2-2-1『怪獣王に、オレはなる!!!』
「…来たか」
消えかけの横断歩道のように儚く心許ない量の白髪の、白衣を着た老年の男性が、頭髪とは正反対に豊かな口髭と顎髭を揺らさずアバターアーマーを纏った心牙に声をかける。
無機質な灰色の天井と床、無機質なデスクとデスクトップパソコンとモニター、大量の書籍とレポートや書類をまとめたファイルが整然と並んだ壁を埋め尽くす本棚で構成された殺風景なクエスト空間にあって、老人は普通のビジネススーツと白衣に身を包みタブレットを片手に持ち、足元はスリッパのみという生身だった。
「おひさしぶりです、教授」
恭しく頭を下げる心牙。「教授」と呼ばれた老人は、心牙をチラリと見やるとすぐに視線を元に戻す。苦悩と苦労が刻まれたひび割れた彫刻のような顔と、冷房のようにやや冷ややかな視線ながらもその瞳の奥には優しさと知的好奇心が焚き火のように燃えている。
「爺ちゃん、でいい。ここは認識阻害を強めに設定してある。」
顔は無表情のまま、「教授」はそう答えた。
「教授」の視線の先には耐神性に優れた特殊ガラス製の水族館の水槽のように大きな窓がある。まるで囚人を観察する透明の檻、あるいは実験動物を観察するための実験室だったが、その特殊ガラスの向こう側は光の反射で心牙からは何も見えないようになっている。
『だれ?』
念話チャットを通じて心牙のみにチャットを送るファロゥマディン。サポーターの神々が念話チャットで会話をする場合、伝えたい会話を思い浮かべるだけでいい勇者と違って、石版で文字を入力する必要がある。ファロゥマディン自身がチャットに不慣れな上に明確な助言や行動の誘導を避けるために神々から勇者へのチャットには多くのNGワードが設定されているせいもあって、これまで送りたくても送れなかったのだ。やっと送れるようになったのだ。
『俺の祖父の、通称「教授」。量子物理学者で勇者ゲームの外部協力者だ。』
心牙はそう念話で答えた。
心牙が受けたクエストは『研究補助』。あまりに不甲斐ないレベル1のクソ雑魚勇者を哀れに思った祖父「教授」からの些細なボーナスステージだ。
心牙にとっては残る数少ない親族の一人と会える機会であるが、クエストとして見れば簡単な書類整理を手伝うとか簡単な採集をするとかそういったもので終わるだけだから、「世界を救う」使命に燃える多くの他の勇者からはまったく人気がない過疎クエストとしてある意味有名だった。
「爺ちゃん、たまには家に帰ってきてくださいよ。妹たちも喜びますって」
「教授」は自宅で料理や掃除はするが家で寝泊まりすることはほとんどない。それは単に彼が忙しいから、というワケではない。
「嫌だ。双子を見ると死んだ心を思い出す。二人は心の幼い頃にソックリだからな」
確かに、心牙も時折亡き母親・心の面影を妹たちに見ることがある。古いアルバムは灰となってしまったから最早確かめようがないが、母親の父たる年老いた「教授」の記憶は未だ灰色にならない。
「教授」から娘を奪ってしまった罪悪感からか、心牙は僅かに俯つくむく。
「そう自分を責めるな。お前はよくやっている。」
そう言うと「教授」は左手で軽く手招きをする。なので心牙も「教授」の左隣に進み、大きな窓の中を見た。
そこにあったのは醜悪な肉塊が三つ。
人間を一人、ぐちゃぐちゃに噛み潰して飲み込んで吐き出して、ぶち撒けた冒涜的な吐瀉物を丸めた泥団子のような肉塊が、心牙から向かって右から大中小の三つ並んでいる。
肉塊には目や鼻、唇、体毛、指の名残があり、それぞれ微妙に脈動している。何よりその飴玉のような眼球には僅かながら輝きが宿っている。生きているのだ。
「お前が彼らを連れてきた時は驚いた。彼らには運良く、いや、悪くかもしれんが、微量の勇者因子がある。神器に適合すれば再生も可能だろう」
「問題は適合する神器があるかどうか、ですね」
「一応、医療神にもツテを使って打診してみたが、診療予約は100年待ちだそうだ。アテには出来んな。」
