。お客さん?」
幸太朗には彼女が何を言っているのか理解できず、小首を傾げた。しかし拓斗が照れながらも曖昧に頷いたので、彼女はにっこりと笑って名刺を差し出した。
『お風呂倶楽部 麻倉姫子』と書かれている名刺を見て、驚愕の表情を浮かべた幸太朗を他所に、彼女は「私を指名してくれたら嬉しいな」と微笑みながら言って去って行った。
「……嘘でしょう?」
——僕、こういうお店には来た事なんか無いけれど、あんな美人が働いてるだなんて知らなかった……。
立ち去る彼女の背中をぼうっとしながら見送っていると、拓斗が「ターゲットと接触完了……ってか?」と、言葉を吐いて頭を掻いた。
「ターゲット? どういう意味ですか?」
幸太朗の質問に、拓斗は気まずそうに片眉を下げると、若干早口で説明を始めた。
「名刺の名前上では『麻倉姫子』だが、本名は『麻田奈那子』二十一歳。崇己の野郎からの依頼は、不幸な彼女を『平等』にすることだ」
敢えて拓斗が『幸福』ではなく『平等』という言い方をしたのは何故だろう、と引っ掛かったものの、幸太朗は僅かに頷いた。
「あんなに美人なのに、こんな仕事に就かなきゃいけないだなんて、よっぽど不幸なんですね」
「……無職な上に超絶不幸なお前に言われたくねぇと思うけどな?」
——確かに……。
幸太朗は若干落ち込んだものの、気を取り直して拓斗に質問をした。
「でも、どうやって『平等』にすればいいんですか? 何か崇己さんから聞いてます?」
革命の指輪は投げつけて崇己に突っ返したままだ。無論、今の幸太朗にはまだ恐ろしくて指輪の力を使う気にはなれないわけだが。
若菜を死に追いやってしまった罪を背負った自分を、幾分かでも赦せるようにならない限り、指輪を使う事などできない。
「……崇己の野郎は、いつでもお前が必要になったら指輪を渡すって言ってるけどな」
拓斗の言葉が幸太朗の心に突き刺さった。だが、拓斗は嫌に明るい調子で続けた。
「俺を助けたのも、あのなんとかって指輪の力を使ったんだろ? すげぇよな! 俺にも使えりゃあな……」
「止めてください!!」
幸太朗は頭を抱えて首を左右に振った。
「僕は、あの指輪のせいで大切な人を死に追いやってしまった『犯罪者』なんです! 赦されない過ちを犯してしまったんです!!」
「『犯罪者』ねぇ……」
拓斗は溜息を吐くと、ガシガシと頭を掻いた。
「幸太朗、『犯罪者』は救われないのか? 一度罪を犯しちまったら、赦されねぇのか?」
拓斗の言葉に幸太朗は即答するように頷くと、拳を固く握り締め、自分への怒りを押さえつけながらも、震える唇で答えた。
「償いが終わるまでは、赦したらいけないに決まってるじゃないですか! じゃあ、それじゃあ拓斗さんは、自分に暴力を振るったお父さんを赦せるんですか!? 拓斗さんの人生を滅茶苦茶にした相手を赦せるっていうんですか!? 僕は、鏡を見る度に母を憎らしく思うのに!!」
幸太朗の火傷の痕に一瞬視線を向けて拓斗は舌打ちすると、静かに深呼吸をした。怒りを鎮めているのか、自分を落ち着かせようとしているのか、それともその両方なのかは分からないが、真剣な眼差しを幸太朗に向けて、ゆっくりと言葉を吐いた。
「お前と俺は比較できるようなモンじゃねぇよ。でもよ、死んじまった相手をいつまでも恨み続けるのは疲れちまった。逆に、お前は死んじまった相手にいつまで懺悔を続けたら気が済むんだ?」
「そんなの分かりませんよ!!」
「それじゃあ、お前は誰の事も一生赦さねぇのか?」
「そんなこと言ってません。時間がかかるって言ってるんです!」
拓斗は困った様にため息を吐いた。——まいったなぁ。崇己の野郎め、報酬を陪請求しねぇと——と考えて、「話を戻そうぜ」と落ち着いた声色で言った。
「とにかく、今回のターゲットは『麻田奈那子』、彼女だ。目先の事だけを今は考えようぜ」
拓斗に言われ、幸太朗はハッとした様に振り向いた。
奈那子が裏手から入って行った建物は、張りぼての城の様なデザインで、看板だけがやたらと豪華ではあるものの、嫌に安っぽく見えた。
——そうだ、あの可憐な人を救わないと!
人助けとなれば途端と冷静さを取り戻し、幸太朗は力強く頷いた。
「分かりました。それで、僕はどうすればいいんですか?」
拓斗は幸太朗の切替の速さに退きつつ、さっと現金を手渡した。
「お前は今からあの店の客として、彼女を指名するんだ」
「はい。解りました。僕が今からあの店に行けばいいんですね……」
幸太朗はそう言った後、さあっと青ざめて慌てて首を左右に振った。
「無理ですよ!! 拓斗さんが行けばいいじゃないですか!!」
「俺じゃ意味がねぇんだっつーの!」
「どうしてですか!? 僕には無理ですっ!!」
半泣きしながら必死に抵抗する幸太朗に、拓斗はうんざりしてため息を吐いた。ここに来て一体何度目のため息だろうかと、頭が痛くなる思いだった。
「あのなぁ、別に客として行ったからって、あんなことやそんなことをしろって言ってるわけじゃねぇよ。ただ彼女と話しをしろってこった」
「何の話です!?」
「何でもいいって。天気の話だろうと、近況だろうと」
——ああいうお店に行って、天気の話や近況を聞いて帰る客なんているの!?
「とにかく頑張れ! お前しかできる奴はいねぇんだからな!!」
拓斗はそう言い残すとさっさと立ち去ってしまった。
幸太朗はたった一人ポツンとその場に残されて、途方に暮れながら頭を抱えた。




