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大革命  作者: ふぁる
10/14

尾上若菜の不幸②

「いくら親友の崇己さんが言うことでも、聞けません!」


震える声でそう言い放った幸太朗に、崇己は苦笑いを浮かべてため息をついた。


「いや、私はキミの親友じゃないんだけれど……」

「若菜さんは僕の恩人なんです!」

「恩人だろうと何だろうと関係ないね。私は忠告しているだけさ。彼女を救おうとするのは止めておいたほうがいい。絶対に後悔する事になるんだからね」

「晴哉や拓斗さん、安藤さんのお子さんを助けるのは良くて、どうして若菜さんはダメなんですか!?」


 幸太朗が興奮して立ち上がり声を荒げたので、周囲の客達が不思議そうに二人を見つめた。崇己は苛立った様に舌打ちすると、「いいから座りなよ」と促した。


——僕にとって、若菜さんは実の母親よりもずっと大切な人だ。あの人を幸せにできなくて、この指輪に一体何の意味があるって言うんだっ!!


「この指輪は、僕のものなんですよね? それなら、どう使おうと僕の自由じゃないですか!」


 幸太朗は席につくことなくそう言い残すと、崇己をその場に残して店を出た。


 うだるような暑さの中、唇を噛みしめながら早足で歩く。


 崇己は応援してくれると思っていた。クールに見えても面倒見が良く、先日は傷ついた幸太朗を慰めてさえくれた。初めて出来た親友だとすら思っていたというのに、勝手に裏切られた気分を味わった。


——本当は、崇己さんは、僕が幸せになることを望んでいないのかな? あんな事言うなんて酷いよ。


……絶対に、助けてみせるから。若菜さんは僕の大切な人なんだ。彼女が居てくれたから僕はこうして生きて居られるんだから。



◇◇◇◇



「幸太朗君、食事の好き嫌いはあるのかしら?」


 幸太朗が十七歳の時、初めて里親へ引き取られる事になった。若菜の元へと訪れると、彼女は優しそうに笑みを浮かべながらそう言った。


 幸太朗には彼女が何故そんな事を聞くのか分からなかった。児童養護施設では、食べ物の好き嫌いなど許されなかったし、食べ物を選り好みするのは悪い事だと思っていたからだ。


「……特に何もありません」


そう答えた幸太朗に、若菜はふふっと笑った。


「そうよね。園から来たばかりの子は皆そう言うわ。でも、好きな物や嫌いな物があってもいいのよ。嫌いな物を好きになる必要なんかないの。嫌いだなって思いながらも食べる事ができれば、十分じゃないかしら?」


 幸太朗は焼き魚が苦手だった。押し入れの中に放り込まれる『食事』という名の残飯から、ひと際放たれる異臭と、小さな子供には取る事が難しい骨が喉に刺さるからだ。

 今でも食事に出される度、息を止めてご飯と一緒に無理矢理に飲み込むのだ。


——言ったら、叱られるんじゃないかな……?


不安気に、チラリと若菜へと視線を向けると、彼女はニコリと優し気に微笑んだ。


「……あの、焼き魚が。苦手、です」


たどたどしく、恐る恐るそう答えると、若菜は嬉しそうに声色を上げて「そうなのね!」と言った。


「それじゃあ、好きな食べ物は何かしら? 今日は幸太朗君が初めて家に来た日なのだもの、好きな物を食べてお祝いしましょう?」


「アーモンドとか、ナッツが……」

「そうね、美味しいわよね。私も大好きだわ。そうだわ、こうしましょう!」


 その日、若菜は幸太朗をキッチンに招き入れると、お菓子作りを始めた。ところどころ幸太朗の手を借りながら、ナッツをふんだんに使ったキャラメルナッツタルトを作ったのだ。


 今では幸太朗の大好物になっている。


「貴方はずっと、甘える事を赦されずに生きてきたわ。だから、家ではめいっぱい甘えてちょうだい」

「でも、僕はもう十七歳です……」


恥ずかしそうに言った幸太朗に、若菜は優しく微笑んだ。


「あら。大人だって、甘えるのよ?」


若菜の言う『甘える』とは、どういう事を指すのだろうか。その時の幸太朗にはいまいちピンと来なかった。


 いつも優しそうな笑みを浮かべている若菜だが、普段はパワフルで肝っ玉母さんの様に元気な女性だった。幸太朗が起きる時間でも布団の中で面倒そうにすると、容赦なく叩き起こす。

