友達
幸太朗は、カーテンも開けていない暗いマンションの部屋の隅で、膝を抱えて座っていた。
『彼女が生きる事で、キミは不幸になる可能性があった。だから指輪は、彼女を殺したんだ』
崇己が言った言葉が脳裏で何度も繰り返す。優しい笑みを浮かべる若菜の姿が遠ざかり、手術室から静かに出て来た医師が告げた『ご臨終』という言葉。
線香の香り……。無機質な墓石……。
気が狂ってしまいそうだった。自分が彼女の命を奪ってしまったのだから。
何もかも捨てて消えてしまいたかった。
幸太朗の視線の先には父が刺殺された廊下が映っている。真っ赤な鮮血が床や壁を汚していたあの映像が、今でも鮮明に覚えている。
父の死により住む家が与えられ、今度は養母の死によって生活する上で必要となる金銭が与えられた。
——何が『お人好し』だ。僕は犯罪者の子だ。だから僕にも、犯罪者の血が流れているんだ。若菜さんは僕なんかに関わってしまったが故に、命を落としてしまった。
僕が、殺した……。
突如、ドアホンが鳴り響いた。
応答する気になれずに黙っていると、何度も執拗に押され、幸太朗は仕方なく重い腰を上げた。
どうせ勧誘か何かだろうと思いつつリビングにある受信機を見つめると、やたらと威勢よく手を振る拓斗の様子が映っていた。
「……はい」
『よぉ! 元気か!?』
音が割れる程に大きな声で拓斗が言い、幸太朗は顔を顰めた。拓斗は確か崇己のアシスタントとして雇用されたはずだ。幸太朗の住所は恐らく崇己から聞いて来たに違いない。それなのに現状については何も聞いていないのだろうかと訝しく思いながらも、「ええまあ……」と曖昧に答えた。
『おい、部屋に上げねぇつもりか? オートロック、開けてくれよ!』
怒鳴りつける様に凄まれて、幸太朗は仕方なくマンションのオートロックを開た。暫くして玄関ドアの横にある呼び鈴が押され、玄関ドアを開けた途端、拓斗は「サンキュー」という言葉と共に、押し入る様に室内へと入って来た。
「おお~。高級マンションじゃねぇか。お前、実は金持ちか?」
「まさか。事故物件なので買い手がつかなくて、仕方なく住んでるだけですよ」
「ああ、親父さんが殺されたんだっけ? お前、見てたんだろ?? やべぇ現場だよな!」
拓斗はズカズカと部屋へと上がると、歯に衣着せぬ言葉を連発した。とはいえ、幸太朗にとっては遠慮して何も聞かれないよりはずっと良かった。
「あの、何か飲みますか? って言っても、水しかありませんけど」
「それも水道水だろ?」
「……はい」
「いらね」
拓斗はニッカリと笑うと、リビングのカーペットの上へと腰を下ろした。この家に他人が居る姿を見るのは初めてだと考えて、暗く陰気な様子では申し訳ないと、幸太朗は閉め切っていたカーテンを開けた。高く登った太陽の日差しが突き刺さる様に射し込み、思わず顔を顰める。
「つーか、この部屋エアコンねぇの? 暑ぃんだけど」
「ありますけど、壊れてます」
「それ、あるって言わねぇだろ!?」
拓斗は溜息をつくと、やれやれと肩を竦めた。
「仕方ねぇなぁ。じゃあ買いに行こうぜ!」
拓斗の言葉に驚いて、幸太朗はキョトンとして瞬きをした。
「え? 僕、お金無いですけど……」
「は? 保険金たんまり入ったんじゃねぇのかよ!?」
——なんだ、やっぱり崇己さんから僕の現状を聞いていたんじゃないか。
幸太朗はムッとして「あのお金に手を付ける気なんかありません」と言った。拓斗は気にした風もなく立ち上がると、キョロキョロと辺りを見回しながら部屋の奥へと入って行った。
幸太朗の断りも無く家中のドアを開けて覗き、満足気に笑った。
「おお~。4LDKか。ゴージャスじゃねぇか」
「拓斗さん、勝手に……」
「なあ、事故物件って、お化け出るのか? お前の親父さんが化けて出るとかよ」
「出ませんよ」
——化けて出ようものなら一発殴ってやりたいくらいだ。今の僕なら、あの頃の小さくて何も知らない子供じゃない。よくも僕を母と一緒に虐待してくれたなと、不満をぶつけてやれるのに。
「よし! じゃあエアコン買いに行こうぜ?」
拓斗の言葉に、幸太朗は「え?」と、瞳をひん剥いた。
「ちょっと、僕は……」
「俺が買うんだ。流石にまだまだ暑いからな、寝苦しいのは困るしよ」
拓斗の言葉の意味が理解できず、幸太朗は再びポカンとした。拓斗はニッカリと笑うと、幸太朗の肩を痛いくらいに力強く叩いた。
「今日から俺がルームメイトだ。喜べ!」
「は!? 嫌ですよ!」
「なんでだよ!?」
咄嗟に返した言葉に、幸太朗は何故だろうかと考えて、頭を捻った。
——長い事大舎制施設に居たから、一人暮らしは正直寂しかった。それに今一人で居る時間が長いと、ネガティブな事をずっと考え続けてしまうし、丁度いい機会なのかも……?