心牙は自らが連れて来た手前、責任を感じて、神妙な面持ちで特殊ガラスの向こうの肉塊を見る。
その内の一つとアバターアーマー越しに目が合った。
「あり……がと……」
肉塊のうち、一番小さな肉塊がそう感謝を述べる。
ファロゥマディンに怪物にされかけ、回収され、その後何故かジョージアによってゾンビの発生源にされかけた肉塊たち。元チンピラ三人は、自らを助けた心牙を――正確には勇者ああああを覚えていたのだ。
「礼なら助かってからでいいよ。」
薄い特殊ガラスを一枚を隔てて、心牙なりに彼らを励ます。彼らがそれまでどのような人生を歩み、魔王ファロゥマディンや勇者ジョージアによって悪人認定されるようになったのか、心牙は知らない。が、それは怪物になってもいい理由にはならない。
「そういえば、お前、レベルは1のままだのに名前が付いているな。」
「教授」が今更ながらに疑問を口にする。「教授」は勇者ではないが、タブレットにインストールされた勇者ゲームのアプリを通じて擬似的な勇者としてシステム側から閲覧出来る。
「あ、これは…話せば長くってですね…」
心牙が経緯を話そうとした瞬間
「いやいや、苦労したネ」
唐突に老人の右隣が蛇の口のようにポッカリと開いて、何かが現れた。そのものは、派手な極彩色の羽毛の翼が左右三対計六枚付いた全長10mはあろうかという巨大な大蛇だ。ただし、普通の蛇の口の代わりに牙が生えた巨大な嘴があり、皮膚には黒曜石が鱗のように並んでいる。白い人間の腕が蛇足ではなく幽霊のように浮いている。
「おぉ、ケツァルクワトル殿。約束通りだな」
「試作品だけども、とっびきりの逸品を持ってきたヨ」
ケツァルクワトルと呼ばれた翼ある大蛇は少したどたどしいがフランクな独特の話し言葉で、白い腕に持つ宝石を掲げる。その宝石は手の平サイズほどの黒く輝く多面結晶で、中心部からは怪しい赤い光が鼓動のように明滅していた。
「こちらは神仏、クークールーカン=ケツァルクワトル殿。私の協力者だ。三人に適合しそうな神器の調達をお願いしていた。このクエストも彼の発注によるものだ。」
ケツァルクワトルは、心牙のほうを見やると軽く頷くように会釈する。
「キミが噂のレベル1勇者?教授と知り合いとネ。ワレは文明の火にして開闢の風、想像の鳥にして創造の蛇。創世翼竜クークールーカン=ケツァルクワトル、2代目。コンゴトモヨロシク」
ケツァルクワトルは幽霊のように浮く腕と、極彩色の翼を広げて心牙を品定めするかのように見つめる。
「どうも」
神々にさえ通じる認識阻害を行うアバターアーマーを纏っているとはいえ、蛇に睨まれた蛙の気分で心牙はあまりいい気がせず、会釈だけ返して肉塊たちのほうへと向き直る。
「で、手に入れた神器はどのようなものだ?」
「教授」が気を利かせたのか、あるいは「教授」自身の単なる知的好奇心からか、ケツァルクワトルに問いかける。ケツァルクワトルは「教授」へと再び向き直った。
「『混沌の神器』トライ・ペゾー・ペトロと言ってネ。ここ数カ月で開発された次世代、第四世代の試作型なんダ」
「第四世代?もう次世代型を?第三世代型に移行してから十数年しか経っていないぞ?」
「インターネットの普及が思ったより早いからネ。計画の前倒しをするんだヨ」
「「混沌」の真価は?」
「可能性領域の拡大、「人間の定義の再解釈」を狙ったんだヨ。実地試験ではうまくいったんダ。人間がタコとイカとサカナが合体したものになったからネ」
「「再生」や「再誕」、「医療」系の神器があれば良かったのだが」
「無理は禁物。あれらは大国お抱えだからサ」
「教授」のクエストは簡単であるが、「教授」の研究内容は量子物理学と勇者ゲーム、神々の神秘の解明の最先端だ。
「うーむ……怪物になりかけの者を、人間に戻すには最適かもしれんな。その代わり、勇者になるわけだが」
「教授」は顎髭を左手で擦りながら、右手で持ったタブレットに視線を落とす。タブレットには3つの肉塊、否、三人のバイタルが表示されている。「教授」は物理学者だが、生物学や医学の心得もあったから、三人の容態は多少なりともわかる。運ばれた当初、ごちゃ混ぜ状態だった三人を分離したのも彼だ。
