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大革命  作者: ふぁる
11/14

尾上若菜の不幸③

 幸太朗は、手術室の前の長椅子に座り、若菜の手術が終わるのをじっと待ち構えていた。左手の親指には『革命の指輪』が嵌められており、祈る様に何度も心の中で念じていた。


『若菜さんの手術が無事成功しますように。どうか、僕を幸せにしてください。若菜さんが元気でいることが僕の幸せなんです』


 手術室に入る前、若菜は幸太朗に笑みを向け、「頑張って来るわ」と言った。いつもの優しい笑顔だ。彼女ほど強く、心優しい人を見た事がない。


——僕のような人間なんかよりも、若菜さんの方がずっと皆に愛されているし、ずっとずっとお人好しだ。そんな善人を、世の中は必要としているはずなんだ。


 どうか、皆の幸せの為にも、手術を成功させてください。


 神様なんか居ないって思っていたけれど、この願いを叶えてくれるなら、僕はこれからずっと信者として崇拝します。


「お願いですから、どうか……」


 呟く様に言葉を吐き、幸太朗は何度も願った。


 何度も、何度も、何度も……。



◇◇



 幸太朗は手に仏花を握り締めたまま、呆然と墓の前で佇んでいた。


 夕暮れ時で空は朱に染まっているというのに、暑さは薄らぐことなく、汗ばんだ背中は、一張羅のスーツが張り付き不快極まりない。

 礼服を持っていないが故に、気が引けて葬儀にも参列しなかった。他の里子達と顔を合わせることにも抵抗があった。


——僕が、一番落ちこぼれだから……。


 『革命の指輪』は、幸太朗の願いを叶えてはくれなかったのだ。


 夕日を浴びる墓石の下に、若菜は先発った夫と共に眠っている。


——悪い夢でも見ているみたいだ。つい先日まで、若菜さんと話していたのに。


 仏花を手向けてしまえば、若菜の死を認めてしまう事になりそうで、幸太朗は暫くの間佇んでいた。こんなところに一秒たりとも長居したくないというのに、足が石化してしまったかのように動かないのだ。


「死んだら駄目だって、言ったのは若菜さんじゃないですか……」


 幸太朗は仏花を握り締めたまま重い脚を持ち上げ、踵を返した。


 ごわつく革靴。体中に張り付くスーツ。じっとりとまとわりつく湿った空気。どれもが不快だった。


 墓所を出て駐車場の横を通り過ぎようとした時、白いスポーツカーの前でシガーを吸う崇己の姿が目に留まった。

 素通りしようとする幸太朗に崇己が呼びかけると、幸太朗は僅かに顔だけ振り向いて睨みつけるような視線を向けた。うんざりしたように、崇己がため息交じりに言う。


「私に怒っても仕方が無いだろう? 筋違いってやつさ……」

「どうして若菜さんを救えなかったんです!?」


 怒鳴りつけるように幸太朗は叫び、革命の指輪をアスファルトに叩きつけた。甲高い金属音が鳴り響き、指輪は弾かれて何度か音を発しながら転がり、崇己の足元へとたどり着いた。


「やれやれ、自分の『幸福』を放り投げるだなんて……」


革命の指輪を拾い上げると、崇己はふっと息を吹きかけた。幸太朗は崇己の手の平の上で輝く指輪から視線を外し、喚く様に声を上げた。


「そんなもの、幸福でもなんでもない!! 若菜さんを救ってくれない指輪に価値なんかない!! 今までの事も全部嘘だったんだ! 僕が幸福になるだなんて、何もかも全部嘘だっ!!」

「……そうじゃないさ」


 崇己は指先で指輪を転がしながら、寂しげに灰色の瞳を伏せた。火の消えたシガーを携帯灰皿の中に放り込み、溜息をつく。

 そして、珍しく僅かに躊躇う様に唇を動かして止め、再び溜息を一息挟んだ後、思い切った様に言葉を発した。


「……彼女が生きる事で、キミは不幸になる可能性があった。だから指輪は、彼女を『殺した』んだ」


 崇己の言った言葉が理解できず、幸太朗は「……え」と、小さく呟いた。


——崇己さんは、何を言っているんだ? 指輪が、若菜さんを『殺した』だって……? そんな、まさか。だって、この指輪は溜め込んだ幸福を使って、僕を幸福にしてくれるんじゃなかったのか?