 今日は学校に行きたくないと仮病を使おうものなら、烈火のごとく怒り狂うのだ。施設に居た頃は、登校に対して煩く言われた事など無かったというのに。


——『甘える』って、何? あんなに僕に甘えろって言っておきながら、怒るじゃないか。


 思春期真っ只中の幸太朗は若菜を不満に思う事が多くなっていった。無断で帰らなかったり、学校に行かなかったりと繰り返し、若菜が叱っても聞く耳持たずで、興味無さげに、小ばかにした様な目を向けるのだ。


——どうせ、僕は若菜さんの子供じゃないし。心配してるフリをしているだけに決まってる。ただの偽善者じゃないか。


 腹立たしい感情が渦巻いて、全てを壊してしまいたい衝動に駆られた。十七年間生きてきて初めての事だった。自分をこんな気持ちにさせた若菜を憎らしくさえ思えた。


——今まで、ずっと平和だったのに……。


 アルバイトからの帰り道。幸太朗は若菜の元へ戻るのが嫌で、横断歩道を渡る事をせずに、交差点の前に佇んでいた。

 この大通りを渡り、小道へと入った少し先に若菜の家がある。決して裕福とは言えない、三階建ての小さな家屋。隣家との距離も随分近く、窓を開けて手を伸ばせば隣家の壁に触れる事が出来る程の狭さだ。

 3LDKの間取りのうち、三階にある一番日当たりの良い部屋を幸太朗に与え、一階にある薄暗い部屋を夫婦の寝室と、夫の書斎にしていた。二階にあるリビングはお世辞にも広いとは言い難いが、カウンターキッチン内にはあらゆる調味料が棚の中に並べられ、料理好きの若菜にとっては自慢の城だった。


——若菜さんだって、きっと僕を煩わしいと思っているはずだ。


 ほんの出来心だった。信号が赤へと変わって直ぐに、数歩だけ歩いてみた。大通りとはいえ、深夜ともなれば車通りが殆ど無く、交差点のど真ん中につったっていたとしても問題が無いくらいの通りなのだから。

 ヘッドライトの光が凄まじい速さで近づいてくる。幸太朗はすっかり油断していたのだ。自分が不幸体質であるということを……。


 右腰に激しい痛みを感じた瞬間、後悔した。交通事故に遭ったからといって、必ずしも人を死においやるというわけではない。下手をすれば不自由を負った身体のまま生き続ける事になってしまうのだ。


 命に別状は無いものの救急車で搬送された先で、駆け付けてくれた若菜に気まずくなって目を逸らした。

 すると、彼女は鬼の形相で近づいてきて、幸太朗の頬をピシャリと叩いた。


「痛いじゃないですか!」

「頬が痛いくらい何よ!! こっちは心が痛くて堪らないわ!!」


幸太朗の言葉に間髪入れずに返すと、若菜はじっと真剣な眼差しで睨みつける様に見つめた。あまりの迫力に、幸太朗は目を逸らす事ができず、戸惑った。


「死んでは駄目!! それだけは絶対に赦さないわ! 幸太朗君が今まで生きて来た努力を全て無かった事にしてしまうの。全部無駄にしてしまうのよ!?」


そう言うと、彼女はボロボロと涙を零した。


「それに、私がとっても悲しいわ!」


 幸太朗はそんな若菜の様子を呆然としながら見つめた。事故に遭った時に打った腰の痛みより、若菜に叩かれた頬の痛みの方がずっと強く感じる。


——初めて、僕の為に泣いてくれている人を見た。


「……僕が死ぬと、悲しいんですか?」

「当たりまえでしょう! 産みの親ではないけれど、私は貴方の里親よ! 母親なのだから!!」


 戸惑うように、幸太朗は口をパクつかせ、やっとの思いで言葉を吐いた。


「で、でも。僕は若菜さんに反抗的だったのに……」


 若菜は自分を落ち着かせる為に深呼吸をした後、幸太朗の頭を優しく抱き寄せた。


 初めて感じる人の温もりに、幸太朗は困惑した。一体何が起こっているのか、拒絶したい気持ちと身を委ねてしまいたい気持ちとが交錯する。


「幸太朗君が反抗していること、嬉しかったのよ。反抗しても私が見放さないって、心のどこかで信じていたでしょう? それが『甘える』ということよ。甘えられる相手が居るということは、自分を大事に思ってくれていると相手を信じている証拠だわ。それは、自分の事も大事に思えることじゃないかしら」


——自分の事が大事だから、もっと自分を大事にしたくて。もっと、自分を可愛がって欲しくて……。


 感情が溢れ出す様に、幸太朗の瞳から涙が溢れだした。

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