「生きる」だけなら、三人はそのままでも問題はない。栄養を点滴で補給すれば、理論上二十年は生きられるだろうと「教授」は推察する。三人の身元も調べた上でそれぞれ四十代中年男性、三十代壮年男性、十代少年、いずれも住所不定で「行方不明」でも特に問題はない、と結果が出ていた。
逆に神器に適合すれば彼らは「勇者」として扱われる。勇者を辞めることも可能だが、それには多くのポイントがいる。「世界を救う」という崇高な目的のために勇者となり、その過酷さから歪み私欲に走り辞めるために惨めにポイント稼ぎに明け暮れて惨めに死ぬ者も珍しくない。自らの孫のように、かつて見送った者たちのように、戦いに赴き傷付き、顧みる者少なく、世界の影でひっそりと死ぬ。「勇者ゲーム」とはそういうゲームだ。「勇者」とは神々のゲームの駒なのだ。
「お前はどう思う?勇者として過酷な戦いを強制されてまで生きるべきだと思うか?」
「教授」は心牙に問うた。
「分かりません……。でも、まずは生きなきゃ、答えはでないと思う。」
アバターアーマーと前髪に隠れてその瞳は見えないが、「お祖父ちゃん」には「孫」が少しだけ分かる。
「よし、ならばこの神器を試してみよう。このごろつきどもの命運は、自分たちで決めて貰うか。三人で一つの神器を分担すれば、彼らの因子量でも十分だろう」
「教授」がタブレットを操作すると、大きな窓の右隅、耐神性特殊ガラスの一部に人ひとり通れるくらいの穴がポッカリ開く。
ケツァルクワトルが心得ている、とばかりに大きく派手な羽毛の翼を広げ、その穴から中に入った。
そして三人の前に神器トライ・ペゾー・ペトロをそっと静かに灰色の床に直置きしてそそくさと立ち去る。神器トライ・ペゾー・ペトロは尖った頂点だけで直立してそのまま微動だにしない。
ケツァルクワトルが実験室から出てきたのを確認した「教授」は、再びタブレットを操作して窓の穴を閉じる。そしてタブレットに向かって話しかけた。
「まずは意識と発声を確立させよう。「自分たちは人間であり、悩み考え喋るのは当たり前に出来る」。そう、強く意識するのだ」
「教授」の声が実験室の中に響く。3つの肉塊がそれに応えてか、大きく強く蠢く。まるで手を挙げているように。
3つの肉塊に答えるように、「混沌の神器トライ・ペゾー・ペトロ」の中心部から放たれる怪しい赤い光の明滅が早くなる。まるで興奮する心臓のように。
「あ、頭が……スッキリ?」
「なぁにこれぇ…脳細胞がパズルみたいに組み上がっていくわぁ」
「お、オラ、しゃべれる?」
バラバラだった眼鼻唇が脈動と共に動き出し、3つの肉塊に、それぞれ人間の顔らしきものが正しく組み上がっていく。
「ほぉ……思ったより順調だな。いいぞ、そのまま自我を取り戻せ」
「教授」の目の奥の焚き火が興奮によりメラメラと燃え上がる。ケツァルクワトルもまたギラつく蛇の眼で食い入るように見つめている。
3つの肉塊は、今やそれぞれ一人の人間としての顔を取り戻しつつあった。手や脚のパーツもまた人間として正しく再配置されつつある。
「うぅ〜頭の中がドクドク鳴ってやがる……」
と、やたらと厳つい四角い顔で太い眉が特徴的な一番小さな肉塊だった壮年男が苦痛を訴える。
「やだぁ肋骨が肺に入ってるじゃない」
と、大きな額に痩せこけた頬の逆三角形に近い頭をした中くらいの肉塊だった中年が裏声で呻く。
「おぇっ!ウンコがあふれる……」
と、涎を垂らしながら、まあるく膨らんだ丸顔で小さな目の一番大きい肉塊だった少年が口をパクパクさせる。
だが、やや歪な顔と手足らしきものが生えた肉塊でその変化は止まった。そして三人はそれまで感じなかった苦痛を味わうようになる。
「トライ・ペゾー・ペトロが、人間の肉体を完全に再現してないんだネ。「混沌」のせいかナ」
そう、三人は「本来の自分の顔」や「本来の自分の大まかなカタチ」はイメージ出来ても、内臓や神経、筋肉と骨格の細かい位置関係まではイメージ出来ないから、頭の中に心臓があったり、肺と肋骨が融合したり、喉と大腸が直結したりしてしまったのだ。