……『僕』を、幸福に……。


 唖然とする幸太朗の前で、崇己は更に言葉を続けた。


「だから、彼女を救おうとするなと忠告したじゃないか。それなのにキミは私の言う事を聞かなかった」


崇己はじろりと灰色の瞳で見据える様に幸太朗を見つめた。


「キミが招いた結果だよ。キミが願ったりなんかしなければ、手術が例え成功しなかったとしても、彼女が命を落とすような事になんかならなかったはずなんだからね」


幸太朗は唖然としながらも、震える唇を動かしてなんとか言葉を口にした。


「僕のせいで、若菜さんが死んだですって……? 一体、どういう意味です……? 訳がわかりません! だって、僕を幸福にする指輪なんでしょう!? 彼女が死んだことで、僕は今不幸じゃないですか!!」


 崇己は溜息を吐くと、指先で転がしていた指輪をぎゅっと握りしめた。

 完全に沈む寸前の夕日の光が差し込み、崇己の灰色の瞳を朱に染めている。


「彼女は既に、交通事故の後遺症で足が不自由になっていた。手術が成功したとしても、更なる不自由を負う事になっていただろうさ」

「だから何です!? どんな状態になっても、僕は若菜さんを支えていく決心をしていたんです!!」

「仕事も解雇されて、貯金も殆ど無いキミがどうやって?」

「それでも!! 死んだらお終いじゃないですか!!」


 反論しながらも、幸太朗は困惑していた。唇が震え、指先も震え出し、足から力が抜け、その場にしゃがみ込む。

 崇己はすっと視線を幸太朗から外し、寂しげに眉を寄せた。


「……指輪は、残酷なまでにキミを幸福にする為に動いたのさ。彼女と約束を交わしていただろう? もし、彼女の手術が成功したのなら、キミは養子になるって」


 障害を負った養母を抱える事は、幸太朗にとって不幸となる。革命の指輪は、幸太朗の幸福の為には、若菜の死こそが望ましいと選択したのだ。


「こんなことって、こんなことってないです! 恩返しがしたかったんです。僕は若菜さんに救われたから、今度こそはって。それなのに……。こんなの、恩を仇で返したようなものじゃないですか」

「彼女は、そう思ってなんかいないさ」


崇己は内ポケットから封筒を取り出すと、幸太朗に差し出した。保険会社の社名が刻印されており、被保険者には若菜の名が刻まれている。


「『生命保険信託』と言ってね。被保険者が死亡保険金の受取や管理を信託銀行に任せる事ができるのさ。受取人は赤の他人を指定することも可能だ」


 受取人欄には、幸太朗の名が記されていた。


「彼女はまるで自分の死を予知していたかの様じゃないか。キミにはかなりの額の保険金が支払われる事になっているんだからね」

「要りません、こんなの!! お金なんか要らない! 若菜さんが生きていた方がずっと幸せなのにっ!!」


 突っ返そうとした封筒を、崇己は受け取るどころか、幸太朗ごと長い脚で思いきり蹴り飛ばした。


 しゃがみ込んでいた幸太朗は尻餅を付き、「何をするんですか!」と叫ぼうとして、「いい加減にしなよね!!」と怒鳴りつけた崇己の言葉に遮られた。


「キミは私を幸せにする約束なんじゃないのかい!? 親友なんじゃないのかい!? それなのに、私の忠告を踏みにじった結果がそれじゃないか!! 更にキミは彼女の気持ちすらをも踏みにじるつもりなのか!! こんなことで甘えるだなんて、赦さないからね!!」


 崇己の姿がじわりとぼやけていく。大粒の涙を零しながら、幸太朗は号泣した。

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