「良く考えてみたら、嫌じゃありませんでした」
「なんだ、さてはお前俺の事好きだろ!?」
あっけらかんとして笑う拓斗を見つめながら、幸太朗は困った様にため息を吐いた。
「よし! じゃあエアコン買いに行こうぜ!」
「今日買いに行っても、今日取り付けできないと思いますけど……」
「いいから、任せておけって!」
拓斗に促されるまま、幸太朗はマンションを後にし、家電量販店へと連れて行かれた。
拓斗は店に着くなり迷う素振りも無くエアコンを即決し、手際良くホームセンターからレンタル工具をレンタルすると、そこで無料で借りる事のできる軽トラックにエアコンと室外機を幸太朗と協力しつつなんとか乗せ、再びマンションへと戻って来た。
「拓斗さん、これどうする気なんですか?」
室外機の重さにへとへとになりながら言う幸太朗を他所に、拓斗は借りて来たレンタル工具を使い、あっという間に壊れたエアコンを新しいものへと交換してしまった。
そして新しく取り付けたエアコンの室外機に、何やら器具を装着し、幸太朗が興味津々でそれを見つめていると、拓斗が得意げに話した。
「俺は、以前便利屋で働いてた事があってな。そん時にエアコンの取り付けを教わったんだ。こいつは真空ポンプって言って……」
拓斗の話に真剣に聞き入る幸太朗は、たった一人で暗く思い悩んでいた様子とはうってかわり、瞳が輝いていた。
拓斗に、幸太朗の家に住んだらいいと勧めたのは、崇己だった。『どうせ一人でうじうじ落ち込んでいるだろうから、元気づけてやってくれ』と言い、引っ越し祝い金を渡してくれたのだ。
エアコンはその金で購入した。
拓斗は熱心に話を聞く幸太朗を見ながら、崇己が幸太朗を気に掛ける気持ちがわかる気がした。
何に対しても真っ直ぐ過ぎて、危なっかしく放っておけないのだ。
「面倒でしょうに、どうしてわざわざ来てくれたんですか?」
幸太朗の言葉に、拓斗は困った様にため息をつき、頭を掻いた。
「幸太朗。お前は俺にとって恩人なんだぜ。そんなお前が凹んでるのを、放ってなんかおけるかよ」
「案外お人好しなんですね」
「お人好しはお前だろ? でも、まあ俺は……お前が痛くて泣くんなら、隣で笑い飛ばして元気づけてやること位できる」
「……僕は、拓斗さんの役に立てたんですね」
幸太朗がずっと無表情だった顔を上げ、拓斗に笑みを向けた。幸太朗自身、自覚が無かったものの、強張った表情が張り付いてしまったかのような顔をしていたのだ。
「僕は、僕自身に痛くて立ち上がる事ができない程に深い傷をつけられたんです。だから、赦す事なんか当分できるはずがないんです。赦したらいけないんです」
どう慰めたら良いのか分からず、拓斗が言葉を探していると、幸太朗は「でも……」と続けた。
「直ぐには立ち直れないとは思いますけど、僕、頑張ります。今の不甲斐ない僕を若菜さんに見せられませんから。それに、僕はもう一人じゃないですから。僕が誰かの役に立つのなら。それが、僕の幸福ですから」
——暫くは怖くて革命の指輪を使う気になんかなれないだろうけれど、それでも、僕の大切な人の役に少しでも立てるなら……。
「お前を無理やりどうこうしようだなんて思っちゃいねぇさ。ゆっくり行こうぜ」
拓斗は笑みを浮かべると、エアコンのスイッチを入れた。涼しい風が室内に流れ出し、二人は思わず「涼しい~!」と声を上げた。
「まあ、お前なら大丈夫さ。なんせ俺がついてるんだからな!」
「はい。頼りにしてます」
エアコンから流れる涼しい風を浴びながら、拓斗は「ところで……」と、言葉を続けた。
「実は、崇己の野郎の依頼が俺一人じゃ厳しくてよ。ちょっとばかり手伝ってくれると助かるんだが……」
「え……」
「頼むよ、友達だろ!?」
幸太朗は——拓斗さんといつから友達になったんだろう——と考えながらも、断ることもできず、強引に流される様に頷かざるを得なかった。