「やはり難しいか。」
「教授」が顔の皺がまた増えるかのように呟く。
「今日はここまでだな。神器の回収を頼む」
「ちょっと待ってください」
「教授」の指示を受けて動き出そうとしたケツァルクワトルを止めたのは心牙だった。
「あの、スマホとの連携機能は試してみませんか?」
心牙たち現行勇者のほとんどが使っている神器は第三世代型と呼ばれている。第三世代型最大の特徴はスマートフォンやタブレット等を用いたインターネットとの連携機能だ。勇者ゲームの機能のほとんどもゲームアプリを介して行われる。勿論、第四世代型の試作品にもスマホとの連携機能は搭載されている。
「おぉ、それは盲点だったな。試してみるか」
「教授」がデスクの引き出しを開けて中を探り、ビニール製チャック付小袋に入った3つそれぞれメーカーや機種が違うスマートフォンを取り出す。
「俺がやります」
もっと上手く助けられたのではという罪悪感とあくまでクエストとして受けた手前何かやらねばという義務感に押され心牙が3つの小袋を受け取り、大きなガラスの右端に向かう。
「どれが誰のスマホ?」
肉塊の前まできて心牙はスマホを掲げて問う。
「オレのは怪獣王グドラの限定版ケースだ」
心牙は、持ちやすさ等微塵も考慮されていないトゲトゲした外装と、二足歩行になったトカゲのような「怪獣」の迫力あるイラストがプリントされたケースのスマホを小袋から取り出してそっと一番小さな肉塊の前に置く。
「アテクシは、ピンクのやつよ」
派手なピンクに派手派手しいラメでデコられた、この世に唯一とないであろうド派手な最新式のスマホを、中くらいの肉塊の前に同じように置く。
「オラのは……」
「言わなくても分かるよ」
残る何の装飾もない、かなり古い型の、画面がバキバキに割れたスマホを一番大きな肉塊の前に置いた。
セキュリティロックやバッテリーは大丈夫かな、という心牙の心配を他所に、3台のスマホの画面が虹色に輝き出す。心牙にも見覚えがある。確定演出だ。神器が勇者を、勇者が神器を選んだ証である。
「ゆ、勇者……ゲーム?」
「あらやだ。アテクシ、勇者様より女王様がいいわぁ」
「オラ、勇者より兄貴たちみたいになりてぇだ」
肉塊から腐ったマネキンになるくらいにはヒトの形を取り戻した三人であったが、マニュアルを脳内にインストールしたあとの段階で止まってしまった。
「体が動かねぇ…」
「やだ、整形前に戻ってくじゃなあい」
「オラ、兄貴たちみてぇに」
折角腐ったマネキンレベルに落ち着いたカタチも、彼らの精神的動揺に釣られてあやふやな影へ崩れていく。
「ヒーローだ」
見兼ねた心牙が助言をする。かつての自分の姿を重ねて。
「俺が「勇者」になった時……失敗しかけて咄嗟に助けを求めたのが、「機動騎兵ガンドゥム」シリーズの量産型ロボット……の、カスタム機とそのベテランパイロットなんだ。そしたらこのアバターになった。」
ファロゥマディンが『すばらしき』と念話チャットを送る。心牙か憧れたものを知れて純粋に嬉しかったようだ。一方で心牙はもう一人、憧れのヒーローだった警官だった父を思い出して密かに目を瞑った。
「自分が憧れた、誰かでも、何かでもいい。それを思い出せ!」
心牙の言葉に、3つの影の揺らぎが止まる。
「か、かいじゅ……ぅ……」
恥ずかしいのか、厳つい四角い顔の太い眉が特徴的な一番小さな肉塊だった壮年男がポツリと呟く。その瞳は泳いでいた。
「かいじゅ?なんだ?」
心牙は純粋な疑問から問い直す。
厳つい四角い顔の太い眉が特徴的な一番小さな肉塊だった壮年男が、大きく深呼吸する。意を決したように瞳を閉じる。
そして開かれた瞳は先程までとは打って変わって真っ直ぐで万華鏡のように煌びやかで、虫取り網片手に夏空を走る飛行機雲を追いかけた幼き夢追い少年のように輝いている。
「怪獣王に、オレはなる!!!」
そしてかつての幼き夢が、遂に飛行機雲に届く。




